「三郎」と言えば何と言うても北島三郎ですろう。「風雪ながれ旅」「まつり」「北の漁場」「漁歌」...まだまだありますけんど挙げていたらキリがないほどの名曲を歌い上げられています。自分が車の中で聞く最高のCDを一枚だけ選べと言われたら迷う事なくサブちゃんですにゃあ。まっこと日本のソウルソングと言うてエイのではないかと思うちゅうのです。
まあ、それはさておき四国では、実はもう一人の三郎がおりますぜよ。これが誰かと言うたら人ではなく吉野川。高知県から徳島へ流れる一級河川ですが昔から日本三大暴れ川の一つと数えられ坂東太郎(利根川)、筑紫二郎(筑後川)そして四国三郎(吉野川)と呼ばれています。
川が大きいだけあって大雨が降ると治水工事の技術もあまり発達していなかった昔は洪水を繰り返していたと聞きます。徳島では藍染めが有名ですが、この藍栽培が盛んになったのは吉野川の氾濫で米作りがあまり出来ず、その代わり川の氾濫により肥沃な土壌になった土地が栽培に適していたからだと代々続く藍農家さんから聞いた事がありますぜよ。
そんな歴史も四国三郎の暴れぶりを物語ますが、高い堤防が築かれている今でも吉野川に沿って見事な竹林が続いちょります。昔は川沿いに多い竹を見て、竹は川に近い水の豊富な土地が好きなのだなあと何となく思いよりました。ところが、これが大違いで、実は竹が勝手に川沿いに生えている訳ではなく治水のために、わざわざ人が植えて管理しながら増やしてきたがぞね。
何も吉野川のような大河だけではありません。ほんの小さな流れの川原にも竹が、ずっと向こうまで茂る場所は日本各地にいくらでも見る事が出来るのです。日頃は美しい穏やかな水も、特に高知ように一時にバケツをひっくり返したような豪雨の降る地域では川の表情は一変し、ゴーゴーと凄まじい音を立てる程ですぞね。
治水技術に乏しかった時代、地面にしっかりとした強靱な根を張り巡らせ、天然の鉄筋コンクリートと呼ばれるような竹林は土地の暮らす人々にとっては、さぞ心強い味方として目に映っていたと思います。
四国や九州では川沿いには蓬莱竹(沈竹・チンチク)、その向こうの山には孟宗竹が植えられちゅう里山に良く出会います。護岸には株立ちで田畑に根を伸ばさない蓬莱竹、山には食用にも様々な用途にも使える大きな孟宗竹、それぞれの場所に繁る光景は先人の知恵と暮らしを感じます。まっこと美しい日本、いつまでも眺めていたくなるがぜよ。
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