「チャレンジラン横浜」高知1泊2日ご招待スペシャルツアープレゼント!

「チャレンジラン横浜」


今回の日本唯一の虎竹自動車プロジェクトはクラウドファンディングを活用させてもらって多くの方にご支援いただいたお話しは何回かさせて頂いたかと思います。その中で、一番の応援を頂戴した横浜市のヒロタリアンさんがの所まで今回虎竹ランドリーバスケットをお届けにあがるのですが、そのツアーの無事到着祈願といいますかヒロタリアンさんが物凄いプレゼント企画を用意して下さったのです。


それが、高知1泊2日ご招待スペシャルツアープレゼント!


本当に普通の旅行ではりあませんぞね。実はクラウドファンディングのリワード(お礼)として竹虎が用意させてもらっていた特別な高知ツアーで、皆様のお力添えで完成した竹トラッカーで空港までお出迎えにあがり、自分の一番のおすすめの牧野植物園や桂浜、高知城などを回るというツアーなのです。


ただ、竹トラッカーの移動性、安全性、天候など色々な事を考慮しますと、全ての行程を走行する事は出来かねるかと考えています。そこで、一番楽しんで頂けそうな行程のみの同乗となりますが、竹虎ならではの本当に他では絶対にご体感いただく事の出来ない、ご満足いただける旅行にさせて頂くつもりで自分も、こじゃんと(とても)楽しみにしちゅうがです。


チャレンジラン横浜のための竹トラッカー装備

竹トラッカーの装備(延長コード)


チャレンジラン横浜のためにイヤホン、マイク付のヘルメットと、バイク用ナビなどを用意しました。後の装については、それほど大袈裟に言うほどのものはありませんがドラム式の延長コードと予備の延長コードで50メートル近く携帯するようにしています。


そもそも竹トラッカーは全長2.5メートル、幅1メートルと車というには、なかりの小さいサイズですので普通車の駐車スペースの必要がないくらいなのです。コンビニさんなどで充電停車させていただく場合には出来る限り営業の邪魔にならないように隅のスペースを使わせてもらいたいと考えちょります。そこで延長コードも十分な長さ携帯するのです。


竹トラッカーの装備(イタリアンルーペ)


変わったところではカードサイズイタリアルーペ「eyeCard」なる眼鏡を使うようにしています。これは何かと言うとヘルメットをかぶっていながら手元の細かい文字を見なければならない時に非常に便利な道具ぜよ。


竹トラッカーの装備(鼻めがね、イタリアンルーペ)


ヘルメットを使うまで気づきませんでしたが、ヘルメットをかぶると顔に密着して手持ちの眼鏡をかける事ができません。眼鏡かけてバイク乗られちゅう方もいますので何かあるのだとは思いますが、とりあえず今回はこれを使う事にしました、ポリカーボネイト製でタフな素材というのも気に入っちゅうのです。


竹トラッカー装備(雨合羽)


そして、やはり雨対策。最初のテストランの時にバッテリーの初期不良があった事もあり、電源周りが実は一番の問題点です。電気自動車なので仕方の無い事ですろう。車の防水だけでなく、人間の防水もせねばなりません。


竹トラッカー装備(雨合羽)


スケジュール通りに行くためには雨でも当然走らねばなりませんが、通常の車のようにドアも窓もありませんのでバイクに乗るようにカッパ着用ぞね。


竹トラッカー装備(雨合羽)


やはり、安全を考えて道路で働く警備の皆さんが着られている反射素材の付いたカッパにしました。


竹トラッカー装備(雨合羽)


フードにも半分透明素材を使われていて視界を妨げないのもエイところです。まっこと、これなら雨のランディングも楽しみになるくらいですぞね。


竹トラッカー装備(雨用手袋)


また、両手には防水手袋、手くらいは雨に濡れても大丈夫のように思いがちですが、長い旅となります、やはり快適に走れる事は安全にも直結します。


竹トラッカー装備(長靴)


そして、足元には長靴...と思っていましたが、ちょうど仕事着など販売しているお店でいい具合のシューズを見つけました。


竹トラッカー装備(長靴)


長靴だと底が厚くて、通常の自動車よりずっと小さい竹トラッカーのアクセルとブレーキ操作が難しいと感じちょりました。


竹トラッカー装備(長靴)


このシューズなら雨は完璧に防ぎながら底が薄く、足裏の感触が伝わりやすいので雨の日の運転には最適なのです。


今回の「チャレンジラン横浜」は、毎日早朝4時スタートから目的地点への到着が夜10時と言う大変タイトなスケジュールで進みます。寄り道などしている暇はあまりないかと思っていますので今から想定できる範囲では準備をしたつもりですぞね。


「チャレンジラン横浜」の凄いバッテリー

虎竹自動車のナビと竹虎四代目


県外に車で行く時には必ずカーナビのお世話になっています。高知県でしたら例えば竹虎本社の前を通る国道56号線なら土佐湾に沿って真っ直ぐに一本道で他に迷いようがないくらいなのですが、県外に行くとなると道幅は広くなり、右に左に道が枝分かれしちょります。まだ、それだけなら良いのですが地下にもぐったり、高架になっていたり、道の先が見えないので何処に行くがやろうかか?とナビがないと戸惑いそうぜよ。


まあ、普通車であれば、別に高速道路に接続していようが、有料であろうが問題ありませんが今度の竹トラッカーは高速道路が走れません、うっかり道を間違えて高速などに入りでもしたら大変ぞね。最初は行く先もハッキリしているのだし、Googleマップなどを印刷して持って行けば良いくらいに簡単に考えちょりましたが、よくよく冷静に考えると初めての道ばかりだし、どうしてもカーナビは必要だと思ったのです。


虎竹自動車のカーナビ


ところが、竹トラッカーにはフロントガラスはあるものの両サイドの窓がありません。つまり雨が降ってきたら雨ざらしとなりますので自動車と名前は付いているもののバイクと同じ状態になってしまいます。そのため雨具と長靴を積んで走りますし、ナビにしても安価なモノもあるようですが、しっかりと完全防水できるバイク用タイプのものを購入しちゅうのです。


虎竹自動車のカーナビ、バッテリー


ただ、ひとつ問題があって、それが電源だったのです。竹トラッカーは電気自動車で走行距離40キロ~50キロに一度充電せねばならず、電気が減ることに神経を使っています。そこに、どれくらい電気を使うか分らないカーナビを繋ぐのは少しリスクがあるように思っていたのです。最初は車体本体のバッテリーを使うつもりでいましたが、暑い時期でもありますし、やはり安全策をとって別電源を用意する事にしました。


虎竹自動車持ち込みバッテリー


探してみると多少値段は張るもののコンパクトで凄い電気料の確保できそうな格好のよい電源があるではないですか、これはエイと思って購入しようとしましたが、どこの店舗でも欠品となっています。そこで、性能的にはもうひとつ下となりますが、同じようにコンパクトで軽量なタイプにしました。重さも一つの重要な要素です、少しでも車体重量を軽くして航続距離を伸ばしたいと思っているのです。


名前を「SUGOI BATTERY(スゴイバッテリー)」と言うのですが、本当に凄くて携帯電話なら70台充電できるパワーを持っています。ナビならどうか?と思い試してみますと竹トラッカーで一日移動するくらいは十分なスタミナがあるのです。とりあえず、これで車体本体バッテリー以外の電源も十分に確保できて、ひと安心しているのです。


40年ぶりの同級生、日本唯一の虎竹自動車プロジェクトのご縁

 
竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)、虎竹自動車(Tiger Bamboo car)


先日は、こじゃんと(とても)嬉しい事があったがぜよ。大阪から来られた朝日新聞社さんの取材で道路脇に虎竹自動車を長いこと停めちょりましたので色んな方に声をかけてもらうのですが、その中に何と40年ぶりの顔があったがです。小学校の時、隣町の須崎まで塾に通っていましたが、彼はその時に同じ教室で勉強していた辻くんでした。


竹虎四代目(山岸義浩)、虎竹自動車(Tiger Bamboo car)


辻くんは大学は早稲田に行ったほどの成績優秀な生徒でしたが、当時から勉強ができて羨望の的やったのでボクは良く覚えていて一目みて辻くんと分かったがです。一方、辻くんはボクの事をすっかり忘れちょりましたが、高知新聞さんに掲載いただいていた虎竹自動車を知ってくれていて、たまたまその竹トラッカーが道に停まっているのを見かけたので写真を撮ろうとカメラ片手に来てくれたのでした。お陰で懐かしいご縁が繋がった、竹トラッカーを作って本当に良かったと思うた瞬間でしたちや。


日本唯一の虎竹自動車プロジェクト(チャレンジラン横浜)行程表


写真の展覧会やコンテストで何度も入賞もされているという辻くんに撮ってもろうた写真はさすがに素晴らしいぜよ。あんまり良く撮れちょりますので焼き増しして額縁に入れて飾りたいくらいですがいよいよ詳しい走行スケジュール表も出来上がり来週の月曜日、8月1日には横浜に向かって走りだします、この地でしか成育しない不思議な虎竹で製作した自動車が実際に走る姿をご覧いただきたいのです。


一体どんな出会いが待っているのですろうか?スタート地点の虎竹の里と、ゴール地点の横浜とが点と点で繋がったように、人と人との繋がりが一つでも多くできたらと思いゆうがです。


NHKワールドTVの撮影

竹トラッカーNHK WORLD取材


NHKさんの番組の中で日本を海外に紹介するという主旨の「ワールドTV」というのがあるそうなのです。確か世界百何カ国かに配信されているとの事だったので恐らく海外旅行に行きそうな国では、ほとんど見る事のできるようですぞね。


竹虎本店 NHK WORLD取材


日本国内ではインターネットで観る事ができるしスマホ用のアプリもあるので意外にテレビよりも簡単に見やすいのかも知れないと思ったのです。


竹トラッカー NHK WORLD取材


その番組製作のために3日間の日程で東京から撮影の方々が来られちょりました。やはり、一番の目玉は来月一日に横浜に向けて出発する竹トラッカーの事だったのですが、虎竹の竹林や竹虎本社工場、本店の商品なども色々と撮影いただきました。


竹トラッカー取材


しかし、今回何が凄いかと言うと撮影するディレクターとカメラマンのこだわりです。竹トラッカーを置く場所を変え、方向を変え、カメラや照明を変え、徹底的に撮っていかれます、正直ここまで撮る必要があるのかと思うほどでしたけんど本気で良い絵が撮りたいという気迫が黙っていてもヒシヒシと伝わってきてこれは、凄い映像になるのではないかと楽しみにしているのです。


雨の虎竹林


3日目は、あいにくの雨でした。虎竹林の撮影予定だったので空模様を見ていましたが、芳しくないので雨の降る中の撮影でした。晴れて陽の光が差し込む竹林は素晴らしいものですが、雨の竹林もモヤがかかり何とも神秘的で思わず声があがる美しさぜよ。あまりの光景に雨にボタ濡れになっている事を忘れるほどでしたが、撮影されている方も濡れている事を全く気にしない集中力で虎竹と向き合ってくれているので本当に嬉しくなっちょりました。


日本唯一の虎竹の里


雨の竹林なので、いい加減にやめてという雰囲気が微塵もありません。大きな三脚を何度も動かし納得いくまで撮り続けます。熱いモノ作りへの思いは伝播します、こちらまで何とか良いモノができるようにと力になりたいと思ってくるものです。若い方々でしたが、遠いところ虎竹の里までお越しいただき学ばせてもらいましたぜよ、まっこと感謝ながです。




高祖父、山岸安兵衛の本政寺奉塔 その2

山岸義継、山岸靖一、山岸義浩


山岸家代々の事を調べていただいた山岸靖一さんが目の前に1917年に亡くなった安兵衛の野辺送りの参列者名簿を広げた瞬間にササッーと鳥肌が立ちました。「古谷」という名前が3名も書かれていたからです。


「古谷」は虎竹の里に多い姓であり、今でこそ車社会となり安和にも他の地域から人の行き来がありますが交通不便な当時は、ほとんどが「古谷姓」と言ってもよいほどだったそうです。大阪の大学に通っていた四年間でも、こちらで古谷姓を聞いたことは一度もありませんでした、きっと大阪ではそんなに頻繁に目にする姓ではないのではないでしょうか?それなのに、大阪での葬儀で、この人数の中に古谷が三名...!?


山岸安兵衛野辺送り参列名簿


案の定、父親に確認してもらうと三人とも虎竹の里の方々でした。大阪天王寺にあった曾祖父、宇三郎の竹工場には遠く安和から沢山の方が働きに来ていたといいます。虎竹が大阪に運ばれて来ただけではなく、竹の職人として人の交流も盛んにあったという100年以上も続いてきた虎竹の里の竹と山岸家の関係は、何度も話で聞かされてきた通りだったのです。


本政寺奉塔入用書


高祖父、山岸安兵衛の奉塔へは、始めて製作した虎竹自動車の報告と来週からスタートする「チャレンジラン横浜」の安全祈願という意味でも来させてもらっていましたが、このように古く自分達にとっては貴重な資料を拝見させて頂き更に強く感じる事になった事があります。


虎竹の里


虎竹の里は、何処にあるのですろうか?


虎竹の里は、地名や場所の事ではありません。そして同じように虎竹も自分達にとってはただ単に虎模様の浮き上がる珍しい竹という、それだけの事ではないのです。


高祖父、山岸安兵衛の本政寺奉塔

山岸安兵衛の本政寺奉塔


高祖父、山岸安兵衛は弘化3年(1846年)9月15日生まれで大正6年(1917年)に亡くなっていますが、亡くなる2年前の大正4年に建設した奉塔が大阪中央区の本政寺に残されちゅうのです。当時、これだけ立派な奉塔を立てられるというのは大きな商売をされていたのか何かだとも言われますので是非知りたいと、山岸家の家系図を調べられている遠縁の方に尋ねてみましたが随分と昔の事でもあり残念ながら色々と調べてみても分からなかったようです。


山岸安兵衛の本政寺奉塔


しかし今回、本政寺に移る前の菩提寺であった堺市月蔵寺への明治39年7月25日の永代お膳料や明治42年5月の常燈明、御膳料、そして大正4年の本政寺への奉塔建設に係る諸費用代など拝見させて頂きますとまったくお会いした事もない高祖父安兵衛の足跡を、ほんの少しだけでも垣間見られた気がして嬉しく思うがです。


山岸安兵衛の本政寺奉塔


竹虎は明治27年(1894年)に、その安兵衛の次男であった曾祖父、宇三郎が大阪天王寺にて創業しました。今は普通にどこにでもある洋傘ですが昔の日本は当然のことながら和傘でした。古い記録として残っている洋傘は文化元年(1804年)という事だそうなので当時も洋傘は少しはあったのかも知れませんが、まだまだ和傘、番傘が主流の時代です。傘は竹製でありましたので宇三郎はその材料を扱う竹材商として商売を始めたのです。


日本唯一の虎斑竹


しかし、創業間もないうちから虎竹と出会い、その竹の美しさに魅了され後に「竹亀」だった屋号が「竹虎」に変わってしまうほど虎竹にのめり込み、虎竹だけを専門に扱う竹屋になっていったと聞かされていました。何度も何度も大阪から虎竹の里に仕入れに来ているうちに知り合ったのが一番の山主の娘イト、自分の曾祖母になります。(つづく)


ああ、阿波別街道「日本唯一の虎竹自動車プロジェクト」

竹トラッカー


日本唯一の虎竹自動車プロジェクト「チャレンジラン横浜」は8/1日(月)朝9時より出発式を執りおこない、その後930キロ彼方の横浜を目指して走り出すことが決まりましたぜよ。今回の竹トラッカーの製作には本当に多くの方に関わっていただきました。自分の一人勝手な思いから始まったプロジェクトではありましたが、いつの間にか竹虎だけでなく、そして地元だけでもなく、もっと沢山の方の思いの一杯つまった車になったのではないかと思っています。


「日本唯一の虎竹自動車プロジェクト」竹トラッカー走行スケジュール


竹トラッカーは光岡自動車さんのLike-T3を本体にしちょります。実際の公道の走行には40~45キロ程度に一度は6時間の充電が必要です。この充電停車ポイントが決まらない事には、とうてい横浜など夢の又夢なので、この一週間は虎竹の里から横浜の廣田商事さんまでの点と点を繋ぐ充電ポイント決めに奔走していたのです。


しかし、一昨日のブログでもお話しさせて頂いたように終わってみれば当初思っていたよりもずっと皆様にスムーズに、ご支持頂くことができてお陰様で8/11日(木)のゴール地点横浜までの走行スケジュールを決めることができました。この予定表通りに走れるか?どうか?実際にやってみないと正直分かりませんが時間的な遅れが万が一あったとしても充電は絶対に必要ですのでルートはこの通りに進むしかありません。


「日本唯一の虎竹自動車プロジェクト」竹トラッカー走行


出発まであと1週間と少し...。実はまだまだ準備ができておらず焦りでジワリときているのですが、ここにきて更に不具合が発生してジャッキアップして調べたりしています。少し異音が気になっていたのですが、この後、前輪部分を覆う竹編みを切り取ってしまいましたぞね。また、見た目が変わった竹トラッカーなのです。


「日本唯一の虎竹自動車プロジェクト」竹トラッカー


さて、車体には変更がありましたが実は走行ルートにも変更がありましたぜよ。8/2日(火)に大豊町の充電ポイントFOREST&WATER 四国吉野川ベースから徳島県池田町を通り琴平方面に国道32号線を抜けて行くのですが、行き違いがあって池田町の充電ポイントが無くなったのです。


池田町からの吉野川を渡り坂道を登っていく阿波別街道は急な曲がりくねったカーブの続く山道です。ここの峠を越えないと四国から出ることはかないませんが、四国最後の難関という所でしょうか?峠道には当然の事ながら人家も少なく、充電ポイントなどはありません、次の充電ポイントは峠をくだった先の財田町にしかないのです。


このルートを通る時間帯は深夜なので少し難しいとは思っているのですが、このピンチをどうするのかっ!?もし、徳島県池田町で竹トラッカーを充電させてあげても構わない方がおられましたら是非ご一報いただきたいとお願いしているのです。


手に馴染む使い込んだ虎竹名刺入れ

虎竹名刺入れ刻印


新しい虎竹名刺入れに名前を刻印してみました、白竹や竹の集成材に刻印するのは違います。刻印する虎竹の模様も様々なので一概に言えないのですが虎竹の模様の中に墨入れの文字ですので、そう鮮明に見えるという事ではありません。しかし、それが返って渋い感じです。


虎竹名刺入れ


それにしても新しい虎竹名刺入れは手の感触も良く、いつも身近に置けるのが嬉しくなってきますにゃあ。思えば社会人になってから沢山の方にお会いさせていただく機会がありましたが初めての挨拶には必ず、この虎竹名刺入れを出して挨拶させてもらいました。


そして、日本唯一の虎竹の話になりますと、この名刺入れをご覧いただいて竹のお話しをさせていただく事も多いのです。まっこと心強いパートナーのようなものぜよ。


虎竹名刺入れ


少し考えがあって刻印をしたのですが、実は新しい名刺入れを使うつもりはありません。古い虎竹名刺入れは内側の革のあしらいなど使い勝手は新タイプに勝ることはないのですが数年使い込んだこの風合いは、明日や明後日に出てくるものではないからです。


新しい虎竹名刺入れの感触も良いのですが、慣れ親しんだ虎竹の手にしっくりくる感じは今までの思い出も染みこんだ分自分には手放せないものなのです。


日本唯一の虎竹自動車「チャレンジラン横浜」とコンビニ

コンビニ、ローソン


昨日は「田舎コンビニ構想」なるお話しをさせていただきました。今や毎日の暮らしに欠かせない存在のようになり、街で生活される方々でしたら一日に何度も利用する事もあるのではないかと思います。快適、便利というだけではなく、スイーツが美味しくなったと聞くようになり久しいですが最近ではハンバーグのようなレトルト食品の総菜まであって、それがなかなかのこだわりの食材で本当に美味しいと評判にもなっちゅうようです。


海外に行ってもセブンイレブンなどの看板を見ると自分のような田舎者でも安心して店に入る事ができますぞね。商品は日本とは全く違っていたりもするのですが、それでもコンビニがすっかり人々の心に定着して知らない間に大きな存在になっているようにも感じるがです。


コンビニ、セブンイレブン


今回の「チャレンジラン横浜」でも、このコンビニさんが成功の鍵を握っていると考えちょりました。それと言いますのも、電気自動車Like-T3を本体にしている虎竹自動車は航続距離が60キロとはなっていますが実際の公道では、せいぜい45~50キロ程度の距離を走ると電池切れが心配になってきます。


高知から横浜まで約930キロの道のりを走り切るには、数々の充電ポイントが必要となってきます。充電時間は一回6時間と短い時間ではありません。小さな車体とは言えでも、その間ずっと停車させておけるスペースも必要なことを考えれば、コンビニをおいて他に適当な場所は思いつきませんでした。


コンビニ、サークルK


広げた地図に、協力いただける友人知人の充電ポイントを書き込んで、あとの空白となって広がった面積をコンビニの点で繋ぐ作業が続きました。距離と駐車場などの条件から候補のお店を選ばさせてもらい電話をかけて竹虎の事をお話させていただきます。日本唯一の虎竹の事、そして今回の竹の自動車、クラウドファンディング、高知から930キロの旅路。


どこの誰とも知れない田舎の竹屋です。もしかしたらお仕事の邪魔になるからとお断りされる事が多いのかとも思っていました。ところが、もちろん「NO」というお返事のお店もあるのですが想像するよりもずっと親身になって話しを聞いてくださりました。中には自分達の挑戦に共感して喜んでいただける経営者の方や、ご自身の学生時代のお話ししてくださり応援すると快諾いただいたりして高知と横浜の点が沢山の善意の点で繋がったのです。道中のコンビニ経営者の皆様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです、ありがとうございます!


田舎コンビニ構想

虎竹の里、竹虎四代目


竹虎の本社前にあるローソンが今月一杯で閉店してしまうことになったのです。これを、青天の霹靂と言うのですろうか。まっことビックリしたのですが、高知市内方面から須崎、久礼、そして四万十町方面にまで高速道路が開通して、虎竹の里を通る国道56号線の交通量は以前とは比べものにならないくらい少なくなっているのです。決して車の台数が減っているという事ではありません、むしろゴールデンウィークや夏休みに四万十川方面に向かう車の量は以前よりも増えているのかも知れませんが、下道を通る方は本当に稀です。そうなると店の売り上げにも大きく影響が出て経営的には苦しい判断だったかと思いますので当然と言えば当然の事かも知れません。


しかし、その一方で10年前にこのお店ができると時を同じくして、自分が小さい頃からあった地元の駄菓子屋兼食料品店は無くなっちゅうのです。こちらのローソンさんには当社社員の昼ごはんや3時の休憩の缶コーヒーなど毎日のようにお世話になってきただけではなく、当社に来られたお客様なども頻繁に利用されてきましたので他の小売り店がなくなった今、この店舗が無くなると非常に不便となります。いえいえ、自分達はまだ車の運転もできるし近くのスーパーまで買い出しに行くこともできます。


竹虎本社工場


ところが、車を使えないお年寄り世代は本当に困ってしまうのではないかと思います。そして、これは自分達だけの話ではなく人口減の続く田舎が等しくかかえている課題ではなかろうかと考えます。街に出ると、ここにも、あそこにもコンビニがあって少し過剰気味にも見えますにゃあ。ところが、虎竹の里のように必要とされている場所には一軒もないと言うおかしな現状となっているのです。


そこで、自分の持論ではありますが「田舎コンビニ構想」の登場ぜよ。今のコンビニは何処でも24時間営業です、もちろんこれは何時でも開いていて利用する自分達としては助かります、道路も明るくて悪いことではないかも知れません。けんど、人が少なく効率の悪い田舎での営業は年中無休24時間でなくとも良いように思うのです。


全国チェーンのコンビニも田舎や過疎地域では早朝、深夜はお客様も少ないし、アルバイトの確保もままならない所があるとも聞きます。何も人の多い都会と同じように全ての面において一律にするのではなく柔軟に営業時間を対応できるようにするだけで、もしかしたら残すことのできる店舗もあるかも知れません。セブンイレブンも店名の由来は営業時間が朝7時から夜11時までだったからだと思います。もっと便利に、もっと便利にと利便性ばかりを追求してきましたが、これから人口の減っていく日本、そして特に顕著に減少があらわれる地方では、新しい考え方が必要な時期にきてはいないでしょうか。


当社前のローソンの前身はヤマザキデイリーストアで、当時は深夜0時なると店は閉まってしました。効率のよい経営で店舗運営を続けていく事ができるのであれば営業時間が短くなったとしても地域に暮らす人々にとっては、ずっと喜ばしい事なのです。


竹炭フレーバーウォーター

竹炭フレーバーウォーター、Bamboo charcoal


フレーバーウォーターなるもを知りましたぜよ。野菜や果物、あるいはスパイスなども水に入れて素材そのものの味わいを楽しめる水の事だそうです。シンプルで簡単なだけに美味しい水が欠かせないかと思いますが、水に入れた彩りのよい野菜、果物が美しく、そして美味しいとなれば、これは人気です。


実に様々なものがあって自由に楽しめるところが多くの方に受けている秘密だろうと思いますが、竹炭ミネラルウォーターを使ってシンプルにキュウリとレモンを入れてみましたら、これも簡単ながら汗のスッーーーとひきそうな涼しく気持ちのよい竹炭フレーバーウォーターの出来あがりなのです。


竹炭水出し茶、Bamboo charcoal


水出しコーヒーは熱を加えないので濁りがなく、スッキリした味わいがあった大好きなのですが最近はコーヒーのみならず水出しのお茶もあるのです。


お茶も熱で短時間に出したものと違い、時間をかけてゆっくり出しものは見た目もそうですが、味自体にも透明感を感じますにゃあ。汗をかいたグラスの冷たいお茶を片手に椅子に腰掛ければ外で鳴く蝉の声もエイものです。


夏は竹炭ミネラルウォーター

Bamboo charcoal、竹炭


竹炭(Bamboo charcoal)を入れてご飯を炊くと美味しいというお話しは良く聞くかと思いますが、汗をかいて飲料水を飲む機会の多い夏は竹炭ミネラルウォーターの出番なのです。もう、すっかり定着しているのでご存じの方ばかりと思っていましたら最高級竹炭にお問い合わせを頂いて飲料用といして竹炭の使い方をお話しさせてもらいました。


竹炭煮沸


竹炭は、こだわりの竹炭専用の土窯から出してサイズに切断したままの状態でお届けしています。そこで、まずご使用の前に5分間の煮沸をお願いしています。グツグツ煮える鍋の中で竹炭同士が当たってキンキンと小さな金属音が立てています。この音色が1000度の高温で焼き上げられた最高級竹炭の証ながぜよ。


竹炭ミネラルウォーター


取り出して冷ました竹炭をピッチャーに入れます。1リットルの水に約50グラムくらいが目安です。元々高知の水道水は水質が良いので、そこまで飲めないという事もないのですが竹炭を入れて一晩冷やしておくと又さらに断然美味しくなっていますぞね。レモンでも一絞りすれば、ゴクゴクゴクッ...それこそ他に何もいりません。


スーパーカミオカンデやKAGRA計画の現場で...!?スゴイぜよLike-T3

日本唯一の虎竹自動車


「カミオカンデ」や「スーパーカミオカンデ」という名前を聞いた事がありますろうか?物理や科学には全く不案内なので自分も詳しくは知りませんが良く耳にするので何やら壮大な実験をされていてるのだとは思っていました。


その場所が、岐阜県飛騨市神岡町にあるので「カミオカンデ」と呼ばれるようなのですが、神岡鉱山の地下深くにある施設は2002年のノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊博士の成果につながったと言いますのでやはり凄い施設のようです。「カミオカンデ」に続く宇宙素粒子研究施設「スーパーカミオカンデ」があり、さらに光や電磁波ではなくて、宇宙からの波動「重力波」をとらえようとした新しいKAGRA計画(大型低温重力波望遠鏡計画)なるものが進んでいるようです。


「重力波」をとらえる?果たして見えるものなのか?まったく理解できませんが大事なのはここからです。実は何を隠そう、この精密さを求められる世界最高峰の実験施設内で運搬車両として活躍するのが光岡自動車Like-T3ながぞね。性能や耐久性を認められないと、このような施設で採用される事はなかったと思います。本心を言えば最初の何度かのトラブルで少し不安に感じることもあったのですが、それは当社の不慣れさが原因でした。日本唯一の虎竹自動車の土台部分となったLike-T3への信頼度は高い、そして、竹の強さや、しなりには揺るぎない自信があります。


写真で拝見すると施設内は地下の細長いトンネルが続いています。ここでは空気を汚さない電気自動車が最適であろうし、また、数キロも続く施設内を行き来するのであれば、Like-T3の機動力、100キロの積載能力が十二分に発揮させると思うのです。第一線で今日も走っているであろう、あの車に虎竹自動車も負けてはいられないがぜよ。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)、横浜への道 その5

日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)


日本唯一の虎竹自動車プロジェクトはクラウドファンディングを使って全国から沢山のご支援をいただきました。その中でも横浜の廣田実様(ヒロタリアンさん)には、最初からずっと応援をいただき続けていました。この方の声援が自分にとっても大きな大きな力になり、クラウドファンディングを動かし、お陰で社内でも誰もが無理だと思い真剣に聞くことのなかったプロジェクトのスタートができたと言うても過言ではないのです。


ヒロタリアンさんの為に製作させていただいた虎竹ランドリーバスケットは、ただの虎竹ではありません。昨年の12月にわざわざ虎竹の里に来られてご自身の手で伐採し、山出しした特別な虎竹なのです。一般の方が焼坂の山に入り、虎竹を伐り出すなど恐らく100年前の初代宇三郎の時代からも無かったことではないかと思います。さらに竹虎の工場で職人に手ほどきを受けながら油抜きの加工までした、本当に他には無い竹材ながぜよ。


この竹を使って編んだ竹籠をどうしても横浜まで運んで行きたい...その気持ちだけで進めてきましたが、横浜までの距離と航続距離、充電時間などを冷静に計算してみると、かなり困難な道のりであることがようやく分かってきました。(やはり頭の血の巡りが悪いようぜよ)しかし、もちろん成功させる事しか考えちょりません。


日本ネット経済新聞掲載


まず困難な製作を乗り越えて虎竹の車を完成させた職人たちがいます。ある日突然トレーラーで運ばれてきたLike-T3に挑んで見事に竹の車を作り上げました。何よりヒロタリアンさんの他にもクラウドファンディングを通して134名様もの方に直接応援いただいています。先日は日本ネット経済新聞さんに掲載いただきました、このようなメディアの皆様にも取り上げて頂く中で今回のチャレンジを知ってもらい、ずっと見ていてくださっている沢山の方々もおられます。


「その人に乗り越えられない困難はやって来ない」と誰かに聞いた事がありますぞね。まだまだ手探りで行程表も、これからの段階なのですが、まあ何とかなるのです。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)、横浜への道 その4

竹トラッカー


さて、ニックネーム大募集させていただき、名前も「竹トラッカー」と決まった虎竹自動車ですが試し乗り当初は電気系統や足周りのトラブルがあっり、そちらの事に重点をおいていましたが走行自体には何とか問題がないようだとしたら、日本唯一の虎竹自動車プロジェクト成功の鍵を握るのは一体何でしょうか?


虎竹自動車メーター


そう、それはやはり航続距離ですろうか。光岡自動車さんのパンフレットにはLike-T3を「2名乗車の近距離用EV」と書かれていました。現在の技術では電気自動車の燃料であるリチウムイオンに限界があってフル充電した状態で約60キロの航続距離なのです。しかし、これは平地を40キロのスピードで連続走行した場合の数値であって、実際の道路は起伏もあれば信号などでの停車、発車もありますので航続距離は、せいぜい50キロと考えてテスト走行しちょります。


いつでも充電できる環境にある決まった地域を走る分にはこれで十分に活用できる性能ですが高知から横浜まで930キロもの距離を、一般道を走るとなると果たしてどうか...?


竹虎ヘルメット、地図


家庭用コンセントから充電できるのも、このLike-T3の素晴らしいところですが約6時間という充電時間もあります。道路状況やアクシデントに備えて連続走行は45キロ以内にとどめているのは、ガソリンスタンドで短時間に気軽に補給できる車と違い、家庭用とは言え長時間停車せねばならないという電気自動車の宿命で、そうそう簡単に燃料補給ができないからぜよ。


40キロから50キロに一度は充電のため6時間駐車という課題をどうするか、道路地図にらんで考えます。天候、初めて走る道路、そして今まで実際に走行した感触を考慮すると余力を残しながら走らねばならいなと思っています。そうすると更に大事をとって35キロごとに充電ポイントがあった方がよいか...日数が伸びるにゃあ...むむむ...片手にもったボールペンがポトリ...広げた地図の上に落ちました。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)、横浜への道 その3

虎竹自動車(Tiger Bamboo car)


1200年もの歴史を誇り、沢山の方々が延々と続く四国の遍路道を歩いてこられた訳なのですが、徳島から高知に入ると山、また、山の連続でさぞ大変なご苦労があった事と想像するのです。お遍路さの被る笠に「同行二人」とと書いていますが、これは弘法大師さまと一緒に歩いている、守ってもらっているとの言う意味だそうですが、その気持ちが少し分かります。


かっては、虎竹の里の焼坂の峠もそのようなお遍路さんにとって難所であったとお話させていただく機会もありますが、この峠を越えて久礼に入ると今度はすぐにこの七子峠が待ちかまえちゅうのです。


久礼坂第二トンネル


七子峠への国道56号は四万十方面への唯一の生活道なのに大雨が降ると土砂崩れの危険性があるとの事で度々通行止めとなっていました。そこで、2013年にようやく地元の念願であった高速道路が開通しちょります。自分も四万十方面に用がある場合には現在無料区間となっている事もあって必ず高速を使いますので、この道を走るのも本当に久しぶりの事でありました。


虎竹自動車(Tiger Bamboo car)と七子峠


曲がりくねった急勾配の道ではありますが、通行量が依然と比べものにならないくらい少なく非常に走りやすいにゃあ。日本唯一の虎竹自動車は速度が遅いので後続車を常に気にしながら走らねばなりませんが追い越し車線もありましたので、ほとんど道を譲ることもなく峠近くまでやって来ました。


左手には美しい太平洋が見えてきて、小さくて分かりづらいのですが幼い頃から親しんだ島々の形が見てとれるのです。


虎竹自動車(Tiger Bamboo car)と七子峠


車体や荷物の加重でLike-T3の走りがどうかと思っていましたが、さすが100キロの荷物を運ぶように考えられただけあってスピードは出ないものの力不足を感じる事は一度もありません。そうそう先日お話ししましたように有馬温泉でお客様の足として使用されているとの事ですが、有馬も急勾配の道が沢山あった事を思い出しました。坂道での性能については申し分ないと思うちゅうのです。




日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)、横浜への道 その2

光岡自動車(Like-T3)


日本唯一の虎竹自動車の本体となりました光岡自動車さんのLike-T3は電気自動車といえ100キロの積載量を誇ります。狭い路地などでの宅配用に考えられたというだけある高性能ですが、実際、有馬温泉では4人乗り用としても使用されていたりしてそのパワーは折り紙付きながぜよ。


ところが今回の「チャレンジラン横浜」では、車体重量が増えている事に加えて約10日間と想定している行程の荷物などの重さも馬鹿になりません。高知は84%が森林と言われている山の多い県であり、それゆえ何処に行くにせよ高知から県外に出るためには険しい山道を越さねばなりません。もちろん普通の車でしたら高速道路でスイスイ進めるところですが、残念ながら虎竹自動車では高速道路を走ることは出来ません。ずっと国道など下道を走っていかねばならないのです。


光岡自動車(Like-T3)日本唯一の虎竹自動車


実は、高速道路が完成して以来十数年通った事のない国道32号を久しぶりに車で走ってみましたぞね。昔は高松方面に行くにはこの道しかなく、学生の頃アルバイトで竹製品を満載した大型トラックの助手席にのりこみ大阪に運んでいく時、車体のエンジンが悲鳴のような唸り声を上げていた事を今でも思い出します。最初の難関は高知市から大豊に向かう標高395メートルの根曳峠(ねびきとうげ)、かっては、この峠を境に気候が変わるといわれた場所で、曲がりくねった急な坂道が続きます。


ちょうど、このルートは土佐藩の山内のお殿様が参勤交代で通った北山道でもあります。以前、高知から香川県までにも何カ所も本陣があるのを知って、当時の行程の大変さを思った事があります。地名にも新宮村という所には「腹包丁」という地名が残りますが、これは坂道が急なので刀を腹に回して登ったことに由来するそうですにゃあ。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)


まあ、それはさておき高速道路ばかり通ることに慣れてしまい、元々の国道の事をすっかり忘れてしまっていた事に改めて気づきます。しかし、こんどのチャレンジではこの道を通らねばなりません、そこで、日本唯一の虎竹自動車の走行性能を試す場所として選んだのが虎竹の里から西の走った所にある標高287メートルの七子峠、同じく曲がりくねった坂道の続く交通の難所と言われた道でやったがです。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)、横浜への道

日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)


日本唯一の虎竹自動車には、いつくかの困難がありました。その一つが、自動車としての機能面を考慮したり制約がある事ですが何せ初めてのチャレンジであり、どうしても車のカタチの完成を急ぐばかりに、その辺りの事がおざなりとなってしまった事があるがぜよ。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)製作


せっかく苦労して編み込んだ車体フロント部分を中央で切断せねばならなくなったのです。車の顔とも言える部分を切り裂かれて何とも無惨な姿となっています。前面左サイドに起動用バッテリーがあって点検や交換のため定期的に開閉できるように改良したのです。よく考えたら普通の自動車はボンネットを開けられるようになっていますが、同じような構造になったという事です。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)製作


このような一進一退を繰り返しましたので今回の虎竹自動車作製には最大時には4人もの職人が取りかかりながらも、竹虎に車体が届いてから半年以上もの時間を費やしてようやく完成をみせる事になったがぞね。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)製作


全面の切り取った部分を開閉出来るように、車でいうところのボンネット部分を虎竹で製作しています。ヘッドライトの入る所を丸く開けて編み込んでいますが、これは輪弧編みあるいは、うずら編みとも呼ばれる編み方で温泉竹籠"白竹温泉かごや白竹広口瓶などにも使われている技法、しかし、大きさが全く違います。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)製作


そして車体側はこんな感じで製作が進みました。虎竹ボンネットをはめ込められるように加工している途中の画像です、何かのメンテナンスで前面を外す事になれば、このような形にして整備ができるようになります。




納涼花火大会2016

高知納涼花火大会


「今年の納涼花火大会は行けんがですね...。」そう社員に言われてハッとしました。実は数年前から夏の暑い時期に頑張ってくれている労をねぎらいたいと思って毎年会社で部屋を借りて花火大会を楽しんでもらっていたのです。


ところが、今年は花火の日程と日本唯一の虎竹自動車プロジェクトで行く「チャレンジラン横浜」がちょうど重なっています。自分は車の事で頭がいっぱいで、すっかり花火の事など消え去っていたのですがこの一言で思い出して急いで会場の方に今年は残念ながらお断りする旨を伝えさせてもらったがぞね。


納涼花火大会ナイアガラの滝


数年前に予約させてもらう時には、常連の方の紹介をいただかねばならないほど人気のある場所でした。もしかしたら来年からは借りられないかも知れないとの係の方のお話しですが、そうなれば、そうなった時。もう自分が決めている事なので走りだしたら止められません。


納涼花火大会


腹に響くような大きな音と共に弾ける色鮮やかな美しい大輪の花。談笑や食事を持つ手すら思わず忘れてしまいそうな迫力の花火は本当に素晴らしいものです。


今年の夏は、この夜の花火は見ることがかなわないものの日本唯一の虎竹自動車プロジェクトという自分達にしか出来ない花火を打ち上げます。3尺玉に負けないような大きな花火で一人でも多くの方の笑顔が見られたらエイなあと思っています。


日本唯一の虎竹自動車ニックネームは一体!?

Like-T3、Tiger Bamboo car、竹虎四代目(山岸義浩)


思い起こせば昨年の11月でした、雨降る中、竹虎の工場前に到着したのは光岡自動車Like-T3。それまでも試乗も含めて何度かは見たことがありました、この日でも高まる期待感があり、わざわざ行っても何もできないことは知りながらも高知市内にある陸運局まで出迎えに行きましたので車体自体は十分に知っています。知っていますものの、やはりいよいよ虎竹の里の本社にやって来たLike-T3は違う車に見えたのでした。


汗をかいたかのように雨に濡れて黒光りする車を見ながら、これが一体どんな風に変わるのか?この時には皆目見当もつきませんでしたが、それは職人にしても同じ事で、あれこれ迷って全面車体カバーを外した頃には虎竹の伐採シーズンで忙しくなって結局そのまま年越しして今年の春先まで手つかずで来てしまうのです。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)、光岡自動車(Like-T3)


産みの苦しみを味わった虎竹自動車は、ご覧の通りの出来映え、何とか本当によくぞ出来あがったものだと思います。「虎竹自動車、虎竹自動車」と呼んでいますが、せっかくなので何か呼びやすいニックネームを募ってみたらと教えてもらって先月から大募集していましたが昨日の7月7日「竹の日」が最終の締め切り日となっていました。


昨日は天候に恵まれるかと期待していましたが、夕刻から雲が多くなり残念ながら夜空での彦星と織姫の久しぶりの出会いを見ることは叶いませんでしたが、虎竹自動車は皆様に愛されるような最適のネーミングに出会えることを願いつつ300通を超える応募作品を、ひとつひとつ吟味していきたいと思っているのです。


竹の日、2016年快晴

日本唯一虎竹の里


今日は7月7日、言わずと知れた七夕ですが、実はあの竹取物語の中で竹から生まれたかぐや姫の誕生日とも言われていて全日本竹産業連合会が30年前の1986年に「竹の日」として制定されています。そんな節目の日の日本唯一虎竹の里は梅雨シーズンとは思えないような快晴、にぎやかなセミの声が聞こえてきて夏日になりそうな気持ちの良い朝です。


虎竹の古里、焼坂の山から見下ろすと竹虎の工場も店舗も小さく見えます。新緑の山々に囲まれた目の前には須崎湾、その先には太平洋の雄大な水平線を見ることができて、本当にこの地域が狭いながらも南国の自然に恵まれた豊かな場所である事が分かるのです。


竹虎社員


焼坂峠の標高が228メートルですので驚くような高い山々が連なる訳ではありません。この峠を越して反対側へ下っていくと不思議な事に竹は全く見られなくなりますので、虎竹は、山の内側にだけ成育しているのです。


なるほど海に向かって両手を広げて受け止めているような格好ですので、高知大学の先生が海風も虎模様が付く要因のひとつとお話しされていた事に頷けますが、ハッキリした事は解明されていません。分かっている事は土佐藩の時代から、この地の竹が珍重され地域の人々によって大切に守られて来たこと。


竹虎社員


祖父や父からも、土地の古老や職人からも「誇り」を聞いたことはあまりありません。しかし、小さい頃から感じてきました。まだ大阪天王寺の竹材商であった初代宇三郎が珍しい虎模様に竹に心奪われてからわずか100年。虎竹の里は、その前からずっとここにあり、人の暮らしの共にあった事を竹の日の節目に思うのです。


熟練の竹皮草履職人だけの仕事とは

竹皮草履


風呂上がりサッパリと汗を流して脱衣場からリビングへと向かう足元には、いつもの竹皮草履があります。フローリングの上履きとして、沢山の方にご愛用いただけるようになっていますが特に雨が続くジメジメしたこの季節は、サラリとした履き心地の気持ち良さを心から実感できるのです。


昔の校舎は板張りの廊下に教室でしたので地元の小学校などでも、ずっと生徒たちの室内履きとしても活躍してきた竹皮草履です。当時の農家さんでは、草履も手作りする事もあったと聞きますが、草履と言えば普通はまずワラのものを思い浮かべるのではないかと思います。ところが、竹皮の草履はワラに比べて水にも強く長持ちするので人気が高かったのです。


それにしても、この竹皮編みの美しさはどうでしょうか?竹皮は乾燥させて保管しておいたものを水に戻し柔らかくしておいてから、細く短冊状にして編み込んでいきます。一枚一枚の細い竹皮がピシッと立って、編み目がしっかりと詰まっています。もともと全国各地で編まれていたものですので今でも地方で見かける事もあるのですが、これだけ完成度の高い竹編みにはまずお目にかかる事ができません。


この竹皮編みは竹皮ベルトスリッパに使われるもので、底にEVAスポンジを貼り付けますので草履の両端が歪んだりしないよう実は竹皮草履よりも更に熟練の技が要求されます。竹皮草履職人の中でも腕のよい職人にだけお願いできる仕事なのです。


竹林景観ネットワーク第18回研究発表会

竹林景観ネットワーク第18回研究発表会


昨年の年末に虎竹の里に来られていた竹林景観ネットワークさんの第18回研究発表会が開催されると聞いて参加させてもらっていました。全国の大学で竹を研究されている先生方、NPOが中心となった組織で森林行政機関からも協力をいただいておられるようですが、竹林の管理、竹の活用を通して美しい竹林保全を目指されています。


当社にお越しの際にも熱心なメンバーの方々がおられて感じ入ったことでしたが、今回の会場にもテーブル席が足りず補助席が会議質の後ろにズラリとならぶ盛況ぶりです。特に大学で竹について学ぶ学生さんの達の参加が多かったのには驚きと共に嬉しさを感じたのです。


竹林焼畑


竹は日本国内だけでも600種類以上があって、それぞれに様々な顔を持つだけに人の竹への関わりも千差万別ぜよ。次々に登壇される講師の先生方の講義を聴きながら、生命力が強く成長が早い竹を何とかしたいという共通の思いで色々な取り組みがなされ少しづつ成果が見えてきているように感じました。


塩素酸ナトリウム粒剤(クロレートS)という薬剤散布で竹林を押さえ込む研究までされていますが、一番印象的に残っている報告は竹の焼畑です。かっては鹿児島県などでは頻繁に行われていたそうですが、伐採した竹をそのまま同じ場所で処理できて更に後には畑として作物の収穫が出来るのであれば場所によって有効な活用方法のひとつと言えそうです。


大きな火になる事もあります、そんな話題の続きとしてポーラス竹炭のお話しも出ていました。竹林の中でそのまま竹炭を作るポーラス竹炭では自分も火災が気になっていたのですが以前、見学させていただいた時に竹林の立竹というのは簡単に火がつくようなものではないと知りました。厳重な注意と、十分な準備は必要ですが、しっかりした手順でやれば前々から確立されている技法でもあるのです。




竹林保全のテーマは、ずっと大きな関心事でもあります。抜本的な手だては、まだまだ無いのですが朧気ながらこれからの方向も見えてきた気がします。


日本唯一の虎竹自動車ニックネーム大募集

日本唯一虎竹自動車、本社前、光岡自動車(Like-T3)


お陰様で日本唯一の虎竹自動車は、少しづつではありますが皆様に知ってもらえるようにになってきました。先日、たまたま遠くから沢山の方にご覧いただく機会があり来社された方々とお話ししてみますと多くの方が竹への関心や興味を持たれていない訳ではないのだと感じます。


日本唯一虎竹自動車、本社前


若い世代では、さすがに少ないのですがご年配の方で田舎育ちの方でしたら当時は身近であった竹で遊び、タケノコを掘り、竹を仕事や生活の中で活用する事は当たり前の事でしたので竹に親しみを持たれる方は少なくないのです。


竹虎本社工場見学


また、竹を知らない若い方達であっても竹の良さに触れる事により竹製品を日々使いはじめるのを見ていると数千年の竹と日本人のとの関わりは、やはり浅からぬものがあるようです。日本の竹と言っても色々ありますので単純な事でもないのですが、竹が昔と比べてあまり顧みられる事がなくなってきた理由には竹に携わる自分達の責任が大きいのではないかと思っています。


日本唯一虎竹自動車、光岡自動車(Like-T3)


今回の虎竹自動車は地元のテレビ局さんや高知新聞さんに取り上げて頂いたお陰で行く先々で地元の皆様に声をかけてもらいます。こうして竹が注目される事など今まであまりなかった事ですので本当に嬉しく思います、そうそう、もっと皆様に愛着をもってもらいたいと思って只今コチラで愛称大募集しています、既に200通を超えるご応募をいただいていますが今月7日の「竹の日」までお待ちしておりますので何卒よろしくお願いいたします。


7月7日まで、日本唯一の虎竹自動車ニックネーム大募集はページのバナーをクリックしますと応募フォームに飛ぶ事ができます。


竹縄、竹を磨くのも竹 その2

竹縄コスリ


屋根裏に保管しておいた小割の竹(サッパ)を降ろして竹縄作りが始まるのは、秋の収穫が終わった頃から。次の年の春まで農閑期の大事な現金収入であったようです。竹シテ場と呼ばれる小川の水をせき止めて作られた水溜まりに小割竹を暖かい時期なら4~5日、冬場なら1週間程度漬け込み竹を柔らかくしていくのです。


柔らかくした竹の表皮を剥ぎ、次いで肉厚0.5ミリ程度に剥いでいきます。淡竹(ハチク)など比較的身の薄い竹は6枚くらい、肉厚の真竹だったりすると1枚の竹から12枚程度も取ることができると言いますので大変な技術です。そして、この薄く剥いだ竹を縒りながら長くつないでいく、更に3本縒りにして太い紐に仕上げていきます。竹繊維の粘りや切れにくさを日頃から知っているだけに製造工程を詳しく映し出している映像を見ながら、これなら強いはずだと思わず唸ってしまいます。


竹縄は室内での使用だと40年、50年と耐久性があったと言いますが、水にも強い竹の本領が発揮されたのは、井戸の釣瓶縄など水回りだったかも知れません。興味深いのは竹を半割にした足洗い下駄が登場していた事です。


時代劇などを観ていると宿場に到着した旅人が腰をおろして、まずすることが足を洗っています。靴で歩いていますと、あまり感じ無いのですが、鼻緒の履き物で歩いていますと雨ふりなどは特に足が汚れる事があります。未舗装の道路の当時なら尚更の事、一日歩いたら足は真っ黒ではなかったかと思います。そこで足洗い下駄なるものがあったようですが、ここでは半割竹の下駄に鼻緒は、この竹縄を付けていたのです。この竹下駄には感動しましたぜよ、竹に竹の鼻緒、こんな水に強い最強タッグはないからです。


竹縄の強さと信頼性の証となるエピソードがひとつ紹介されちょりました。お祭りの山車の土台の結束にも必ず竹縄が使われていたそうですが、山車の公道の通行許可を当時の警察が出す場合にも「結束は竹縄でされている事」が通行許可がおりる条件項目となっていたそうです。


このように強い竹縄は、これが竹であると言われないと分からないような惚れ惚れとする美しさぞね。ところが、この美しさの秘密はやはり竹にあるのです。できあがった竹縄は「コスリ」をして縄目を綺麗につぶしていますが、この時に使うものは粗く編まれた竹。


人が人の中でしか磨かれないように、竹も竹で磨いてこそ輝きだすのです。


竹縄、竹を磨くのも竹

竹縄


「竹縄」と書いて「たかなわ」と読みます。自分が生まれるわずか10数年前まで、この竹縄は製作されいて最後まで竹縄作りがされていたのが埼玉県にある東秩父村にある集落だそうです。竹の歴史を辿ると本当に面白く興味深い事ばかりですが、九州、四国はじめ西日本に多いとばかり思っていた竹文化が意外に関東近辺にもあったことに驚きます。恐らくこれは現代のように流通の発達していなかった時代、日本一の大消費地である江戸の生活を支えるためだったかも知れません。


しかし、それにしてもこの竹縄は美しいぜよ。長く使われる事無く保管されていたにも関わらず、この艶やかさ、本来なら博物館などに展示されていても不思議ではない本物の竹縄を素手でさわれる事に感激したがです。


今回、民族文化研究所「竹縄のさと」という貴重な映像を拝見する機会がありました。竹縄の作り方を克明に映し出した記録映画ですが、まず特徴的だったのが竹縄作りが集落挙げての一大行事だったという事です。それも、そのはず竹縄作りに適した真竹や淡竹は若竹を伐採するのですが7月末から8月初めにかけてのわずか3日間しかないといいます。虎竹の伐採時期も長くはないと思っていましたが、それでも3ヶ月程度ある事を思えば、竹の性質上とは言うても短かすぎます。これは一時期に沢山の人手で一気に伐採する必要があったと思います。


竹縄


そして、油抜きの行程が凄いのです。もう圧倒されて思わず身を乗り出しました(笑)瞬きするのが惜しいくらいぞね。日本の竹文化の源流、恐らく竹細工の油抜き加工はこのように発展してきたのではないか、そんな風に思えてきます。小川の流れる窪地に伐採したばかりの青々とした竹を一列に並べ、その下から乾燥させた大麦の麦ワラで焼き上げるのです。これが、小麦でも他の素材でもダメで大麦のパッーと燃え上がる強烈な炎で竹を裏返しながら4~5分間炙ると油抜き加工は終わりです。まるで野焼きのような光景、しかし、これが昔はどこでも見られたものの、今では日本のどこでも行われていない竹加工なのです、本当にシビれました。


炙った竹は湯気がたちのぼりアツアツです、しかし職人さんたちは、その竹をすぐに手にとって割りはじめました。熱をもったうちだと真っ直ぐに割れるとの事で、手を小川の水に浸して冷ましながら仕事を続けます。


伐採する竹は今年生えた柔らかな若竹ばかりですので伐採するのもカマ一本、竹割も同じくカマ一本を起用に使われています。細く割った竹の事を「サッパ」と呼んでいましたが、こうして細く小割にした竹(サッパ)を乾燥させ秋まで屋根裏などで保管しておくのです。