「可使食无肉、不可使居无竹」

安吉県


安吉県は竹林のある里山から街に出てきても竹への親密度を感じますぞね。だいたい二十年ぶりでしたので、その間の中国の経済発展は目覚ましかったのではないかと思いますが、以前に何度かお邪魔した時とは随分と違うちょります。


大きなビルや建物が建って夜の明るさが全く違うように思います。街は華やぎスターバックスも二軒ほどあると言われていました。早朝に街を歩くと、こんな格好の良い竹のデザインのガラスを見つけましたぜよ。いくら街が大きくなっても、安吉が竹の街である事には変わりはないがです。


安吉県レンタサイクル


レンタサイクルは世界各地に置かれてちゅうようですが、ここ中国でも例外ではありません。上海のような大きな街だけかと思いきや、しっかり安吉にも置かれちょります。けんど、これは誰が利用されるがやろうか?やはり観光に来られた方ですろうか、そんな風に思うのは街中を地元の方々が電気自転車に乗って沢山走っているからなのです。


電気自動車


最初は音もなく軽やかに走っているので一体どうやって進んでいるのかと思いよりました。電気と聞いて、注意してみたら電気自転車ばかりではなく三輪車の自動車もあるようです。電気で、しかも同じ三輪車とは...ちょうど竹虎でも取り組み真っ最中の日本唯一の虎竹自動車を思い出します。


けんど、この国でこれだけ電気自動車など手軽な乗り物が普及していることを思えばこれからの高齢化社会を迎える日本、特に地方などでは、電気自動車は、もっと広く活用される事になっていくがではないかと考えるのです。今度の日本唯一の虎竹自動車プロジェクトは、そんな一助になったらエイですにゃあ。


中国安吉県ビル工事現場


おっと、目の前に建設途中のビルがあったぜよ。これは香港などで見られるように、足場はきっと竹組に違いない...そう思う近づいてみました。


中国安吉県ビル工事現場


なんと、黒と黄色に色塗りされた骨組みは予想に反して鉄骨でしたちや。けんど足場部分にズラリと並べられているのは割竹、さすが期待を裏切らんがです。


中国安吉県ポスト


ふと、ホテルの前のポストに足が止まりました。日本では赤ですが、中国では緑...むむむっ!これは竹では!?投函口の下には竹の節らしきものまであるではないですか!?


色といい、形といい、竹の産地らしい安吉県ならではのポストやろうと思って地元の方に聞くと、中国のポストはこんな緑色で丸いようです。しかし、そもそも昔の文字は割竹に書いていましたし、ポストが竹でも何ら不思議ではないのですが詳しい方がおられたら是非お聞きしてみたいものですぞね(笑)


中国安吉県料理


筍の豊富な地域です、食事にも当然旬の筍が沢山使われちょります。竹は「衣食住」すべてに関わって人の役に立ち、人の暮らしを助けてきちゅうがぜよ。高知にも細く四角い形をした四方竹という竹が近年人気となっていて、近くのスーパーに並ぶだけではなく、県外にまで出荷されたりしていますが同じようなシャキシャキした触感の煮付けも美味しく頂きましたぞね。


以前、何回か見学に寄せてもらっていた頃、あまりに食事が美味しく何でも綺麗に食べるので「日本から来る方で、あなたくらい中国の料理を食べる人を見た事がない」と通訳の方が言いよりました。食堂がないような山の中では竹職人さんのご自宅で食事を頂いた事もありますが、中国は、どこに行っても食べ物が旨い、まっこと毎日これでもエイくらいですにゃあ。


「可使食无肉、不可使居无竹」


さて、料理の話題になったところで今回の中国では素晴らしい諺に出会うたがです。それが、「可使食无肉、不可使居无竹」。どういう意味かと言うと「食事で肉がないのは許せるが、暮らしに竹がないのは許せない。」というような事らしいです。


肉とは贅沢品の代表としての揶揄かと思います、質素な料理でも良いけれど、竹のない生活は出来ない。それほど竹と人との親密な関係をずっと続けてきた中国です。いえいえ、中国だけでなく台湾や韓国、そして広く竹の分布する東南アジア一帯はひとつの竹文化圏ですろう。


昨日のブログでも申し上げましたが「笑」という文字は「竹」と「二人(あなたと私)」から出来ています。継続利用可能な唯一の天然資源である竹には、それぞれの国を繋ぎ、人々を笑顔にする大いなる力があるように思えるのです。




中国浙江省の安吉竹海、「竹」+「二人」=「笑」

中国浙江省湖州市安吉県の竹林


中国の浙江省湖州市にある安吉県に久しぶりにお伺いする機会があったがです。竹の産地でもあり、竹の仕事に従事されている方も多くて、実に様々な竹製造の工場がある地域ですぞね。日本をはじめ世界に運ばれて行く中国の竹製品の多くは、この辺りの竹も多用されるのではないかと思います。


竹虎では海外製品の輸入はあまり考えた事はありませんが、海外から同じような製品が運ばれてきて価格では太刀打ちできず、こじゃんと(とても)大変やった時期があるがです。そこで、そんな日本の竹の現状を考えた時に、どうしても安吉県を中心とした中国の竹林や竹工場、竹職人さんを見たいと思い何度となく足を運んだ地域でもあるがです。


中国浙江省湖州市安吉県の竹山


今回は恐らく二十年ぶりの安吉県ではなかったですろうか。けんど、行く前から本当に楽しみにしていたのは、ずっと忘れる事のできない山全体を覆う竹林だったのです。中国の竹林面積は673万ヘクタールやそうです、日本が約16万ヘクタールですので何と42倍!国土の広さもありますが、とにかく日本とはスケールが違います。山裾から頂上まで全てが竹に覆われています!そしてその竹が遙か向こうの山々まで続いちょります。


広大な大陸と大自然のイメージを中国に持っていましたが、実は中国の森林資源は以外と少なく森林面積は世界平均の4分の1以下であり材木の半分を輸入に頼っているそうながです。わずか3ヶ月で親竹の大きさに成長し、3年で製品に活用できる竹が注目されちゅうのも頷けることですにゃあ。けんど、755万人もの方々が竹産業に従事されていると聞くと、日本の竹産業と、どうしても比べてしまって羨ましくもあるのです。


江西省の竹海(ちくかい)


INBAR(国際竹籐組織)のお名前を聞いたのは確か昨年9月に韓国潭陽で開催された第10回世界竹会議(World Bamboo Congress)ではなかったかと思います。このINBARの本部も中国にあって、竹の関する研究など進められゆうそうですが、これからの世界の竹は、ますます中国がリードしていく事は間違いないですろう。


竹は元々熱帯系の植物でもありますので中国での竹分布も福建省、江西省、浙江省など南に位置する各省で全竹林面積の約半分となるそうですが、その中でも江西省の竹海(ちくかい)と言われる写真があって見る事もできましたぜよ。このように竹林に覆われた山々が、がまるで竹の海のように広がっている光景に圧倒されると共に竹の大きな可能性を感じずにはおれません。


安吉県竹海


以前来た時に安吉県も周りが竹ばかりだったので職人さん竹海の話しを聞くと、このまま1週間車で走っても、ずっと同じような竹ばかりの景色だと笑っていた事を思い出しましたちや。この安吉竹海の他にも内陸の方に行った四川省宜賓の「蜀南竹海」という凄い竹海があると教えていただきました。映画「グリーンディスティニー」の舞台にもなった竹林と聞き、あの美しい竹林での戦いシーンを思い出し一度は行きたいなあと思うのですが、やはり中国は圧倒的に広い、そしてさすがに竹のルーツの国と感じるがです。


文字を書かれた竹


自分などは山裾から頂上まで広がる竹林のまさに「大海」に感動して、ずっと眺めていたい気持ちになりますけんど、このような竹海はどうして出来たのでしょうか?ある方に聞くと、昔からあったとだけ語られますが、いやいやそうではないですろう。もちろん、元々竹の生育に適した土地であり広い竹林があったと思いますが、それを竹職人が広げて来た歴史があるはずです。


そう、かって100年前に虎竹の里に初代宇三郎が初めて訪れた時から少しづつ虎竹の林を広げてきたように。中国の竹林も人に活用され、手入れされ続けてきて今のような姿になったのです。それが先に言いました竹産業従事者755万人という数字であり、竹産業総生産額1845億元(約3兆2000億円)という金額かと思うのです。


今回お伺いした安吉の竹工場の裏手には竹林が広がっています。あまりの美しさに誘われて少し山を登ってみる事にしたがです。そうすると所々の竹に何やら文字が書かれちょります。一体何やろうか?地元の方に聞いてみると、この竹の年齢と持ち主の名前が書かれているとの事です。竹林には複数の所有者がおられるようで、その目印のための物だったのです。かって日本でも里山の価値が高く、木材が今以上に財産であった時代には一本づつ所有者の氏名を書いていたと何かで読んだ事があるがですが、この地域の竹が今でも人々の暮らしに密着し、大切にされている証だと思うて感激しましたぜよ。


安吉の竹林での筍


竹が身近で生活にとけ込んでいる事は、一緒に案内してくれる地元の方々の言動からも伺えます。一人の女性が竹林に入ると聞いて喜んでツルハシのような道具を肩に担いで来られていました。ちょうど筍の季節という事で山に行ったついでに掘って来ようと言うのでした。


日本だったら筍を掘るどころか竹林に足を踏み入れたことの無い方も多いというのに、まっこと竹の本場ぜよ。筍を掘る手慣れた様子を拝見していると何とも言えない幸せな気持ちになってくるのです。ここには国境はない、あるのは「竹」と「人」と「笑」だけぞね。



これは犬矢来?

竹原市の犬矢来のように見える柵


犬矢来をご存じですろうか?言葉自体はご存じなくとも画像をご覧になられたら多くの方が見た事のあるものだと思います。京都の街角など古い町並みを残している地域では良く見る事ができるものですが、塀や軒下の足元部分に設えられている犬の小便除けのための物で駒寄と呼ばれたりもするがです。


竹を使うたものが一般的で、柔軟性を活かしてカーブを描いた割竹がずらりと遠くまで並んでいる姿は古都の町屋の象徴にようにもなってちょります。元々は実用性を考えて作られたものであるかと思いますが、まっこと風情があってエイものです。


竹の防護柵


さて先日、久しぶりに安芸の小京都と言われちょります竹原市に行く用事があったがです。NHK連続テレビ小説「マッサン」というドラマがありました。国産のウィスキー製造をはじめる物語の中に登場する、主人公の亀山政春の実家である造り酒屋もこの町にありますが、周辺には風情の趣のある街並が続いちょります。おっと、さすが小京都ぞね、犬矢来が続いちゅうにゃあ...と思っていたら、何と塀の際に深い溝がありますので、どうやら転落するのを防ぐ防護柵の役割をしているようでした。


竹の防護柵


けんど、それがずっと向こうまで続いていて昔ながらの街の景観と相まって素晴らしいのです。竹原という地名自体、もともと竹が多くて名付けられたと何かで読んだ事があります。自然の竹をそのまま使っていますので、金属や塩ビなど他の素材に比べますと耐久性では若干劣るものの、竹にまつわる地域で、こうして竹が活かされているのは本当に嬉しい事だと思いながら歩かせてもらったのです。


竹炭アイシングクッキー

竹炭アイシングクッキー(Bamboo charcoal powder)


アイシングクッキーというのは本当にエイものです。ただ食べるだけのお菓子だと思いよったものが、文字が書いてあってメッセージを伝えられる物になったり、可愛い動物の顔になっちょって和みの小物の役割をしたりします。甘い物が苦手な方にプレゼントする場合でも、たとえばゴルフが大好きな方にならゴルフクラブやゴルフボール、ゴルフシューズの形をした綺麗に色塗られたクッキーなら頂くと嬉しいのではないかと思うのです。


田舎者の自分は、このような洒落たクッキーは知るよしもなかったのですが、たまたま尊敬する社長さんがこのアイシングクッキーを製造されており何度か店舗に通っているうちに色々な楽しいお菓子があることを知ったがです。実は、もう数年前の事ですがお客様に配らせてもらいたいと思って虎竹模様をクッキーに描いた虎竹クッキーを作って頂いた事もあるがです。


けんど、別にプロのお菓子屋さんでなくとも水を混ぜるだけで簡単に絵や文字がかけるアイシングシュガーパウダーというものが売られていて、主婦の方やお菓子作りが好きな女性には人気もあるようですにゃあ。


竹炭パウダーを使ったスイーツ(Bamboo charcoal powder)


今回の竹虎スタッフの作る竹炭入りお菓子シリーズは、竹炭パウダー(Bamboo charcoal powder)をこのアイシングシュガーパウダーに混ぜて作られちゅうようですぞね。けんど、こうやって文字や絵を書けるようになったら本当に面白いですろう。まさに自分だけのオリジナルのスイーツの極みではないかと思うがです。


竹炭ベーグル(Bamboo charcoal powder)


竹炭を入れた生地を焼いて竹炭ベーグルを作った社員もおりましたが、黒いパンなど今まであまり見る事もありませんでしたのでインパクトが違うと言われちょりましたにゃあ。赤いトマトや、緑色のレタスとの彩りがマッチしていて面白いのです。


こうして竹炭を活かした色々なスイーツなどを作るのを見ていたら、竹虎としても何か出来そうな気がしてきます。一度機会をみてチャレンジしてみたいと思うて色々とアイデアを練っているのです。

造り酒屋さんに行く米揚げ笊

米揚げざる


昔は台所でお米を洗うのは全て竹ざるの役目やったのです。米研ぎざると呼ばれる米粒が落ちないほどの細やかな編み込み、そして、お米にも洗う素手にも優しい手触りでないといけませんので丁寧に取られた竹ヒゴで編まれた籠でした。炊飯の度に使う竹ざるでしたので、腕のよい熟練職人さんのものがお母様方から絶大な人気を誇った籠でもありました。


米研ぎざるとは別に少し大きめで、精米したお米を一端入れておいて熱を冷ますのに使われたり、酒屋さんで蒸したお米を運ぶのに使われてきた米揚げざるという竹籠もありますぞね。


飯籠


炊きあがったご飯を入れる飯籠という竹籠も、かってはどこのご家庭でも使われていたものです。大家族から核家族へと人数が少なくなるにつれ、飯籠のサイズも小さくなって現在では竹虎で販売させてもらっている飯籠も直径約25.5センチ程度のものですが、この籠と比べても先の米揚げざるの大きさが良くお分かりいただけるかと思うのです。


米あげざる


日本中、どこの里山に行っても身近に見ることのできる孟宗竹(もうそうだけ)は、竹籠にあまり使われなくなっちょりますが、昔ながらの伝統的な竹細工には身近で太く丈夫な孟宗竹が大活躍ぜよ。籠の芯の部分になる幅広の竹には孟宗竹が使われ、細い竹ヒゴ部分には細く割りやすい淡竹(はちく)で編まれた、まっこと合理的でもある竹籠なのです。


これだけ大きく、強く、美しい竹籠を編むことのできる職人さんは年々少なくなるばかりですけんど、匠と呼ばれる方は籠を小さくしても、大きくしても、同じように綺麗に編み上げる事ができますぞね。遠く北の造り酒屋さんで、これから使われる事になる米揚げ笊ですが、これらな日本全国どこに行っても堂々と胸が張れますろう。


梅干し、野菜干し用の竹籠

エビラ竹編み材料


高知県では昔からエビラと呼ばれてきた四角い木枠の付いた使い勝手のよい竹編み平籠がありました。養蚕の盛んな当時にはカイコ棚に使われて随分と活躍したものですが、養蚕をされなくなった後も農家さんなどの庭先では野菜を干したり、椎茸を干すのに重宝されているのを良く見かけるのです。


このエビラの竹編み部分は、網代編みであったり、粗い四ツ目編みだったり、あるいは六ツ目編みである事もありますぞね。現在製作しているのは、梅干しなど小さなものでも干す事ができるビッシリと編み目の詰まった網代編みの物ばかりですが、竹には旬があって寒い時期に伐採した良質な竹を使って細工をします。なので梅干しの土用干しは、まだ先の事ではありますが今からこうして竹編みは沢山製造しておいてあるのです。


金網のエビラ


いつの事だったか、静かな山村を歩いていた時に、エビラを谷川の水で洗われている農家さんに行き当たった事がありました。主に近くで栽培しておられる椎茸を干すのに使われているとの事でしたが、そのエビラは竹編みが使われておらず、木枠の内側には金属製の網が使われちょりました。


身近に沢山ある竹を活用されていないのは、ちっくと(少し)残念には感じましたが、竹職人さんがおられなくなって仕方ない事でもあったのかも知れません。しかし、こうして同じ形のものが今でも仕事の道具として生活の中で生きている事を見かける度本当に嬉しく思うのです。


磨き手提げ籠がイチオシ

真竹磨き手提げ籠


この真竹磨き手提げ籠は、本当に素晴らしいぜよ。もし、竹の買い物籠を探しておられる方がおられたら、まず一番にオススメしたいのがこの竹籠ですにゃあ。青竹の表皮を丁寧に薄く剥いで編まれていますので見た目にも、こじゃんと(とても)美しく、しかも表皮に近い竹の丈夫な部分だけで作られちゅうので耐久性もバツグンなのです。


真竹磨き手提げ籠


自分が磨き細工が好きな理由は度々お話させていただきよりますが、何というても深い飴色に変化していく風合いぞね。別にコレクターという訳ではないですが知らず知らずのうちに全国の磨きの竹籠が集まっちょりますが、近くに置いてある買い物籠として使える籠だけでも結構な数がありますにゃあ。


真竹磨き手提げ籠で買い物


たまの買い物に試しに使ってみる事もあるのです。この磨き手提げは持ち手を籐で巻かれていますが、磨きの竹は手触りも優しい独特な感触で大好きながです。こうして使っているうちに青々として見える色合いは、だんだんと落ち着いた色合いに変わってきますぜよ。


真竹磨き手提げ籠


今回の手提げ籠は前々からの職人さんの形から少しだけ幅を狭めてスリムな感じに編むようにしちょります。幅が広いと品物の出し入れに使いやすいのですが、何回か使うてみてほんの数センチだけ変更してもらいました。見た目も格好がエイし、何より持って歩いた感じが良かったのです。


派手さがなくて、一見どこにでもありそうな竹籠と思われますろうか?いえいえ、実はそうそうどこにもありません。飽きのこない形と深まる風合いで長く長くご愛用いただける伝統の竹手提げです。


木舞竹の載った高知新聞「壁の中を100年飾る」

木舞竹の載った高知新聞「壁の中を100年飾る」


先日の高知新聞をパラパラとめくっていますと近頃では見かけることの少なくなった木舞(こまい)竹を組んでいる写真に目がとまりましたぜよ。木舞は「小舞」と書かれる事もありますが、土壁の下地として割竹を柱と柱の間に組んでいくがですぞね。高知県は土佐漆喰などが有名ではありますが、県内でも建てられる住宅は大手ハウスメーカーの工場製造された家が多くなり土壁の家など、ほとんど無いのではないですろうか。そんな中、何と地元の須崎市に一人だけ残った木舞職人さんの特集記事が掲載されていたのです。


竹虎と同じ須崎市でも、この職人さんは浦ノ内の方のようです。虎竹の里とは東と西で一番遠く離れちゅうせいもあってか今まで存じあげませんでした。けんど50年以上もこの仕事に携わってきただけあって、とても70歳とは思えないような身のこなしが写真からも伝わってくるのです。


実は竹虎でも以前は木舞竹を大量に製造しよりました。虎竹の里の山々から山出しされる虎竹は、全てに虎模様があって商品にできる訳ではなく、色つきが良くなかったり、キズだったりする二級品の竹も大量にあったがです。そのような竹の多くは、規格の長さに切断し太さによって割幅を決めて全てこの木舞竹に加工しよりました。最盛期には毎週10トントラックに積みきれないほどの製造があり、ひっきりなしに京阪神の問屋さんに運ばれて行っていたのを思い出すがぞね。


住宅の変化に加えて、海外からも割竹が輸入されるようになって竹虎でも製造をやめて久しいのですが、こうして高知で木舞竹の文化が少しでも続いている事は、まっこと嬉しいがです。左官職人さんが入って壁を塗れば自分達の竹の仕事はすべて隠れて見えなくなってしまう、それなのに等間隔で並ぶ竹や見栄えにこだわるのは、さすがに本物の職人さんぜよ。


「壁の中を100年飾る」ご存じない方には少し分かりづらい見出しかも知れませんが、木舞職人さんの仕事を上手く表した素晴らしい見出しやと感心するがです。


ティファニーの巾着籠

ティファニーの巾着籠


ニューヨークのティファニー本店に一点だけ陳列されていた巾着籠を手にしながら、どうしても置いて帰る事ができませんでした。この竹編みは渡辺竹清先生の編まれた物ではないにせよ、元々は先生が手がけられていた籠であるし、かって先生が作品作りに精を出されていた時には、きっとこのような形で店頭に飾られ販売されていたかと想像していると、日本に持ち帰って、この事を竹巾着籠共々お伝えしたいと思ったのです。


ティファニーの巾着竹籠


網代編みの細やかな編み込みは漆でしっかり仕上げられちょります。渡辺先生の製作されていたパーティーバックは、丁度この底編みを二つ合わせたような形でした。デザイナーのペレッティさんのモチーフは日本に昔からあったお弁当箱と聞いた事がありますぜよ、それを知った後で、ふと入った骨董品店に古い弁当箱が置かれてあり、形がそっくりなので驚いて見た事があるがです。


先生からペレッティさんの事をお聞きしていたから、隅に置かれていた真っ黒に煤けた弁当箱の美しさに気づきましたが多くの場合は、自分達では何とも思わず見過ごしているのだと思います。そんな日本人が忘れさっている形の秀逸さに着眼されるとは、さすがに一流のデザイナーの方は凄い感性の持ち主だと思います。


エルサ・ペレッティさんサイン


巾着籠は、素晴らしく高級感あふれ仕上がりです。竹枠部分に渋い色合いのサインが入っていたり、生地や組紐までもこだわりを感じさせてくれる籠は、普通の巾着籠とは手に提げる感じは全く違うがぜよ。


また、ティファニーでは一目でそれと分かる色合いの紙箱や包装紙、袋を用意されちょります。田舎者の自分はブランド物のバックなどとは縁遠いですきに知りせんでしたが、後で聞くと高級ブランドのバックには購入された方が使わない時に入れて保管できるような巾着袋がついているそうですぞね。


現在、虎竹バックニューヨーカーに製作に取り組んでいますが、何かしらヒントになる事があるのではないか?そう考えながら竹虎らしい新しいバックにできればエイと思うちゅうのです。


渡辺竹清先生にニューヨークCOTERIE展の報告

渡辺竹清先生、竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)


渡辺竹清先生は祖父の代からの懇意にしていただく竹芸界の巨匠ぜよ。竹の世界で活躍されて来られた方は多いですが、ニューヨーク五番街のティファニー本店に竹の作品を提供され続けていた作家の方は渡辺先生だけですろう。


ニューヨークからオープンハート等のデザインで有名なエルサ・ペレッティ(Elsa Peretti)さんが来日された時のお話は何度聞いても愉快ですぜよ。ペレッティさんの名前をはじめて耳にされた時、先生は「レストランか何かか?」と言われたそうぜよ。けんど、そんな高名な世界をリードされる感性の方が日本の竹、渡辺竹清先生の技を選んだ事が嬉しく、誇りに思えてくるがです。


渡辺竹清先生の工房の壁飾り


今回は先月にニューヨークJavits Centerで開催されちょりましたCOTERIE展の報告に寄せて頂きましたぞね。何と言うても、この虎竹バックニューヨーカーのプロジェクトは、まさにここから始まったがです。渡辺先生の工房は行く度に玄関飾りや、室内装飾に使われる竹籠が変わっちょります。ご自身の作品を飾られる事もあるし、交流のある竹作家の方の籠や盛器がある事もあります。この日も、ちょうどあの運命の竹バックが壁に飾られちょりました。


60年も前に開発されて、遠く太平洋を渡ってアメリカに輸出されていた竹バックです。白竹の色合いは美しい飴色となって独特の存在感を放ち続けています。壁に掛けられた、この面白い竹フレームの描く模様に引き寄せられるようにして手にした時の感動が蘇ります。あれから数年、ひとつひとつの点が線になり、ついにはデザインをされた小菅小竹堂さんに辿りつき、そしてニューヨークから帰ってきたバックが、本当にニューヨークの展示会に再び行ったのですから不思議なものぜよ。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、COTERIE,作務衣,さむえ,SAMUE


自分が何をした訳でもありません、ただ思うただけ。けんど「思い」は凄いです。マンハッタンを颯爽と竹バックを持ったニューヨーカーが歩いていたと聞いて、それが虎竹だったら...思うた瞬間、目の前をエイローキャブ(アメリカのタクシー)が走りゆうきに、光よりも断然早い。そして、とうとう全米最大のファッションショーにまで行くのですから「思い」は大切やと思うのです。


渡辺竹清先生と虎竹バックニューヨーカー


嬉しかったのは渡辺竹清先生が、こじゃんと(とても)喜んでくださった事。


「ワシの部屋に飾ってあったものが、とうとう役に立ったか...」


祖父の名前が先生の口から出たとたん、熱いものがこみ上げてきて我慢できずに工房の隅に行って目が真っ赤になるまで泣きました。首の竹虎タオル(マフラーと言うてますが)は、こういう時にも使えるがぜよ。二代目義治は隣で聞きよりましたけんど、初代宇三郎は天上から見てくれちょったろうか?小菅小竹堂さんは、どうですろうか?ご自身が苦労されて創作した竹バックに再び光りが当たるとは思うてもなかったですろうか?


まっこと、皆さんにお会いしてお話したい事がいっぱいぜよ。けんど、まだまだ。まだまだ竹で出来る事を、もう少し竹をやらして頂いてから土産話持って行きますぜよ。


青竹踏みで、土踏まずをピンポイントで直撃

強力青竹踏み


土踏まずをピンポンイトで直撃とは一体どんな青竹踏みなのか!?疑問に思われる方もおられるかと思いますが別に普通に考えられる通りながです。通常の青竹踏みは孟宗竹という日本最大級の竹を使うて製作されちょりますので、7センチ~8.5センチ程度の幅があり、横から見ますとゆるやかなカーブを描き足裏の土踏まずに沿って全体に当たるように作られちょります。


はじめて使用される方や、初心者の方の中にはこれでも痛いと感じられる方がおられます。感じ方には個人差がありますので一概に言えません、慣れないうちは椅子に座って使用するなど工夫も必要ですぞね。


ところが慣れてくると気持ち良くなり、ムクミや疲れも取れるものですから段々ともっと強く足裏を刺激したくなってきます。自分なども青竹踏みの角部分をフミフミしよりましたが、ついには孟宗竹に比べて細身の真竹製の強力青竹踏み踏王(ふみお)くんを作って使うようになったのです。こちらは幅が5.5センチ~6.5センチと細く、しかも一本の竹を半割しているのではなく6:4で割っているので高さも十分。ギュッとピンポンイトで土踏まずに心地よい刺激を与えてくれるのです。


超強力青竹踏み


さて、この青竹は沢山伐採しますので中には生しく十分に乾燥できていない竹もあります。このような竹が工場の乾燥機では乾燥しきらずに、室内のエアコンや外部の要因によって急に縮まり更にキッュと丸まる事があるがぜよ。


縮んで丸くなった青竹踏みは売り物にはならないのですが実はこれが最高に足裏に気持ちよい「超強力青竹踏み」とでも呼びたいモノながです。画像にある、青竹踏みは自分が毎日愛用しているものですぞね、注意してご覧いただきますと普通の青竹踏み等とは比べモノにならない程丸く急な角度になっているのには、このような理由があるがです。


竹を熱湯消毒


今回、虫が食ったので熱湯消毒をすることにしたのでバケツに浸けちょります。竹は旬を選んで伐採していても薬剤処理などせず自然そのままの竹を使用するしたいので、十分注意していても虫が食う事があります。その場合には、このように熱湯を使うて退治するのが一番の方法ぜよ。


熱湯で竹の虫退治


竹を長い時間浸けておくと変色してしまいますので、ご存じ無い方がご覧になられるとビックリされるかも知れませんが、お湯から出して乾燥させておけば元通りの色合いに戻りますので全く心配など必要ありませんぞね。


実は、さっきまでもフミフミしちょりました。自分の場合には自宅にも会社にも、それぞれに置いて足の疲れを癒していますが、とにかく電話しながらや新聞に目を通しながら等、時間を有効に使いながら手軽に簡単にできるのが長続きする一番の理由やと思うのです。
それは日本でずっと昔から愛用され続けてきた理由でもあろうかと思うちょります。この手頃な伝統の健康器具を知らないという若い方も増えつつあるようですが、まず普通の青竹踏みからお試しされることをオススメしますぜよ。


日本唯一の虎竹自動車のシート

日本唯一の虎竹自動車シート(bamboo car)


日本唯一の虎竹自動車で、ステアリングの他にあと一つ気にかかっているのがあるがぞね。それがシートぜよ。これも無いと人が乗る事ができませんきにゃあ(笑)元の車体となった光岡自動車Like-T3は、2人乗りです。バイク型のシートが二つあるのですが、これもそれぞれ虎竹で編み込んで竹の柔らかくもしなやかな感じをお尻からも体感いただけるように考えちゅうのです。


もともとクッション性のあるシートに竹を編み込みましたので座った感触は最高です。実は、これで完成ではなく、虎竹のヒゴをまだまだ使って仕上げていく途中なので、出来あがりはもっと違う感じになりそうぞね。


日本唯一の虎竹自動車シート台座


シートを取り付ける台座は工場長がヒゴ取りして編み上げた細かい網代編み。同じ厚み、同じ幅の竹ヒゴを規則正しく編み込む技法、それに対してシートの方は太めの竹ヒゴを使って職人の感性のまま編み上げるヤタラ編みながです。ヤタラ編みは又の名前を乱れ編みとも言います、このシート部分が出来あがりましたら、対局にあるような竹編みの技の対比も一つの見所になることは間違いないですろう。


日本唯一の虎竹自動車シート、竹編込み下地


シートには背もたれも付いちょります。そこにも竹のあしらいをせねばなりませんので、まず下地となる編み込みを作ります。


日本唯一の虎竹自動車シート背もたれ


熟練の竹職人さんも、さすがにこのような仕事はやった事がないがです。手探りで試行錯誤しながらの製作ぞね、一端出来たかと思うたら、やはり気に入らずに最初からやり直すことも一度や二度ではないと言われます。本当に初めての竹仕事というのは大変、けんどそれだけに作り上げた時の感激や周りの皆さんの喜びも大きいのではないかと思っています。


日本唯一の虎竹自動車シート編込み竹職人(bamboo car)


下地の編み込みに竹ヒゴを差していきます。ヤタラ編みは設計図のようなものがあるワケではなく、編みながら形ほ整えて作り進めていく職人のカンと経験がものを言う編み方です。確かに難しい仕事ではありますが職人さんの頭の中には、ある程度形作られたものがあるようぜよ、手早い仕事ぶりを拝見しながら完成もそう遠い事ではないと嬉しくなってくるがです。


日本唯一の虎竹自動車シート竹ひご(bamboo car)


何気なく見ていると分からないのですが実は虎竹竹ヒゴは全て二枚になっちょります。薄い竹ヒゴを更に半分に割る事により、しなやかな竹を更に柔らかく使う事ができ、強度のある竹製品にする事ができるがです。今回の日本唯一の虎竹自動車には、このような外からは伺い知る事の出来ない伝統の竹の技が沢山隠されちょります。その秘密のベールを脱ぐ日はっ!?


大袈裟に言いよりますが、南国土佐は今日などすでに初夏のような陽気ちや。オープンカーのごとき日本唯一の虎竹自動車が疾走するには良い季節になろうとしています。


日本唯一の虎竹自動車のステアリング

日本唯一の虎竹自動車


今月末の完成を目指して頑張りよります日本唯一の虎竹自動車は、日を追うごとに少しづつではありますけんど竹の造形ができつつあり、本当に期待が高まりよりますぞね。先日のテレビ放映では映っていなかったものの、製作途中をしっかり撮って頂きましたがアナウンサーの方もカメラマンの方も本当に興味津々という感じが伝わってきて、これはしっかりしたものに仕上げないといけないと改めて思うたがです。


フロント周りやボディ部分の段取り、竹編みも既にだいたい決定しちょります。今度の日本唯一の虎竹自動車については自分はまったく製作に意見を出していません、工場の現場だけでどれだけやれるか自分達で試してもらいたいと思うていましたし、自分達がどれだけ凄い事を成そうとしているのか、なかなか分かりづらい様子でしたので職人達だけで考え、製作してもらいたかったがです。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、日本唯一の虎竹自動車のステアリング


工場長より、これからの構想を聞くと、後は造るだけという感じです。現場の職人だけで取り組み、創り上げられる竹の車。心から完成を待ちわびたいと思いながら、ふと見ると...むむっ!?このステアリングはどうするがぜよっ!?


まっことニコニコと機嫌良く笑っている場合ではないがです、当然、ハンドルも竹製にせねばなりません。どんどん出来あがっていきゆうのに、肝心のハンドルがないと車は走りませんぞねっ!


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、ビスタワークス研究所主催、高知県経営品質協議会総括セミナー


さて、そこで思い出すのが先週のビスタワークス研究所さん主催の高知県経営品質協議会総括セミナーですぞね。この勉強会で田舎者ながら少し講演をさせてもろうちょりましたが、その降壇後わざわざご挨拶にお越し頂いていたのがミロクテクノウッドさんという会社の社長様やったのです。実は、何を隠そう、あのトヨタレクサスの竹ステアリングを製作する素晴らしい会社様なのです!


高知産の孟宗竹を使うた製品開発をされているので、当然昔からお名前は存知上げていました。高知工業試験所にはミロクテクノウッドさんの製造された竹ステアリングが展示されているので行く度拝見もさせてもろうちょりました。ただ、自分達のような田舎の小さな竹屋とはあまり接点がありませんので、社長様とお会いさせていただいたのは、この時が初めてやったがぞね。


RKC高知放送こうちeye「あの値高知の竹を再発見!」


しかも、今週の月曜日に放映頂いたRKC高知放送こうちeye「あの値高知の竹を再発見!」で一緒に取り上げて頂いたのが、このミロクテクノウッドさん!番組を観ていたら先週名刺交換させてもらったばかりの社長様が登場されます!まっこと偶然というか、不思議な縁ぜよ!


早速、会社の方にお伺いさせていただく約束をさせてもろうちょります。規模も技術力も知名度も、格段に違う会社様ではありますが、同じ地元高知の竹を活用する志を同じくする同志であるかと思うちょります。まさか、レクサスの竹ステアリングを取り付けるワケにはいかないだろうと思いますが何かヒントは頂けるかも知れないと、こじゃんと(とても)楽しみにしちゅうがです。


「中国から、こんな田舎まで来たのは自分が初めてだろう?」

上海からのお客様


「中国から来た人で、こんな田舎まで来たのは自分が初めてだろう?」


まっこと、こんな言葉を聞いて驚きましたぞね。確かに高知県というのは国内の皆様の意識の中でも遠くて交通の便も悪い所となっているかと思います。四国四県の中でも太平洋側に面して県外からは四国山脈に遮られており、高速道路のトンネルが抜けた今でも、精神面では高い山々があるのかも知れませんにゃあ。


けんど、飛行機などでしたら東京、大阪、名古屋など都市部からは高知龍馬空港まですぐですし、一度来られた方は案外近いという事を知って、それから何度も来られたりするのです。やはり、最初の一歩がなかなか大変なのですろう。


虎竹の里は、そんな辺境の地のように思われている高知県でも更に中心地から離れた西部地域にあります。なので龍馬空港に着いて一番便利なのは、やはりレンタカーですぞね。これなら空港近くの南国インターから上がって交通量多くない高速道路をスイスイ走って1時間半程度でお越しいただけるのです。


上海からのお客様


今回、上海からいらしたお客様が、虎竹の里をえらく不便で遠い場所だと思われたのには公共交通機関であるバスやJRを使われたからでした。虎竹の里にある安和駅は線路から太平洋の美しい眺めが一望できる駅として鉄道マニアの方々には結構有名のようで、自分もいちど東京の山手線かどこかで安和駅が使われたポスターを見つけてビックリした事があるがぜよ。けんど、大自然が残っているだけあって急行列車の止まらない無人駅でもあり一日に数本だけ、時には一両だけの汽車が走っているような本当に長閑な田舎の駅ながです。


中国から遠くお越しになられたのは、日本でもここにしか生育しない虎斑竹をご覧になられる為でした。自分達は中国語はもちろん、英語もダメですきに、片言の英語や自動翻訳ソフトを使うたり、筆談したりと大変やったので考える余裕もありませんでした。けんど、皆様がお帰りになられた後でゆっくりと考えたら上海といえば誰も知る世界の大都市ですぞね。そんな所から来られたお客様が、自分達以外に海外から人など来るはずがないと思われるのも、もしかしたら仕方ないかにゃあと思ったりするがです。


そして、そんな不便な田舎と思われながらも、竹の本場であるはずの中国から、わざわざ前泊までして虎竹の里にお越しいただいた事に本当に感謝するがです。ありがとうございます!


RKC高知放送こうちeye今夜放送

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、RKC高知放送こうちeye、有吉都アナウンサー


昨日、虎竹の里にテレビ取材がお越しいただいちょりました。高知放送の有吉都アナウンサーは、地元でもこじゃんと(とても)人気がありますきに珍しく近くにおった社員が一緒に写真を撮りたいと言うて、まっことエイ記念になりましたぞね。


RKC高知放送こうちeye


この様子は、さっそく本日の午後6時15分からRKC高知放送こうちeyeにて「あの値高知の竹を再発見!」として放映頂ける事になっちょります。7分程度の枠があるそうなのですが、竹虎だけでなくトヨタレクサスの竹ステアリングで有名な南国市のミロクテクノウッドさんなども登場される竹一色の番組になりそうで、今から楽しみにしちゅうのです。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、RKC高知放送こうちeye取材


ただ、今回はひとつ気になるキーワードが出てきましたぞね。実はそれが「竹害」。たとえば高知市内なども分かりやすいので、お住まいの方は一度外に出られて北の山々を眺めてみて頂きたいがです。薄い黄緑色に見えているところが竹林ですので、意外に広い面積を占めている事がお分かりいただけるかと思うがです。ところが郡部だけでなく、人が多く暮らす里山にこそ竹は沢山あるのには理由があります。その竹のほとんどが孟宗竹(もうそうだけ)と言うて日本最大級の竹ですが、元々は江戸時代に中国から輸入された竹。筍も大きく食料としても昔から貴重なものだったですし、竹製品や建材としても太く長く丈夫、それでいて軽い竹は重宝されて日本全国津々浦々に広がったのです。


竹にも花が咲きますが、竹をイネ科とご存じでしょうか?まるで稲穂のような花が咲きますが、その開花周期は60年に一度、あるいは120年に一度と言われています。竹は地下茎で増えていくのです。つまり、現在日本全国に生えている孟宗竹は人の手により植えられ広げられたものばかりなのです。時代が移り日本人の生活環境の変化で、成長力の強い竹が増えて、まるで悪者のように言われちょりますが、それは全く違います。この事だけは皆様に知っていただきたい。「竹害」など、もっての他ちや。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、RKC高知放送こうちeye、日本唯一の虎竹自動車g


今回、今月末の完成を目標に製造中の日本唯一の虎竹自動車も取材いただきましたけんど、こんな一円にもならないものを走らせて一体何になると思う人もおられるかも知れん。けんど、この竹の車にも、かすかな未来を感じて頂いちゅうきにクラウドファンディングで350万円という大金が全国から寄せられたと思うがぜよ。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、有吉都アナウンサー


アナウンサーの有吉さんは都会のお生まれとの事です。けんど、日本唯一の虎竹の里の竹林に入ってもらいたかったがです。今まで竹など関心がなく、触った事のない若い皆様でも、ここに来れば分かると思うちゅうきです。日本人と竹は長く深い付き合いがあり、衣食住に竹がありました。


竹虎はサステナブルブランドを目指しよります。竹は継続利用可能な唯一の天然資源ぜよ。こんな素晴らしい大自然からの贈り者を活用していない自分達に責任があるがです。


一枚が二枚、二枚が四枚、竹ヒゴ分身の術

竹剥ぎ機械


竹細工を機械化する試みは昔から色々とされてきちょります。竹は、ご存じのように中が空洞となっています。丸いように思われていますが一本一本形が微妙に違いますし、堅さなど性質もそれぞれ違うていたりします。身の部分が薄く木材のように角材にして一定の規格にはなりにくく実は機械化が本当に難しい素材ながです。


それでも大量に製造する竹製品では職人の手だけでは、どうしても足らず何とか機械化をしたいと試行錯誤を繰り返してきたお陰で竹ヒゴを取る工程では実用化されている物があるのです。


竹剥ぎ機械


ところが先日は凄い機械を拝見させてもらいましたぜよ。竹ヒゴを取る機械は割竹をローラに挟んで刃物をあてがい一枚の竹を二枚に剥いでいくのですが、この機械は二枚に剥がれた竹ヒゴが、それぞれ別々の鉄製の四角い筒に吸い込まれていくがです。


竹剥ぎ機械


二本の筒は横にしたV字型になって、それぞれ筒の先には更にローラーが待ちかまえちょります。つまり、第一番目のローラーで二枚に剥がれた竹ヒゴは、第二番目のローラで更に薄く二枚に剥がれるという事なのです。


竹剥ぎ機械


同じような機械は多くの竹工場で見ることができますぜよ。竹虎にもあって枝折り戸に使う剥ぎ竹は、この機械を使うて加工されよります。竹を割ったままの一本の竹ヒゴは厚みがあり、そのままで細工に使う事はできません。竹表皮部分だけを使用しますので、身の部分を剥いで薄く柔らかなヒゴにしていくのです。


しかし、普通の機械であれば竹表皮部分、身部分がそれぞれ出てくる所が二段あれば足りますのに、ここの機械は倍の四段にもなっちょります。一枚の竹が二枚、二枚が四枚、まさに竹ヒゴ分身の術ぜよ。「必要は発明の母」と言われます。このような大量に竹ヒゴを取ることのできる機械が考案されたのは、それだれ製品が求められちょった証かと思います。フル稼働していた頃の、竹の黄金期を思いながら、この場所からなかなか動く事はできなかったがです。


続・強力青竹踏みについて

青竹踏み原材料


青竹踏みのお話の続きですが、そもそも竹は丸くありませんぞね。普通に考えれば竹林にある竹は全て丸いように思われちょりますが、綺麗な丸い竹などそうそうないのです。そして、もっと言うなれば真っ直ぐな竹というのも実はありません。


青竹踏みに関してですと楕円のような形ですと高さが揃わず製品にはなりづらいがです。形ばかりではありませんぜよ、青竹踏みには竹節を2カ所入れるようされちょります。これは、強度的な事を考えての事ですが、細かくこのようにしていきますと沢山あるように見える竹ですが、太さ、形、節間、厚み、色つや、キズと選別すればするとほど少なくなり実際には驚く程少量しか製造できなくなるがです。


自分は自宅にも職場にも複数置いてフミフミ常連ですので、よく分かるのですが太さが違うと踏み心地が違いますし、竹の厚みなども強さに関係しますので竹の選別は大事です。ただ、手軽に毎日ご愛用いただける青竹踏みはお求めやすい価格も重要ですきに多少の色つややキズ等、使用感には関係ない部分では妥協せねばならないと考えちょります。竹には自然のシミなどが入っているものもありますし十分に乾燥させていたつもりでも裏面にカビのような、拭いても取れない汚れも付く事があります。けんど、丸竹を半割しただけのシンプルで形の残った製品だから良くお分かりいただけるかと思いますがこれが自然の竹なのです。


ところで強力青竹踏みの「強力」とは何の事ですろうか?これは、普通の青竹踏みが竹を半割にしているのに対して、「強力」の方は6:4に割っているのです。普通の青竹踏みは太い孟宗竹を使いますが、「強力」は直径にすると3センチ程度細い真竹を使います。細く、高くして足裏の一点にギューーーとピンポイントで当たるようにしたのが「強力青竹踏み踏王(ふみお)くん」ながぜよ。1本の竹から2個できる青竹踏みに比べて、1本から1個しか製造できないので割りが悪いがですが、普通の青竹踏みでは満足できなくなった上級者の方を中心に熱烈なご支持をいただいちゅうのです。まあ、その一人が何を隠そう自分ですが(笑)


ありそうで、なかなか無い「強力」は、元々竹虎社員からのアイデアやったです。やはり竹を愛して、毎日使う中からこのような声は生まれてくるですにゃあ。


強力青竹踏みについて

強力青竹踏み


竹に囲まれて育ち、大人になっても周りが竹ばかりの環境におりますので竹の事について普通の方との意識の差があるのではないかと感じる事が多々あるがです。意識と言うか、認識の違いなのですがまあ、あっても然るべきですし、そう問題もないように思う事もあります。けんど、やはり竹の商売をさせて頂きゆう以上は自分たちと、一般の方との竹に対する知識の差は知っておかねばなりませんぞね。


竹に対する意識というのはご年配の方でしたら若い頃には今とは違うて、もっと身近な素材だったと思いますし竹林に入ったり、竹を伐採したりされた事のある方もいたりして竹の扱いを心得られている方がおられます。ところが、やはり若い方となりますと竹製品などには縁遠いですし、竹林は景色として眺める事はあっても山に生える竹を触った事などない方がほとんどぜよ。


青竹踏みは昔から日本にある、本当に手軽な健康法のひとつやと思います。竹を半割にしたものをフミフミすると、土踏まずへの刺激が気持ちよく、足のむくみや疲れが取れるがです。自分のでは今でも日本中のご家庭に一本はあって、愛用されちゅうのではないか?勝手にそのように思いよりましたが、どうもそうではないようですぞね。


特に若い方に聞くと、そもそも青竹踏みを知らない方が半分おられます。自然の竹そのままを活用したシンプルな商品ですし、お求めやすい価格であり、また誰でも、いつでも、どこでも使える手軽さですので竹を知らない世代の方に、まず竹を知っていただくにはピッタリの商品だと考えちゅうのです。


世の中はどんどん進んで便利になり、変わっていきますが、時代がいくら過ぎようともたとえば人の足の疲れなどは昔と何ら変わらないのではないですろうか?そして、その疲れに、昔から変わることなく身近にある竹がお役に立てる事は素晴らしい事ですろう。以前、国際線のキャンビンアテンダントの方が機内のお仕事でむくんだ足を青竹踏みを使う事により解消された話がありました。フミフミした後には、まるで自分の靴ではないほどブカブカになるくらいムクミが取れたとの事でした。


このように現代の生活でも、いえいえ現代の生活だからこそ、自然の竹が求められちゅうと思うがですが、この竹を半割しただけの簡単に見える青竹踏みひとつにも、竹を伐採する職人さん、竹材加工する職人さん、加工される職人さんと複数の手が関わり一つの品物が出来あがっちょります。そして、簡単には見えますが、なかなか製造には容易ならざる所もあるのです。


おっと、強力青竹踏みのお話をさせて頂くつもりが何ちゃあ出来なかったですにゃあ。何が「強力」なのか?それは又明日の30年ブログでお話させてもらいたいがです。(つづく)


人間国宝、竹工芸家勝城蒼鳳さん

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、勝城蒼鳳


人間国宝、竹工芸家勝城蒼鳳さんは素晴らしいぞね。今まで何度かお会いさせて頂く機会があり、圧巻の作品を拝見させてもらいよりますけんど、ここまで思うようになったのは、温かなお人柄と、奥様と二人の製竹作業に触れてからですろうか。仲の良いご夫婦が、まるで散歩か野良仕事にでも行くかのような朗らかな表情が、周りの田園風景に溶け込んでいて、毎日の暮らしの中に竹があることを感じさせてくれるがです。


上映された映像の中では白い湯気を上げながら湯抜きした竹を近くを流れる小川で洗われています、何と長閑で心安らぐような光景やろうか。こうして二人して製竹した竹から、あの美しい竹編みが産み出されると思うたら、ますます魅了されるがぜよ。ご高名な竹芸家の方ではありますが、昔ながらの竹職人のように自然と共生しながら竹の仕事に携わられている姿に感動するがです。


そうしたら、何となく思い出す職人さんの姿があるがです。ナタ一本を腰に携えて近くの竹林に分け入り、自分好みの竹を伐り出して来る。長い竹を割ってヒゴ取りするのには広い庭先などが好都合なのです。腰をおろせば、そこが青空工房に早変わりぜよ。おもむろに立ち上がったかと思うたら、自宅の前を流れる川に沈めておいた材料の竹を引き上げに行かれます。春夏秋冬と四季を感じ、日照りや雨や風など天候に左右されながら編み出される生活の道具としての竹。


「民芸」という言葉がありますが、自分が心惹かれるのは「民具」。今では、ほとんど作られる事のなくなった竹籠達に囲まれちょったら、思い出す作り手の顔。そして、さらに遠い記憶にある、職人さんの背中があります。泊まり込んで納屋で一人黙々と仕事をされていた、あの方が作っていたのはキンマ。木製の大きなソリの事ですぞね、山の職人さんが虎竹の山出しに使うための物でした。


キンマが完成した、その家の友達は大喜びで、あぜ道を駆けて帰宅を急ぎよります。どうしてですろうか?最後の夜には完成のお祝いと、職人さんの仕事をねぎらうために日頃はあまり見る事のなかった、すき焼きが用意されちゅうからです。覗きに行くと、土間の向こうでグツグツと音をたてる鍋を笑顔の大人達が囲んでいました。


かっては竹の仕事もこうやって同じように村々を周り、その農家さんに必要な籠や笊を編んできた歴史があります。作る作物、暮らす人数、そのご家庭ごとに好みや使い勝手もあった事ですろう。背負い籠などは、背負う方の肩幅に合わせて作られよったと言いますきに、まさに竹のオーダーメイド。きっと仕事の終わる最後の夜には、幼い日に見たような心づくしの宴があったに違いないがです。


日本の竹の原点はここにあります。日本の竹文化の根っこを知ると、竹はもっともっと面白くなる。それは、取りも直さず日本の暮らしを、自分達自身を知る事だからです。


高知新聞さんへの感謝の声

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)ニューヨークCOTERIE、高知新聞掲載


先のニューヨークはJavits Centerで開催されちょりました全米最大のファッション展示会COTERIE(コーテリー)展に参加させて頂いている様子を高知新聞さんに掲載いただきましたぜよ。「虎斑竹バック 米で手応えNY展示会で注目集める」と格好のエイ見出しを書いて頂いちゅうがですが、確かに「アメージング!」「ワンダフル!」とのお声は思うより以上に沢山いただきましたけんど、その声にお応えしていくのには、まだまだ課題もあって自分達の挑戦は、今から始まるように思っているのです。


しかし、ともあれ地元の高知新聞さんには本当にお世話になっちょります。虎竹バックを、ニューヨーク在住の中野和代先生と一緒になり、これから創っていこうという時に「虎斑竹バッグ世界に発信」という記事で一度掲載いただきました。


そして、虎竹バックが完成して、まさにこれからニューヨークの展示会に向けて出発しようとする前に「虎斑竹バッグ新装完了」と載せてもろうたがです。


まさか、展示会から帰国してから再度このように掲載を頂けるとは思うても見なかった事で感謝の気持ちでいっぱいですけんど、それだけ今回の竹の発信が多くの方の心に響きゆうからかも知れませんにゃあ。この虎竹バックには60年前からのストーリーがあり、日本の竹文化の変遷を考えてもらえる絶好の象徴のように思えました。伝統の技を守りつつ素晴らしい竹細工をして頂く職人さんや、日本には他にいないと言われる手作り金具職人さん、沢山のモノづくりに関わる皆様の力が結集された今回の虎竹バックながです。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、マスコミ掲載


それにしても地元の高知新聞さんには、いつもいつも助けて頂いてばかりです。何かとあれば掲載いただいて自分たちのような田舎の小さな竹屋を応援いただいきますので、その都度いつかは恩返しできるように、地域にもっと光を当てられるような会社にならねばと心に誓うがぜよ。


高知新聞に載って嬉しい事は、近くの竹職人さんや内職の方々が皆さんご購読されている事です。高知県は民放が3つになりテレビチャンネルが増えたとは言え、まだまだ映らない番組なども多いですぞね。だから、都会で流行っているような番組よりも地元新聞紙に取り上げていただく事が嬉しい事があるがです。最近の若い方は新聞を読む方が少ないとも聞きますが、職人さんの仕事場には高知新聞はいつでもあって県民共通の話題提供をいただける最高のメディアであることは変わりありません。そんな新聞に竹虎の事が掲載されると、まるで自分の事のように喜んで下さる方もいて本当に有り難いのです。


実は竹虎は、この他にも高知新聞さんに、こじゃんと(とても)助けてもらっている事があります。それは、たまに県外のお客様からお電話やメール、手紙などでいただく嬉しいお声で分かるがです。


「高知県の県鳥はヤイロチョウという美しい鳥らしいですね」
「高知では、もう田植えが始まったのですか」
「今年の、よさこい大賞のチームは凄いですね」


など...高知にお住の方でないと分からないような事なのにと不思議に思っていたらお客様は竹虎からお送りした荷物の緩衝材として入れている高知新聞を読まれているのでした。中には綺麗にのばしてスミからスミまで楽しく読まれるような方もおられます。自分達には珍しくも何ともない毎朝届く高知新聞が、東京など大都会で暮らす多くの方にとりましては、また違ってご覧いただいているようなのです。


お陰様で全国の皆様から暖かいお言葉や、感激するお便りを頂戴する機会が多くなっていますが、「高知新聞へのご感想」を、わざわざお知らせいただく方も少なくないので本当に高知新聞さんの力は偉大ですぞね。


足付き台所籠(大)

足付き台所籠(大)


食器籠として、このような磨きの竹籠がひとつあればキッチンは随分と和んだ雰囲気になるものです。最近はオープンキッチンと言うがですろうか?居間と一体化したような作りのお宅も多くなっていますのでこのような食器籠も、より目につくようになったのではないかと思います。


足付き台所籠(大)


そこで、このような竹編みの食器籠をカウンターなどでご愛用いただきよりましたら、機能面もさる事ながらインテリアとして優しい竹の魅力をいかんなく発揮できるのではないかと思うちゅうのです。特にこの足付き台所籠は磨き細工ですきに美しい経年変色をお楽しみいただけますぞね。


足付き台所籠(大)


ただ、ひとつ注意せねばならいと思うたのは台所籠の大きさなのです。小さいサイズでしたら、それ程の問題もありませんが大きくなって数人分の食器を片づけるとなりますと、お茶碗や湯飲みなどの重さも結構なものになるがです。そこで、足部分への負担を考えて大きいなりの足を用意してはいるのですが、それだけでは不十分ぞね。重さが増してくるなりの竹編みの強度を考えねばなりません。


菊底編み


足付き籠では、水切りの機能性を十分に引き出すために底部分が接地しないように足付きにしています。ところが重みがあるために竹ヒゴ自体が耐えられず底に接地してしまう場合もあるがです。もちろん、このままでもご使用はいただけますけんど、せっかくなら足部分を浮かせてお使いただきたい。


足付き台所籠(大)底編み部分


骨竹を幾重にも重ねたような格好のエイ見た目になっちょりますが、素晴らしいのは見た目ではなく、その強さながです。足部分は樽のタガの要領で輪っかをつくり竹籠の底に取り付けた事によって加重が竹籠全体に分散し中央部分が接地する事もなくなりましたぜよ。こんな少しづつの改良を続けながら新しい竹籠は人に一歩、また一歩と近づいていくがです。


幻のメゴ笹洗濯籠ふたたび

メゴ笹洗濯かご


メゴ笹洗濯籠をご覧になられた方の中には「ああ懐かしい...」と感じられる人もおられるのではないでしょうか。一昔の銭湯などに行くと脱衣場には、このような形の籠が沢山置かれちょったりしたものです。実はこの編み方の籠は、お風呂場だけではなく素材を変えて食器籠などとしても台所でも活躍してきた籠で本当に日本人の暮らしの中に一緒にあった日常使いの籠やったがです。


ところが、すでに自分が竹虎に入社した数十年前には「幻の籠」と言われちょりました。まだまだ近所では使われててもいましたし、小さい頃には何段にも重ねて置かれていたのを見た記憶がありました。けんど、新しい籠を編むことのできる職人さんがおられなくなり欲しいと思っても店頭には並ぶことのない籠やったのです。たまたま近くの職人さんが身近な素材であるメゴ笹を使って復刻してくれる事になって細々とではありますが、ここ数年はずっとこの逸品の籠を皆様にご紹介し続けられる事になっています。


先日、この職人さんもご高齢でお仕事を辞められる事となり、いよいよ幻の籠かと思っていた矢先に運良く何とか次に繋げて編まれる方がいて、職人の手が変わりながらも代々つづく形や大きさは引き継いでやっていただいちょります。このような伝統の技で、こうして続けていける事はなかなか容易な事でなく、まっこと幸運な事でもありますろう。自分もずっと使い続けていて、この脱衣籠の良さは実感しちょります。青々とした鮮やかな色合いは、すぐに抜けて落ち着いた色合いになりますけんど、ここからがメゴ笹の本領発揮ぜよ。


編み込む時には、しなやかだった素材は堅くしまって本当に丈夫で長く愛用できる籠となります。このような素材を上手く活用してきた先人の知恵には、何度も何度も脱帽するばかりながです。



旅先でも、安心の竹炭石鹸

竹炭ミニ石鹸


出張には、出来るだけ竹炭石鹸を持参するようにしちょります。お肌の弱い方なら経験がある方もおられるかも知れませんが、ホテルに備え付けのソープでは刺激が強すぎる事があるからながです。ただ、一泊程度しかしない場合には100グラムの普通の大きさの竹炭石鹸ではもったいないので昨年のリニューアル時に試作のために作っちょりましたミニサイズを使うようにしちゅうがです。


このミニ竹炭石鹸は薬用竹炭の含有率などコンマ数パーセント刻みで製造してもらっていました。それを、自分自身はもちろんですが、当社社員はじめ周りの方に試して頂いて、最高に使い心地の良い竹炭石鹸を探していましたので、それぞれのタイプを結構な量を製造していたのです。竹炭の分量など細かい違いはありますが、ベースは肌に優しい地の塩社さんの植物由来の石鹸素地ですきに安心して使う事ができよります。


そろそろ、このミニ竹炭石鹸もなくなりそうですが、今回のニューヨーク出張では同じホテルに5連泊しましたので普通サイズのものを持参しちょりました。日本から遠く離れた展示会のブースです、いつもは時差ボケ等しないのに何故かしてしまった上に、立っぽはなしで足が棒のようになってフラフラの状態で帰ってきてのシャワーで使い慣れた竹炭石鹸は、いつも以上に本当に有り難く感じましたぞね。もちろん宿泊させてもろうたホテルにも可愛い小袋に入れられた、こじゃんと(とても)甘い香りのする素敵な石鹸が置かれちょったけんど、手洗いに何度か使う事しかできませんでした。


ニューヨークのホテルで使う竹炭石鹸


自分は頭は丸刈りですし、髪のセットなど考えた事もないせいかも知れませんけんど頭からつま先まで竹炭石鹸ひとつで洗うのです。シャンプーでリンスが入ったようなものがありますが、洗ったか、洗わないか分からないようなスキッと感がないものは、どうも苦手ながぜよ。


洗ったら頭皮も身体もキュッキュッと音がするくらいシャキッと洗えるのが好きながです。けんど、それでいてこの竹炭石鹸は油分を取りすぎることなく、しっとりしちゅうきに不思議です。この石鹸を使う前までは特に冬場は顔に粉が吹いて風呂上がりにクリームを付けるのが当たり前やったのに、それが歳を重ねて、油分が少なくなっているはず(?)のここ10数年、そのような事が自然と無いのです。この冬も、つっぱった感じがあってクリームをつけたのは数えるくらいでしたにゃあ...だから前は自分用の保湿クリームを持っちょりましたが今は持っていないのです。


そうそう、出張用も兼ねて小さなチューブのクリームを持っていますけんどあまりに使わないので数年前のものですぞね、このようなクリームも、あまり古くなると品質に影響するがではないですろうか?後で確認しないといけまんにゃあ(^^;)


とにかく自分はこうして一年中、竹炭石鹸ながです。


ニューヨークの自転車タクシー(Pedicab)

ニューヨークの自転車タクシー(Pedicab)


「ふむふむ、ニューヨークの自転車タクシー...」


帰国してからニューヨークで乗った自転車タクシーの事を調べてみたがぜよ。そしたら一番小さな乗り物として紹介されていてペディ・キャブ(Pedicab)と呼ばれている事も知ったがです。マンハッタンは東京の山手線の中くらいの広さなので小回りのきく自転車も観光には重宝されるようです。セントラルパークと言う公園は良く耳にもするかと思いますが、歩いて回るには広すぎますので、この自転車タクシーならちょうどかも知れませんにゃあ。


さてさて、そこで気になる料金ですけんど「なぬっ...!?45分~1時間で55ドルとな?」ちっくと(少し)自分の場合と料金が違いますぞね(^^;)


先日のブログでティファニー本店に行ったお話をさせていただいたと思いますが、実は自分が自転車タクシーに乗ったのはこの店から出た時やったがです。ちょうど外に出ようとしたら道路が濡れて光っていました、雨でした。竹バックを購入して綺麗な箱に入れてもらい、結構大きな紙袋を抱えちょります。自分だけならまだしも買ったばかりの物が雨に濡れてしまうのはイヤだなあ...ティファニーの入り口で暗い空を見上げながら困っていたら店の方が出てきました。さすが、買い物したお客ですので何か手助けしてくれるのかと思ったらシャッターを閉めるのに出て来られただけでした。


これはタクシーを拾わねばと道に出て手をあげますが、急な雨のせいか一台も停まってくれるタクシーはいません。雨足は強くなるばかり、おっとイカンイカン!竹バックが濡れては大変ですきにティファニーの青い紙袋を、竹虎の前掛けの下にして...よしっこれで大丈夫。ひと安心した所で顔を上げたら、目の前に颯爽と停まったのが普通のタクシーではなく自転車タクシーやったのです。


最初は「へっ?」と思うたのです。自転車タクシーを知りませんでした。ところが「乗っていけ」とドライバーさんが言うてくれるものですから、雨で困っているところに白馬の王子様のように見えてくるがぜよ。「いくら?」と聞くと「時間制だから」と答えます。


まっこと自分は田舎者ですので車より自転車の方が安いと思っていたのです。後から冷静に考えれば、人力ですし観光用なので高額かも知れないと容易に想像もつきますが、まあ緊急事態でもありました。普通のイエローキャブなら、ここからホテルまで恐らく20~30ドルやろう。それなら自転車やったらそこまで掛からないだろう、それに自転車タクシーとは言え幌がついて雨には全く濡れないようになっちゅうのです。


ニューヨークは京都と同じように碁盤の目のように道が走っていますので分かりやすいのがエイ所ぜよ。今が57th streetの5th Ave(正しい言い方か分かりませんが)なのでホテルに帰るには39th streetまで南下して右折8th Aveまで行くだけながです。


ニューヨークの自転車タクシー(Pedicab)

 
自転車タクシーがある事すら知りませんでしたので乗るのは当然初めてです。結構な揺れはあるものの思うたよりスピードがあり早く帰れそう、何より嬉しいのはティファニーで買った竹バックが雨に濡れない事でした。雨さえ降っていなければ、数十分はかかるかも知れませんが歩いて帰ってもよいと考えちょった程の距離ですので15分くらいでホテル近くに到着したのではないかと思います。


そこで道路脇に停めてもらって「いくらですか?」と聞くと、指を10本立てて「テン!テン!」と言われるので10ドルか...安いにゃあと思うて手渡そうとすると、「ノーノー」と首を降り、料金を書いた看板を指差すがです。初めて気が付きましたが料金の看板があったのです。10ドルではなければ100ドルでしょうか...「100ドルですろうか?」と聞くと「イエース」。


翌日、この自転車タクシーの事をCOTERIE展でブースを手伝ってくれよりましたニューヨーク在住の方に話しました。やっぱり100ドルはいくら何でも高いと言うし、後で中野先生に聞いてみても高額なのを知っているので乗った事がないと言われます。今のレートで113円なので日本円やと11300円になりますにゃあ...、ううん確かに高いぜよ。まあ、けんど、突然の雨の中、途方に暮れちょった時に現れてくれた勇姿には助かりましたし、あのタイミングでないと乗る事もなかったぞね。思えば、そうそう出来る経験でもないし、楽しいひとときやったがです。



COTERIE展でのテレビ・新聞取材

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、COTERIE展でのテレビ・新聞取材


先週の金曜日にニューヨークから帰って来てもう何日か経ちますけんど、まだ少しお話できていない事がありますので今日もCOTERIE展の話題です。実は展示会にはテレビ・新聞の取材がそれぞれ一社づつお越しいただいちょりました。テレビの方は何と全米ネットのテレビ局という事でしたので、放映が決まれば凄いですぞね!二人のカメラマンの他に、会場の見取り図を持った取りまとめ役のような二人の女性の合計四名でチームになりブースから次のブースへと番号を確認しながら撮影をされて来たようです。全米放映という事になったら日本の竹がこうやって取り上げられる事はあまり無いことやと思いますので嬉しいですにゃあ。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、COTERIE展で虎竹バックニューヨーカー


これだけ広い会場に沢山のブースがあって、色々な新しいファッションや製品が並ぶ中で、こうして選んでお越しいただけるのは、やはり虎竹バックニューヨーカーのインパクトのある斬新なデザインのお陰かと思いよります。テレビ局が来られたのは最終日でしたので、もしかしたら会期中の評判なども参考にされているのかも知れんぞね。


バックをご覧になられて「アメイジング!!!」と叫ばれる女性の皆様は、素材でもなく、出来あがった背景や物語でもなく、純粋にこのバックだけをご覧になられて、このバックを手にされたご自身や誰かの姿だけを思われちゅうように感じました。けんど、テレビの放映を通じて、そもそも日本の竹製の製品がどうしてニューヨークまで辿りついているのか?その辺りを知っていただけると又関心を持っていただける方もいるのではないかと思うがです。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、COTERIE展でのテレビ・新聞取材


もう一つの新聞の方はファッション業界ではほとんどの方が目を通すと言われているそうな繊研新聞さんぜよ。こちらはニューヨーク在住のバックデザイナーの中野和代先生のお声がけでお越し頂いちょりました。日本の繊維、衣料関係の専門新聞ですので自分も実は存知あげなかったのですが、業界ではこじゃんと有名な存在やそうです。


お洒落は時代の先どりが何よりも大切なので、こうした新聞での新鮮な情報は重宝されるがですろう。ニューヨーク支社の方が取材に来られちょりましたが、本社は日本にある新聞社さんです。もちろん記事は日本語で発刊されて日本の方の目に多く触れるメディアです、掲載いただき沢山の方にご覧いただけるのが今から、こじゃんと(とても)楽しみながです。


「ハーレムのピカソ」フランコさん

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、Franco The Great、「ハーレムのピカソ」フランコ


一昨年の秋にニューヨークに行く機会がありましたぜよ。その時にアポロシアター前の道路を挟んだ向かい側に、ハーレムのピカソと言われちょりますフランコさんにお会いさせて頂いたがです。この方はハーレムの目抜き通りのシャッターに絵を描き続けて街のイメージを変えた方やそうながです。様々なメディアに取り上げられちょりますし、日本にも招かれて何度も来日されていますので、もしかしたらご存じの方もおられるかも知れません。


今では多くの方に支持され、描かれた絵画を展示販売していた路上は、人だかりが出来ていて、まるで観光名所のようなっちょりました。けんど、最初からこのように街で評価され、人気者としてあられた訳ではないようですぞね、初めてシャッターに絵を描く時には、経営者や店主の方に信用されずご苦労されたようです。


「一人では何もできない、一人でないと何も始まらない。」


にぎやかな露店で、にこやかに笑われるフランコさんを拝見しながら、こんな言葉を思いだしちょりました。自分の出来る事など、ささやかで本当に小さな事ですろう。多くの方にとっては、どうでも良いような事であるかも知れませんが、日本でずっと続いてきた竹文化をこれからも伝えていきたいと思った時に出会った言葉でもあります。


Javits Center


だから又フランコさんにお会いしたいと思うちょったがです。今回のニューヨークCOTERIE展はJavits Centerと言うところで開催されていました。この時期は寒暖の差が大きくて年によっては雪で交通機関が乱れる事もあると聞いちょりましたのでホテルは歩いて行けるようにできるだけ近くに取っていましたが、フランコさんのおられるアポロ劇場前まではタクシーで20~30分くらいかかりそうな距離でした。


けんど、ちょうど搬入の日はフランコさんからおられるはずの日曜日、思ったよりブースの準備も早く終わり会場の外に出るとまだまだ明るいし、タクシーに飛び乗り向かう事にしたがです。ところが、到着してみますと路上にお店は何店舗かあるものの、フランコさんが前におられたはずの場所には誰もいないのです。念のためアポロ劇場側に渡って見て回りましたがやはりおられません。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、Picasso of Harlem、Franco The Great


元の場所にもどって近くの椅子に座られていた警備員らしき方に訪ねてみたら、今日は帰った後との事でした。ああ、残念...!けんど、またお会いしに来られる楽しみもあると言うものですろう。


自分は田舎の小さな竹屋ですので、フランコさんのように街全体を明るくするほどの華々しいことはとうてい出来きません。けんど、身の丈に合ったほんの虎竹の里の周りの一隅なら照らす事ができるのではないですろうか。こんど会いに来られる時まで、コツコツやっていきたいと思うちゅうがです。


四国三郎とは一体誰の事なのか!?

吉野川の防災竹林


「三郎」と言えば何と言うても北島三郎ですろう。「風雪ながれ旅」「まつり」「北の漁場」「漁歌」...まだまだありますけんど挙げていたらキリがないほどの名曲を歌い上げられています。自分が車の中で聞く最高のCDを一枚だけ選べと言われたら迷う事なくサブちゃんですにゃあ。まっこと日本のソウルソングと言うてエイのではないかと思うちゅうのです。


まあ、それはさておき四国では、実はもう一人の三郎がおりますぜよ。これが誰かと言うたら人ではなく吉野川。高知県から徳島へ流れる一級河川ですが昔から日本三大暴れ川の一つと数えられ坂東太郎(利根川)、筑紫二郎(筑後川)そして四国三郎(吉野川)と呼ばれています。


吉野川の防災竹林


川が大きいだけあって大雨が降ると治水工事の技術もあまり発達していなかった昔は洪水を繰り返していたと聞きます。徳島では藍染めが有名ですが、この藍栽培が盛んになったのは吉野川の氾濫で米作りがあまり出来ず、その代わり川の氾濫により肥沃な土壌になった土地が栽培に適していたからだと代々続く藍農家さんから聞いた事がありますぜよ。


そんな歴史も四国三郎の暴れぶりを物語ますが、高い堤防が築かれている今でも吉野川に沿って見事な竹林が続いちょります。昔は川沿いに多い竹を見て、竹は川に近い水の豊富な土地が好きなのだなあと何となく思いよりました。ところが、これが大違いで、実は竹が勝手に川沿いに生えている訳ではなく治水のために、わざわざ人が植えて管理しながら増やしてきたがぞね。


高知県の護岸竹林


何も吉野川のような大河だけではありません。ほんの小さな流れの川原にも竹が、ずっと向こうまで茂る場所は日本各地にいくらでも見る事が出来るのです。日頃は美しい穏やかな水も、特に高知ように一時にバケツをひっくり返したような豪雨の降る地域では川の表情は一変し、ゴーゴーと凄まじい音を立てる程ですぞね。


治水技術に乏しかった時代、地面にしっかりとした強靱な根を張り巡らせ、天然の鉄筋コンクリートと呼ばれるような竹林は土地の暮らす人々にとっては、さぞ心強い味方として目に映っていたと思います。


四国や九州では川沿いには蓬莱竹(沈竹・チンチク)、その向こうの山には孟宗竹が植えられちゅう里山に良く出会います。護岸には株立ちで田畑に根を伸ばさない蓬莱竹、山には食用にも様々な用途にも使える大きな孟宗竹、それぞれの場所に繁る光景は先人の知恵と暮らしを感じます。まっこと美しい日本、いつまでも眺めていたくなるがぜよ。