九州なら、お土産は決まって銘菓「びざえる」

銘菓「びざえる」


その土地ならではの銘菓があるかと思いますが今日は大分銘菓「ざびえる」を持って登場です。もう50年以上も愛され続けているお菓子だそうですがベルベットのような質感の菓子箱、独特の書体の英語文字など自分の記憶に間違いなければ、昔からずっとデザインも変わっていないのではないかと思います。


前にもお話させていただいた気がしますが「ざびえる」は、いつも実家の居間に置かれていて子供の頃は地元のお菓子と思っていた程なのです。後から考えると何の事はなくて、それだけ虎竹が九州に運ばれて行ったり、お客様が虎竹の里に来たりという行き来が多かったという事だったのです。
(空箱も格好が良いので捨てられず、目についていたのかも知れません。)


銘菓「びざえる」


この「ざびえる」当時から自分は大好きでした。今でも熱いお茶があれば二つ、三つと手にとってしまうほど、バターの優しい香りと、白あんにレーズンという絶妙な組み合わせが素晴らしいのです。大人になった現在、すっかりその辺りの記憶はないのですが、このお菓子が届くと長男である自分がいつも独り占めして食べてしまい、いつも空箱だったと妹からは今だに言われています。


そこで、九州に行ったらお土産は懺悔の意味合いもこめて「ざびえる」。色とりどりの新製品のお菓子の並んでいる売り場でも


「ざびえる、どこに売りよりますろうか?」


と聞いて直行、すぐに買って帰ります。まったく迷わなくて良いのです。


使い込んだ虎竹二折財布

虎竹財布


自社製品を長くご愛用いただける事は、どんな会社様であっても職人であっても本当に嬉しい事だと思います。この虎竹二折財布が修理のために本店に届けられた時には社内で「すごーーーい!」と歓声が上がりました。


虎竹の色合いは深まり光沢がにぶく光っています、毎日手にしていただき実際に使っていただいた虎竹から伝わる迫力。折り曲げて使う財布ですので、細く割った竹部分に負荷がかかってしまい竹が剥がれてしまっています。ご自分で修繕された跡が残っていますが、どうしても直りきらずに当社に返ってくることになったのです。


しかし、見れば見るほど格好が良いものです。竹についたキズも、これだけ使い込んでいますと勲章のごとく輝いています。早くお客様のお手元に手直しした財布をお返ししたい、どんなお顔をされるだろうか、出来あがりが待ち遠しいのです。


黒竹の丸窓?

竹の丸窓


「黒竹が使われていますね。」さすがに竹虎の社員です。若い女性社員でも2年近くなると竹の種類などの事も少し分かってくるようになっています。黒竹は淡竹(はちく)の仲間である虎竹と違って、山に生えている時から黒々とした色合いで竹林に入ると竹葉の緑によく映えて美しい竹です。


油抜きをすると更にその黒みがかった竹肌に更にツヤと光沢で出て黒光りしてきます。細身の竹なので竹虎では縁台や玄関すのこ、一部袖垣などにも使っていますが、その他にも様々な竹細工に使われる竹のひとつでもあります。


竹の丸窓


さて、ところがこの丸窓の竹、実は本来の黒竹の色合いではありません。遠目には黒っぽくなっていますので、一見黒竹のように見えるのですが元々はこのような色合いではなく、長い年月の間に枯れた風合いとなり黒くくすんでいるのです。


風雨にさらされながらも長く使われている竹は、このように経年変色してあたかも炭化されたように黒っぽくなるものもあれば、反対に白っぽくなっているものもあります。また、苔がむしているものもあったり、いずれにせよ一朝一夕には醸し出されない深い魅力があるものです。


竹虎ブランドタグ

竹虎ブランドタグ


ブランドタグというのは名前は知らなくともご覧になられると「ああ、それの事か...」と多くの方が言われるほど周りに沢山あるものです。衣類をはじめとして布を使っている製品にはメーカーを表す小さなタグが目立たないところに付けてられていますが、それをブランドタグと呼ぶのです。


竹製品の竹虎にブランドタグなど必要あるのか?と思われるかも知れませんが竹籠に巾着を付けたり、虎竹箸用の箸袋があったり布を使う事も案外と少なくはありません。特に竹炭関連の商材では布地を使うものが多く、ブランドタグの活躍出来る所があります。


もうすぐ製作できる予定の商品に竹炭マットがあり、この商品にはブランドタグを縫いつける予定です。このマットは竹炭からこだわりました、低温で焼かれた竹炭と高温の竹炭とでは匂いの吸着に違いがありますが試験機関でデータを取るとハッキリその違いが出てきました。そこで、あれこれ検討して試作を繰り返すうちに完成するまでに1年もかかったものの、そのお陰で納得の出来映えとなったのです。


このような手をかけた自信作には特にブランドタグを付けたくなります。人生の3分の1は布団の中ですから快眠が健康に大きく貢献していると思います、自分も竹炭枕をずっと愛用していて手放せなくなっており新しい竹炭マットとの最強タッグでの寝心地を今から楽しみにしているのです。


Premiere Classe Tuileries、パリの展示のニューヨーカーが遂に完成

虎竹バックニューヨーカー


3/2(木)~3/5(日)までパリのPremiere Classeという展示会に出展させていただく虎竹バックニューヨーカーが、ようやく完成しました。昨年2月のニューヨークCOTERIE展でご覧いただいた皆様方から色々なアイデアを頂戴し、昨年ずっと時間をかけて改善点を手探りしてきました。


虎竹バックニューヨーカー


元々、60年前にデザインされた構造の面白さを自分達の虎竹で復刻したくて取り組んだプロジェクトですのでバック自体の形は大きく変えることはなかったのですが、虎竹にもっとこだわろうと考えて虎竹の葉を使った染めを取り入れる事にしました。


虎竹バックニューヨーカー、インナーバック


インナーバックの印象が虎竹フレームの隙間から見えるので大事なのですが虎竹染めのやさしい色合いがのぞき、革の縁取りも虎竹と違和感なくマッチしています。


虎竹バックニューヨーカー、虎竹染め紐


フレームを繋ぐ紐も虎竹染めにしました。細い紐では染めの色目が出ずらいようですが薄く竹虎ゴールドと呼ばれる黄色が出て柔らかな雰囲気になりました。


虎竹バックニューヨーカー、虎竹染め収納袋


今回の虎竹バックには使わない時に入れて保管できるように巾着袋を付属させる事にしていますが、こちらも虎竹染め。竹虎のロゴマークを大きく入れてあって、手提げ袋にもなるのです。


虎竹バックニューヨーカー


肩からかけられるショルダーはチェーンしかありませんでした。インナーバックにも使う革と同じ素材でショルダーを作りましたのでお好きな方でお出かけいただけます。


虎竹バックニューヨーカー


留め具の金属部分にも竹虎ロゴマークを刻印、これで完成です。かって竹製品が欧米への輸出品として日本の港から運ばれて行った事、そんな中でこんなモダンで機能的な竹細工があった事、自分が一番感動して復刻したいという思いだけでやってきましたが、はたしてパリの皆様にどう感じていただけるのか?渡仏まで一ヶ月となりました。


虎竹削り箸が新しくなります。

虎竹削り箸


虎竹削り箸は日本唯一の虎竹を一本一本職人が手削で加工しているお箸です。細身で軽くしなりがあるのが特徴で、魚料理の際に小骨も取りやすいと人気でずっと定番としてあったお箸なのです。今回のリニューアルは、せっかくの虎竹箸なのでもう少し高級感をだして、よりご満足いただけるものにしたいと思い今までのウレタン塗装から漆仕上げに変更することにしました。


黒竹筒箸箱入り虎竹箸


そして、そのタイミングで黒竹筒箸箱も新しくしようと思っています。こちらは今までのマグネット方式から籐を使ったタガ留めに変えていきます。「タガ」は皆様ご存じでしょうか?木樽や木桶がバラバラにならないように竹編みの輪を作り締め付けていますが、その竹編みをタガと言います。黒竹筒箸箱の蓋の開閉にタガを使いますが、黒竹にはやはり自然素材が似合うと思いますし使い勝手も向上するのです。


箸箱にタガを使いますが、更に中に収納する虎竹箸にも小さな籐のタガを作ってお箸をしっかりまとめて納めるようにもします。筒箸箱の中にお箸をそのまま入れるとガチャガチャと音がしますが、タガで留めて入れると明らかに座りがよいのです。


1870年創業、山岸呉服店さんの新聞記事

山岸呉服店、大火被災高知新聞記事


出張から帰ると、読む事のできていない高知新聞に目を通す事にしています。全国のニュースはホテルのテレビやスマホでもチェックできますが高知の地域に限って言えば高知新聞ほど細かく網羅してくれているものはないのです。


昨夜も帰宅してから、いつものように新聞を広げてみますと先週土曜日の紙面に「大火被災 呉服店再会へ」と言う見出しが目に飛び込んできました。年末の新潟県糸魚川市の大火は画面で見ていても凄まじく心の痛むものでしたが、そこで一部店舗を焼失した山岸呉服店さんの記事でした。


「山岸?」自分と同じ名前を活字で見ることはあまりないので親近感を持って読みすすめますと「1870年創業」「6代目」...。1894年創業の山岸竹材店は四代目、名前だけでなく歴史の古さなど妙に共通点が多いのです。当たり前のように、30年前に竹虎を襲った大火災が頭をよぎります。


竹虎大火災


年末のかき入れ時で通常より多くの呉服の在庫があって被害が大きくなったと書かれていますが、竹虎にも次の日の朝、関西に向かって運ぶ予定の竹製品が大型トラックに満載されていました。せめてトラックだけでも工場から出せないかとドアを開けようとしましたがカギが無くて動かせなかった。やきもきしている間に火が迫り遂には工場も店舗も全てが灰になってしまうのですが、あの時の恐怖、不安、失望感...。しかし、この新聞に掲載されている山岸さんはそれらに真っ向から立ち向おうとしている。


色々な感情がこみ上げてきて言葉になりません。


山岸竹材店、大火災


深夜、自分が誰かに呼ばれるように真っ暗な工場に引き寄せられ発見した火事でした。実家の家業を継ぐ決心をした火事でもありました。焼け野原になった会社で難を逃れたトラックに竹を積み、全社員が団結し青空の下での製造を再開し、地域の方の協力もあって今日があります。


糸魚川市では雪で成人式の時期が少し遅いそうです。山岸呉服店さんも店舗の修繕をされ、新成人のみなさんのため仕事には万全の態勢で頑張られると記事にありました。大火災から30数年経って虎竹の里の自分達こそ、もう一度ゼロから始める気概が必要と感じています。


古民家の天井に使われた、もうひとつの竹

古民家の天井に使われた竹


昔ながらの古い民家に竹の壁であったり、竹簀の子の床など身近だった竹が使われてきたお話をさせていただきました。長く暮らす家の外壁や、毎日生活する床にまで竹がずっと使われて来たという事は、本当に竹の強さの証であると嬉しく思うのです。いくら手軽に手に入り、加工性の高い素材であっても何か不具合かあれば消え去って今の時代にまで到底残っていません。


しかし、更に凄い竹を発見しました。天井を見上げてアッと声がでたほどなのです。天井に通されていた長く太い真っ黒な丸太を、支えるように何カ所も設えているのは割竹です。


古民家の天井に使われた竹


虎竹の伐採は今月末までですが、虎竹の里でも昔の職人さんはナタ一本だけ持って竹林に入りました。竹を束ねるのは、同じく生えている色合いの悪い虎竹を細く割ってロープ替りにしていたのです。伐ったばかりの竹は重く、それを数本束ねると大変な重量になりますが竹のロープは堅く、堅牢だった事を覚えています。


「竹を割った性格」という言葉通り、縦に割るのは容易でも強い繊維は切れることがありません。もちろん、補助的に使われているのだと思いますが、それにしても、このような大きな柱の支えに竹を使っているとは圧巻とい言う他ないのです。


黒い竹ネットの竹籠

黒い竹ネットの竹籠


白竹で編まれた丸く薄めの竹籠が置かれていました。ところが、どうも不思議な形です、と言いますのも良く見ると竹ヒゴで編まれた黒いネットのような物が張られているからでした。小物入れか何かに使うために作られた籠だと思いましたが、これでは籠の内側に物を収納する事もできません。


黒い竹ネットの竹籠


裏返してみますと、底になる部分なのであまり人目につかない所ではあるはずですのに、この籠の見せ場のような美しい丁寧な作りをしています。おそらく特別な事ではなくご本人は普通の仕事をされただけであるかと思いますが、編まれた職人さんの心意気を感じずにはおれません。


黒い竹ネットの竹籠


元通りして置いてみました。一体どのように使うのでしょうか?実は、帰宅して車のキーやポケットの小銭入れ、腕時など小物を載せておくための籠として使って欲しくて作った籠だと言います。この黒いネットが謎を解くカギとなるのですが、竹編みで作られたネットは弾力性に富み手触りもソフトで優しいのです。


ただの平面の籠や笊に置くのではなく、このような竹ネットのような手触りのよいものに自宅から出かける度、帰ってくる度使えることはちょっとした幸せにつながります。


虎竹の山を行き交う舟

日本唯一虎竹の里の伐採


を年中伐採しているようなイメージを持たれている方も多いように思います。いろいろと多用されてきた竹です、里山の近くに植えられ育てられてきた竹ですから必要な時に、必要な本数だけ伐って使うという印象があるのかも知れません。


木材のように大きく重量がある訳でもありませんので、手軽に用立てられたと言う意味では間違いではないのですが、防虫や品質の問題があって伐採の時期というのが決められています。虎竹の場合は1月末日までが伐採の期限、それ以降は竹を一本たりとも伐る事がありませんので次のシーズンまではこの冬に山出しされた虎竹だけで製品づくりをするのです。


虎竹の山出し用運搬機


さて、そんな虎竹の里の山々に舟が行き交っています。山に舟とは、大きな川でも流れているのか?そんな事も思ったりされるでしょうか。実は舟とは山出しの機械に引っ張られている舟形の小さなソリの事なのです。


山で伐り出される虎竹は10数メートルの長さがあり山出し機械にはね到底乗り切らずウラ(竹の先端)を引きずってくる事になります。それを出来るだけなくしてスムーズな山出しをするために考案されたのが、この舟。細くて急勾配の山道を沢山の竹を載せて下って行きます。


竹製の野球帽子

竹ベースボールキャップ


物置の棚の上に古い竹の帽子がひとつ、ホコリをかぶり置かれていました。見覚えのある竹編みのベースボールキャップは母のものです。考えたら竹編みは通気性は抜群、薄く剥いだ竹ヒゴを使っているので軽く、若干のしなりもあって被りやすい帽子として当時は大変な人気の商品だったことを覚えています。


竹ベースボールキャップ,作務衣,さむえ,SAMUE,竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)


懐かしくなって少し被ってみました。麦ワラ帽子のような形の凝った竹帽子でしたらその当時もあったようですが、素材が竹でありながら野球帽のような形にしたというデザインが斬新で多くの方に支持された理由でしょうか。サンバイザーのような形の物もあって、価格も手ごろだったと思いますが毎日気軽に使える生活用品のひとつとして定着していたように思います。


竹製野球帽子


竹虎では、母だけでなく、父も祖父も祖母も使っていました。確か九州の製造メーカーさんだったと思います、そこから届けてもらった竹キャップは竹虎の店舗に沢山並んでいて家族が使うものですから自然と近所だけでなく社員にも広まったようで、この帽子姿で働く職人さんを工場では良く見かけたものでした。


竹製野球帽子


若かりし母がかぶっていた頃には竹は白く太陽の光に輝いていましたが、長い年月ですっかり落ちついた良い色合いになっています。ふと見るとツバの裏側にマジックの手書きで「竹虎マーク」が書かれているではないですか!


土佐市蓮池から虎竹の里に嫁いで来た母。竹の事など全く知らなかったのが竹虎に来て虎竹と出会い、竹と共に歩むことになります。どんな思いでこの拙い手書きマークを描いたのか、しばし自分の知らない遠い昔を思うのです。


日本商工会議所発行「石垣」に掲載いただきました。

日本商工会議所発行「石垣」


戦国最強と言われた武田信玄の「人は城、人は石垣、人は掘」という有名な言葉があります。誌名がそこから来たのか分かりませんが日本商工会議所発行の「石垣」という月刊誌に竹虎を取り上げていただきました。実は自分は、知らない土地で小さな城跡でも見つけると、どうしても行かずにおれない程に城が好きではありますが、やはり魅力はその城郭の石垣にあります。石積みがしっかりとしているからこそ天守がそびえ立つ事ができます。何事にも、まさに一番大事な礎の部分である石垣を雑誌名にされている誌面に掲載とは恐れ多くもあります。


日本商工会議所発行「石垣」


竹は初代宇三郎、義治、義継はじめ沢山の竹人に習い、インターネットに取り組みだしてからは京都でTシャツ販売をされる岸本栄司塾長はじめ諸先輩方に習い、教えてもらってばかりです。


たまたま、知り合いの大阪で抱っこひもの製造販売をされている仙田忍社長も掲載されていました。より親近感をもって拝読させてもらえます、そして力を頂きます。


変わりつつある日本の暮らしと竹

孟宗竹


古民家に竹材が沢山使われているお話しをブログでしてきましたが、これだけ多用されてきたのは、どうしてか?理由を考えて探っていくと昔の人の知恵や暮らしが浮き彫りになってきて、本当に面白く興味ぶかく感心することばかりです。もちろん、素材である竹が身近にあった事、成長の早い竹ですから木材のように所有権がそこまで厳しくなかった事もひとつ。護岸工事用に移植された竹などは最たるもので、河川付近はいわば公共の土地のようなものなので少しくらいであれば誰が伐っても問題なかった事でしょう。


そして、持ち運び、加工性の高さ。軽く、刃物ひとつで伐って割って場合によっては最終製品にまでそこで仕上げられる竹ほど手軽で魅力的な素材はなかったと思います。今では製材所に行けば木材の板など機械でいくらでも加工されていますが、その昔には貴重な材であり庶民に手が届かない高価な部材のひとつでした。そう言えば古いビデオ映画で山中を移動しながらお椀の生地作りをする職人集団の様子を観た事があります。宿泊をかねた製造小屋を建てる際にすべて現地調達していましたが、床に敷く板だけはずっと持ち運んで使われていた事を思いだします。あれだけの木工技術を持つ方々でもそうなので、一般の人々は言わずもがなです。


椀かご


竹ヒシギの壁、竹簀子床、それぞれの理由があり変わり続けてきた日本人の暮らしであり、その中の竹。椀かごもわずか30年、40年前にはできるだけ大きく、沢山の食器が入れられるものしかありませんでした。昨年はじめて意識的に一人用の大きさの物を作ったのは自分達の生活が変化しているからに他なりません。


変化に合わせて新しい竹を作る。試作の籠やザルをはじめ色々な竹製品が自分の周りには沢山あって幸せ感に包まれています。少しですがお裾分けできればと思い、何個かある試作の竹籠をご愛用いただける方がいたらとプレゼント企画を開催したしていますが兎に角、まず手に取ってお使いいただきたいのです。手から伝わるものが必ずあるはずです。


飯かご


それにしても、いつか周りにあるこの籠たちを皆様に紹介できる機会が持てれば楽しいなあと思っています。


竹簀子(すのこ)床の古民家

竹簀子(すのこ)床


先週お話しさせて頂きました古民家、家の壁に平たく割った竹がそのまま竹ヒシギが使われている事に驚かれた方も多いのではないかと思います。竹の調達が容易であり、加工性の高さなど木材に比べて優位な点は挙げられますが住宅に利用するにはその強さ、耐久性が求められてきたはずなので、竹壁の古民家はその証となるものだと思うのです。


古い民家には、まだまだ竹が使われる事が多かったようです。この床は何と竹簀子で出来ています、室内に使われていたりする事はあまり知られていないかもと思います。これだけの広い床面に丸竹が敷き詰められているのを見るのは竹の月見台くらいのものです。室内にできた月見台の上にムシロを敷いた感じですが実際に竹簀子床として当時から使われてきたものだそうです。


そもそも木材の板というのは高価なものであり庶民には縁遠いものだった時代がありましたので身近で加工の簡単な竹素材が使われたとも言われています。また、昭和40年代にタバコ栽培が盛んな地域では雨天時には葉っぱの乾燥を室内でしたそうで通気性が良く換気に優れた竹簀子床が活躍したのだとも聞きます。


日本の家は木と紙で出来ていると言われます。竹の床なら歩いても気持ちが良かったのではないかと思いますがいずれにせよ、木材や紙同様に竹が昔の住宅には想像以上に使われていた事を思うのです。


竹ヒシギの古民家

竹ヒシギ壁の古民家


竹の凄さを感じてもらうのに今日ご覧いただきたいのはこちらの古民家なのです。古い家の壁は土壁で設えられている事が多いと思います、土壁はご存じのように柱の間に格子状に組んだ木舞竹に土を塗って仕上げるものです。


竹ヒシギ壁の古民家


以前は竹虎でも壁竹の製造を沢山していた時代もありました。土壁の中の骨として使われている竹は一目に触れることなく縁の下の力持ちのように頑張っていますが、この家の壁は竹そのものが使われているから驚きです。丸竹に背割りを入れてバラバラにならないように注意しながら一本づつ平らにしていく竹ヒシギ。この茅葺き屋根の古い民家の壁は、まぎれもなく竹そのもので出来ていたのです。


煤竹


天井に竹材を多用されていて、囲炉裏の煙で燻され100年、200年という時間の中で煤竹という渋い色合いの竹になる事はご存じの方も多いかも知れません。屋根裏で長期間使われていたものですから全てが竹細工に使えるという事でもありませんが、高級竹材として茶華道用にも珍重されています。


煤竹網代編み


煤竹と言えば祖父の代からお付き合いさせていただいてきました渡辺竹清先生の作品を思い出さずにはおれません。長い年月を経た竹だからこそ醸し出される凄みすら感じる竹が、匠の技で生まれ変わり新しい命を吹き込まれて次の世代に繋がっていくのですから日本の文化は豊かで素晴らしいものだと改めて感じるのです。


竹炭の電気伝導率

竹炭の電気電導率


炭素は電気を通しますから、炭化の度合いが高い(炭素の純度が高い)と電気抵抗は低くなり通電性が良くなります。高知の山々を歩き、そして全国で沢山の炭焼き職人さんのお会いさせていただき炭窯を拝見する機会がありますが土窯だけでも千差万別、様々な形や大きさ、窯の作り方があり、職人さんの個性や独自の技術が加わって本当に面白いのです。


炭化温度650~700℃辺りが高温、低温の境となるのですが竹虎では通電性が高い800~1000℃近い高温で焼かれた土窯づくりの竹炭を最高級竹炭としています。含まれるミネラル成分の質、量がちがい不純物が含まれていませんので飲料水、炊飯用、竹炭パウダーなどにするのはすべてこの高温の竹炭なのです。


土窯の場合、気候や竹材など自然条件によっても窯での均一炭化に誤差がでる事がありますので精錬度計で時々チェックをする事がありますが、熟練の竹炭職人が竹炭専用に改良した土窯で焼く最高級竹炭は、もともと一級品を選りだしている事もありいつ計測しても針を振り切ってしまうほどの電導率です。


竹炭


竹炭の性能を考える場合に炭化温度が非常に大事となります。それぞれ特徴があり得意な分野があるからですが高温帯と低温帯で焼かれた竹炭は外観、音や質感で見分けられます。ところが細かい竹炭粒や微粉末に加工された竹炭の場合ですと硬さもだいたいの感触しか分からず見た目での判断が難しいのです。


そこで登場するのがやはり精錬度計、あちこちテストして計測してみますが針はピクリともしません。低温で焼かれた竹炭に違いありません、ただどちらが良い悪いではなく低温の竹炭には、それなりの良さがあってトイレの消臭や湿度調節には高い効果を発揮するのです。




お一人様用の竹椀籠の試作籠について

お一人様用の竹椀籠


お一人様用の椀かごという食器籠としては小ぶりな竹籠を昨年の終わり頃に製作してご紹介させて頂きました。自分の小さい頃には、両手を大きく広げて持つような竹籠に重たいくらい食器を入れて干してある光景も見られたものですので時代が変わってきたと言う事でしょうか。


試作竹椀かご


ご存じのように一世帯当たりの家族人数が少なくなり、それぞれのご家庭のキッチンにはコンパクトに置ける籠の方が使い勝手がよいのかも知れないと思ったのです。


大きな籠をそのまま小さくするのは意外に難しいものです。昔ながらの青物職人さんは、ある程度の大きさと、強さというお客様からの要望に応え続けてきましたので、職人さんよってはあまり歓迎されない方もおられます。


試作竹椀かご


そんな中、試しに編んでもらった籠は筏底、そして足には丸竹が使われていました。一旦そのままになってはいましたが秋も深まった頃に、なかなか良い感じの真竹が伐りだされるようになると形にしたくなってきます。だから、一本の青竹の力というのは凄いものが秘められています。


椀かご(茶碗かご・茶わんかご)


椀籠にするため水切りを考えて底を四ツ目にするのと、足部分は籠の安定性、強度もありますがデザインのバランスで丸竹をやめました。見た目にもグッと引き締まり使いやすい感じの椀かごに仕上がったと思っています。


佐藤千明さんの竹籠

佐藤千明さんの竹籠


青物細工は毎日の生活の中でずっと使われ来た、日本人には一番馴染みのある竹細工のひとつです。道具としての機能性を最も求められる竹細工ですので、長い竹の歴史の中で鍛えられ、無駄は削ぎ落とされ、究極の竹製品となっている愛しい籠達は本当に素晴らしい表情をしています。


そんな青物の達人と言われた佐藤千明さんという竹職人さんがおられたのですが、昨年ひょんな事から40数年前からそこにあって、今では棚の上で忘れられたように鎮座してあったと言う佐藤さん作の籠と出会いました。ホコリをかぶり、底には虫の食った粉が沢山ありましたが注意して掃除をしてみますと中に入れてあった他の竹笊の粉だった事が分かり安堵したものです。


佐藤千明さんの竹籠


この竹籠の特徴は何といっても底にあります、足部分が膨らみ、尖り、四つのツメのように立ち上がっています。内側から竹表皮を残した底部分を手でなぞってみます、通気という機能性もさる事ながら四ツ目底の湾曲さのダイナミックさが圧巻、柔と剛のまさに竹の生命力が伝わってきます。


磨きの竹細工は時間の経過と共に色合いが深みを増してきます、飴色に変化した竹肌がこの籠の魅力を更に際立たせているのです。籠全体の丸みを帯びた雰囲気と相まみえて用の美の極致、いつまで見ていても飽きない温もりと味わいを感じる美しい竹籠です。


竹首枕の孟宗竹素材について

スマホ首、ストレートネックの竹首枕


半割にした孟宗竹の大きなアーチがスマホ首とも呼ばれるストレートネックの改善に少しづつお役にたっているようです。お届けさせていただく出来上がった竹首枕をご覧いただきますと表面は綺麗に加工されていますし直径から竹の身の厚さまで何気にご覧になられるかも知れませんが、実は自然の竹は当然ながら全て個体差がありますので同じ頃合いにするのには素材を選ばねばならず非常に苦労している所です。


スマホ首、ストレートネックの竹首枕


竹は生命力が強く成長も早いのですが、孟宗竹もさすがに日本最大級竹だけあって東北より南でしたら全国どこでも生えており今では邪魔者扱いされる事があるほどです。なので限りなく伐採ができそうだと思われるかも知れませんが、いざ製品加工にしようと思いますと厳選せねばならず、皆様の想像よりはるかに少ない数量しか出来上がりません。


スマホ首、ストレートネックの竹首枕材料


今回の竹首枕用の孟宗竹などは、わざわざ太いものばかりがある竹林を選び伐採しています。そして、さらにその中でも太く年数の良いものだけを厳選して使用しているのです。


スマホ首、ストレートネックの竹首枕材料


塗装をしていますので下地は分りにくいのですが、素材の状態で炭化加工と言われる蒸し焼き状態にして防虫、防カビ処理をほどこしてから製造されています。


バレンとカシロダケ

バレンに使われるカシロダケ


昨年ようやく版画家の倉富敏之先生の工房にお伺いできたお話しをさせてもらいましたが工房には先生が木版画に使うバレンがありました。このバレンにはカシロダケという非常に伸びのよい竹皮が使われています。福岡県八女郡星野村に唯一の産地があって、久留米市にいる先生の工房からも近いのです。


先生は元々竹工芸の育成指導もされて来られた方ですので、ご自身で竹細工もされておられました。工房には渋い色合いになった自作の竹籠も見ることができましたが、カシロダケを使ったバレン作りにも挑戦されていました。バレンには代替品が使われる事もあるようですが本来のバレンにはカシロダケで細かく堅く紐を編みこのように巻き付けてその上に孟宗竹の竹皮を張るのです。この竹を使うかどうかでバレンの良し悪しが決まると言われて版画づくりには貴重な竹です。


以前このカシロダケの映画が八女で上映された事がありました。倉富先生も上映会に参加されていたと知りましたが、実は自分もたまたまお伺いしていましたので、今から数年も前の事ですが先生とはニアミスだったようです。


しかし、カシロダケも全国でここでしか成育していないとは虎竹同様に不思議な竹です。かっての藩政時代に竹林が厳しく管理されていた事など共通点もあって親近感がわきます。その当時、カシロダケを藩の外に勝手に持ち出す事は厳禁されていて、破れば死罪に相当するような厳罰が下されたと地元の方が話されていましたので、どれだけ大切にされ守られてきたのかが分かるのです。


土佐網代(あじろ)の竹籠

土佐網代(あじろ)の竹籠


たまたま見かけた「土佐網代(あじろ)」という名前の書かれた竹籠に足が止まりました。網代と言いますのは底編みが網代になっているので、そう呼ばれているのだと思いますが高知では誰も編む人がおらず見かける事さえない籠なのに、どうして「土佐」だろう?


えび止め


試しに地元の古老に見せてみましたが、このような竹編みはしたことがなく詳しくは知りませんでした。竹職人でさえ知らない籠です、かって編まれていた事など誰も知る人はいないような竹籠のひとつなのです。


土佐網代(あじろ)の竹籠


持ち主の方は、飴色の良い色つやに年期の入ったこの籠は40数年前の物だと言います。当時、高知からデパートの実演販売に行っていた竹職人さんから購入したもので、その頃には生活用品として間違いなく編まれていた籠であり複数の職人さんもいた事だとでしょう。土佐網代と名前が付いていた訳ではないと思いますが、高知の職人さんが編んでいた籠だから「土佐」と命名されていました。


竹職人尾崎さん


今となっては全く面影すら残っていない竹籠ではありますがこの竹籠を拝見して思い出すのが鹿児島に移り住んで竹細工をされている尾崎さんです。元々高知で生まれ育ち、竹職人として腕をふるわれていた方が編むのが、まぎれもなくこの「土佐網代」でした。


尾崎さんと竹虎四代目


「何十年ぶりかに土佐弁を使うたちや」と喜んで編み上がったばかりの手提げ籠をひとつ頂いたのが懐かしく思い出されるのです。


新春!日本唯一虎竹の里ウォーキング2017年

新春!日本唯一虎竹の里ウォーキング2017年


新春は恒例となっています虎竹の里ウォーキングに出発です。今年からは箱根駅伝の復路がどうしても気になりますので、小田原までの走りを見届けてからのスタートとなりました。それにしても天気が良く本当に穏やかで温かい年明けです、この一年がこのように平穏無事であるようにと思いながら歩きだします。


Andre Loum(アンドレ ロウム)さん


思えば昨年のウォーキングではフランスから来られてたAndre Loum(アンドレ ロウム)さんと一緒になり久礼の休憩地点まで一緒に歩かせてもらいましたが、早いものですあれから1年も経ったという事なのです。しばらく日本に滞在されてから現在はパリに帰国されてますので、この3月に行く予定の展示会Premiere Classe(プルミエール・クラス)ではお会いできるかも知れません。


遍路道に当たる焼坂の山道へ通じる道沿いには、所々にお遍路さんのための標識が立っていますが、昔ながらの道は勾配がキツイく一人がやっと歩けるくらいの獣道と言っても良いような細い山道です、ここを歩いて頂上まで行くのが近道ではありますがとても体力が必要です。


虎竹の竹林


自分達が歩くのは、いつも虎竹を運び出す距離は遠いものの傾斜の少ない道路、虎竹の竹林を眺めながら歩くのです。


竹林の中を歩くウォーキング


谷間を流れる水のせせらぎ、そしてまず聞こえてくるのがホーホケキョとはまだ鳴けないウグイス、いつも数羽で戯れているメジロたち、ツグミが遊ぶ声だけが聞こえる静かな山道を進みます。虎竹の向こうに遠く須崎湾、土佐湾を眺められる素晴らしい景色のウォーキングです。


山出しされた虎竹


途中には今シーズンの山出し途中の虎竹が積まれているのを見ることができます。こうして毎年のように竹が色づき、伐りだされ、竹虎にやって来る、ずっと当たり前のことのように思っていましたが本当に有り難い事です。竹がこうして出されている時期が一番大好きで嬉しく、まさに一足はやい春が虎竹の里にやってきた気分になるのです。


虎竹搬出用機械


虎竹の伐採は今月末日までですが、伐採後にも竹林の仕事は続き沢山竹が運び出されて来ます。山出し用の機械も、短いお正月休みながらシートかけて暫しの休息。


焼坂峠


虎竹の里ウォーキングは虎竹の古里である焼坂の山道を標高228メートルの焼坂峠目指して登って行き、焼坂の山越えをしてJR久礼駅を目指します。不思議な事に虎竹はこの地域一帯にしか成育しませんが、峠から向こう側には竹がまったく成育していません。年初には、いつもこの神秘さを感じ一歩づつ2017年の歩みを思いながら歩きます。


虎竹筆で書き初め

虎竹筆


竹筆というのは歴史が古く昔から愛用されてきた物です。あの堅そうな竹と、柔らかな筆先とが結びつかない方もおられるかも知れませんが、竹は繊維が細かく、しなやかですので筆にするにも適した素材です。


年末に書家の方から素晴らしい書を頂戴する事があり、本当に文字を書くというのはこのような事なのだろうと感じいっていていました。たまに遊び程度に筆を使う自分など本当に恥ずかしくなるのですが元日にはそれでも竹筆で書き初めをします。「弘法筆を選ばず」という言葉がありますが、自分の場合にはかなり選んでしまいます。日頃使うのは初心者にも使いやすい筆ばかり、しかしさすがに年の初めは竹でなければなりません。


この虎竹の筆は思いがけず面白い文字が表れることもあるかわりに、なかなか思い描いたような文字が書けない扱いが難しい筆でもあります。失敗したら又最初からやり直して、またやり直して、ただその繰り返しです。これまでも、そして、この一年も同じなのです。


2017年、明けまして、おめでとうございます!

 
2017年の元日、竹虎四代目


明けまして、おめでとうこざいます!2017年の元日も天気に恵まれて本当に穏やかなお正月でした。酉年です、大きく羽ばたける一年になるようにと願いを込めまして年賀状は昨年横浜までの1000キロの道のりを走破いたしました日本唯一の虎竹で製作した竹トラッカーで大空目指しています。


竹トラッカーと言えば今年のお正月は、ずっと箱根駅伝を楽しみにしてきました。電気自動車であるこの車で天下の険と言われる箱根をヒヤヒヤしながら越えて小田原に到着したのが、つい先月の事のように思い返されます。あの急峻な山道を体験しますと、大学生ランナーの皆様の箱根の走りを見る目がまったく違うのです。


本当に長くコツコツと積み上げられた結果を繋いだ駅伝でした。あんな感動を自分達もそれぞれの毎日の中で手渡ししていければ素晴らしいと思っています。