竹縄、竹を磨くのも竹

竹縄


「竹縄」と書いて「たかなわ」と読みます。自分が生まれるわずか10数年前まで、この竹縄は製作されいて最後まで竹縄作りがされていたのが埼玉県にある東秩父村にある集落だそうです。竹の歴史を辿ると本当に面白く興味深い事ばかりですが、九州、四国はじめ西日本に多いとばかり思っていた竹文化が意外に関東近辺にもあったことに驚きます。恐らくこれは現代のように流通の発達していなかった時代、日本一の大消費地である江戸の生活を支えるためだったかも知れません。


しかし、それにしてもこの竹縄は美しいぜよ。長く使われる事無く保管されていたにも関わらず、この艶やかさ、本来なら博物館などに展示されていても不思議ではない本物の竹縄を素手でさわれる事に感激したがです。


今回、民族文化研究所「竹縄のさと」という貴重な映像を拝見する機会がありました。竹縄の作り方を克明に映し出した記録映画ですが、まず特徴的だったのが竹縄作りが集落挙げての一大行事だったという事です。それも、そのはず竹縄作りに適した真竹や淡竹は若竹を伐採するのですが7月末から8月初めにかけてのわずか3日間しかないといいます。虎竹の伐採時期も長くはないと思っていましたが、それでも3ヶ月程度ある事を思えば、竹の性質上とは言うても短かすぎます。これは一時期に沢山の人手で一気に伐採する必要があったと思います。


竹縄


そして、油抜きの行程が凄いのです。もう圧倒されて思わず身を乗り出しました(笑)瞬きするのが惜しいくらいぞね。日本の竹文化の源流、恐らく竹細工の油抜き加工はこのように発展してきたのではないか、そんな風に思えてきます。小川の流れる窪地に伐採したばかりの青々とした竹を一列に並べ、その下から乾燥させた大麦の麦ワラで焼き上げるのです。これが、小麦でも他の素材でもダメで大麦のパッーと燃え上がる強烈な炎で竹を裏返しながら4~5分間炙ると油抜き加工は終わりです。まるで野焼きのような光景、しかし、これが昔はどこでも見られたものの、今では日本のどこでも行われていない竹加工なのです、本当にシビれました。


炙った竹は湯気がたちのぼりアツアツです、しかし職人さんたちは、その竹をすぐに手にとって割りはじめました。熱をもったうちだと真っ直ぐに割れるとの事で、手を小川の水に浸して冷ましながら仕事を続けます。


伐採する竹は今年生えた柔らかな若竹ばかりですので伐採するのもカマ一本、竹割も同じくカマ一本を起用に使われています。細く割った竹の事を「サッパ」と呼んでいましたが、こうして細く小割にした竹(サッパ)を乾燥させ秋まで屋根裏などで保管しておくのです。


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