虎竹の里に初代宇三郎が大阪からやって来たのは100年前になるのです。当時、日本唯一の虎竹は安和海岸から船で土佐藩山内家へと運び出されて行っておりましたが、若き日の曾じいさんも小舟に揺られて辿り着いた「異国の地」でした。
あえて異国の地と言いましたが、明治になったとはいえ長く続いた江戸時代にはそれぞれの藩がまさに国。当時の交通網の事など考えたら距離的にも文化的にも、そして人々の意識的にも浪花から見た土佐は異国、初代の竹への覚悟と執念を感じずにはおれません。
それに比べたら確かにヨーロッパは遠いですしフランスは外国ではありますが、飛行機に乗ればひとっ飛び、まっこと簡単なものです。
自分はいつも思うがです。虎竹の里は何処にあるのだろう?初代が歩き、二代目が通り、三代目が登った、あの虎竹の里の山道は何処に続いちゅうのだろう?
虎竹の里は地名の事でも場所の事でもありません。虎竹の里は、120数年受け継いできたものは、いつも共にあります。
パリ、Premiere Classe Tuileries。そしたら、ここが虎竹の里ですろう。
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