渡辺竹清先生は祖父の代からの懇意にしていただく竹芸界の巨匠ぜよ。竹の世界で活躍されて来られた方は多いですが、ニューヨーク五番街のティファニー本店に竹の作品を提供され続けていた作家の方は渡辺先生だけですろう。
ニューヨークからオープンハート等のデザインで有名なエルサ・ペレッティ(Elsa Peretti)さんが来日された時のお話は何度聞いても愉快ですぜよ。ペレッティさんの名前をはじめて耳にされた時、先生は「レストランか何かか?」と言われたそうぜよ。けんど、そんな高名な世界をリードされる感性の方が日本の竹、渡辺竹清先生の技を選んだ事が嬉しく、誇りに思えてくるがです。
今回は先月にニューヨークJavits Centerで開催されちょりましたCOTERIE展の報告に寄せて頂きましたぞね。何と言うても、この虎竹バックニューヨーカーのプロジェクトは、まさにここから始まったがです。渡辺先生の工房は行く度に玄関飾りや、室内装飾に使われる竹籠が変わっちょります。ご自身の作品を飾られる事もあるし、交流のある竹作家の方の籠や盛器がある事もあります。この日も、ちょうどあの運命の竹バックが壁に飾られちょりました。
60年も前に開発されて、遠く太平洋を渡ってアメリカに輸出されていた竹バックです。白竹の色合いは美しい飴色となって独特の存在感を放ち続けています。壁に掛けられた、この面白い竹フレームの描く模様に引き寄せられるようにして手にした時の感動が蘇ります。あれから数年、ひとつひとつの点が線になり、ついにはデザインをされた小菅小竹堂さんに辿りつき、そしてニューヨークから帰ってきたバックが、本当にニューヨークの展示会に再び行ったのですから不思議なものぜよ。
自分が何をした訳でもありません、ただ思うただけ。けんど「思い」は凄いです。マンハッタンを颯爽と竹バックを持ったニューヨーカーが歩いていたと聞いて、それが虎竹だったら...思うた瞬間、目の前をエイローキャブ(アメリカのタクシー)が走りゆうきに、光よりも断然早い。そして、とうとう全米最大のファッションショーにまで行くのですから「思い」は大切やと思うのです。
嬉しかったのは渡辺竹清先生が、こじゃんと(とても)喜んでくださった事。
「ワシの部屋に飾ってあったものが、とうとう役に立ったか...」
祖父の名前が先生の口から出たとたん、熱いものがこみ上げてきて我慢できずに工房の隅に行って目が真っ赤になるまで泣きました。首の竹虎タオル(マフラーと言うてますが)は、こういう時にも使えるがぜよ。二代目義治は隣で聞きよりましたけんど、初代宇三郎は天上から見てくれちょったろうか?小菅小竹堂さんは、どうですろうか?ご自身が苦労されて創作した竹バックに再び光りが当たるとは思うてもなかったですろうか?
まっこと、皆さんにお会いしてお話したい事がいっぱいぜよ。けんど、まだまだ。まだまだ竹で出来る事を、もう少し竹をやらして頂いてから土産話持って行きますぜよ。
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