人間国宝、竹工芸家勝城蒼鳳さんは素晴らしいぞね。今まで何度かお会いさせて頂く機会があり、圧巻の作品を拝見させてもらいよりますけんど、ここまで思うようになったのは、温かなお人柄と、奥様と二人の製竹作業に触れてからですろうか。仲の良いご夫婦が、まるで散歩か野良仕事にでも行くかのような朗らかな表情が、周りの田園風景に溶け込んでいて、毎日の暮らしの中に竹があることを感じさせてくれるがです。
上映された映像の中では白い湯気を上げながら湯抜きした竹を近くを流れる小川で洗われています、何と長閑で心安らぐような光景やろうか。こうして二人して製竹した竹から、あの美しい竹編みが産み出されると思うたら、ますます魅了されるがぜよ。ご高名な竹芸家の方ではありますが、昔ながらの竹職人のように自然と共生しながら竹の仕事に携わられている姿に感動するがです。
そうしたら、何となく思い出す職人さんの姿があるがです。ナタ一本を腰に携えて近くの竹林に分け入り、自分好みの竹を伐り出して来る。長い竹を割ってヒゴ取りするのには広い庭先などが好都合なのです。腰をおろせば、そこが青空工房に早変わりぜよ。おもむろに立ち上がったかと思うたら、自宅の前を流れる川に沈めておいた材料の竹を引き上げに行かれます。春夏秋冬と四季を感じ、日照りや雨や風など天候に左右されながら編み出される生活の道具としての竹。
「民芸」という言葉がありますが、自分が心惹かれるのは「民具」。今では、ほとんど作られる事のなくなった竹籠達に囲まれちょったら、思い出す作り手の顔。そして、さらに遠い記憶にある、職人さんの背中があります。泊まり込んで納屋で一人黙々と仕事をされていた、あの方が作っていたのはキンマ。木製の大きなソリの事ですぞね、山の職人さんが虎竹の山出しに使うための物でした。
キンマが完成した、その家の友達は大喜びで、あぜ道を駆けて帰宅を急ぎよります。どうしてですろうか?最後の夜には完成のお祝いと、職人さんの仕事をねぎらうために日頃はあまり見る事のなかった、すき焼きが用意されちゅうからです。覗きに行くと、土間の向こうでグツグツと音をたてる鍋を笑顔の大人達が囲んでいました。
かっては竹の仕事もこうやって同じように村々を周り、その農家さんに必要な籠や笊を編んできた歴史があります。作る作物、暮らす人数、そのご家庭ごとに好みや使い勝手もあった事ですろう。背負い籠などは、背負う方の肩幅に合わせて作られよったと言いますきに、まさに竹のオーダーメイド。きっと仕事の終わる最後の夜には、幼い日に見たような心づくしの宴があったに違いないがです。
日本の竹の原点はここにあります。日本の竹文化の根っこを知ると、竹はもっともっと面白くなる。それは、取りも直さず日本の暮らしを、自分達自身を知る事だからです。
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