奇跡の復刻、天の恵み?最強の黒革雪駄

最強の黒革雪駄


黒革張りの雪駄は小さい頃には普通に店頭に並んでいた商品でしたが今では作る職人もいなくなり、それと同時に各部材を製造できる会社も無くなり残念ながら廃盤となってしまっていたものなのです。いちど出来なくなってしまった技の復活は、ほとんど不可能に近いものがありますが、そのパーツや道具なども同じです。何とか再販売したいと思いつつも黒革雪駄は、新しくリニューアルした形で製造できるようになるまでに数年の月日を費やすことになりました。


しかし、その廃盤のさらにずっと前の事。材料も手に入りづらくなって来て今後は製造できなくなるだろうからと最後の商品だと職人から一足の雪駄をいただきました。日頃から鼻緒の履き物を履く事も多く、黒革雪駄も自宅や仕事場、車内にも置いてますので個人的にも常に数足使っています。いつも愛用している事を知ってくれていたこの職人が最後の記念にと手渡してくれたのが今まで見た事もなかった迫力満点の雪駄だったのです。


最強の黒革雪駄


あれからずっと大事に保管し続けてあった雪駄は今では手に入らないタイヤ底。通常はつま先だけにしか縫いつけていない補強の黒革が雪駄の両サイドと更にカカト部分にも縫い込まれているまさに、最強の黒革雪駄とも言うべき一足ぜよ。


「最後の一足」と聞けば足を入れることもままならずいたのですが、今回黒革雪駄の復刻を契機にどうにかあの幻の雪駄を復刻させて履くことができないものか?たとえ数足でも世にだすことはできないものか?底材は新しく製造してもらったゴム底に変わりましたが、それ以外は合皮の鼻緒も当時そのまま、まったく同じに復刻したいと思ったのです。


出来あがって手にするまで信じられないような気持ちでしたが、本当にあの時の雪駄と同じ形で復活したのです。黒革雪駄でさえ復刻できたのが数年待った自分からしたら奇跡です。最強となると、まさに天の恵みのような心持ちぜよ。


渋い色目の三段魚籠

三段魚籠


いい飴色になった竹籠があります、実はこれは内側に二重の中蓋のついた手の凝ったもの。ふっくらとした形、丁寧なヒゴとり、しっかりした編込み、熟練の職人ならではの逸品です。


三段魚籠


元々は魚籠として使用されていた籠なのです。こんな大きな籠を使って漁をしていた頃の日本は今にして思えば何と豊かだったのかと思ってしまいますが、現在では整理籠として使われる事の多い竹細工なのです。


三段魚籠


魚籠と言えば腰に提げる小振りなものを思い浮かべてしまいますが、この魚籠はちょっと違いますぜよ。高さは約44センチもあり、幅も約47センチとかなり大きなサイズ、衣類などもタップリ入れられる、まるで行李のようにお使いいただける魚籠ながです。


三段魚籠


時間の経過したものと編んで日の浅い籠とでは、やはり風合いがまったく違います。若々しい竹の雰囲気も良いものですが、落ちついた竹の良さを知ってしまうと、やはり青々とした籠には早く大人になれよと声でもかけたくなる気分です。


暑い夏こそ竹炭敷きパッド

竹炭敷きパッド


汗をかく暑い夏こそ竹炭敷きパッドの出番なのです。この敷きパッドは兎に角、消臭力の高い竹炭にこだわって、寝たきりの方や加齢臭の気になってくる年齢の方に少しでも快適に上質な眠りを取ってもらいたいと作ったものなのです。


竹炭は何でも一緒だと思われている方も多いようですが実は燃焼温度帯により性質が随分と違います。一般的に竹炭を高温で焼き上げるのは難しく、高価なのでつい何にでもより高い機能性があると考えがちなのですが実はそうでもありません。


竹炭敷きパッド


今回の竹炭敷きパッド開発でも当初は竹炭樹脂綿の製造には竹炭専用の土窯で1000℃の高温で焼き上げた竹炭を使いました。主に四大悪臭と言われるものにはアンモニア、イソ吉草酸、ノネナール、酢酸がありますがアンモニアの減少率が思ったほどではありません。実はアンモニア臭の吸着は400℃程度の低温で焼かれた竹炭の方が有効なので一度製作した竹炭樹脂綿をすべて保留にして、再度竹炭樹脂綿作りからやり直しました。低温の竹炭での数値結果は期待通りに大きく減少し、かなり遅くなりましたがようやく製造へと進むことのできた製品なのです。


竹炭敷きパッド感想


この夏も高知は異常に暑く、湿度も高く寝苦しい夜が続いています。夜も遅くなってくれば都会と違って窓をあけて網戸にすると涼しい風が入ってきたものですが最近はモワッとしたよどんだような空気を感じますので温暖化は本当に進行しているのかも知れません。


そんな中、新しく製造してからずっと竹炭パッドを使っています。頂いたお客様の声ではありませんが臭いも無く、熱がこもるような事もありません。数年来、愛用する竹炭枕と一緒に使うので更に効果的なのか、寝付きは最高です。


レクサスの竹ステアリングふただひ

トヨタレクサス竹ステアリング


先日、高知工業試験所に行く機会があって玄関ロビーに展示してあるトヨタレクサスに使われている竹ステアリングを改めてじっくりと拝見してきました。


南国市にあるミロクテクノウッドさんという会社様が開発された世界に誇れる逸品ですが、高知産の孟宗竹を使用し集成材に加工された竹材を曲げ加工て製造されています。車内の環境というのは自然素材にとっては非常に過酷だそうです、夏は高温になりますし、冬は氷点下になることもあるでしょう。振動や様々な負荷の中でも最高の耐久性を保ちつづけなければなりません。


竹材は品質が一定ではなく、このような高度な工業製品への応用はなかなか難しいと考えられてきましたが長年の努力と研究の成果でこのような素晴らしい製品が世に出ているのです。


竹虎四代目サンパウロ講演、竹ステアリング


先月にお伺いしたサンパウロジャパンハウスでの講演でも、この竹ステアリングの話をさせていただきました。少し意外にも思いましたがブラジルには世界最大級の竹林が広がっていて有効活用が望まれていますので皆様非常に関心をもって聴いていただいたのです。


今年の11月15日には、全国竹産業連合会主催の全国竹の大会高知県大会が開催されるのです。58年目にして初めて高知で開催いただく大会には県外から竹業界の皆様がお越しになられますので、このミロクテクノウッドさんの竹加工工場を見学いただく予定になっています。日本中からお集まり頂く竹専門の方々ですが、孟宗竹という何処の地域にも成育しているものの実はあまり利用される事の少ない竹材から自動車のステアリングという他に例のない竹活用には興味津々ではないかと思っています。


The Japan Store ISETAN MITSUKOSHI Paris、ワビサビコラボレーションイベント

パリ日本文化会館


パリの日本文化会館という所に三越伊勢丹が日本文化発信基地のようなスペシャリティストアを開設しています。


The Japan Store ISETAN MITSUKOSHI Paris


そんな「The Japan Store」ISETAN MITSUKOSHI Parisに先のジャパンウィークに参加していた商品達が再びワビサビコラボレーションイベントとして展示されることになったのです。


The Japan Store ISETAN MITSUKOSHI Paris、ワビサビコラボレーション


どんな様子かと思っていたところに現地から大盛況との吉報と共に画像が届きましたぜよ。


The Japan Store ISETAN MITSUKOSHI Paris、ワビサビコラボレーション


The Japan Store ISETAN MITSUKOSHI Paris、ワビサビコラボレーション


このような催事に来られる方々ですので皆様日本びいきの方が多いように思いますが、それにしても日本の品々に対して高い好感度を持っており、真剣にご覧になられているのが伝わります。


虎竹バックThe Japan Store ISETAN MITSUKOSHI Paris、ワビサビコラボレーション


ユネスコ日本協会スペシャルアドバイザーのフランソワーズ・モレシャン氏もご来店されて虎竹バックなど熱心にご覧になられたそうですので、まっこと嬉しいのです。


The Japan Store ISETAN MITSUKOSHI Paris、ワビサビコラボレーション


夏のバカンス中のパリなのに予想をはるかに上回る人出だそうですが、さすがオシャレな方が目立ちます。


虎竹バックニューヨーカーThe Japan Store ISETAN MITSUKOSHI Paris


この女性のジャケットの斬新さには、どうなっているのか分からず驚きしかないですが手にした虎竹バックニューヨーカーがよく似合っています。


虎竹バックThe Japan Store ISETAN MITSUKOSHI Paris、ワビサビコラボレーション


後ろの男性が手に持つのは、虎竹名刺入れ、こんなにスマートに使っていただくと本当に格好が良いのです。


よさこい祭り、虎竹提灯

虎竹提灯


高知の夏といえば「よさこい祭り」ぜよ。ブログにも書かないし、FBでも言わないのであまり関係がないように思われているかも知れませんが実は大好きで中学から毎年踊っていたのです。近畿大学では幹事をやっていたので社会人になってからもずっと大学の踊り子隊に関わり続けていて、実は今でも近大チームの音楽は自分が唄っているMDを使いゆうがです。もちろん歌が上手いからではなく、大学チームは資金不足なので毎年衣装を替えたり、音楽や振り付けを変えることが出来ないからなのです。


自分が踊りに参加しなくなって(もともと踊るというより地方車で唄っている)20年くらいにはなるのではないろうか?つまり、ずっと音楽も踊りも変えない少し変わった老舗団体になっているのです。毎年流行にあわせて音も振付も衣装も変わるからこそ若い方々の支持を得て人気になり、今や全国各地で踊られるようになったヨサコイですが、ここまで来たら近大の場合はずっと変わらずこのままやり続けるのが良いと思いよります。


さて、そんな近大踊り子隊に今年は日本唯一の虎竹提灯が登場することになりましたぞね。現役の頃には先頭で提灯を持っていた事があるのですが、よさこいは激しいリズムと踊りなので市販の提灯などすぐに壊れてしまいます。競演場を踊り終えるたびに針金とペンチで修理しながら使っていたのを思い出します。


今回の新提灯は、大学OBの大先輩に言われるままデザインを形にしたもので、この虎竹フレームに土佐和紙を貼り付けてお手製提灯を作るそうです。今年は会期中、壊れないようにハラハラと祈りながら踊りを拝見するのかも知れませんちや。


目さえも楽しませてくれる二重竹ざる

二重竹ざる(ふたえばら)


60センチサイズと聞きますと普通に使うには少し大き過ぎるように思わるかも知れませんが、この竹ざるは結構沢山の方にお使いいただく一般的なものなのです。ちょうど今頃であれば土用干しの梅干しざるとして日本中の主婦の皆様にも愛用いただいています。だいたい3.5キロ程度の梅を干すことが出来ますが、もちん梅干しだけでなくて干し野菜にも使われますし、その他持ち運びの籠の代わりとしても役立ちます。


二重竹ざる(ふたえばら)


この竹ざるには、二重竹ざる(ふたえばら)と呼ばれるのですが底の網代編みの裏側に補強のための六ツ目編みが施されているのが最大の特徴です。竹ざるは竹細工の中でも代表的な製品のひとつであり代名詞のような存在でもあり数々の竹ざるがありますが底編みを更に別の竹編みで補強してある笊はこの、ふたえばらくらいのモノなのです。


二重竹ざる(ふたえばら)


どうですろうか?裏編みの美しさ、このように見る人の目さえも楽しませてくれる二重竹ざる、強さとを兼ね備えた逸品なのですぞね。


不思議な魅力の虎竹盛り籠

虎竹楕円盛り籠足付


虎竹はつくづく不思議な魅力のある竹だと思うのです。小さな頃から普通に虎竹に囲まれ、見て育った者にとっては当たり前の虎模様ですが同じ編み方で同じ籠を作っても出来上がった表情は、真竹や白竹とは全く別物のようです。


虎竹楕円盛り籠足付


忙しい朝の食事はバタバタして、しっかり味わうようなゆとりもない事が多いですが、たとえば休日の朝などは、こんな竹籠を食卓にのせるとそれだけで少し豊かな気持ちになってきます。竹虎が「竹のある暮らし」を日本の皆様に思い出して欲しいと考えるのは、竹を通して時代が変わっても大切にしたい古き良き伝統が見えてくるからなのです。




山頂まで続く虎竹の竹林。毎年繰り返されてきた竹と人との営み。ここにしか成育しない虎竹の事をもっと多くの方に伝えたいと思っています。


エビラ(竹編み平かご)に並んだ梅便り

えびら(竹編み平かご)


梅雨も明けて気持ちのよい青空が広がりギラギラと陽射しの照りつける高知となっています。とにかく今年の夏も暑いのですが、梅干しの土用干しにはもってこいのようです。なんと2011年からエビラをご愛用いただいて毎年嬉しい梅便りをいただくお客様から、今年も綺麗にズラリと梅干しを並べた素晴らしいお写真が届きましたぜよ。


こうして数年来、いただいた画像を並べてみますと歴史も感じて本当に圧巻です。太陽の恵みがふりそそぐ緑の芝生も美しく、ちっくと豊かな気持ちになってくるのです。


えびら(竹編み平かご)製造


養蚕の盛んな頃には蚕棚としても使われてきたエビラです。歴史民族資料館などには古い生活道具が集められていて、このエビラと全く同じモノが沢山収蔵されていますので古くから様々に多用されて来たことを伺い知るのですが普通の大きさと言えば90センチ×60センチなのです。


この昔から使われてきたサイズを(大)としていて大凡6キロ程度の梅干しを干すことができ、数年前に都会のベランダなどでも使いやすいようにと半分のサイズもご用意していますが、こちらには3キロ程度の梅干しにお使いいただけます。


自分達にとってみたら、何処の家庭にもあって庭先や道路脇で見かけていていつの間にか消えてしまった道具も多い中、こうして皆様のお陰で新品のエビラが今でもある事に感謝せねばと思うちょります。


土佐伝統の竹籠たち、四ツ目かごとサツマ

四ツ目籠


40数年前のポスターに写る竹籠は今でも全く同じものが編まれ続けていて、画像だけみれば長い時間を全く感じさせず今日出来あがったばかりの竹籠と言っても分からないモノばかりですが最後に紹介する四ツ目かごとサツマも、まさにそんな竹たちです。


四ツ目籠ポスター


ポスターには大小二種類の四ツ目籠が掲載されています。現在でも編まれている定番の籠を見るとシダの葉を飾ったヤマモモがいっぱい入れられていたり、この辺りでもよく採れる亀の手や、カラスの口などの貝類が沢山入った様子を思い出しますが、山から海まで広範囲にわたって使われてきた竹籠なのです。


梅干しざる製造


サツマとは網代編みの大振りな竹ざるの事なのですが、面白い事にどうしてサツマと言うのか実は誰もハッキリした事を知りません。「サツマ=薩摩」ではないかと自分は考えていて、古くにあった竹細工の技術交流の中で鹿児島からの技が伝わったからではないかと思っています。


梅干しざるポスター


土佐湾沖には黒潮が流れていますが、その潮流にのって九州から来て紀州の方に、そして更に遠くに繋がっていくという人やモノの動きがあったと思います。サツマに限って言えばそう古い話ではないかも知れませんが、生活に密着してきた竹を考えると古代のロマンを感じることも多いのです。


虎竹御用籠ポスター


ポスターには虎竹で編まれた御用籠がありました。御用籠は昔の自転車の荷台に太いゴムで縛り付けられていた竹籠と言えば懐かしく思い浮かべることのできる方もおられるかと思います。御用籠はご家庭で使われるような小さなものから、大人が数人がかりで運ばねばならないような大きなものまで実に様々なサイズがあって毎日の暮らしの中で役立っていましたが、虎竹で編まれたものは珍しいかと思います。


御用籠を虎竹で作ろうと思う人など日本に一人しかいません。元々真竹で編まれていた籠を虎竹にした祖父の思いは痛いほど分かります。このポスターを送って来ていただいた方は何も言いませんが、自分に示したかったひとつは、この虎竹なのですろう。


土佐伝統の竹籠たち、籠花用の竹籠

籠花(かごばな)


少し特殊な使い方をされる花籠なので馴染みはあまりないものの、籠花(かごばな)と呼ばれて祭壇に飾る御供花用として主に製作されていた竹花籠もポスターには写っています。


籠花(かごばな)


最近ではありま見かける事がなくなりましたが、小さい頃にはこの大振りな竹籠を満載したトラックが走っていたのを思い出します。使用される場所が限定されていたため、あれだけ存在感のある大きな竹であるのに使われてるのを見る機会がないなあと、ずっと不思議に思っていましたので印象深く忘れていないのです。


籠花(かごばな)


葬祭場等で飾られる事を知ったのはそれから後の事で、なるほどと納得もしましたがこの籠なども現在の工場で編まれている竹籠とポスターで見る事のできる籠そのままです。


昔からずっと変わることなく作り続けられてきた事は間違いないのですが、それでも40数年の時を経てこうして形として見られると先人への思いも一入です。よくぞこのような資料が残っていたと改めて思うのです。


土佐伝統の竹籠たち、箕

箕(み)


高知で作られてきた竹細工は生活に根ざした素朴なものばかりですが、その代表的なひとつである箕(み)は昔から全国各地で編まれて来たものだけに、それぞれの地方の特徴があり非常に面白いのです。


箕作り


土佐伝統の箕は、網代編みされた本体が幅も長さも70センチほどもある大降りなサイズです。一般的には大、中、小など数種類のサイズがあってもおかしくないのですが、この箕の場合には昔からこの程度の大きさしか見た事がありません。


箕の職人


それがどうしてなのか?古老の職人に聞いても知らないのですが、おそらくこの大型の箕が農家で一番求められてきたという事だと思います。果たして都会のデパートに展示して、どれだけ販売されていたのかは分かりませんが特徴的なのは持ち手部分に棕櫚が使われている事ぜよ。耐水性もあり丈夫な繊維質である棕櫚が、南国の温暖な気候で手に入りやすかったのだと考えられます。


古い箕


地元で作られた古い箕を見かける事がありますが大きさも作りも素材もほぼ同じです。今回送って頂いた40数年前のポスターに掲載されている形そのままでもあり受け継がれてきた竹の技を感じるのです。


土佐伝統の竹籠たち、土佐網代の籠

土佐網代の籠


地元で編まれる事が随分前に無くなってしまって、このような秀逸な竹籠が高知にあったと言う事を職人でさえ知らないくらいですので、一般の方でご存じの方は恐らく一人もいないのではないかと思います。底編みを網代編みにしていますので「土佐網代」などとも呼ばれる竹籠です。


40数年前の竹製品ポスター


すっかり忘れられてしまった竹籠ではありますが、40数年前のポスターにはしっかりと掲載されているのが当時を偲ばせる唯一の証です。県外向けに、このような印刷物を用意してPRされる程その時代には製造されていた籠なのです。


東京のデパートに実演販売に行かれていた職人さんが、お客様の前で編んでいたのがこの土佐網代の籠だったと言います。ポスターに写っている竹籠は大降りなものが多く、狭いスペースで編むのには適していませんのでこのように細く取った竹ヒゴを丸めて持参できる小振りの竹籠を作っていたのですろう。


エビ止め籠


そして、その緻密で美しい編み込みに魅入られた沢山のお客様の中にこのポスターを大事に保管されている方がいたのです。実は今でもエビ止めの同じような竹籠は編まれることがありますが底編みに大きな違いがあります。その多くは菊底編みであり、高知伝統の籠のように網代編みではありません、この籠はまさに「土佐網代」なのです。


土佐伝統の竹籠たち、飯籠

飯かご


祝儀籠の隣に写るもう一方の竹籠は飯籠です。昔は保温ジャーなどありませんので残ったご飯を長持ちさせるためにこのような竹籠に入れて風通しの良い軒先に吊してありました。そのため手付きの籠がほとんどなのですが、高い場所に掛けられるように本体の竹編みにしては長めの持ち手が付いています。


飯籠ポスター


飯籠にはハエなどを防ぐために蓋付きのタイプが多いのです、蓋付きでないものは上に布など被せて使っていました。この籠も全国的に編まれていたものですが、蓋は菊編みのものが一般的ではなかったでしょうか。網代編みのものは自分の知る限り高知の他は九州の一部で見たことがあるだけです。


竹飯籠


飯籠は嬉しいことに現在も健在です!古いポスターにあるそのままの形で編み続けらてれいます。持ち手の役割が本来の吊り下げるから、持ち運ぶに変わっていますので若干持ち手が小さくなっているくらいです。


何のことはないような飯籠ですが、やはり伝統を重みを感じさせてくれる籠なのです。


土佐伝統の竹籠たち、祝儀籠

祝儀籠


昨日のポスター中央に写っているのは祝儀籠ぜよ。今回の竹籠とあまりにも色合いが違うので、まさか同じ籠と思わず、もしかしたらビックリされる方もおられるやも知れませんが全く同じ竹籠です、時間の経過と共に色合いが深まり赤茶けてきているだけなのです。


祝儀かご


形を良く見比べてみてください。ポスターのものは持ち手が二つになっていて開くタイプ。古い赤茶の竹籠の方は一本持ち手という違いはありますものの同じ祝儀籠。


これは高知では昔から編まれていた婚礼の時に鯛を入れて持ち運んだ縁起の良い竹籠なのです。今ではすっかり見られなくなって馴染みもなく、何に使われていたのかも忘れられようとしていますが、家族で行くピクニックバスケットのような使い方もできそうですので今の時代にあっても重宝しますにゃあ。


米あげざる


南国土佐らしい、質実剛健な孟宗竹と淡竹(はちく)で編まれた米あげざるが隣に写っています。無骨で見た目はスマートな感じではありませんが、とにかく使うと丈夫で頼りになる竹ざるでした。ほんの数年前まで専門に近い形で製作される職人さんがおられましたが今では作っていません。


しかし、こうして40数年前のポスターに写った竹ざるを見ると長い伝統の中で培われてきた貴重な逸品だったという事を改めて思うのです。


土佐伝統の竹籠たち

土佐伝統の竹籠ポスター


竹虎が虎竹の里に日本全国の竹工芸から竹細工、竹製品、竹材にいたるまで、竹にこだわった店舗を作ったのが昭和45年(1970年)というお話しを先日の竹籠バックの持ち手の時にさせていただきました。店舗を建てた頃の事は所々ハッキリ鮮明に覚えていますので、そんな昔の事とは思えないのですがあれは47年も前の事なのです。


ご自身も熟練の竹職人のように竹籠を編み、また竹文化の緻密な研究をされている関東にお住まいの方から一枚のポスターが送られてきました。実はこのチラシも40数年前、自分がまだ小さい頃のものながです。「技と美、そして温かさ」と書かれた中に紹介されている竹細工は、かって高知県で作られていた製品の数々ぜよ。この方は当時、高知から東京のデパートの催事場に実演に来ていた職人さんと親しくなって、このポスターをいただき今まで大事に手元に置かれていたそうです。


土佐網代の竹籠g


突然このような資料が届いた時には、ちっくと(少し)驚きましたが、土佐の昔ながらの竹細工を少しでも継承し残して欲しいという思いがこもっています。実は、ここ数ヶ月このポスターを眺めては考え、また眺めています。綺麗に保管されている、この一枚の大きな価値。すでに地元の方でもこのような竹文化があった事をどれだれの人が覚えているでしょう?写っている竹籠ひとつひとつ、竹があって、職人がいて、工房があって、技があった。この現代の竹取物語をどうお伝えすれば良いでしょう?


このチラシに掲載されている土佐伝統の竹籠たち、今でもまったく同じ竹を使い、同じ編み方で、同じ大きさで作り続けられている幸せ、そしてその一方では残念ながら今では編む職人さんがいなくなり消えていった竹籠たち、まっこと色々ぜよ。


続・40数年ご愛用の竹籠バックの持ち手

竹籠バックの持ち手


考えたら凄いことです。47年前に開店した当時の竹虎でお求めいただいた白竹買い物籠をずっと愛用頂いてきて、とうとう持ち手が傷んだからと修理に持ってきていただいたのです。


竹はこうやって使って傷んで修理して長く長く人のそばで役立ち続けてくれる相棒ながです。その間に、こうして風格さえ感じさせてくれる様な、えも言われない美しい姿に成長してくれます。これだけの竹籠になると一度手にすると、なかなか手から離れようとはしません。一端離れても、しばらくしたら知らない間に又手にしている、そんな兎に角魅力的な竹なのです。


竹籠修理


職人もこんな竹籠の修理だったら大喜びですぞね。さすがに、この竹籠を編んだ職人はすでにいませんが、手にしてニヤニヤ...内心嬉しくて仕方なかったと思います。手直しのご要望は持ち手だけだったようですが、底を見たら竹ヒゴが一本新しくやり直されていました。


「これで少しくらいの重たいモノでも大丈夫。又何十年も使うてください」


無口な竹職人は、こうしてお客様に話しかけているのです。


40数年ご愛用の竹籠バックの持ち手

竹籠バックの持ち手


本当に長く愛用された竹籠バックの持ち手は、場合によっては傷んできて修理せねばならない事もありますぞね。巻き付けてあった竹ヒゴを解くと...おっとコレは凄い虎模様のようになっています。百年、二百年と天井裏で炙られていた煤竹に巻き付きついた藁縄を取り除くと同じように縄目の跡が白っぽく残っていますが、この持ち手もまったく同じ。


この買い物籠の持ち主の方は竹で修理せずにカズラを巻いて補強して使っています。それぞれ好みで良いかと思いますが、やっぱり元の持ち手のように竹で巻き直して使ってもエイですにゃあ。


竹籠バックの持ち手


どんな風にと言われますと、ちょうど先日、40数年使われているという白竹の買い物籠の持ち手の修理をさせて頂きましたのでご覧ください。長い時間をかけて真っ白だった竹は渋い感じの飴色になって、大事に愛されながら使ってもらっている事が伝わり本当に嬉しくなります。竹虎が小売りのお店をはじめて47年になりますが、まっこと長くやっていると昔からのお客様もいて感激する事も多いのです。


けんど、この白竹買い物籠は素晴らしい。惚れ惚れするように風合い、持ち手を真新しい白竹でやり直したら又これから50年はゆっくりご愛用いただけそうです。


土用の丑の日とウナギウケ(鰻筌)

鰻弁当


土用の丑の日が近づいてきよります。そういえば去年の今頃は竹の電気自動車、竹トラッカーのチャレンジラン横浜の準備でウナギどころではありませんでした。高知から横浜まで走る途中に浜名湖があり、そこでようやく鰻を食していない事に気がついて、せっかくこのような有名な産地にいるから食べたいなあとは思ったもののチャレンジランでは、とても何処かに食べに行くとか余裕はありませんでしたし、走行距離が増えてしまう寄り道は厳禁だったので諦めていたのです。


そしたら、何と浜松の充電ポイントに昔から存じ上げている鰻屋さんが特製鰻弁当を差し入れてくれて、まっこと感激したことを思い出します。高知の鰻も美味しいのですが、さすが本場の鰻は一味違いましたぜよ。


さて、都会の皆様にとっては鰻はお店で食するものというのが常識かと思いますが、自分の小さい頃には鰻は川で捕るものでした。大阪出身の祖父に連れられて千日前にあった「いづもや」という鰻屋さんに初めて行った時には色々な意味で衝撃があったものです。


ウナギウケ(鰻筌)


鰻を捕るのにはウナギウケ(鰻筌)と言う竹製の道具を使います。画像いっぱいに撮しているので分かりづらいかも知れませんが、ここには3種類のウナギウケ(鰻筌)があります。


一般的に広く使われているのが画像右奥に少し見えるもので平たく取った竹ヒゴを編んだ作られたウケ。そして、その手前は竹の身部分を太い丸ヒゴにして束ねたウケ、随分と古いものなので色合いが黒ずんでいますが鰻ウケは新しと竹の香りが強すぎて鰻が入ってくれません。このような道具に成長してくると大漁が期待できるというものぞね。


更に手前にあるのが頃合いのサイズの竹を選んで竹表皮を削ってそのままウケに使うタイプのもの。わざわざ竹表皮を削るのは耐久性を高めるためです、丸竹は割れる事が多いのですが、こうして加工してあると割れづらくなるのです。比較的簡単に出来ることから、同じようなウケは西日本各地で見らます。


しかし、こうして昔ながらのウケが揃うと見事でもあり感動すら覚えます。一本の竹から同じ用途に使うのにさえ、こうして作りや形を違えることのできる竹の変幻自由な可能性の素晴らしさを感じるのです。


蓬莱竹の四ツ目弁当箱

 
蓬莱竹弁当箱


竹弁当良さの一つは通気性ですが、そういう意味では四ツ目弁当は最強です。竹編みの弁当箱と言えば、ギッシリと編み込まれた網代編みの弁当箱を思い浮かべられる方が多いかと思いますが、四ツ目編みは透かし編みであり対局にあって双璧をなすものなのです。


蓬莱竹(シンニョウチク)


そんな四ツ目弁当を、しなやかで強い蓬莱竹で編み込んでいます。高知ではシンニョウチクと呼ばれる竹ですが雨が多い土地柄ですので、大水の防災のために川岸に添って植えられているのを良く見かけます。


護岸に役立つ竹というだけでも、その強靱さがお分かりいただけるかと思うのですが、この竹はただ強いだけではありません。株立ちで子供の竹が親元を離れずいる事から孝行竹などとも呼ばれている優しく、思いやりに溢れている竹ながです。


蓬莱竹弁当箱製作


新しく弁当箱を作るにあたり縁巻きを最初は釘留めで試作してもらいましたが少し違和感があります。そこで、やはり藤巻きで仕上げることにしました。定番の形と、編み方で、実にオーソドックスな何の変哲もないような竹弁当に見えます。


蓬莱竹弁当箱


ところが、このような国産のいいものを探そうとすると実は意外とお手頃なものがありません。蓬莱竹を使った竹細工自体、全国的に見てもかなり珍しいのです。さらに、そのお弁当箱を手に出来る方はもしかしたら、かなりラッキーな方と言えるのかも知れませんぞね。


青竹踏みを踏む、天草四郎の絵はがきが届きましたぜよ。

青竹踏みを踏む天草四郎の絵はがき


お客様からのお便りは何よりも嬉しく、元気の源となっていますが、最近ではメールやメッセージなど電子的なお手紙だけでなく手書きの葉書など頂く事がも多くなっています。先日、青竹踏みをお求めいただいたお客様からも、とてもユニークな物でしたぞね。


描かれているのは天草四郎さん。そうです、あの島原の乱を率いた有名なキリシタンの方です。まだ10代半ばの少年のような年頃でありながら一揆軍の総大将となったカリスマ性からか、この戦い自体も映画や小説、アニメなどで題材として取り上げられているのです。そんな天草四郎が何故か青竹踏みを使って「good!」と言ってます。まあ高知の自分達だったら坂本龍馬を描くようなものでしょうか。地元の英雄が今も地域の方々の心に生きていると言う事ですろう。


しかし、この青竹踏みには手書きのイラストならずとも色々なお声をいただいております。2016年9月6日にI・H 様からいただいてお声を少しご紹介したいと思いよります。実は整骨院や整体院の先生方からも、青竹踏みには圧倒的な支持をいただいちょります。


「先日腰痛の為整骨院へ行ったところ、青竹踏みを勧められ、最初はプラスチック製の物を購入しました。あまりにも痛くて、やはり昔ながらの竹製でしかも国産で...と、探していたところ御社の商品に出会いました。ひんやりと足裏に気持ちがよく、天然なので足にも馴染み、踏んでいると身体がポカポカに!昨夜は良く眠れました。継続が苦手な主人にも勧めて、家族で愛用したいと思います。(I・H 様)」


若い時には血圧など気にもしていませんでしたが、同級生が血圧の薬を飲んでいるなどと聞くと自分もそんな年齢になってきたのかなあ、などとも思うがぜよ。青竹踏みはそんな高血圧の改善にも役だっているとのお声をいただきます。これは2016年10月24日にI・S様から頂いたコメントです。


「先日の会社の健康診断で高血圧と診断され、以前はよく山に登っていたのですが、最近ほとんど行かなくなってしまい腰も痛くて、運動不足を痛感していました。そこで、そうだ、青竹があったんだと思い出し、ダメもとで久しぶりに青竹踏みを始めました。そうしたら、驚いたことに、腰痛がかなり改善されてびっくり!さらに、血圧も150から130まで下がって、本当に驚きました。とても嬉しく、感謝しています。(I・S様)」


まあ、この他にも本当に沢山の参考になるお声を、青竹踏みへの声としてまとめています。ご関心があれば是非ご覧いただきたいがです。
 

黒竹箒につて

黒竹箒


日本で販売されている竹箒のほとんどは輸入のものではないかと思います。もう随分前の事ですが年に何度も中国に視察に行っていた時期がありました。その頃に訪れた山村の竹箒工場ではバスケットボールのコートが何面も取れそうなくらいの体育館のような広さの倉庫の天井までビッシリと積み上げられている竹箒を見て腰が抜けそうになった事を思いだします。あの箒が日本に運ばれてくるのなら、日本で製造する必要はなくなるなと感じました。


ところで、竹箒の先に小枝が付いているのは皆様ご存じかと思いますが、その小枝がどうやって作られるのかまでは、あまり意識されていない方が多いようにも思うちょります。国内で竹の需要が少なくなり竹は伐採される事は少なくなりました。という事は、その副産物である竹の小枝も少なくなるという事で、竹は里山に沢山あるように見えましても竹箒の材料自体が日本にはないと言うことなのです。竹箒職人が少なくなっていますが、それと同じように竹を伐採する事がなくなった竹林では箒の材料の小枝ができないのです。


竹箒の小枝は孟宗竹のしっかりとした小枝を使います。夏の終わりから10月にかけて伐採した竹林では小枝を落としてそのまま集めて放置しています。枝には竹葉がついているので、その葉が落ちるのを待っているのです。10月末から11月にかけて竹林の小枝を集め翌年の竹箒の材料にしますが、小枝を集めるのがこの時期だけなので一年間の竹箒の製造量は、この時点で決まっています。


竹虎の黒竹箒の場合には、持ちやすさを考えて柄の黒竹を少し太めにしています。なので通常の竹小枝から更に選別しないと良質の箒にはならず製造数は、もっと少なくなるのです。何のことのないように思われている竹箒です、確かにその通りで1本や2本ご用意するのなら問題はありません。ところが大量に必要となると他の竹製品と同じように、揃えるのはなかなか難しいものなのです。


竹虎百年、竹の花、竹の道

高知新聞、竹の花


地元高知新聞に市内の民家の淡竹(はちく)に花が咲いたとの記事が掲載されちょりましたぜよ。竹の花なのか?何なのか?画像を確認いただいたのは自分も何度かご一緒させてもらった事のある富士竹類植物園の元研究主任であられた柏木治次先生と言うことなので間違いはないですろう。


竹の開花周期は非常に長くて孟宗竹で60年、真竹が120年というのが確認はされています。淡竹については恐らく120年だろうとは言われているものの確実な資料が残っているわけではありません。ただ、明治期の文献などから推測される開花時期に近づいており、高知に限らずここ数年は全国各地で開花報告が聞かれますのでいよいよその花の真実が明かされるのかも知れません。


竹の花


はじめての方は意外に思われるかも知れませんが竹はイネ科なので花は稲穂そっくりながぜよ。ところが開花がはじまると竹林全体が枯れてしまい、元と同じような竹林に復活するのには10年の歳月が必要と言われます。初代竹虎が虎模様の浮き上がる不思議な竹と出会ったのが100年前、淡竹の仲間である虎竹は今までの社歴の中で開花など経験した事がありませんでした。


もし本当に開花時期だとしたら竹虎始まって以来の大きな試練となりますろう。しかし、これは幸せな事です。自分達は曾祖父の時に開花して元の元気な竹林に戻ったばかりの虎竹達に出会い、ずっとこの竹を守り続けてきた。


四代目にして虎竹の花の時代を迎えられることには意味があり、新しい竹林に生まれ変わるように竹虎も生まれ変わらねばならないという竹の声だと感じています。さて、日本唯一の竹達はどんな花を咲かせてくれるのか、くれないのか。どちらにしても自分達の目の前には竹の道が続いているだけなのです。


まるで日本の竹林、HARADA KOUJIさんと歩いた竹の道

HARADA KOUJIさんの竹林


もし、ドラえもんの「どこでもドア」があって、突然この竹林に連れて来られたとするならば、とてもブラジルサンパウロの街中から車で1時間の山中だとは気づくことはないですろう。


HARADA KOUJIさんのサンパウロ近郊の竹林


気候が日本と正反対であり現在は乾期のブラジルですが、この辺りは霧が出るのでしょうか?竹林に囲まれた山道に足を踏み入れた瞬間にフワッと湿気を感じると共に、いつもと全く同じ竹林の香りがするのです。香りは不思議なものです、その瞬間仕事で通い慣れた虎竹の里の山道にいます。日系の方が持ち込んだというだけあって孟宗竹も、淡竹もまるで日本の竹林と同じ景色です。


HARADA KOUJIさん竹工場


一周できるという竹林の山道をHARADA KOUJIさんを囲んで話をしながら歩きます。1時間を越えて歩いた未舗装の道路は良く手入れされており、両側の竹林も定期的に伐採されているようです。そういえば、前日にお伺いした竹の大型建造物Centro Max Fefferにもこの竹林の竹が使われているとの事でした。


HARADA KOUJIさんのサンパウロ近郊の竹林


日本の竹と遜色ない竹林でしたが、ただひとつ見慣れない黒いシミのついた竹が所々に生えています。結構な密度であるシミが発生している所もあり近寄ってみると黒いシミのように見えていたのは虫穴でした。穴の周りは竹が腐ってしまうのか黒く変色してしまって遠目にはシミように見えていたのです。


竹の虫穴


それにしても見た事のないくらい大きな穴なので、どんな虫かと聞いてみると画像を見せてくれましたが灰色をしたカナブンのような昆虫です。


他の職人さんによると、この虫の他にも細い竹なら切断してしまうような虫もいるとの事でした。日本でも竹に入る虫はいますが竹林に生えている竹の表皮にこれだけ大きな穴をあける虫はいません。ブラジルにおける竹林管理のひとつの課題かも知れません。


ブラジル高知県人会(Associacao Cultural dos Provincianos de Kochi no Brasil)

ブラジル高知県人会(Associacao Cultural dos Provincianos de Kochi no Brasil)


ジャパン・ハウス サンパウロ(JAPAN HOUSE Sao Paulo)の講演では在サンパウロ日本国領事館の領事の方のお計らいで講演に先立ち高知県人会々長の片山俊一アルナルド様のご挨拶を頂戴いたしておりました。


ブラジル高知県人会々長挨拶


ブラジルには高知からも沢山の方々が移民として移住され活躍されている事は何となく知ってはいましたものの高知県人会なる組織がどのようなもので、どんな活動をされているのかは詳しく存知上げてはいませんでした。そこで、このようなめったに無い機会ですのでサンパウロの高知県人会の皆様とも是非にともという事で交流をさせていただいたのです。


ブラジル高知県人会(Associacao Cultural dos Provincianos de Kochi no Brasil)


まず驚いたのは立派な高知県人会の会館です。高級住宅街の一角の大きなお屋敷がそのまま会館として使われています。管理人のいる門を通って塀の中に入り車を降りた入り口すぐの所には中内力知事、橋本大二郎知事、尾崎正直知事と歴代の高知県知事の写真が飾られています。案内された大ホールのステージには高知城、桂浜、龍馬像、はりまや橋、尾長鶏...故郷を遠く離れているからこそ高知に暮らす自分達よりも郷土愛を強く持ち、連携して頑張られている事がそのまま伝わってきて胸が熱くなります。


ブラジル高知県人会で頂いた料理


そして、唸ったのが会員の皆様方が用意いただいた料理でした。


ブラジル高知県人会で頂いたカツオのタタキ


地球の反対側、サンパウロで頂くカツオのタタキやサバ寿司、まるで母が作ってくれるような茄子料理での歓待!まさに距離は関係ありません、ここには高知の血が流れる土佐の国だという事に心から感激したのです。


ブラジル高知県人会で頂いた鯖寿司


実は、そのような皆様から尾崎正直高知県知事に現地にお越し願えないかとメッセージを託されています。田舎の小さな竹屋ですので何もできませんがブラジルで土佐人の温かい笑顔に接し、高知弁を聞いたからには、これをお伝えせねばという一心でおります。


サンパウロ新聞取材


それと言うのもサンパロウ新聞から取材に来られていた記者の方によりますと来年は日本からの移民110周年との事で例年開催される日本祭りというイベントも7月20日から22日までサンパウロ市エキスポセンターにてかなり盛大に催されるそうなのです。


ブラジル高知県人会(Associacao Cultural dos Provincianos de Kochi no Brasil)


この祭典には高知県人会も郷土料理の販売などされるそうですし、翌8月には65周年の節目を迎える土佐祭(サンパウロ市公式行事)があるとの事でした。竹は節があるから強く、しなりがあり折れません。まっこと礼節を重んじる日本人の精神文化そのままが竹の姿と思うこともありますが高知とブラジルもひとつの節目、このタイミングですので現地の会長さんはじめ皆様が古里からの訪問を心待ちにされているのでした。


サンパウロからの帰りはドバイ経由で成田空港、それから羽田まで移動してから高知龍馬空港に帰ってきますが、この帰りの機内でたまたま隣になったのが高知県選出の参議院議員であられる高野光二郎先生ぜよ。すごいぐっとタイミングぜよ!もちろん、今回のブラジル高知県人会の皆様の事は、こじゃんと(とても)お伝えしています。


ブラジル高知県人会
Rua dos Miranhas, 196, Pinheiros, Sao Paulo, SP, CEP 05434-040


ブラジル、サンパウロの美しい竹農園

ブラジル、サンパウロ竹農園


Jatobas竹農場に来る途中にも広大な敷地に研修施設などが完備された美しい竹林を見学させていただきました。今回はJAPAN HOUSE Sao Paulo(ジャパン・ハウス サンパウロ)での講演で来させて頂いたのですが、ブラジルの竹業界に知見の広いGuilherme Korteさん、竹職人でもあられるFrancis Jean Marieさんらが案内してくださって、普通ならとても知る事すらできない興味深いスポットに連れて行ってくれます。


ブラジル、サンパウロ竹農園


ここの竹林もずっと向こうに地平線が見えるくらいの敷地で、サッカー場がどれくらいか忘れましたがとにかく広く常に管理されているらしく美しく保たれています。竹と笹というのは学者の先生によっても分類が異なるほど明確な区別があるものではありません。こちらの竹園でも竹や笹が混在していますが、その立派さ、背丈の大きさは近くに立つ人と比べるとよくお分かりいただけるかと思います。


竹のトゲ


あまり目にする機会のない竹ばかり、中には稈にトゲの生えてる竹があったりします。このトゲは非常に危険で伐採の際には十分気を付けないとケガをすると教えてくれました。


ブラジル、サンパウロ竹農園


そんな異国情緒あふれる竹林ではありますが、こうして竹に囲まれ優しい日差しの中を歩くと気持ちが良いのは虎竹の里と同じ。


ブラジル、サンパウロ竹農園


株立ちでありながら、これだけの大きさと力強さを感じさせてくれる竹は、さすがに南米ブラジルの地だと思いながら見上げます。


ブラジル、サンパウロ竹農園


竹は草でもなく、木でもなく、竹は「竹」です。世界に1300種類もあると言われていますが吹き抜ける風も、やはり虎竹の里となんら変わることなく同じなのです。