北海道の初めて名前を聞く小さな町にやってきました。どんよりと曇った空に、キンと冷えた空気、南国土佐からは随分と遠く離れた場所だと改めて思わされるのは日暮れの早さです。まだ早い時間なのに辺りは薄暗くなりつつありました。
かって、そのお店では根曲がり竹を使った竹籠の製造もされていたと聞きました。勝手口の扉には北の山深い竹林から伐採されたであろう根曲竹が独特のカーブを活かしてはめ込まれていて、この家の主がどんなに、この竹を愛し素晴らしい籠を編まれていたのかが偲ばれます。
今ではその職人であったご主人さんもいなくなり、ひっそりとした店頭をのぞかせていただくと先々代が編んだのではないかという古い持ち手付の籠がありました。なんという飴色の渋い風合い、根曲竹細工でこのような美しい経年変化をした籠は今まで見た事もありません。
100年もの間、大事に保管されていたのだと思い惚れ惚れとしていましたが、きっとこれは祝儀籠として使われていたのではないでしょうか。高知にも、ちょうど同じような籠があり目出度い席に鯛を入れて挨拶に行くための籠にそっくりでした。
小物入れを兼ねたスツールにも根曲竹を使われています。耐久性の高い竹なので、このような使い方も出来るのだと職人さんが自分用に製作されたものかも知れません。
不思議な話をさせていただかねばなりません。店頭には什器として根曲竹の竹籠がいつくか使われていましたが、その中のひとつにどうも気になるものがあります。実は一歩足を踏み入れた時から最初に目につき、ずっと気を引かれていた籠でした。
どうしたのか尋ねてみたら、ご主人さんが懇意にされていた友人の方に赤ちゃんが生まれた時にベビーベットとして使ってもらいたいと特別に心をこめて編まれた竹籠だったのです。同じものを2個製作され、一つはご友人に、そしてもう一つが遺されているとの事でした。
ゆったりとした形、大きさ、持ち手、根曲竹の力強さを繊細に優しく編み上げている竹籠にどうしても魅かれてしまい、拝見させて頂く事にしたのです。他の竹細工とは少し違うオーラを感じていました。
屋外の光で見たくて外に出ていましたが、眺めているうちに随分と冷えてきたので室内に戻ろうとして手に取ってふと裏面を見た時に稲妻が落ちたような衝撃を受けたけのです。
「何だ、お前かよ!」
さっきまでシンシンと冷えてきた辺りの空気が一気に温まった気がして思わず笑みがこぼれます。底の両サイドの一番傷みやすい部分に補強のために使われている力竹は、何を隠そう日本唯一の虎竹でした。
北海道の名も知らぬ町、会ったことのない竹職人さん。しかし、この方が大事なご友人の赤ちゃんのためにと編んだ竹籠の支えの部分に使ってくれたのが自分達の竹。根曲竹に虎竹を合わせている籠など初めて見ました、恐らく他にはありません。余程、この竹籠への思い入れがあったのだとモノ言わぬ籠から伝わってきます。
虎竹の里の山々を眺めれば、いつもと変わらず風にそよぐ虎竹。しかし、この竹の凄さを心底感じるのは、まさにこの様な時なのです。
新美益子 返信
竹籠は本当に自在に編まれて、様々な用途につかわれたんですね。日本は植物をを生活の隅々まで生かして暮らしていたんですね。それらを考え、作り上げた手わざを全て工業化社会に移し替えてしまったのが、果たしてよかったのか、問い直す時代がもう始まってるのかもしれませんね。亡くなったおじたちは草鞋も編めるし、竹籠もつくれたっけ。土に還る物作り 竹のような生命力を
人に伝える運動なんだと思います。
竹虎四代目 返信
竹が「衣食住」の暮らしの中で愛用され続けてきたことを知っていただき嬉しいです。一昔前には自分達の使う道具は自分達で作るという時代もありましたのでお年寄りの方で竹籠が編めたり、草履が作れる方も多かったのです。