蓬莱竹(ほうらいちく)のお話しは、これまでに何回かさせて頂いてきましたぞね。火縄銃の火縄に使われていた竹ですので戦国時代なら全国から注目されていたでしょうが(笑)、今の時代にあって、注目しているのは日本中でも恐らく自分だけかも知れません。以前のブログでもお話しさせてもらったように、この竹には名前がいくつかあって職人によって色々な名前が出ますが結局同じ竹の事を言われているのです。
蓬莱竹の他には沈竹(チンチク)、土用竹、高知ではシンニョウチク、山口県では孝行竹と呼ばれたりしますので面白いものですちや。けんど呼び名は違っていても株立ちの竹の性質を活かして農地や山林の境界に目印に植えられたり、護岸のために川岸に植えられたりしてきた歴史は同じぜよ。
蓬莱竹のゴザ目編みの竹ざるを紹介させて頂いたことがあります。見事な網代編みの竹ざるも作られますし、九州では日置の箕や寿司バラと呼ばれる酢飯を作るためのザルにも作られます。先日のブログでお話しした、まんじゅう笠も竹皮は淡竹ですがその竹皮を留める極細の竹ヒゴは竹節が低く伸びがよく粘りのあるこの竹が使われます。
さらには竹虎には蓬莱竹の弁当箱や小物籠までもありますが、実はあまり一般的には使われる竹材ではなく他社ではまず見ることのないほどの貴重な竹細工でもあります。しかし、ただ珍しいから自分が蓬莱竹に魅かれてるわけではないのです。
では何故か?
竹虎は123年前に大阪天王寺で創業しましたが、太平洋戦争の空襲で焼け野原になり疎開してやって来たのが自分から言うと曽祖母の里であった虎竹の里でした。戦後は日本唯一の虎竹生産地である此処に本社を移すわけなのですが、当時は余所者の自分たちが勝手に伐採できるような竹は一本たりとも無かったといいます。
江戸時代かから地域で守り続けてきた竹林です、誰も口にだしませんが自分も小さい頃から山の職人だけでなく、山主までもが自分たちの竹にただならぬ誇りを持っている事を肌で感じてきましたので当然の事だったと思います。
今でこそ焼坂の山に一番広大な虎竹の竹林を持たせていただき、竹の商いを続けさせてもらっていますが、たとえ特産の竹を伐りたいと願っても好きに出来なか
ったのが祖父の時代がありました。護岸用に植えられた蓬莱竹は所有権があまり無く自分の竹林を持てなかった職人に多用されてきた歴史があります。そんな名もなき竹職人の姿と昔の竹虎の姿が、どこか重なって見えているからかも知れません。
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