昨日は雨が降ったり、止んだり、海の波は荒くないものの明らかに台風の接近を思わせる日頃とは違う空模様やったのです。近くの方の車に同乗させていただくと当たり前のように安和天満宮の虎竹謹製の御守護が車に吊るされちょります。天満宮の鳥居から正面を見上げると焼坂の山々の虎竹林を美しく眺める事ができますが、この特産の竹を御守護に使って頂けるとは本当にピッタリだと思うのです。
つい虎竹の話になり時代は江戸時代、土佐藩山内家の頃にまでさかのぼります。虎竹の里に汽車の線路が延びてきたのは1939年(昭和14年)、大きな港町で高知西部地域の物流の拠点でもあった須崎駅開通から遅れること15年後の事らしいのですが、それまでは竹の運搬はもっぱら船を使ったものでした。
地元の神社にも当時記録が残っていますが、そもそも昔から今のように竹林面積は広かったわけではありません。竹虎初代宇三郎が山主さんを一軒づつ説得して、地域の経済発展を説いた結果今に繋がっているのです。地域興しには「よそ者、若者、馬鹿者」と言われますが、大阪天王寺からやってきた竹材商だからこそ成し得た事かも知れません。
まあ、それにしても高知から横浜まで一日3回も充電しながら11日間、1000キロを走破したのに、何の故障もトラブルもありませんでした。心配しちょりました電気系統も全くアクシデントもなし、もちろん事故もなく安全に帰ってきましたので、虎竹交通安全御守護の御利益はなかなかのものながぜよ。
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