続・竹トラッカーに土佐和紙×虎竹の幟旗

 
Rogier Uitenboogaart(ロギール・アウテンボーガルト)さん


Rogier Uitenboogaart(ロギール・アウテンボーガルト)さんに和紙について手ほどき頂きます。モミ紙と言ってもサンプルで置いてあるだけでも本当に沢山あり、漉いた素材やシワシワ具合によっても表情が様々です。


揉み紙


和紙を揉んで柔らかくして布のような風合いにするなど考えもしませんでしたが、布が貴重品だった当時からこのような方法はあったのかも知れません。


Rogier Uitenboogaart(ロギール・アウテンボーガルト)、竹虎四代目


そして、この和紙たちが意外と破れないのには少し驚きました。障子紙のような弱々しいものはなく、繊維が絡まっているのかどうなのか、しっかり自己主張するように力を入れても裂ける事はないのです。


土佐和紙、Rogier Uitenboogaart(ロギール・アウテンボーガルト)


虎竹を漉き込むと言っても竹ヒゴの幅や長さや本数によって印象は変わります。和紙に組み合わせることによって虎模様がどこまで活かされるか分かりませんがロギールさんの技にすべてお任せする事にしました。


柿渋和紙


竹虎にも虎竹和紙に柿渋を塗って耐久性をあげた団扇がありますが、もっと塗り重ねることによってかなり頑丈な和紙が出来上がります。この柿渋和紙など触った感じは防水性抜群で、紙が水に弱いなどという常識を覆しそうなのです。


Rogier Uitenboogaart(ロギール・アウテンボーガルト)、御簾


ロギールさんが一枚の繊細な御簾を広げて見せてくれました。細い竹ヒゴから、かなりの熟練した職人のものと分かりますが上質の和紙漉きにはこのような御簾が欠かせません。ところが、この御簾職人が少なくなって和紙漉きが出来なくなりつつあると言います。伝統産業には、このように専門の道具があって、その道具自体を作る技術の継承がなくなり途絶えてしまいそうな現実があります。


竹虎四代目(山岸義浩)


土佐和紙を使って美しい花々を創作れさる工芸作家の伊与田節子先生の展示会を今まで何回かお手伝いさせて頂きました。そこで良く耳にしていたのは、人間国宝浜田幸雄さんの世界一薄い和紙「土佐典具帖紙」と熟練の竹職人の技の必要性でした。失われてしまいそうで、しかし、そう簡単に失くならない粘り強さこそ伝統の強みです。


竹トラッカーに土佐和紙×虎竹の幟旗

 
Rogier Uitenboogaart(ロギール・アウテンボーガルト)、竹虎四代目(山岸義浩)


何度かお話しさせて頂いておりますように今年の8月、メキシコ・ハラパで開催される第11回世界竹会議に日本からただ一人基調講演で登壇させていただく事になりました。3年に一度世界各地で開催される自分達にとってはオリンピックみたいなもの、二度とないような機会なので日本唯一の虎竹電気自動車「竹トラッカー」を運んで世界中の皆様を乗せて走りたいと考えています。この竹トラッカー海外輸送計画は昨年の夏から取り組んでいますが、届け先がメキシコという遥かかなたの土地という事と特殊車両という事でなかなか一筋縄ではいかず苦労の連続でした。この話は又の機会にさせていただくとして今日の話題は、この竹トラッカーの幟旗についてです。


ロギールさんの工房


単純な発想でした。日本代表で遠征に行くなら幟旗がいるろう!そこで、すぐに思い浮かんだのが昔からの知り会いである手漉き和紙作家Rogier Uitenboogaart(ロギール・アウテンボーガルト)さんでした。高知県は土佐和紙の産地でもあり、竹虎でも虎竹の繊維を和紙にしたハガキやレターセット、名刺などがあります。丈夫でいながら自分達らしい旗を作ってもらうために梼原町の工房にお伺いしたのです。


Rogier Uitenboogaart(ロギール・アウテンボーガルト)、竹虎四代目(山岸義浩)


「今年の冬は、雪が70センチ積もってた...」須崎からわずか40キロ程度しか離れていない梼原ですが標高が高く、南国高知とは思えないほど気候条件が違う土地柄です。しかし、この寒さと綺麗な水源が和紙漉きには適しているそう、ロギールさんは楮(こうぞ)、三椏(みつまた)と言った和紙の原料を工房近くで育てられています。材料から最終製品までの一貫した理想的な和紙作りを実践されていることに感激します。


Rogier Uitenboogaart(ロギール・アウテンボーガルト)作の和紙灯り


ロギールさんと言えば、このカズラに和紙をあわせた照明が代名詞のようになっています。ホテルやレストランで、この品の良い灯りを良く目にする事もあるのです。


Rogier Uitenboogaart(ロギール・アウテンボーガルト)、竹虎四代目(山岸義浩)


幟旗というお話しをさせてもらって、ロギールさんがイメージされていたのは多少の水気につも強く、布のような柔らかい風合いになるモミ紙でした。


Rogier Uitenboogaart(ロギール・アウテンボーガルト)


竹トラッカーに取り付けて走行する事を考えた場合に和紙の旗が折れてしまうのが一番格好が悪いと思っていました。そこで自分は厚手の和紙を板状に加工するような方法を想像していたのですが反対にソフトで、それでいて破れにくい強度のある和紙を教えて頂きました。


フジテレビ「関ジャニ∞クロニクル」横山・安田さんが竹トラッカーで疾走!明日放送

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)、竹トラッカー


先月末の30年ブログで「あのスーパーアイドルグループ×竹トラッカー!都内某所を疾走!?」とお話しさせてもらいましたが、いよいよ放送日が明日、4/28日(土)朝10時53分からとなりました!


関ジャニ∞クロニクル」公式ホームページにも掲載されていますが、疾走したのは関ジャニ∞の横山さん、安田さんのお二人。そして、都内某所と申し上げていましたが横浜の街を疾走されています。実は今回の企画は「スルーされたニュース」として新しく始まったコーナーの第一弾なのです。世間を騒がせた新聞一面のニュースの裏で、実はスゴイのに注目されなかったニュースを「スルーされたニュース」としてスポットを当て徹底取材いただいています。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)、竹トラッカー


竹トラッカーも一昨年の夏に高知から横浜まで1000キロの道のりを1日3回充電を繰り返しながら11日間かけて走破しました。それが「チャレンジラン横浜」でした、本来ならトップニュースになっていても不思議ではないと長らく思ってきました。


それなのに、ちょうどその日には...!?


そんなお話しからスタートして、メインはやはりお二人が竹トラッカーに実際に乗車しての疾走です!ホームページには「その乗り心地とは!?」と、ありますが一体どんなだったのか...。竹トラッカーに颯爽と乗り込まれて風のように走って行ってしまいました。走行して帰って来られた楽しそうなお二人の表情と感想は聴かせてもらいましたので楽しんでいただけたとは思っていますが、詳しい走行中の様子は自分も知りません。だから、本当にどんな感じだったのか気になって仕方ないのです。


実はフジテレビの番組は高知では当日放映されておらず、自分達が観ることができるのは1週間後となってしまいます。地方ではこのようにテレビ番組がリアルな時間帯に放送されていない事も多々あるのですが今回ばかりは残念・無念!テレビを見るために東京に行きたいくらいです(笑)


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)、竹トラッカー


明日ご覧になられる関東を中心とした地域の皆様、明日の「関ジャニ∞クロニクル」はどうかお見逃しなきよう!ちょうどゴールデンウィーク初日でお出かけ予定の方も多いかと思います。安田さんも話しておられました


「自分達のこの番組は録画率が高いのですよ!」


外出される皆様は忘れないうちに今日から、今すぐタイマー録画をされて日中はお休みを楽しまれた後には、ご自宅でビデオをご家族揃ってご覧いただきたいです。


あの日本唯一の虎竹で製作しました竹トラッカーに横山さん、安田さんが初めて乗車されて走っています。きっと、素晴らしい番組になっている事間違いなしです。




40年ぶりの新発売、土佐網代

土佐網代丸手提げ籠


「土佐網代(あじろ)」などと言っても高知に暮らす誰一人として分からないと思います。そもそも、このようなエビ止めの竹籠が高知で編まれていたのは40年以上も前の事、当時の事を知る方も居られません。土佐の竹職人が編んでいたから「土佐網代」と名付けられた名前は、この竹籠が編まれる事が無くなった後からの事なのです。


土佐網代丸手提げ籠


昔は水切り籠として製作される事が多かったようですが今回は手提げ籠として使えるように実用的な丈夫な持ち手を付けています。美しい形と色合い竹表皮を薄く剥いだ竹ヒゴで編まれた若々しい表情は一年、二年と時間が経つうちに色合いが深まります。


土佐網代丸手提げ籠口巻


口巻きに特徴のある地元の籠です、生活道具として沢山作られていたはずですので身近にもっとあっても良いようにも感じていますが、思うほどは残っていないのは暮らしの籠の宿命かも知れません。


土佐網代丸手提げ籠底部分


この丸手提げ籠最大の特徴は、名前の由来でもある底編みの網代にあります。菊底編みで同じような竹籠はありましたが、知る人が誰もいなくなり、かって高知でこの竹籠が編まれて県外に運ばれて行った歴史を知ってもらいたいと思いましたので、少し時間がかかりましたが昔と同じ作りで復刻したかったのです。実に40年ぶりの新発売となります。


3カ所あった歯周ポケットが消えてしまった!?

竹炭歯磨き


竹炭の力は歯磨きにも必ず活用できるはずだと思っていましたので、ずっと前から商品化したいと考えながら何年もの間出来なかったものがあるメーカーさんとの出会いであれよあれよという間に形になりました。大阪にある不動化学さんは茄子の黒焼を配合した自然塩入りの歯みがきを数十年の長きに渡って製造されています。もちろん界面活性剤、サッカリン、防腐剤など使わない製品づくりをされていますが、実は不動化学さんと自分の出会いは中学1年生にまでさかのぼるのです。


明徳中学で全寮制の時代でした、母親から届いた黒い歯磨き粉を付けて試してみますと何と塩の味!色は白、味は甘いミント風味の歯磨き以外この世にはないとさえ思っていた自分は衝撃をうけました。ところが塩を使ったハミガキは昔から使われてきた方法で、汚れを落とし歯ぐきを引き締め歯周病の予防になるとの事を知ります。


竹炭歯磨きへのお客様の声


それでも真っ黒い見た目、塩味という物珍しさから試した寮生からは大不評の歯磨きだったのを覚えています。その時には、まさか数十年経って不動化学さんに竹炭を使った塩歯磨きをお願いするなど思いもしませんでしたが、使い慣れていないだけで、いちど使い始めると良さを理解される方もおられるという事もこの時知りました。


69歳のお客様から届いた手書きのお葉書に、竹炭歯磨きを使って2ヶ月後の歯科検診では、歯茎の状態が素晴らしいと生まれて初めて誉められたとあります。また、3カ所あった歯周ポケットが消えてしまったそうです。竹炭の歯磨き効果は予想以上なのです。


修理して蘇る虎竹縁台

縁台修理


虎竹縁台を修理しながら長くご愛用いただくお客様がおられます。丸竹の竹製品の場合には管理がいくら良くても竹に割れが入る事が多いのです。虎竹の場合にもまず両側の虎竹部分に割れが入る事が多いので銅線でしっかりと留めることから始まります。


虎竹縁台


折り畳み式になっていますので、足を広げて固定するツッパリのジョイント部分も手直しが必要です。そして、四万十カズラは乾燥で切れている箇所もありますので、座面の黒竹をしっかり固定するためにも巻直しています。


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腰かける黒竹部分がピカピカと輝きはじめています。それにしても、このようになるまでお使いいただけるのは本当に有難いことです。


雲の上、別天地に灯る竹照明

雲の上のホテル照明


高知県に梼原町という少し面白い町があるのです。平家の落人伝説の残る町は須崎から距離にしたら43.5キロと特別に遠い所ではありません。坂本龍馬が脱藩する時には須崎から梼原を通り国境を越えて行ったように昔から大きな生活道で結ばれた町同士でもあります。しかし、梼原町の中心地の標高が410メートルという高地にあって、曲がりくねった山道が続くという印象が残っているのか、道路が整備されトンネルが抜けた今でもあまり頻繁にいく町ではありません。


梼原町総合庁舎、隈研吾


そこに、ある日突然「雲の上のホテル」という山深い所には似つかわしくないモダンなホテルが出来ました。その後も「雲の上のギャラリー」「まちの駅ゆすはら」圧巻の建物が次々と増えていきます。そもそも、梼原町総合庁舎自体が驚くような格好良さ、知らずに来られ方がいたら腰を抜かすのではないかと思うほどです。


隈研吾、ジャパン・ハウス サンパウロ(JAPAN HOUSE Sao Paulo)


これらの建物は全て高名な建築家・隈研吾さんの手によるもので森林の町、梼原の豊富な木材を活かしています。竹は木でも草でもないと言われますが、親戚のようなものですから当然注目はしていましたが、昨年6月のジャパン・ハウス サンパウロ(JAPAN HOUSE Sao Paulo) にお招きいただいた際、強烈な印象で迫ってきた木の存在感に改めて森林国・日本を感じました。


隈研吾(KENGO KUMA)、雲の上の図書館


そして、今回さらに隈さんによる「雲の上の図書館」が来月オープンです。ブラジルの時と同様、しばらく声も出ず、ただ魅入るだけ。高知県は人口減少のトップランナーです、高齢化や限界集落の問題は日本で一番最初にやって来ています。ところが、ここで働く皆様は若い活力がみなぎっている感じです、不思議に思っていましたがその多くはIターンの方々でした。そう言えば空き家に悩む自治体が多いなか、この梼原町では空き家が無いそうなのです。過疎地域が先進の取り組みをされ続けている梼原に学ぶ事は多いと思います。


雲の上のホテル、竹編み


さて、最初の雲の上のホテルに話を戻しますが玄関ロビーにの上に大きな竹の照明が吊るされています。この竹編みは今まで竹虎がさせていただいた照明の中でも最大級の物で、たまに通りがかった時には道路から見えるのでいつも気にかかっています。


竹の身の部分を使っていますので製作当時は白かった色合いが、今ではすっかり飴色になってきて高級感が増しています。よくご覧いただきますと竹の壁面や仕切りも四ツ目編みの竹で設えています。うっかりしていると見逃してしまう事があるかも知れません、このゴールデンウィークには沢山の方か行かれるのではないかと思いますので是非ご注目いただきたいと思いよります。


続・虎竹コーヒードリッパー

虎竹コーヒードリッパー


一杯取りの小さいな物がイメージです、素材は蓬莱竹を使って網代編みされた塩取り籠タイプを試作してもらいます。何個か試作している時に、虎竹茶漉しを編んでいる職人が更に完成度の高いドリッパーを作りました。


蓬莱竹コーヒードリッパー


自分には昔ながらの塩取り籠の印象が強くて頭から離れなかったかのですが、紅茶ファンの方には前々から静かな人気のあった虎竹茶漉しをコーヒー用に大きさと形を変えれば良かったのです。


虎竹コーヒードリッパー


茶漉しと違って、円錐形に編んだ虎竹コーヒードリッパー本体には1~2人用のコーヒーペーパーフィルターがちょうど入れられます。


虎竹コーヒードリッパー


こんな感じで毎朝の虎竹コーヒーが楽しめるとは本当に贅沢な気分ぜよ。


竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)山岸義浩


先日、高知の山深い所にある工房で美味しいコーヒーを頂く機会がありました。緑に囲まれた明るい光の差し込むテラス、手作り感のあるテーブルに腰を下ろして辺りを見渡すと新緑が綺麗で最高に気持ちの良い一時でしたけれど、その時の光景が蘇ってきそうです。


虎竹コーヒードリッパー


しかし、虎竹コーヒーを飲み終わって、しみじみコーヒードリッパーを眺めていると、どうしてもあの竹職人の軒先を思い出してしまいます。虎竹コーヒードリッパーは、やはり現在の「塩取り籠」かも知れません。


虎竹コーヒードリッパー

 
虎竹コーヒードリッパー


昔から使われていた籠の中で塩取り籠という、あまり一般的には聞きなれない籠があります。これは円錐形をした網代編みの竹籠で、使用時には尖った先端部分の方を下にします。「塩取り」と言うくらいですから塩作りに関係した籠だとお分かりいただけるかと思いますが、一体どのように使うのか?ご存じの方は、あまりおられないのではないでしようか。


自分も実際に使われているのを見ることはそう多くありません。使い方は海水を完全に煮詰める前の苦汁液が残っている時に、この吊り下げた塩取り籠に入れて苦汁を取り除いていくのです。


塩取り籠


いつだったか、この塩取り籠を思いだすような竹製コーヒードリッパーを見かけたのです。まさに古くからある網代編みの籠をそのまま小さくしたような物でした。若い職人の方が製作したものだったので、もしかしたら塩取り籠をどこかで見かけてインスピレーションを受けて作ったのかも知れません。


MOCCAMASTER


実はコーヒーを毎日4杯、5杯と飲むコーヒー党ですので竹製ドリッパーを見てからずっと気になっていました。会社ではカプセルをコーヒーマシーンにセットして一杯づつ入れるコーヒーを使っていましたが、長く使用している間にどうも美味しさを感じなくなっていました。社員にもあまり好評ではありません。


そこで、たまたま入った喫茶店のマスターが美味しいコーヒーを入れてくれるので、聞いてみるとMOCCAMASTERというオランダ製のコーヒーマシーンを教えてくれました。少し高額だったものの毎日の事なので購入して使ってみますと、さすがオススメされる事はあります。久しぶりに自分好みのコーヒーを飲んだ気がして嬉しくなったのです。


珈琲


そんな時、顔見知りのお客様から竹製コーヒードリッパーのお問い合わせがありました。カプセルを止めてコーヒー豆も手元にあって、ちょうど自分もあの気になっていた竹ドリッパーで竹コーヒーを飲みたいと思っていましたので製作してみる事にしました。


京の絶品、カツサンド

 
筍サンドイッチ


「ちょっと面白いカツサンド出します」言うて京都・木屋町にある、もち料理 きた村のご主人さんが出してくれたのがコレだったのです。最近、目が悪くなったせいか分厚いトンカツが随分と白っぽくてブランド豚か何か特別な肉かと思って頬張ってビックリぜよ!熱々の衣の中身の食感...何と筍だったのです。初めて食して心から感激です。


女竹


京都に来て、このような老舗の名店にお邪魔する機会などそう何度もありませんが、お連れ頂いた店内の設えに竹が多用され気持ちよくお出迎えいただきます。そして料理の中でも竹で歓迎いただけるとは、本当に京都は「竹」なのです。多くの海外の方々が日本のイメージのひとつとして「竹」を思い描かれているとすれば、その竹は京の竹です。


京都の孟宗竹


美しく管理された竹林は普通の竹林ではなく筍畑、そしてそこで生産される筍は付加価値のついた農産物として珍重されています。


孟宗竹


アチラコチラから元気に顔を出す筍の竹林を思い出します。このように力強く筍が伸びているのが当たり前だと思われていますでしょうか?適度な竹の間隔で風通しも良く、日当たりも良い竹林はそう見られるものではありません。


筍、タケノコ


竹を間引き、竹のウラ(先端)は伐り落として竹葉で太陽の光が遮えぎられないようにしているのです。ぬくぬくと温められる土中からは大きな筍が次々に顔を出します。あの真っ白なカツサンドの筍は、顔を出す前の土の中から掘り出される逸品です。


腰に小さな魚籠ひとつ

 
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職人が、あめご釣り用に大事にしていた魚籠は、かなり色合いも良くなっていますが同じような形でありながら数段小さく編んだ魚籠があるので比べてみると大きさがこんなにも違います。作られたのも更に古く、昔の竹籠特有の赤茶けた色合いになっているのです。


魚籠、竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)


この小さな魚籠の後ろには20センチ程度の竹ヘラのようなものが縛り付けられていて籠と同じように渋い風合いに変色しています。この竹ヘラの部分が便利なのです、腰籠として使いたい場合にはベルト等に差し込むだけなのです。あまりに簡単ですので籠を落としてしまうのでは?と思われる方も、どうかご安心ください。こうして差し込めば、めったな事では落ちませんし落とせばすぐに察知できるのです。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)


腰に装着するとこんな感じになります。釣りの時にも活躍するのでしょうが、小物入れとして日常使いもできそうです。そういえば、ちょうどスマホサイズ。これは格好が良いぜよ!スマホ籠など誰も持っていません。


外来種、ムネアカハラビロカマキリと竹箒

虎竹カマキリ


日本には、居ないはずのカマキリがいる!?そんな少しショッキングな記事が新聞に掲載されていました。その名もムネアカハラビロカマキリ、元々日本にいた在来種を駆逐しているそうですから大変です。最初に確認されたのは2000年だそうですが、その侵入経路が問題なのです。


実は、外来カマキリは中国から入ってくる竹箒に付いて大陸からやって来ていたのでした。現在の竹箒は多くが輸入品であり、国産で製造しているのは竹虎で扱っている黒竹柄の黒竹箒など本当に極一部ではないかと思います。


竹の伐採をすることが無くなってきた日本では、竹枝など材料がありませんので竹箒を製造する事は不可能です。その点、中国の竹林に行くと大量に、そして安価に竹箒が作られていますので消耗品の性質をもった箒の輸入は仕方のない事ですろう。中国浙江省の竹箒工場に見学に行った時のことを思い出しますが、まるで体育館のような大きな倉庫に竹箒が山積みされていました。ほとんど日本向けの商品との事でしたので、あのように驚くような量が輸入されるのならカマキリ対応は非常に難しいです。


竹箒


新聞の記事によると多摩動物園に納品された420本の竹箒の中で13本も卵が付いていたと言いますから随分多いとも感じますが、カマキリの卵は、ちょうど保護色の様になっていて箒の枝の色に溶け込んで、とても分かりません、


コンテナでの薬剤処理をもっと徹底するような記事もありますけれど、昆虫の場合は成虫なら比較的薬剤が効いても、卵は意外と耐性があり強いものなので効果がどこまであるか疑問です。それより、その竹箒を素手で使う人の事のほうが心配にもなります。


ムネアカハラビロカマキリの新聞記事


20都道府県に広まっているのが確認されているとは言うものの、自分が中国の竹箒工場に行ったのは25年以上前の事ですから恐らく外来カマキリはもっと全国的に生息しているのかも知れません。


大きな外来カマキリに負けないのは、虎竹の里にいる虎竹カマキリくらいのものか...。ますます頑張ってもらわねばなりませんが、繊細な作りですので動かしていて触覚が取れてしまいました(笑)。


虎竹和紙渋引団扇の夏

虎竹和紙渋引団扇


最近、また少し肌寒い日もありますが、高知では4月に入ってからは夏日のような日もあって日中はエアコンが必要になほどになっています。日が落ちると気温は下がるものの風呂上りには窓を開けて夜風が吹き込んで来るのが心地よいくらいの感じです。まだ冷房は必要にない今くらいの時期が一年で一番過ごしやすいのかも知れません。この時節に自分が一番重宝しているのが何といっても団扇ぜよ、扇風機は場所を取るので出していません、クーラーをかけるほどではない、そんな時には団扇の優しい風が最適なのです。


空調が完備されるのが当たり前になっている昨今、お祭りやイベント以外では団扇はあまり使う機会もなくなっていますが、竹虎では虎竹和紙を使った団扇を製作してもらっています。竹籠が長く使うほどに色合いが飴色になり愛着が深まるように、この団扇は柿渋を塗って仕上げていますので防水など耐久性が高まるだけでなく、長く使えば使うほどに色合いが濃く色づいてくるところがオススメのポイントです。


美しい孟宗竹の竹林


ついこの間までヒートテックが手放せない日々だったように思いますが、早くも竹の涼が嬉しい季節となりました。手入れされた美しい竹林に足を踏み入れると、風がササッーと通り抜け自然な涼しさで汗が引いていきます。今年も、竹の夏がやって来ます。


藁いずみと飯籠

 
別注藁いづみ、飯櫃入れ、わらびつ、ふご、つぐら、こも


別誂えの小さな藁いずみのサイズを聞いた時には、こんなに小さくても良いのだろうか?と少し疑問に思ったものです。飯櫃に入れたご飯の保温のための道具なので藁の厚みがあるため中に入れられる飯櫃は外側から見るより随分と小ぶりになるからです。


別注藁いづみ、飯櫃入れ、わらびつ、ふご、つぐら、こも


飯櫃入れは、カマドで炊飯するのが当たり前の時代には全国各地にあった道具なので、藁いずみの他に「よさ」「コモ」「ふご」「つぐら」「藁びつ」等と呼ばれて愛用されてきました。今ではすっかり見なくなった道具の一つですが、こうして炊飯ひとつとっても日本の四季、先人の知恵を思わずにいられません。


飯籠


冬は炊いたご飯が冷めないように藁いづみにいれて保温します。反対に夏に使われるのが竹で編まれた飯籠となります。藁にしても竹にしても民家のすぐ近くにあって変幻自在に形を変えて生活に役立ってきた秀逸な素材たちです。


手付き飯籠


内職さんの納屋に残る古い飯籠の多くには長い持ち手が付いていたりします。現代の住宅には縁側などというものはありませんが、ほんの数年前までは縁側に腰を下ろすと軒先にはこのような竹籠が吊り提げられていたりました。高温多湿の日本の夏に通気性のよい竹編みの籠にご飯を入れて腐らないように保管していたのです。大家族がなくなって大きな飯籠の必要はなくなりましたが、今でも製作する飯籠には長めの持ち手を付けています。持ち手ひとつにも持ち運びに便利というだけでない飯籠の歴史ありです。


ところで、この持ち手は吊り提げる他にとても便利な使い方があるのをご存知でしょうか?飯籠の蓋を開けるのには、ちょっとしたコツがあります。こちらの動画で説明しちょりますので、どうぞ。




土佐藩山内家に伝わる日傘

 
土佐藩山内家の日傘


かっての土佐藩主、山内家のお殿様が実際に使用していた日傘だと言うので吸い寄せられるように見に行きました。日傘といっても現代の片手で持てるような傘とは違い、野点の時に立てられている傘のような特大サイズです。日差しの強い南国土佐ですから日中の外出には欠かせなかったのかも知れませんが、これを持ってお殿様に従う家来の方は大きいし、重いし大変だったのではないでしょうか。


傘に吸い寄せられたのには二つの理由があります。明治27年、今から124年前の竹虎の創業は傘用の竹材を取り扱う事から始まったからです。この山内家の傘も骨部分などすべて竹で出来ていて今でも現役で使用できる美しさなのに驚きます。


竹はこのように大切に扱っていれば、壊れやすい個所を修繕しながらでも何代にも渡り使い続ける事が出来ます。この傘も江戸時代のものにしては傷みが少なかったので恐らく後の時代の職人の手が入っているものだと思いました。


虎竹


もう一つの理由が、日本唯一の虎竹は藩政時代には藩の財産として手厚く保護されていて山内家への年貢として納められていた竹です。まさか、この傘に虎竹が使われているとは思いませんが、やはり竹を多用する傘であります。山内家に代々伝わってきた逸品と言うと「もしかして」と心が騒いだからなのです。


毎日の生活の中でこのような和傘を一般の方がご覧になられる事は、特別な機会を除いてほとんど無いと思います。若い頃は自分も母から譲られた和傘をボロボロになるまで使っていました。雨に濡れたら広げて乾かすなど手間がかかる事も楽しいと思っていましたが今ではもっぱらコンビニのビニール傘です。何処かに出かける時には少し不便な和傘ではありますが、また使ってみたい気分になりました。


警告!おまんらあ、まっことコレ以上は許さんぜよ!

 
竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)山岸義浩


「まっこと、コレ以上は許さんぜよ」と竹虎四代目が怒っていますが、その指は虎竹の里の山々を指さしています。一体何を指しているのかといいますと、実はイノシシ君たち。


イノシシ君たちと可愛く話してますが実際のイノシシはかなり怖いです。シマシマのあるウリ坊ぐらいですと、しばらく眺めていたいくらい愛らしいものですが大きくなったイノシシが数頭歩いていると、まるで「もののけ姫」に登場するイノシシのように迫力があります。


イノシシ食害、孟宗竹


日本三大有用竹と言われる孟宗竹淡竹(はちく)、真竹の順番に筍を出すのですが、一番最初に生えてくる孟宗竹がこの通り!虎竹の里では孟宗竹は本当にわずかしか植えられていませんが、辺りを掘り返して筍を食い荒らしているのです。


孟宗竹筍


人間でも早堀り筍など、そうそう食せないのにグルメだねえ...などと悠長な事は言うてられません。嗅覚の鋭いイノシシは熟練の筍職人のように生えてくる筍を見つけるのです。


もちろん、土中の筍だけではなくて頭を出して伸びようとしている筍も無残に先端を食いちぎられていたりします。いくら孟宗竹が増えて困っていると言いましても、このように土を掘り返し、食い荒らされている様子には我慢できません。


虎竹イノシシ食害


しかし、困るのはこれからです。孟宗竹の筍に遅れて今度は虎竹の筍が生えてくるのです。虎竹の筍は孟宗竹に比べて小さいので、そこまで探し回って食することもなかったようですが近年はイノシシの数が増えたせいか虎竹の筍も食害に遭っているのが目立つようになっています。


淡竹筍


山の職人によるとイノシシが遊びで筍を折っているという話を聞きました。本当だろうか?と思っていましたが、昨年虎竹の林で押し倒して折られた筍を見つけて少なからずショックだったのです。どこにも食べた跡は残っていませんでしたので、確かに食べたくて折ったのではないようです。


それなら何故折るっ!?


まっこと、今年もこんな様子なら承知せんぜよ!と思っています。


フランスからやって来た須崎大使(アンバサダー)

須崎大使、虎斑竹専門店 竹虎


「フランスから地元須崎をPRしてくれる須崎大使(アンバサダー)が来社する」そんな話を聞いて、いよいよか...と思いました。


須崎大使(アンバサダー)、竹虎四代目


実は先月参加させてもらっていたパリの展示会で須崎大使に選ばれた3名のことを聞いていたのです。最近、フランスだけなのかヨーロッパ全域でそうなのか分かりませんが日本が大きく注目されています。


フランスから須崎大使、竹虎来社


オリンピックに向けて日本からの発信にも力が入っていますし、昨年パリで開催された見本市「ジャパンエキスポ」は大盛況で、そこで選出された須崎大使の皆さんは、来日を心待ちにしていると聞いていました。


フランスから須崎大使、竹虎来社


随分前の事に確か福岡だったと思いますが、海外からの観光客を増やす一つの取り組みとして同じように海外からのカリスマブロガーの方々を旅行に招待して、それぞれの目線で福岡の良い所を書いてもらったそうです。


フランスから須崎大使、竹虎来社、Linon Marie


今回、招待した大使の皆さんもSNSでそれぞれ影響力の大きい方ばかりのようです。日本が大好きで、日本の事もよく知っているかと思いますものの、須崎のような田舎の事は恐らく何も知らないだろうし今まで接してきた日本とは違う未知の領域ではないでしょうか。


フランスの須崎大使、虎竹の里見学


日本の漫画やアニメが世界で人気だとよく言われていますが、フランスでのイベントでも若い方を中心に熱心なファンの方が多かったようです。最初から竹に興味や関心は無いかと思いますが、日本文化のひとつの側面を入り口にして、こうして虎竹の里までお越しいただいていますから有難い事です。


フランスの須崎大使、竹虎、Alexis Lemeeさん、Joel Oroqueさん、Linon Marieさん


今回、大使として来られたのはAlexis Lemeeさん、Joel Oroqueさん、Linon Marieさんの三名。慌ただしい日程の中、知られざる新しい日本をいっぱい発見された事だと思います。是非地元須崎をよろしくお願いいたします!


フランスの須崎大使、Joel Oroqueさん、竹虎四代目


第58回全国竹の大会高知県大会、記念植竹

第58回全国竹の大会高知県大会、記念植竹


昨年の龍馬生誕日である11月15日に開催させてもらいました第58回全国竹の大会高知県大会ですが、長い歴史の中で初めて高知で開催される全国大会でした。組織の無い高知で、このような大きな大会を開く事ができるのか?遠くから皆様がお集まりいただけるのか?いくつかの不安材料がある中で実行委員の皆様が多大なご協力とご支援をしていただき、予想をはるかに上回る大会となりました事に本当に感謝の気持ちです。


紙産業技術センター


最後に残った行事として、恒例の記念植樹ならぬ記念植竹がありました。伊野町にあります紙産業技術センター様に植えさせていただく事になり竹文化振興協会から寄贈いただいたダイサンチクを植えさせていただいたのです。


第58回全国竹の大会高知県大会、記念植竹


植竹には後々の事を考えて株立ちの竹を植えるようにしていそうです。普通の竹でしたら生命力の強い竹は根をどんどん広げていってしまいすが、株立ちの竹は大きく育っても同じ場所から生えてきますので周りの迷惑になることがありません。


第58回全国竹の大会高知県大会、記念植竹


雨が多く洪水に悩まされてきた高知県には護岸用として、同じ株立ちの蓬莱竹が植えられてるのを良く見かけます。近くの田畑に根を伸ばさないのが好まれて多用されているのです。


第58回全国竹の大会高知県大会、記念植竹


株立ちの竹は南方系です、高知は南国土佐とも言われる温かい土地柄ですので大きく大きく育つのではないかと今から楽しみにしています。紙産業技術センター様の玄関入って正面のガラス越しに見える中庭に植竹させてもらいました。機会があれば是非ご覧いただきたいと思っています。


ゴールデングラス

ゴールデングラス


先日、虎竹の里にお越しいただきましたブラジルからの皆様の事はフェイスブックで連日拝見いたしておりますが無事に四国の八十八カ所のお遍路の旅を楽しまれているようです。実はブラジルからのお土産を頂ていおりましたぞね。ゴールデングラスというブラジルでもアマゾン川の近くの一部の地域でしか成育しない草だそうです。


草だと言いますが名前からも分かるように、まるで本当のゴールドのような金色の輝きを放っています。これが自然そのままの色でしょうか?見れば見るほど不思議な色合いです、金粉を吹き付けているか、金箔をほどこしていると言われれば、ああそうかと納得してしまうような質感です。


ゴールデングラス


なるほど現地では「自然の宝石」と言われるそうですが良く分かります、本当に美しい素材です。繊維質一本一本が金で出来た細い針金のようなのです。思わず手にとって、しみじみと見てしまいますが考えたら日本唯一の虎竹も、虎竹の里という限られた地域でしか成育しない自然素材です。


ゴールデングラスのアクセサリー


虎竹を知らない方からしたら、このように関心をもって見ていただけているでしょうか?


ゴールデングラス、自然の宝石


ブラジルの工芸品としてゴールデングラスを使って細やかな細工をされています。初めて拝見する手の込んだ物ですが、このようなアクセサリーなら女性の方にも人気ではないかと思います。


ゴールデングラス、自然の宝石


美しい素材に、確かな職人の技術が加わると素晴らしい品ができあがるのは万国共通なのです。


ブラジルの皆様と虎竹の里の山道

Nelson Honjoさん、Elisa Tomiko Mimaさん、竹虎四代目、竹虎本社にて


昨年の6月に在サンパウロ日本国総領事館主催にて「日本唯一の虎竹と共に100年、持続可能な地域資源活用」をテーマに新しく開館したばかりのJAPAN HOUSE Sao Pauloで講演をさせていただきました。建物は高知県とも縁の深い隈研吾氏による建築、木材を多用した素晴らしいもので、通りのずっと遠くからでも独特の雰囲気を醸し出していたのが思い出されます。


Nelson Honjoさん、Elisa Tomiko Mimaさん、竹虎四代目


隣町から長距離バスでやって来られたNelson Honjoさん、Elisa Tomiko Mimaさんとは、この時に初めてお会いさせてもらいました。前々からフェイスブックを通して交流させてもらっていましたので初めての感じはしませんでしたが、何とこの時に四国八十八カ所のお話しが出たのです。


ブラジルからのお客様


しかし、不思議なものです。ブラジルにお住まいの方々とは一生お会いするチャンスなど無いと思っていたのが、サンパウロでご一緒させていただき、今度は日本にやって来られるというのです。地球の裏側から、わざわざお遍路にやって来られるのを聞いた時に驚きましたが日系の方々のみならず皆様が本当に楽しみにされているのを知りました。


虎竹の里


虎竹の里では虎竹伐採は終わっているものの、山からはまだ少し竹が出てきています。山で虎竹が見られるのは、この時期だけですのでちょうど良いタイミングでお越しいただけたと思います。


虎竹の里


四国の遍路道は弘法大師以来1200年の歴史のある巡礼の道ですが、世界にも同じような巡礼の道があるそうです。今回来日された皆様は、そのような巡礼の道を何回が歩かれたそうで虎竹の里の山道にも臆することなく登って行かれます。


今では国道も整備されていますが古の遍路道は獣道にもならないような、ともすれば消えて無くなってしまいそうな細く険しい道があります。世界の巡礼の道も恐らくそのような箇所があろうかと思いますが、さすがにこの虎竹の里の急斜面の帰り道は皆様が苦労されています。改めて、山の職人の苦労を思うのです。


ブラジルからのお客様


珍しいスズ竹背負い籠

スズ竹背負い籠


スズ竹の背負い籠というのは、かなり珍しいものではないかと思います。細い竹ですので編まれるのは市場籠や椀籠の他にはザルや弁当箱など小さな竹細工が中心なのです。少し前までは行李なども編まれていましたが今では職人さんの高齢化と共に製造される事は少なくなっています。


スズ竹


しかし考えてみれば、これだけしなやかさと丈夫さを兼ね備えたスズ竹です。大きな竹籠にしてこそ本来の力を発揮できますので、背負い籠のような重たい荷物を運ぶ用途に使われるのはごく当たり前の事なのです。


スズ竹二重編み背負い籠


触った感じの質感も、背負ってみた重量感でもゴザ目編みだけでも堅牢この上ない籠だと思うのですが、更にこの籠は二重編みときています。竹ヒゴを三本ならべて六ツ目編みで籠全体を包み込んでいます。 


スズ竹二重編み背負い籠


底部分もこの通り、本当に長く使うために強く、強くと考えられて完成した形。ハチ巻のようにも見えるのは、丸底の籠を置いた時の安定感があるように付けられたスズ竹製の足なのです。


タイの台所で見た竹籠

タイの虫除け籠


昨日はタイの繭づくりのお話しをさせていただきましたが現地で気にかかる竹籠を見かけた事を思い出しました。半円形をした深さのあるもので、網代編みで丁寧に編み目をビッシリ詰めています。美味しいフルーツが多い国でもありますので果物の盛籠か何か入れる籠かと思っていましたら食卓では反対に伏せて置かれているのです。


不思議に思って地元の方に聞いてみたらハエ除けのための竹籠でした。なるほど、常に逆さにして使うのなら彩鮮やかな竹ヒゴで編まれているのも納得です。


竹編み


技術交流があったためだと思いますがタイで見かける竹細工の中には日本の籠にそっくりなものがあるのが印象的でした。


竹の小箱


しかし、竹編みの細やかな技は驚くほど精巧なものがあり独特の進化をしているのが素晴らしいところです。


タイの細やかな竹編み


これには竹細工に適した良質の竹材の存在も大いに関係していますが、日本の竹を考えていく上で大きな課題を見つける事ができましたので、いずれ別の機会にお話しできればと思います。


竹製魚獲り道具


移動の途中に見かけた露店で車を停めてもらった時の事です。地元の方が竹の道具を使い、こうやって魚を獲るんだよと教えてくれました。子供の頃にこんな漁具があったらさぞ便利だったろうにと思いながら見ていました。魚釣り等とは又違って、手づかみで魚を獲るのは直接躍動感が伝わってくるからか長く忘れないものです。一気に童心に帰っていました。


今では土用干しに活躍する、古いエビラについて

エビラ


小学校の頃、蚕を飼っていました。そう言うとペットか何かかと思われそうですが確か実験か何かではなかったでしょうか。平らなお菓子の箱を使い、ベットの下に置いて食欲旺盛な蚕の姿を観察していたのを覚えています。土用干しに梅干しを並べるエビラ籠は元々この蚕を飼うための道具でした、平らな竹編みの上に沢山の蚕とエサになる桑の葉をのせて蚕棚に並べていたのです。


エビラ


このエビラも県内で古くから使われて来たものです。随分前のものらしいのですが竹編みはしっかりしていて、まだまだ現役で使えそうな渋い味わいを醸し出しています。


竹虎四代目


昔使っていたエビラは今では野菜干しなどに活用されていますが、農家の方に聞くと結構な数が残っていると言います、さすが高知です。さて、そんな中で珍しい蚕が繭を作る際に使う道具がありました。呼び名を聞くのを忘れましたが木材をくり抜いて作られた土台を何と一閑張りして仕上げています。


竹ざる、タイの繭づくり


蚕は家の中でも一番温かで良い場所で飼われていたそうですが一閑張りまでするとは当時それだけ大事にされていたのだと知ることができますぞね。


そういえばタイに竹を見にいった時にも蚕の繭をつくる道具を拝見しました。丸い大きな竹笊に仕切りがつけられていました、国によって様々なのですが竹が多用される事だけは共通なのです。


懐かしの虎竹茶について

虎竹葉


竹には糖質が多く、虎竹の油抜きなど熱を加える加工をすると甘い香りが工場の外にまで漂うほどです。自分が愛用している丸竹を削りだして作ったビアグラスがありますが、数年使用したものでさえ熱湯を入れてすすぐ時などには竹特有の甘い香りが残っていますので余程竹の隅々にまで糖質分が行き渡っていて抜けることがないのだと思います。


虎竹茶製造


いつも竹虎本店に用意されている虎竹の竹葉を使った虎竹茶も稈の部分同様に糖質が多いのか熱い湯のみか香り立つのはやはり甘美な香りです。竹屋として育った自分には何とも温かく懐かしい香りです。


虎竹茶


抗酸化作用があり活性酸素など有害物質を無害な物質にする働きのあるポリフェノールの含有を調べた事があります。より美味しくするために蒸らし、焙煎粉砕していますが、この加工をすることにより竹茶に含まれるポリフェノールが高まります。


虎竹茶


生葉より焙煎した方が美味しいのはもちろん抗酸化能が高いのですが、その焙煎具合によっても変化が見られるようです。まだまだ竹茶の事も深く知る必要があるように思っています。

32年間勤務の山口さん

山口さん、竹虎四代目


いよいよ新年度が始まります。春は出会いと別れの季節、竹虎にも新たに入社いただく方がお越しいただく一方卒業されていく方もいるのです。今回、定年退職される山口さんは32年のベテラン、長くお勤めしてもらった中で様々な思い出もいっぱいあります。


竹虎本店


当時の竹虎は店舗面積も広く、沢山の大型バスのお客様に立ち寄っていただいていました。言うなれば竹に特化した道の駅のような施設でしたので、主に県外のお客様の接客業務が中心でした。高知県から遠く離れた都会のデパートやイベントへの売り出しも積極的にしていましたので出張してもらう事も多々あったように思います。


富山市民プラザ


竹虎二代目、三代目、四代目と続いていく中で、会社を取り巻く環境変化もあり仕事の内容も変わり、経営の危機の大きな波がありました。業務のやり方も刷新せねばなりませんでしたし、新しい技術や知識を学んでいただく事もありましたが持ち前の明るさとパワーで一生懸命に取り組んでいただきました。


竹虎社員


母の時代からの伝統で、竹虎の職場の素晴らしさは社員の仲間意識、チームワークの良さですが、その笑顔の中心にいつもいたのが山口さんです。仕事のやり方は変わる事があっても、日本唯一の虎竹という100年のやってきた背骨の部分は全く変わることはありませんので32年の職歴は、そのまま竹への深い造詣となっていました。


竹虎本店


貴重な人材が不在となり自分は又右腕を失くした思いに駆られています。しかし、感傷にひたる時間は1秒も許されていません。本日は全社会議にて仲間に加わる数名の若い力と共に今日から新年度のスタートの決意をします。


そして、前年度の評価も予定しています。退職された山口さんには、感謝の気持ちをこめて何とか精一杯の報いを用意することができました。せめて最後の笑顔を見せていただけそうな事が、自分のささやかな喜びであり唯一の支えです。