「安和村文書」の記録の残る竹銀藪野取帳

「安和村文書」竹銀藪野取帳


郷土の歴史を調べられている方が「安和村文書」を発行されたのは、もう随分と前の事で昭和46年10月26日の事となっています。安和は交通の要所である港町須崎と、カツオ漁でも有名な久礼の間に位置していますが、須崎のように人口も多くなく、久礼のように漁業で栄えてきた町でもなのに、全176ページにもなる貴重な資料がよく残されていたと本当に驚いたのです。


江戸時代から安和の虎斑竹は土佐藩の中では知られていて山内家へ船を使って運ばれて行った記録は別の資料で見た事がありました。ところが、更に詳しい記載のある「安和村文書」には竹銀藪野取帳という竹材の取り扱いを記載した箇所があり、それを見ると当時の事が今に偲ばれて興味深いのです。文政五年(1822年)4月4日から始まる記述から見ていきますと、何と四十数名もの方のお名前が登場します。


この本をまとめられたのが45年も前の事ですから、まだ関係の方々に話を聞く事ができておらず詳しい内容についてはこれからなのですが、当時の安和で名前が残るだけでも、こんなに多くの人数が竹に関わっていたという事は虎竹が重要な地域の特産品であり、少なくとも200年近く前から地元の人達に守られ継承されてきた竹だという事の証です。


手にした本は、数十年も前のものとは思えないほど綺麗に保管されていました。竹虎が、この地の竹達とであって100年、それ以前の虎竹の里を知る貴重な資料となる一冊です。


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