もう45年も前にまとめられた「安和村文書」ですが、運良く文化財保護委員として郷土文化を研究されている方のお話しを伺う機会があり編集した当時の事、文書の中に記載された竹銀藪野取帳の事について教わる事ができました。
虎竹の里には高知県指定天然記念物となっている樹齢500年のナギの巨樹がありますが、その傍らに鎮座する大師堂に安和村文書は残されていたものだそうです。仏像調査のためにやって来られた大師堂で、このような資料を見つけてこのままではもったないと本にして下さったのです。
江戸時代から明治初期まで此処には藩の役場がありましたので、どうやらその関係で資料が大師堂に置かれたようなのですが、小さな集落であった安和村でこれだけ書類が残されているのは地域の人々が大事にしてこられたお陰との事でした。
ナギの葉は竹の葉に似て縦には裂けやすいのですが横には裂けにくい等と言われる樹木です。虎竹の里にふさわしい巨木でもありますが、その下の大師堂で発見された「安和村文書」、そして竹銀藪野取帳。100年前からこの地の虎竹と関わり続けきた自分達にとっては大ナギか守り神のようにも思えてきますが、他の地域では竹銀藪野取帳のような竹を年貢として納めていた所はやはり見た事がないそうです。
当時は曲がりくねった山道しかありませんので運搬はもっぱら海上輸送が中心でした。安和の海岸には船場と呼ばれる場所があったそうですが、そこから船に積み込まれ遠く高知城下に運ばれていった虎竹達はどうなったのでしょうか?
高知城は当時の建造物が残るお城として全国的にも知られますので一度どこかにその痕跡がないか調べた事があります。その時には虎竹の「と」の字も見つける事ができませんでしたが、いつか山内家か、いやいや何処でもいい、そんな竹の行く末を偲ばせるものを拝見する事ができたなら、どれだけ感激するかと思うのです。
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