いよいよバンブードームが漆黒の闇に包まれます。聴き慣れない鳥の声、虫の音、そして辺りが見えなくなったからでしょうか、「ゴォォォォォーーーーー」と下を流れる川の音がやけに大きく聞こえてきます。
山頂に立ち並ぶ、別棟のバンブードームにも、竹の手すりが伸びる通路にも電球が灯ります。しかし、今夜の宿泊客は自分の他は誰もいません。この山の上には自分ただ一人なのです。
唯一の出入り口である螺旋階段への通路もこの通り。そう言えば幼い頃にこんな電球が灯っていた電信柱があったなあ...などと懐かしく思い出している場合ではありません。懐中電灯ひとつなければ、どこにもいけない闇の中にいるのでした。
何も食べていない事を思い出し、昨日サークルKで買ったビスケットをポリポリ食べながら竹テラスに出てみます、川の方を見下ろすと灯りがあんなに小さく見えていました。
今夜はこの竹編みに入った裸電球が頼りです、それにしても竹編みの灯りは本当に美しい...。見慣れた竹編み、遠く離れたバリ島であっても技法は日本と同じです。そう思って見つめていると、ふと気持ちが落ち着きました。見知らぬジャングルの断崖絶壁の暗闇にいるのではない、自分は竹の中にいるのです。
ゴロリ...ベットに横になり天井の竹を眺めます。さっきまで感じていた心細さは、もうありません。感じるのは「平安」でした。
今年の1月に、たまたま高野山に連れて行っていただく機会がありました。名前はよく耳にしますが自分には縁のない場所だとばかり思っていたのに、この夏から、ふとした事で思い立ち四国八十八カ所を巡りはじめてから偶然でなかったと気づきます。虎竹の里の山道でお会いするお遍路さんの被る竹傘には「同行二人」という言葉が書かれていて、この意味は一人で歩いているのではない、いつも弘法大師と共に巡礼しているという意味だと中学生の時から聞かされていました。
ここに来たのも必然ですろう。John Hardyさんが、ここに泊まっていけという意味が分かった気がしました。
あれは大学四回生の夏、小雨の降るこの日と同じように真っ暗な夜でした。日頃は寝つきのよい自分が、どうしても寝られず誰かに呼ばれている気がして竹工場に行って火災の第一発見者になった事がありました。翌日になってようやく鎮火した大火災で竹虎の工場も店舗も全焼しましたが、あの夜から竹虎四代目の道が始まったのです。
あの時の声は何だったのか?「僕は竹の声が聞こえるんです」と言うています。一体どんな風に聞こえるのか?こんな風に聞こえます。あの夜の声と、今夜は違っていましたが感じる事は同じでした。
気づくと蚊帳の外は白みはじめていました。真新しい朝のような気分がします。長い人生の中で、こんなに新鮮で清々しい朝を何度迎えることができるでしょうか?この朝の時間だけでも、このbambu indahにやって来る価値があります。
竹テラスに出ると向こうのヤシの木々には朝靄がかかり、ヒヤリとした心地よい空気感です。
21世紀は竹の時代と言い続けてきました。竹の文化圏は、もちろん日本だけでなく中国、台湾、韓国はじめ東南アジアにも素晴らしいものがありますしオーストラリア、アフリカ、ブラジルをはじめとする中南米など温暖で湿潤な地域には広く分布しています。
それぞれの地域で違う竹があり、違う竹文化がありますがbambu indahから感じる圧倒的な竹へのこだわり、深い竹への愛着は万国共通です。ここで過ごさせて頂いた一晩の何と貴重で幸運な事かと感謝します。
本当に世界は広いです、こんな朝があるとは...。竹の事も何も知らないと教えていただきました。
まあ、そう言うても朝の歯磨きにはもちろん作ったばかりの竹炭塩歯磨きぜよ。
裏手の下をゆったりと流れていた川をヤライ竹の吊り橋を渡って帰ります。
昨夜大きな音に聞こえていた川は昼間に見るとこんなに美しい流れですが、そんなに特別大きな川幅があるわけでもありません。明るいうちは岸辺を歩いても川音が気にもなりませんでしたが山の上のバンブードームでは違いました。暗闇は目で見えない分、大切な何かを、きっと増幅させて見せてくれるのです。
それにしても今回はGreen school, green village, bambu indahと素晴らしい竹の世界を体感させてもらいました。竹は無限と言われますが、John Hardyさんの湧き上がる竹へのエネルギーこそ無限です。
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