元日、日本唯一の竹林

竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)


昨年末、日本唯一の虎竹の故郷である焼坂の山道を下って来て見晴らしの良いカーブで車を停めましたぜよ。まっこと、高知の自然は、気候は何と素晴らしいがですろうか。こうやって晴れ渡る青い空、降り注ぐ太陽、力強い山の緑、山の向こうには美しい土佐湾がある事を恥ずかしながら、ずっと当たり前の事のように思うてきちょりました。


けんど、それは違うがぞね。同じ四国であっても、日本であっても、こなんに豊かで気持ちのエイ自然はそうそうはありませんろう。まず、自分達はこの事に感謝せねばなりませんにゃあ。本当に天に向こうて「ありがとうございます!!!」こう大声で叫びたいような2015年を締めくくるにふさしい穏やかな午後やったがぜよ。


さて、ところでこの道沿いから虎竹の里の山々を眺めて見るのに、あれっ?この場所からだと不思議と竹林が見えちょりませんにゃあ...そんな事を思われる方もおられるかも知れませんちや。実は、その通りなのです。ここから見える安和の集落と取り囲むように見えるのは植林の山々ばかりです。


高知は何と84%の森林率を誇る日本一の森林県でもありますが、昔から山と言えば杉やヒノキ等の木材を植えるのが普通であり、竹を伐採する事はあっても、あえて増やす事はあまり無かった事だったと思います。当然、この虎竹の里でも山主さんは、せっかくの財産である山を持っているのなら杉など木材の植林をされてきました。虎竹の里でも山には竹林ばかりではなく、こうして見渡して植林の山が多いのは当然の事ながです。


このような背景がある中、100年前に大阪から単身やって来た竹虎初代宇三郎は山主さん一人一人を説いて竹林面積を少しづつ、少しづつ増やしてきたがです。杉やヒノキは竹虎の所有の山にも植林されちょりますが、伐採には数十年という時間が必要ぜよ。その点、竹は毎年生えて、季節が巡る度に伐採し買い取ってもらう事ができます。農作物の耕作面積が広いわけでもなく、交通不便だった当時の虎竹の里を思えば、こうして特産の竹が毎年、毎年、現金化できるのは魅力的な事やったですろう。


竹の開花周期は60年とも120年とも言われちょりますが、虎竹(淡竹)の開花など実は誰も知らんがぜよ。つまり、この里に広がる竹林の竹は全て人の手で植えられたもの。木を切り倒し、石垣を積み、先人の汗で増やしてきた日本にここにしかない大切な地域の財産です。けんど、元々、土佐藩に年貢の代わりとして献上されよった記録の残る虎竹が、一大産地となり、この地域に暮らす多くの方が竹と関わっていくようになる陰には初代の虎竹増産への大きな情熱があったがぞね。


「一年の計は元旦にあり」


虎竹の竹林に入り触れたいと思うちゅうのは、その先人の熱さなのです。


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