瓢箪の竹籠

虎竹で編まれた籠


京都に数百年続く老舗料理屋さんにで瓢箪の形をした竹籠が置かれちゅうのを拝見した事があるのです。いつから、ここにあるのか?年期の入った風合いに呼び止められるように足が止まり、ついつい魅入ってしまうがです。記憶に間違いがなければ、その昔に名のある方が、こちらのお店にお持ちになられたと聞いたように覚えちょります。一体誰が編まれたのか、いつの頃のものなのか詳しくは存知上げちょりませんが確かな事は、虎竹の里の竹で編まれたものという事ですろうか。


日本唯一の虎竹


日本唯一の虎竹は、高知県が土佐藩と呼ばれていた頃には時の権力者に献上される貢ぎ物としての役割も担うてきちょります。明治、大正と時代は移りますが、その頃の事なら安和の浜辺から船に積み込まれ遠く大阪は天王寺の工場まで運ばれていった竹やろうか?戦後の事ならば、今の竹虎のあるこの場所で加工されたものやろうか?


いづれにせよ、瓢箪は縁起の良いものとされて御守りなどにも使われちょります。末広がりの形が好まれる理由のようですが、語呂合わせで三個揃えば三拍子(三瓢)、六個だと無病(六瓢)息災に繋がると言われます。


けんど、自分が瓢箪と聞いて真っ先に思い出すのは豊臣秀吉ぜよ。難攻不落の稲葉山城(岐阜城)を攻め落とした際に当時の木下藤吉郎が槍に付けた瓢箪を振って見方に合図したという逸話があります。以来、草履取りから天下人へと、日本一出世した偉人の馬印は瓢箪となっちゅうのです。その瓢箪を、松竹梅と言われ縁起の良い竹で形作るとは最高の幸運グッズぜよ。しかも、千里を駆けると言われる勢いの「虎」の竹やきに、「瓢箪×竹×虎」これは絶大じゃ。


土佐の荒海!?思い出のホエールウォッチング

竹虎四代目ホエールウォッチングに行く


先日、遠くから竹虎に来られたお客様がホエールウォッチングに関心があると言われちょったので、色々と質問があった場合に答えられるよう4~5年前に一度だけ行った時の事を思い返していたのです。確か、あの時にもこの30年ブログにも書いたかと思うのですが、当時の写真がたまたま出てきたので見ていると、あの台風一過の土佐湾の事が今でもしっかりと記憶に蘇ってきましたぞね。


高知県のほぼ中央に位置します宇佐漁港から出発した時には、船酔いする自分も元気いっぱいやったぜよ。まっこと海の男のように舳先に陣取り風を受けよりました。けんど、それも長く続きません。湾の内側は波も静かでほとんど揺れる事もないがです、ところが外海に出た途端に凄いぞね。船はユラユラ、波はチャプチャプ。まあ、漁師さんや、沖に出て釣りをされる方にとっても何てことのない揺れかも知れませんけんど、なにぶん船に酔いやすいのです、お客を乗せて出航するくらいなので台風の影響は少なかっちものの、それでも日頃よりは波が高いようでした。


鯨体験、ホエールウォッチング


とにかく大きなバケツが手放せませんでした。こんなに吐くものがあるのか?というほど吐いて、とうとう座っている事すら辛い状態になっていましたぞね。実際、寝込んでしまう方もおられるようで船の後ろの甲板には布団が敷かれちょりました。


この日は天気は良いし、大きな鯨が何頭も見られて最高だったそうですが自分と言えば気持ち悪くて悪くて、船のすぐ横を優雅に泳いでいた一頭をチラ見しただたけ...。それも記憶が曖昧...とても写真を撮るとか、声を上げるような余裕はなかったのです。


ああ、まっこと情けない...。


けんど、このホエールウォッチングのキツイところは、いえいえ船旅全般に言えることですけんど一端港を出ると途中で帰れない事なのです。遙か遠くに薄く見える陸地を見ながら呻きよったのです。


土佐湾から見た虎竹の里


ところが、そんな自分が一瞬生き返った時がありました。それが、遙か土佐湾の沖合から虎竹の里が見えた時なのです!やはり自分の故郷は海からでも空からでも遠く離れちょっても瞬時に分かるがです。浜辺から沖合を眺めた事は数知れずありますが、こうして反対側から見る機会はそうあるものではありません。鯨やイルカではピクリともしませんが、やはり虎竹の里となれば違うぜよ。この時ばかりは立ち上がり、舳先まで行って一曲聴かせようと届くはずもない声を張り上げて唄うたのです。(兄弟船だったか?これは確かスマホで動画撮りました)


それにしても、随分帰ってきたと思うたのに、まだ須崎沖ですか?と言うことは宇佐湾から出航して一体どこまで行っていたのやろうか?きっと興津か、もしかしたらもっと先か...いづれにせよ、陸地に上がるまでグッタリは続いたがです。


名人の手提げ籠を発見

名人の竹手提げ籠


思いかけない所で名人と言われた職人さんの手提げ籠を発見しましたぞね。持ち主の方も竹職人さん、同じ道を歩まれた大先輩の竹細工に魅了され買い求めて大事にされゆうとの事でした。こうして見直したり、お手本にできる優れた熟練職人さんの籠が手元にある事は幸せです。


ややっ!?コチラには、自分の大好きだった職人さんの籠もあるではないですか?今では竹の仕事はされちょりませんが、以前には素晴らしい籠を色々と編まれよりました。飯籠、茶碗籠、味噌こしざる、梅干しざる、片口ざる、背負い籠から鰻ウケにいたるまで、かって生活の中で使われてきた竹は何でもこなされていて恐らく現代の日本で一番美しい竹細工をされていた方ではなかったかと思います。その丁寧な縁巻の籠はエイ感じの飴色になっていましたが何より素晴らしいと感じたのは、この籠が今でも実際に干し籠として使われちょった事ですぞね。


竹手提げ籠


実は、この方は色々な竹細工をご覧になられるうちに、ますます竹の魅力を知って竹細工の面白さを改めて感じて今に至られたようです。自分は名人の手提げ籠ではなくて名人の籠をお手本にして編まれた籠を持っていて、たまに使いよります。「学ぶ」は「真似る」から来ていると聞いちょりますが、若手の職人さんが昔ながらの技を学び同じ素材、同じ編み方、同じ形、同じ大きさの籠を作られているのを見て、つい嬉しくなったがです。こうして続いている限り、竹は過去のものではなく、今を生きちゅうと思うがです。


古い糸車の煤竹

糸車の煤竹


古い糸車を見かけたのですが、ちっくと不思議に思う事があったのです。糸車は今では使われる事は、ほとんど無いかと思いますが以前は糸を紡ぐ道具として欠かせないものの一つでした。飾りではなく、実用品であったのにも関わらず、この糸車のフレーム部分の竹は何と煤竹ながです。


煤竹は囲炉裏の煙で燻された天井の梁の竹であり100年、200年と経過したものもあって囲炉裏の生活が無くなった今日では、こじゃんと(とても)価値があって高級茶華道竹器などにしか使わない素材ぜよ。銘木市があるように、竹にも銘竹市がありますけんど、ビックリするような値段が付く事もある貴重な竹です。


それを糸車のフレームに使うちゃあると言う事は昔は、このような煤竹も普通にあって建て直しの際などに出てくる古い民家からのリサイクル材のような感覚で使われていたと言うことが分かるのです。そうでないと、とても仕事の道具の一部に使うような事はないですろう。


生活様式の変化で煤竹は希少価値が出てしまっているので自分達から見ると違和感がありますけんど茅葺き屋根が当たり前の時代なら、煤竹などいくらでもあって珍しいものではなかったという事かも知れませんにゃあ。新しい竹もいくらでも使えたと思うのですが煤竹を選ばれているのは、炭化されているので虫やカビの心配もなく、新しい竹よりもかえって耐久性の高さからではないかと想像しますぞね。煤竹に限った事ではないのですが一昔前は今とは比べものにならないくらい様々な道具にも多用されていたのです。


虎竹一本背負い

虎竹山出し


ちょうど虎竹の伐採が今月末までという事でもないと思うのですが先週は毎日のようにお客様が来られちょりましたぞね。華道家の長尾寛己さんも、わざわざ遠くからお越しいただいた嬉しい来客のお一人です。


竹林への道(Tiger Bamboo)


日頃から華道を通じて花や植物に触れられる事が多いことや、ご出身が四国であり小さい頃から竹に親しんだ事などもあって自然や虎竹に対するご関心が本当に高いと感じちょりました。山道を登って行く途中から、ずっと先の竹林が見え始めると声を上げられます。まっこと(本当に)こうして喜んでいただけると山まで来た甲斐があると言うものながです。


虎竹の里(Tiger Bamboo)


虎竹は霜が降りるくらい寒くなってくると色付くとか言われちょります。昔からお年寄りの話す伝説程度に思いよりましたがどうやら気温というのは虎竹の色付きに密接に関係があるようながです。虎竹の里も昨年末まで温かい日が続きよりましたが、年明けから少し寒さが来て安堵しよります。そんな話しをしていたら山の職人さんが通りかかります。


長尾寛己さん、竹虎四代目(Tiger Bamboo)


こうして都会の方、山の職人さん、日頃は顔を合わす機会もない皆様方が虎竹を挟んで言葉を交わし、心を通わせる事ができるのが本当に嬉しいがです。


日本唯一の虎竹での山出し


この日に伐採している竹林は比較的、道路から近い場所でしたので山出し用の機械を使わず一束づつ担ぎ下ろしているのですが、どうせならと先日も来られたお客様にしていただいたように重さを体感いただく事にしたがです。


虎竹を担ぐ


「痛っ...」予想どおり、ズシリと来る重さに肩にのせる事がなかなかできないがです。


長尾寛己さん、竹虎四代目(Tiger Bamboo)


伐ったばかりの、こじゃんと(とても)重たい虎竹...。この竹を細く曲がりくねった山道を運び出すと思うと、そのご苦労が分かっていただけるのですが、束から一本だけ竹が飛び出しているのに気づかれます。


日本唯一の虎竹


束にしていて運ぶうちに一本だけ飛び出したのか?いえいえ、もちろん違います。


虎竹一本背負い


実は竹の束は重たいだけでなく太いのです。肩に担ぐと、腕をその太い束にまわさねばならず更に疲れてしまいます。そこで、一本だけ出して肩に掛けるようにして運び出して行くがです。これぞ「虎竹一本背負い」、今日もイッポン!勝負ありぜよ。



倉庫の竹皮

竹皮草履の材料


竹は継続利用可能な唯一の天然資源と言われちょります。あまり言われることがないので知る方も少ないのですが、他の植物同様に表年、裏年が竹にもあるものの毎年のように筍は出てアッという間に親竹と同じ大きさに成長し、あたかも当然のように青々とした葉を風に揺らしります。


筍の成長の過程で、服を脱ぐかのように地面に落とされる竹皮には天然の抗菌作用があり、水にも強く、昔から格好の食品用包材としても活躍してきたがです。今では色々な素材のものがある事に加えて、輸入の竹皮が大量に入っちょりますので、あまり顧みられる事のなくなった国産竹皮ですが、やはり高級ブランドの和牛などには国産のものが選ばれ続けちょります。


掃除の行き届いた倉庫には所狭しと乾燥させた竹皮が丁寧に揃えられて積み上げられています。湿気を持たぬようコンクリートの地面から十分に離して通気性を確保していることを見るだけでも、大事に大事に竹皮達が見守られちゅうのが伝わるがです。


竹皮草履用に短冊にした竹皮


孟宗竹の竹皮もあれば、真竹、淡竹(はちく)のものもあるのですが、この竹皮達は食品の包材用ではありません。竹皮草履の材料ながです、時期になると毎日のように竹林に通い竹皮を集めて天日に干した後、数年保管して使っていく竹皮。乾いている時にはカチカチに硬くて、これでどうやってあの細やかな編み込みに出来るのか?初めての方なら、まっこと(本当に)不思議に思えてくるのではないでしょうか。ところが、これを水に戻すと、まるで柔らかな革のように、しなやかな素材になるがです。細く短冊状に裂くいた材料は熟練の職人の手にかかれば見る見る内に草履の形に編み上げられていくがぜよ。


竹皮草履製造


人の手をまったく入らない竹林から生まれる竹皮は大自然の恵みそのものぞね。できるだけ活用せねばバチが当たると言うものです。綺麗に整理されて保管されちゅう職人さんの倉庫には、そんな自然への感謝と畏敬の念が感じられます。


今年一番すばらしい年賀状でした大賞

竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)


年が明けて一月も来週一週間を残すばかりとなりましたぜよ。「一月はいぬる」と昔から言われちょりますが本当に早いものですにゃあ。だからいくら何でも今月中にはお話ししておかねばと焦って今日のブログでご紹介させていただくのは、まだ松の内の頃に馬路村さんから届いた一つの段ボールについてなのです。


馬路村から今年一番すばらしい年賀状でした大賞


馬路村さんは、ご存じの方も多いかと思いますが高知県でも、なかなか交通の便が大変な過疎の進む山村です。ところがコチラの馬路村農協の組合長さんである東谷望史さんが一念発起、地域で広く栽培されちょりました柚子での商品開発に挑戦され大ヒットとなった「ごっくん馬路村」「ぽん酢醤油」を初め様々な製品を生み出し続けられよります。そして、今や全国に名の轟く田舎として年間300組もの視察がやって来るなど、まさに中山間地域のお手本のような村ながぞね。


大成功されている村の産品を通販でお届けされちょって日本各地にファンの方も沢山おられます、何を隠そう自分もそんな中の一人で馬路村の商品は都会の友人、知人に贈る機会も多いのです。ところが、今回はこのようなお荷物を届けていただく覚えがありません。知らせを聞いた時には、ちっくと不思議に思っておりましたが、荷物には「今年一番すばらしい年賀状でした大賞」と熨斗を貼っていただいちょりました。


馬路村スーパーごっくん


ああ、なるほど...!これは東谷さんにお届けさせてもらっていた年賀状をご覧になられて同じ高知県の会社を盛り立てようと急遽このような賞を設えて頂いたのではないかと思いました。写真付き年賀状を作り始めて30年を越えましたけんど、今年は高名な写真家であられるミナモトタダユキ氏、世界で活躍される竹工芸家田辺小竹氏らの多大なご協力いただいて例年以上に力を入れて製作したものやったがぞね。


それを、しっかりと認めてもろうて、こうやって応援いただけるとは、さすが馬路村さんです。もしかしたら日頃から、こういう形で高知で頑張りゆう方にエールを届けられゆうがですろうか?何にせよ、年初から嬉しい頂き物「スーパーごっくん」は縁起もエイですので社員一同に一本づつ配らせてもろうたがです。



竹の重み

高井尽さん、竹虎四代目、虎竹の里にて


昨日は香港からのお客様のお話をさせて頂きましたぞね。自分が海外でお会いさせてもらった方で、こうしてわざわざ虎竹の里にまでお越しになられたのはニューヨークでバックデザイナーとして活躍されちょります中野和代先生に続いてお二人目ですろうか。まっこと(本当に)こんな交通の便の悪い田舎までお越しいただくだけで感激ですが更に自分達にとっては当たり前である竹林や虎竹、そして竹細工の仕事をご覧になられて喜んでいただけるので自分達の方まで嬉しくなってくるがです。


さて、香港のマサさんが来られる前々日に実はもうお一人県外からのお客様が見えられちょりました。この方は三重県で植物の苗等を扱う会社を経営されている方でした、竹はあまり販売される事はないようですが、きっと虎竹の里にしか育たない竹には仕事上ご関心があられての来社だったと思います。


高井尽さん、竹虎四代目


ちょうど虎竹の伐採は今月末日までです。ご案内させてもらった竹林近くからも伐ったばかりの竹が束になって運びだされている所でした。180センチを越える長身、何かスポーツでもされているかのような身体付きの方でしたので近くにあった竹束を担いで見せた後、ご自身でも持っていただく事にしたがです。


この時期の竹は素手で触ると、ヒヤリ!こじゃんと(とても)冷たいのです。竹林で汗をかいた時などには気持ちがいいのですが、持ち上げた瞬間そんな事も言えなくなりますにゃあ(笑)ズシリ...、伐りたての生しい竹の重さが肩にめり込みます。


「お...重いでえ...。」


立派な体格で、かなり力もおありの方かと思いますが足元がふらつきます。実は、それもそのはず竹は重たいだけでなく長さがありますきに重心を上手くとらないと何倍も重たく感じてしまうがぜよ。


「どうして竹を全部買うのか分かったでえ...。」


こんな重たい竹を急斜面の山から苦労して出してくる、これは竹の仕事のほんの一部。けんど、やっぱりこの方には響いちょりました。竹を担いでもらった甲斐があったちや。


買うという事は、売るという事ぞね。竹虎は皆様のお陰で今年で創業122年、そうでないと続けていく事ができないがです。全部買って、全部売る、次の年も、その次の年も、その次の年も。竹の重みは、覚悟の重みかも知れません。自分のような小さい人間にはとても担ぎきれないので多くの方に助けていただいて今日があるがです。


香港からマサさん来社

Ambrose Kwan Ching Leungさん、竹虎四代目、香港


香港からマサ(Ambrose Kwan Ching Leung)さんがやって来たぜよ。この方には現地で、こじゃんとお世話になっちょりました。海外など右も左も分からん田舎者の自分が、思いつきで気軽に飛んで行くことができたのはマサさんのお陰ながです。


タイガー・タケトラIN香港にも書いていますけんど、そもそも、この方はテレビ局のカメラマンをされていただけあって、竹虎四代目の香港での衣装(?)にも全く動じることがありません。まっこと肝の座った御仁じゃにゃあ...ポーカーフェイスなマサさんなのです。


竹虎本社前、Ambrose Kwan Ching Leungさん


さて、前日の雪が嘘のように晴れ渡る虎竹の里に来られたマサさんに通訳の方を通じて虎竹の里の不思議をお話させてもらうがぜよ。この地に立って、焼坂の山々を眺め、本当に狭い地域でしか虎竹が成育しないことが分かると「ワンポイントファイブ、キロメートル...」驚きの表情を初めて見た気がするがです。


香港の竹足場会社


虎竹の里には、普通なら全国各地どこにでも沢山生えている孟宗竹が極端に少ないがぞね。山に見える竹は、ほぼ全て虎竹と言うてもエイくらいながです。香港では高層ビルの足場にも竹を使いますので、もしかしたら竹には結構馴染みがあるのだろうか?町には工事現場の竹材を専門に扱うような会社様ありました。


虎竹の竹林Tiger Bamboo


元をたどれば孟宗竹は江戸時代に中国から入ってきた竹でもあるし、孟宗竹と虎竹が細い山道を挟んで綺麗に棲み分けしている所などもお話しさせてもらいます。ところが詳しく聞いてみると香港の足場竹の大部分が中国大陸から運ばれてくるものでマサさんたち香港の方には竹林などにはあまり馴染みのあるものではないようでしたちや。


虎竹の里Tiger Bamboo


それなら、やはりこの日本唯一の竹林に遠くお越し頂いた甲斐がありましたぞね。竹虎の製品をお求めいただいた事が、ここに来られる事になった始まりですがお手元に置いて頂いてある虎竹細工のルーツがここであり、初代から100年にわたり自分達の心の拠り所、まさに中心がここながです。


虎竹選別Tiger Bamboo


伐り出された竹が選別される土場には竹が広がっちょります。竹など竹林に行けば無数にありますし、トラックに山積みされた竹でも大変な量ですけんど、こうして一本づつ色付きや太さを選り分ける事を真剣に聞いてくれて嬉しく思いましたぜよ。たかが竹、されど竹なのです。


Tiger Bamboo、Ambrose Kwan Ching Leungと竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)


アウトドアや自然をこよやく愛するマサさん。香港は狭い地域に沢山の人が暮らす人口密集地でもありますので、このような静かで心地のよい竹林は自分達以上に楽園のように感じられゆうのかも知れません。東京から来られる方々と同じような表情、そして質問に竹の普遍性を改めて思いますぜよ。


変わる竹、変えない竹

竹職人


若き日の職人さんのお写真を拝見する機会がありましたぜよ。自信に満ち溢れた表情、竹がまだまだ人々の暮らしに普通にあった頃、竹を扱う仕事は周りにいくらでも沢山あり、そんな当たり前の中でバリバリと仕事をされていた頃だと聞きますが、その様子が伝わってくる一枚です。


当時は一つの竹製品を編み上げるまでに、竹ヒゴを取る方、下編みをする方、仕上げの方等それぞれ4人ほどの職人が役割分担をして流れ作業のような形で仕事されよりました。品質は当然なのですが、とにかくスピードを一番大事にされていたと言います。


生産の早さにこだわっておられたのは、それだけ注文が多かったからですろう。同じ編み方、同じ形の竹細工を毎日のように繰り返していく内に技は磨かれ、自ずと熟練度は増していったそうぞね。お客様を待たせる事はモノ作りの自分達としては恥と感じ、工房の中で他の職人たちより、朝は少しでも早く作りはじめ毎晩遅くまで競い合うように製作されていたと昔を懐かしんで話してくれるがです。


竹照明早見表


一心不乱に集中して製作されているのは照明の笠ぞね、今では竹編みの照明などはホテルや旅館、あるいは飲食店など少しこだわりを感じるような場所でしか見られなくなくっちょりますが自分の子供の頃は一般のご家庭でも普通に使われよったように思います。そんな証が職人さんの仕事場に残っているのを見つけましたちや。竹照明器具の型、品番を手書きで早見表にされちょります、こんなに多種多様な竹製品が定番として作られていたことに改めて驚くと共に、今では全てが廃盤となり一つとして作られていない事に複雑な思いが交錯するがです。


これは、何も竹照明だけではありません。作っても、作ってても竹籠が沢山売れるので「誰が籠を食べているのか?」そんな冗談を職人さんが言うて笑っていた時代が確かにありました。ここ数十年の竹を取り巻く環境は大きく変わってきましたが、きっとこれからも変わり続けていくがですろう。変わる事、変えない事が竹に求められちゅうがです。


ニューヨークCOTERIE、第一関門突破

アセテートニューヨーカー


自分が初めてニューヨーカーに出会った時は、ちょうどこんな形で目の前に現れたがです。懇意にして頂く竹芸家渡辺竹清先生の工房で壁掛けとして飾られいましたが、まっことそれも頷けるような面白さぜよ。何ともモダンで近未来的というか、斬新な作品を発表されているアーティストの最新作と言われても納得してしまうような造形です。


この時の竹製のものが原型となり、虎竹製のものも復刻でき、そして今度はメガネの素材に使われるセルロースアセテートで作ってみる事になったのです。どうですろうか?この形だけでも惹かれるものがありますが、曲線に光が当たったりしますと又面白い陰が出来て更に作品としての深みも出るのです。しかし、これが50~60年も前に開発されたものである事、それが海外に輸出されていた事、そして、今でもこのデザインのユニークさにアメリカで持ち歩かれる方もおられる事等小さなバックひとつに、大きな大きなストーリーが秘められていますにゃあ。


ニューヨークCOTERIE用アセテートニューヨーカー


平らに広げた形を元に戻したら、これが見事なバックになる、本当に良く考えられた機能的な製品なのです。サイズを違えると、もっと面白いものも出来そうです。このバックに持ち手、留め金具が付くのですが、何と言うても留め金具が大変ですぞね。別誂えの金具を手作りいただける職人さんは日本にも少なくなったと聞いて以前、煤竹バックに金属製の蝶番と留め金具を製作した事を思い出したがぜよ。


あの時も、まっこと苦労しましたちや。色々と探しまわったあげく、結局は銀細工の職人さんにお願いして金と銀を使うた少し高級すぎる金具となってしまいましたが、最後には大満足できる物をようやく作る事ができたのでした...。アセテートニューヨーカーも最後に取り付ける金具ひとつで、バックとしての印象が大きく変わってしまうかも知れないのです。


ニューヨークCOTERIE用ニューヨーカー


広げたニューヨーカーを並べると蝶が連なって飛んで行くようなイメージに見えませんろうか?ちっくと無理矢理ですかにゃあ?けんど、今回の新バックは来月に開催されるニューヨークでの展示会COTERIEを目指した挑戦なのです。この展示会には審査があって第一関門は突破できましたぜよ!けんど、まだ第二関門があって只今結果待ち。蝶が羽ばたくように軽やかに、スピード感はないですが前身あるのみ、力一杯取り組むだけなのです。


2016竹虎新年会にて

竹虎四代目(山岸義浩)


今日は反省しちょります。どれくらい反省しちゅうのかと言うと...。


......。


......。


......。


竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)


これくらい。深く反省しちゅうのです。(してるのか?)


新年会を開催する事になったのですが、久しぶりでもあるので各部署に分かれてチームになって何か余興を披露しようと提案しちょりました。日頃違う所で働く社員の皆さんです、昨年新卒で入ったばかりの社員もおりますので日常業務や、月に一度の全社会議だけでは、なかなか自分を知ってもらったり、相手を知る機会は少ないものです。自分の場合など、入社何年も経っているのに社員については知らない事ばかりながです。現代社会は忙しいきに「知らない事すら知らない」、気づかない場合すら多いのではないかと思いよります。


個人レベルではそれぞれ交流があるにしても、わずか20名足らずの会社、ご縁があって同じ場所で働く仲間。職場の中で、それぞれを自分を出し合い知り合うことは仕事にも繋がりますし、そのような意味のある機会にしたいと、いつも思うてしまうのです。また、今月退社する社員が一人おりましたので最後に思い出に残ればとも考えちょりました。


ところが、このような時に日頃のリーダーシップの無さがモノ言いますにゃあ。社員から猛反発を受けて、総スカンながぜよ。たかが余興ひとつ、皆をそこに導くことのできない自分の力不足です。けんど、すぐに気持ちが切り替わります。そりゃあ、そうです、自分が何もせずに「社長賞」を出すのでオマンらあやってみいや言うても誰も動くはずはありません。まっこと反省、また勉強になったちや。


竹虎新年会2016年


そこで、自分が一人でやる事に即決ぜよ!


自分が学生の頃より、ずっと尊敬しちゅうトップの方がおられます。当時は数十名だった事業も、順調に伸びて今では600名を越える規模になっていますので高知でも有数かと思いますが、この方が、実は社内で一人孤立していた時期があったそうです。そして、その時の忘年会で何をされたかと言うと、本格マジックやったのです。山高帽子、タキシードに身を包み、日夜問わない忙しい激務の中でどうやって練習したかと驚くような本物の鳩がでるような手品。四面楚歌の中、一人で「チャラララララ~♪チャラララララ~♪」と口づさみながら始めた余興に取引先含めた100名が静まり返ったそうです。


この話しを聞かされて、自分などとは仕事の重みも、社会的責任も全く比べものになりませんが、あの方ですら似たような立場になられた事がある、そして、自分と同じように一人で皆の前に立ったのだ。同じ決断をされた事が嬉しくもあり、フツフツと沸き上がるものがあるがです。


竹虎社員


人生を舞台にたとえる人がおります。たかだか余興ですがけんど、何をしてもエイがです。ただ、ひとつのルールは人を喜ばせる事ですろうか。たった一回の人生に意味があるとしたら、まさに舞台に立つ役者と同じ。センターに立つか、誰かの後ろのに居るのかは、それぞれやけんど、皆同じ地球というステージに居るようなものではないかと感じるがです。


おっと、そうこう言う内に今日も照明(太陽)が昇りはじめて明るくなって来ましたぜよ。今週も色々ある、東京から香港からもお客様がやって来る、第一関門突破したCOTERIE・ニューヨークの展示会の事もあれば、春完成を目指す日本唯一の虎竹自動車プロジェクトもあるし、品切れになった虎竹茶の材料集め、用途の広がりそうな新しい竹炭塗料、職人さんと取り組んでいる試作の竹製品、NHKさんのテレビ取材まである。どれも、こじゃんと楽しみにしちゅう事ばっかりちや。さてっ、やるぜよ!



ヒロタリアンさん、帰京

ヒロタリアンさん、竹虎社員


慌ただしい2日間はアッという間に過ぎていきましたぜよ。夏の終わりに開始させてもらったクラウドファンデング「日本唯一の虎竹自動車プロジェクト」ですけんど、ずっと多大な応援を頂き続けたヒロタリアンさん。一体どんな方やろうか?若々しい声を聞くだけで、ずっと想像を膨らませていたのですが思うた通りの素晴らしい志のある方であり、熱いハートは元気あふれる青年のような方でした。まっこと、人は何年生きちゅうかが年齢ではありませんぜよ、燃えるものがあったらいつまでも若人のままながです。


思えば不思議な縁ぞね、こんな田舎の虎竹の里にまでお越しになられて、竹の仕事を体験するなど思うてみなかった事ですろう。少し前なら夢のような出来事を、毎日の普通の事になっちゅう現在に本当に感謝するがです。


高知龍馬空港、ヒロタリアンさん、竹虎四代目pg


旅行好きなヒロタリアンさんです、北へ南へ日本全国をビックリするくらい旅されています。旅慣れた装いからも、そんな経験豊富さが何となく伝わってくるのですが、しかし、今回のような日本唯一の虎竹の里での2日間は短いといえども濃密でした。今までの旅行とは全く違う忘れられない思い出になればと思いゆうがです。


今度、高知龍馬空港のこの場所で再びお会いさせていただく時には、自分の傍らには日本唯一の虎竹自動車があるはずぜよ。ヒロタリアンさんの大きなスーツケースを車に積み込み、隣の座席にお座りいただいたら、ゆっくり走り出す...。その日は、そんなに遠くはないですろう。


日本唯一の竹林と、ヒロタリアンさん

ヒロタリアンさん、竹虎四代目(山岸義浩)


最後に、もう一度だけ竹林をご案内させていただく事にしたがです。今度は竹を伐り出した場所とは別の違う谷間で車を降りて、やはり細く急な山道を登っていただきます。ご存じない方が来られたら、獣道に少し毛が生えた程度の何でもないような道に見えるかも知れませんがこの道を曾じいさんが100年前に登り、祖父も父も通った竹虎の歴史の詰まった竹の道だと思うから、自分にとっては唯一無二のかけがけのない心の拠り所の道ながぜよ。誰に教わったワケでもなく、仕事を手伝って来た事があるというワケでもなく高校の時に進路に困って行きついたのもここやったのです。


内職さん見学


そんな竹林にヒロタリアンさんと一緒に立って思うがです。耕運機を入れた納屋に仕事場のスペースを作って仕事をしてくれよります内職さん編まれる竹も、この山々から運び出された虎竹。


虎竹袖垣Tiger Bamboo


竹虎の工場で意外に手のかかる細工に驚かれていたのも同じ虎竹。


竹虎本社工場


山で伐採し、選別され、油抜きされた竹が様々な形に変わってく工程をご覧いただけて本当に良かったと思うちょります。クラウドファンディングなどという新しい手法を何も考えずに挑戦してしまって最初はどうしようかと思いよりましたが、ひとまずボーダーラインを越える事ができて成功させていただき、そして、そのお陰で又新しい試みができているのです。


日本唯一の虎竹林でヒロタリアンさん、竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)


「ガタガタガタ......」


麓の方からエンジン音が聞こえてきましたぞね。山の職人さんが、山出しに使う機械と一緒に山道を登って来ているのです。自分達の所まで上がってきてスイッチを切ります。その途端に、虎竹の里の竹林は静寂を取り戻します。耳を澄ませば、微かに揺れる竹葉の音と、近くを流れるせせらぎと、小鳥の声だけぞね。


虎竹の里山の職人さんとヒロタリアンさん、竹虎四代目(山岸義浩)


「こんな模様が入るのが虎竹という竹よ。」


山の職人さんは、県外からのお客様を連れていると聞いて竹の説明をしてくれます。最近は温暖化で虎竹の色付きが、あまり芳しくないがです、本当に困った事だと言いながら、その言葉の節々には、この地の竹への愛情と誇りを感じてしまうがぜよ。


ヒロタリアンさんも、きっとその事をお分かり頂いていたのだと思います。ベタベタの土佐弁で、もしかしたら何を言っているのか分からない言葉もあったかも知れませんが、ずっとずっと職人さんの話しに聞きいっちょったのです。


ヒロタリアンさん、虎竹製竹

竹虎本社工場


さて、いよいよ日本唯一の虎竹の製竹作業の工程になりましたぞね。竹林から伐り出して来た竹を工場に運び込みます、ヒロタリアンさんは流石です、すでに職人さんのように竹の扱いが堂に入っているのです。


虎竹目打ち


製竹には専用のガスバーナーを使いますがサイズに切った竹をそのまま炙っていけるかと言うとその前に、まず竹の目打ち作業があるがです。目打ちは竹の小枝の根元部分を取り除く作業ですぞね。鋸で小枝根元部分に切り目を入れ竹表皮が剥がれないように根元部分だけを打ち払うていきます。ヒロタリアンさんも大事な竹にキズを付けないよう、職人の指導に真剣な眼差しで取り組まれちょります。


虎竹油抜き加工


目打ちを終われば、いよいよガスバーナーですぞね。虎竹は淡竹の仲間で竹表面には白っぽい粉が付着したようにも見えるのですが高温を加える事により竹の油分が吹き出してきて虎竹は見る見る美しい姿に豹変するがです。


拭き上げた虎竹 Tiger Bamboo


拭き上げたばかりの虎竹達は青々として初々しい感じですけんど、時間が経つにつれて落ち着き渋い虎竹の色合いになっていくのです。


虎竹油抜き Tiger Bamboo


竹林でご覧になられた自然そのままの虎竹は、いったいどれが虎模様かさえも分からなかったと思うのですが、それが拭き上げ工程になると、本当に素晴らしく光沢のある別モノのような竹になっていきます。


Tiger Bamboo


拭き上げられたばかりの虎竹は素手で触れないくらいの熱さを保っちゅうがです。この熱を利用して竹の矯め直し作業が進められますぞね。竹は普通の状態では硬く、しなやかに曲がっていても、その曲がりは元に戻ってしまいます。ところが熱を加えている間は、まるで飴細工といえば大袈裟ですが、職人の手にかかればそれくらい自在に曲がりを矯正する事ができるのです。


虎竹矯め直し


矯め直しは、大きな矯め木に開けられた穴に熱した竹を差し込み、テコの原理を使うて矯正していきます。真っ直ぐなイメージのある竹ですが、実は一本たりとも真っ直ぐな竹などはありません、普通に目にされる竹が真っ直ぐで綺麗に並んでいるのは全てこうした工程を経ているからなのぜよ。


ヒロタリアンさん、虎竹矯め直し


ヒロタリアンさんも一人で矯め直しに挑戦...。けんど、当然ですがなかなか上手くできませんぞね。


竹虎職人■61-2


手助けしてもらいながら、時間をかけて矯め直しをしていきます。


ヒロタリアンさん、虎竹製竹


竹の矯め直しなど初めての事ですので、もちろん簡単にできることはないと思います。けんどヒロタリアンさんとりましては竹の矯め直しなど、おそらく一生に一度の事かも知れませんし、当社社員にとりましても社外の一般の方に技を教える体験など、そうそうありません。


虎竹加工、製造


竹林での伐採から始まり、工場では目打ちや、矯め直し作業を教えたり、ヒロタリアンさんがされる工程を見たりして、自分達が毎日当たり前にやっている竹の仕事を改めて見直してもらえる契機になったのではないろうか?そんな思いをしちゅうがです。


竹虎職人


ヒロタリアンさん、虎竹選別の土場

虎竹選別作業


食事を終えてやって来たのは虎竹選別の土場のひとつですぞね。虎竹の里から山出しされた竹達は、すべてこうやって土場に広げられ、一本、一本、色付き別、太さ別に選り分けられます。刈り入れの済んだ田んぼや、休耕している畑など、あちらこちらに虎竹が一面に広げられ選別される様子は自分の小さい頃から冬の風物詩やったがです。今では少なくなりましたが、一日中、この竹どうしの触れ合う乾いた音が聞こえていたような気がしちょりました。


虎竹選別作業


竹虎工場長がやって来ました。これから選別された竹を工場に運び入れます、ヒロタリアンさんに、土場での選別工程や作業の手順などをご説明させてもらうがです。


竹は自然相手の仕事と改めて感じるのは土場に来た時ですぞね。こうやってトラックに積み込まれた竹が広げられて色付きや太さで分けていくと、これだけの種類に分かれていくのです。そして同じ分類の竹にも、色付きや曲がりはもちろんですが製竹して加工して初めて分かる個性があり自然素材の大変さを思うがぜよ。


虎竹土場


広げた竹は、色付き、太さ別に選り分けられた分類別に束に縛り直していきますぞね。こうして束ねられた虎竹は工場に運び入れて部材ごとに切断されたり、種類別に保管されます。この時期にしか伐採しない虎竹です、この保管された竹材だけで一年を通して製品づくりをしていくがです。


ヒロタリアンさん、虎竹選別作業


ヒロタリアンさんにも竹虎社員と同じように体験していただきます。この日は天気も良く気持ちのエイ青空が広がって、まっこと気持ちのエイものでしたが、こんな日ばかりではありません。比較的温かな高知と言えども寒風が吹きつける日もあります、そんな中、中腰での作業は楽ではないがです。


虎竹積み込み作業


竹の積み込みにはホークリフトを使いますが、機械が入る土場は仕事もはかどりますぞね。一度に沢山の竹が出ていた時には、このような土場ばかりでなかったのでトラックまで竹束を担ぎあげるのが大変やったですにゃあ。


ヒロタリアンさん、虎竹選別作業


午前中に、竹伐り体験をしていただいています。竹が竹林から出されて、あの曲がりくねった山道を経てこの土場まで運ばれ選別されるのです。ご自身が実際に体験されたばかりの仕事なので虎竹製竹への流れが一番よくご理解いただけるように思うがです。


ヒロタリアンさんと久礼大正市場、田中鮮魚店

漁師町、久礼


中土佐町久礼は漫画「土佐の一本釣り」でも有名な漁師町なのです。高台から港を見下ろせば、本当に美しい景色が広がります、この町に海に面した高知にあっても、かなり独特な魚文化を持つ大正市場という凄いスポットがあるのです。


田中鮮魚店


朝早く漁に出て昼に帰って来る、旦那さんが釣り上げた新鮮な魚を奥さんが道路端に設えた即席の売台でさばいています。まっこと(本当に)地元の魚言うても、こんなに新しいものは他にありません。久礼の漁師町では昔からこんな光景が普通にあって、近くに暮らす自分達でさえ楽しいのに県外から来られた方は、かなりのカルチャーショック...。ある方が「高知は言葉の通じる外国」と例えましたけんど本当にその通りかも知れませんぜよ。


そんな魚のミラクルワールド大正市場にある田中鮮魚店さん。いつの頃から始まったのか忘れましたが、店先に並ぶ地獲れのピチピチな魚を、その場で刺身にしてくれたり、干物を焼いてくれたりしてホカホカご飯とタップリな魚のアラからとった出汁の味噌汁と一緒に食べる事ができるのです。何度も高知には来られ事のあるヒロタリアンさんですが、高知市内からも少し離れたコチラには来られた事がないのではないろうか。せっかくお越しになられたら、是非にと思いよりましたので、昼食にお連れさせてもろうたのです。


大正市場、田中鮮魚店


店主の田中さんは、いつ行っても元気マンマンで働かれている本当に魚屋の中の魚屋のような方ですちや。そして、気さくで温かいおもてなしの心を持たれちゅう方ですぞね、久礼といえばカツオですが他の魚の事やら、この市場の事を色々と説明してくれるがです。


鰹タタキ藁焼き体験、田中鮮魚店


ヒロタリアンさんが県外から来られちゅうと聞くと忙しく魚をさばいていた包丁を置いて、何と!カツオのタタキ藁焼き体験をさせてくれるがです!これには、ヒロタリアンさんも、こじゃんと(とても)嬉しそうちや。カツオの切り身は美味しそうやし、お顔はワクワクされているし、まっこと(本当に)こちらまで楽しくなってくるがです。


鰹タタキ藁焼き体験


カツオのタタキを焼き上げるのは藁。藁の炎は一気に高く燃え上がりますのでその強い火で表皮をサッと焼き上げ、香ばしい香りも付けていくのです。この日は午後から竹虎の工場では700度のガスバーナーの炎で虎竹の油抜き加工体験が待ちよりました。虎竹の前に、まず鰹を炙っていただいたがですぞね。


田中鮮魚店、地獲刺身


朝早くから虎竹の里で慣れない竹林伐採をして汗を流されてお腹もぺこぺこぜよ。タタキの他はアジ、トビウオの刺身、カツオの生など。そうそう、自分の小さい頃にはカツオのタタキなどあまりなかったです、カツオと言えばそのまま刺身で食べるのが普通でした。たぶん新鮮なカツオが豊富にあったからかも知れません。それから、ウツボのタタキもありましたにゃあ!高知では海のギャングと言われる、あのウツボも叩いて食します。見た目からは想像できないような淡泊な味わい、県外の方はビックリされますが地元の宴席では大皿一枚が全てウツボのタタキだったりします。ちなみに、そのウツボ漁には鰻ウケを何倍にも大きくしたような竹籠が使われてきて、その竹籠を編む職人さんも近くにおられるのです。


干物はカマス、メヒカリ、特に余所では食べられないと思うのは沖うるめ、干しきっていない半干しが最高ですぞね。けんど、何と言うてもご自分で焼かれた藁焼きカツオのタタキは格別。ちっくと贅沢なランチタイムやったがです。


ヒロタリアンさんと日本唯一の虎竹自動車

竹虎工場


日本唯一の虎竹の山々で自然な竹を見た後に竹虎の工場にある虎竹を見ると、その色合いの違いに同じ竹とは思えないと感じられる方がほとんどかも知れません。虎竹は淡竹(はちく)の仲間で竹表皮にはうっすらと靄がかかったような竹肌が特徴です。その竹をガスバーナーの高温の炎で熱を加えると竹の油分が切り口から吹き出すくらい出てくるのです。その油分をウエスで拭いて美しい竹の色合いを出してくる作業を虎竹の油抜き加工といいますけんど、ここに沢山置かれちゅう竹はすべてこの加工を済ませた竹ながぜよ。竹林に自然に立っている竹とは、また全く別モノの竹に成っているのです。


竹虎工場


ここはトラックで運ばれてきた虎竹を、それぞれの部材に切断する作業場。ヒロタリアンさんが、山でご覧になられた自然の色合いの原竹が沢山集められる場所でもあるがです。


日本唯一の虎竹自動車pg


「あれあれ、これが日本唯一の虎竹自動車か...」


ちょうど近くに置いてあった自動車の本体にヒロタリアンさんが近よりますぞね。大きなご支援をいただいたお陰でスタートする事ができたプロジェクトです。光岡自動車さんのLike-T3に決めたのは電気自動車で二人乗りの車はこれしかなかったからですが、お伺いさせて頂いた富山の本社工場では、モノ作りに対する真摯な姿勢に感激しました。その車はカバーを外して裸の状態にしたまま、これからどうするか考えている途中やったのです。


ヒロタリアンさん、竹虎四代目


「この車をどんなにするつもりなのですか?」


ヒロタリアンが聞かれます。今回のプロジェクトでは、「何故、竹の車なのか?」と言うことが大きなテーマだと思うちょります。これは、そもそも竹とは何か?という事にも繋がるがですが竹は草でも木でもなく、竹は竹ぜよ。当たり前の事のようですけんど竹特有のしなやかと、硬さという両極端な二つの性質を併せ持つ特殊な存在です。


軽く、丈夫、身近にあって加工しやすい竹と日本人は数千年の付き合いがあると言われます。青森県三内丸山遺跡から編み込みバックが出土したのは有名な話しです。ビックリしますが縄文時代前期5500年前のものらしいです、竹ではなく木の皮を編み込んでいますが現在の竹編みと何ら変わらない編み目を考えると、加工性の高い竹も当時から日本では広く活用されちょった事ですろう。


日本唯一の虎竹自動車


そんな特性と、歴史のある竹が今の日本では無くなりつつある。日本人の心から忘れられつつあるのです。かっては台所をはじめとして家の中も、外も竹がありとあらゆる所で活躍しちょました。だから、竹のつく常用漢字は140もあるがですが、今の生活の中では竹は活かされず、これだけ人々の生活を助け、役立ってきた無くてはならない存在やったのに竹林は荒れて、まるで悪者のように言われる事すらあるがぜよ。


これを何とかしたいがです。意識をかえたい。問題として考えてもらいたい。そのための自動車ながぜよ。竹虎は、こんな不便な田舎にあって誰も来てもらえませんけんど車やったら、動きますので自分の方から人の中へ乗っていけますろう!


竹虎本社工場、日本唯一の虎竹自動車


ところが、こんな思いを具現化するのが一番大変なところながです。工場長の専務をはじめ、竹虎の職人が頭を悩ましよりますぞね。


竹虎本社工場ヒロタリアンさん


竹虎本社工場ヒロタリアンさん


ヒロタリアンさんにはクラウドファンディングでは、こじゃんと助けていただきましたが、実際にお会いさせて頂いてからも、ずっと無言の応援いただいているような気分ぜよ。心が温かくなるような優しい笑顔は、「大丈夫、大丈夫」言うてグイグイと背中を押していただきゆうに思えるがです。


ヒロタリアンさん、虎竹の山出し

虎竹山出し


伐採した虎竹は急な斜面をできるだけキズにならないように気をつけながら下の道路まで下ろしてきます。竹の最盛期には段ボールやベニヤ板の切れ端に「注意!竹が落ちてくる事があります」等の立て札が道淵にあるがですぞね。それは、こうやって下ろしている竹が勢いあまって下の山道までササッーと一気に滑り落ちる事があるからなのです。


竹伐りをする場合、鋸で元を伐る人もいればナタで伐る人もおります。鋸の切り口は真っ直ぐですので比較的まだ安全ですが、ナタの場合にはまるで槍のようなものですのでシーズン中の、虎竹の里の山道は気がぬけないのです(笑)。山出し直後の道路には、場所によっては山側の高くなった竹林から隙間が見えないくらい、ズラリ一列に並んだように出されている所もあるがぞね。だから、自分などは車の窓も山側の席の時などには、つい自然と閉めて通るのです。


虎竹元切


今日はヒロタリアンさんの伐採のために特別に山に来たがぜよ。普通の山出しのように沢山積み込むわけではありませんのでトラックも、いつも2トン車ではなく小さなトラックです。竹林から出して来たままの長尺物のままで積み込むことが出来ませんので、元部分を切って頂いていつもより少し短くします。


ヒロタリアンさんと竹虎四代目


伐った竹は色付きのよい虎竹ばかり20数本、束にしてトラックまで担いで運びます。今回は短いので比較的担ぎやすいのですが、伐採したばかりの竹は水分が多く重たい、そして長いとバランスが取りづらく最初は力まかせに担いでみてもフラフラですぞね。担いだ肩も、もしかしたら骨が砕けたろうか?と思うくらい痛いのですが、これが不思議なもので慣れてくると瞬間的にバランスがとれる所が分かるし、肩の痛さもまったく感じなることなく仕事ができるようになるのです。石の上にも三年とか言われますけんど、何でも多少の我慢がいるがですにゃあ。


虎竹積み込み


ご自身の伐った竹を、運び出し、積み込まれるヒロタリアンさん。急斜面での慣れないお仕事ですので、ちっくと心配もしよりましたが、そんな必要は全然なかったですぜよ。本当に楽しそうに身体を動かされるのです。竹虎としましても今までこのような経験は無かった事、色々な気づきもあって感謝しちょりますし、無事に山仕事を終えてホッと安心したのです。


虎竹積み込み完了


ロープで竹をしっかりと縛れば準備完了。最後に一枚記念写真をパチリ、これから竹虎工場に向かい曲がりくねった昔ながらの山道を下って行いまきす。


ヒロタリアンさん、日本唯一の虎竹伐採

竹虎社員整列


日本唯一の虎竹自動車プロジェクトで一番のご支援をいただいたヒロタリアンさんが高知にやって来られちょりました。昨年末12/21日のブログ「ヒロタリアンさん来高」でも、お話しさせて頂いた続きになりますが今回のプロジェクトをご存じない方のためにご説明しておきますとクラウドファンディングという手法を使うて、全国の皆様に虎竹自動車を製作する費用を応援いただいたのです。一番高額な支援を頂いた方には、実際に虎竹の里にお越しいただき虎竹を伐採し、山出しや選別、製竹作業などをしていただいて、ご自身の伐採した虎竹を使い自分達がご希望の竹製品を作るという竹虎の長い歴史の中でも初めての取り組みをさせて頂くがぞね。


けんど、そのためには虎竹の伐採期間が1月末までと決まっちょりますので、それまでに一度高知にお越しいただかねばならなかったのです。お忙しい中、何とか都合をつけてお越しいただいたヒロタリアンさんを全員でお出迎えさせていただきましたぞね。


虎竹の里


虎竹の里の谷間は間口が、わずか1.5キロ程度しかありません。細長く奥にのびた山の麓から山頂までは虎竹があるのですが、山を越えると竹が無くなるという不思議な地域。かって取材に来られちょったイギリスBBC放送の方が「ミラクル!」と言うた通りの土地であり、竹なのです。


虎竹竹林Tiger Bamboo


日頃の行いがエイのですろう(笑)。最高の天候に恵まれた中、早速虎竹の故郷、焼坂の山に入っていきます。竹林までの道は山出しの機械が通れるだけの幅しかない細く曲がりくねった急な山道、辿り着いた目的地である竹林も急な斜面が続きますぜよ。


竹虎工場長


どこまでも広がるような虎竹の竹林ではありますが、実は全ての竹に虎模様があるかといえば全く違いますぞね。虎竹でも、その年に生えた新竹には模様は全然入っちょりません、3年くらい経った竹にようやく模様が入り始めますけんど、それでも模様が綺麗に入るのは本当にごく一部。ほとんど色が無かったり、半分だけ虎模様だったり...。なので、どうやって伐採するかの前に、良い虎竹を選ばねばなりません。どの竹を伐るか竹虎専務がヒロタリアンさんに指示させていただきます。


日本唯一の虎竹伐採 Tiger Bamboog


「この竹を伐りましょうか!」


専務の声で伐採スタートぜよ。都会から来られたヒロタリアンさんですが、日頃から地域の活動で汗を流されてる方だけあって完全装備、そして、ノコギリの使い方も様になっちゅうのです。


虎竹枝打ち


竹を伐り倒した後は竹の枝をナタで落としていきます。枝打ちは、虎竹の大切な表皮をキズ付けないように気をつけて行います、足場の悪い竹林での作業なので大変です。


日本唯一の虎竹伐採 Tiger Bamboo


竹とは実に面白く不思議な植物ながです。木でも草でもなく、硬さと柔らかさという両極の性質を併せ持っています。


「この竹は、生えてから何年くらいたっていると思いますか?」


ヒロタリアンさんに聞いてみましたが、比較的小降りな竹なので生えたばかりと言われるのが普通なのです。


日本唯一の虎竹伐採 Tiger Bamboo


ところが竹は、小指ほどの細い黒竹であっても驚くほど太い孟宗竹であっても全てタケノコからわずか3ヶ月で親竹と同じ大きさに成長するがです。記録によれば1日に120センチも伸びると言いますので、まっこと(本当に)雨後の竹の子とかいう言葉ができるはずながです。


ヒロタリアンさん、竹虎工場長


竹を伐るのは、かなりな重労働ですぞね。けんど、このような竹林で小鳥のさえずりや、谷川のせせらぎの音を聞きながらの仕事は何とも気持ちがエイものです。おっと下の竹林に人の気配ちや、誰かが登ってきています。


竹林での竹籠


ここまで上がってくるのは竹虎の職人くらいのものです、そろそろ一息入れたらと言う事で熱いコーヒーを運んで来てくれたがです。ポットを入れちゃある竹籠は元々は真っ白い晒竹(さらしだけ)で編まれたものですが年期が入って渋い飴色になっちょります、さすがやにゃあ。


竹林でのコーヒーブレイク


日本唯一の虎竹林で飲むコーヒーは、まっこと格別ぜよ!ヒロタリアンさんも、都会で生活されて色々な美味しいコーヒーは飲まれてきたかも知れませんけんど、もしかしたら、こんな一杯は初めてやったのではないろうか?さて、これから伐採した虎竹を運び出しますぞね。

安和天満宮の御守護

安和天満宮の御守護


今日で早くも松の内ですが、初詣には地元の安和天満宮に行ったがです。日本国内には一体どれくらいの数の天満宮があるのか知りませんけんど、かなりのものになりますろう。しかし、沢山ある天満宮の中でも虎竹の里にある安和天満宮には、日本でも此処にしかない御守護があるがですぞね。


それが日本唯一の虎竹で作られた御守護ぜよ。安和天満宮の境内には小さい頃に通うた保育園があったがぜよ。だから、この場所にはこじゃんと思い出深い場所が何カ所かあるのです、コンクリートで作られた橋の欄干もそのひとつ。ふざけて、その上から飛び降りて額をこじゃんと打ち付けて先生に心配をかけて母親にも大目玉をくろうた場所。


竹虎四代目、46年ぶりの再会


そうそう、実はそ時の先生と昨年末に本店前でバッタリお会いさせて頂いたがぜよ。何と46年ぶりやちや!凄いのは先生も自分を覚えてくれちょったし、自分も保育園の時にお世話になった方なのに鮮明にお顔は覚えちょった事ですぞね。本当に嬉しい再会やったのです。


まあ、そんな当時の安和保育園ですけんど、境内への唯一の通り道だったその橋の前に立って正面の山を眺めると、ずっと山頂まで虎竹の林が続いちゃある。そんな、この地にしかない特産の竹があるのなら、その竹を何とか活用したいと神主さんのアイデアで作ることになった虎竹御守護。


竹は、そもそも「松竹梅」と言われて縁起の良い植物ながです。わずか3ヶ月で20数メートルにも成長したかと思うと、落葉しても全ての竹葉が落ちる事もなく一年通して青々と繁る神秘的な生命力を持っちょります。そして「虎は千里往って千里還る」と言う言葉をご存じですろうか?それほど虎という動物は活力があり勢いがある例えなのですが、その「虎」と「竹」とがあわさった「虎竹」ぜよ!これは無敵のパワーを秘めちゃあるがです。今年もこの安和天満宮の虎竹御守護で一年を無事に健康にやっていきたいがです。


薬用竹炭の研究と竹炭石鹸

竹炭石鹸


思えば昨年は薬用竹炭の研究にも挑戦しましたぞね。研究と言えば大袈裟に聞こえるかも知れませんけんど文系の自分にとっては結構ハードルの高いものやっのです。高知県工業試験所さんに、こじゃんと(とても)協力いただいて最終的には何日も通わさせて頂きましたけんど、何せ学生の頃からビーカーだの試験管だの持った事もありませんので最初は全く要領を得ません、担当の方に手取り足取り教えて頂きましたちや。


薬用竹炭


薬用竹炭は、化粧品などに使われるため通常の炭とは違い厳格な基準が設定されちょります。その複数の項目に定められた基準値をクリアせねばなりませんので、まず微量の竹炭パウダーからはじめる事にしたのです。


薬用竹炭


覚えが悪いものですので担当方にピッタリ付いて教えを請いながら手順を確認していきますぞね。今回の薬用竹炭は竹炭石鹸の開発が目的でした。毎年春先、秋口といった季節の変わり目になると今まで何ともなかったのに急に痒みが出たり、皮膚の状態が芳しくないという事を繰り返してこの歳にまできましたが、30数年通っていた皮膚科が閉院してしもうて掛かり付けが変わったせいもあるがですろうか?例年に比べて、特に調子が悪かったのです。


そんな時には出張に行きホテルに備え付けられちゅうボディソープを使うと、ヒリヒリしてしまうがです。ああ、虎竹の里炭石鹸は、まっこと肌に優しいがやにゃあ...その都度、使い心地の良さを実感しちょりました。だから、自分が一生使う石鹸でもありますので、いつか機会をみて薬用竹炭を自分達の手で開発して石鹸に使いたいと、ずっと思い続けていたのです。


薬用竹炭、竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)


それが何とか実現したのが昨年やったがです。難しいと聞いちょりましたが担当の方の熱心なご指導と何より、昔ながらの土窯を竹炭専用に改良した高温窯で経験豊富な熟練竹炭職人が自然豊かな地元竹材を使い焼き上げる最高級の竹炭の品質の良さが証明されたように考えちゅうがぜよ。


薬用竹炭、竹虎四代目(山岸義浩)


けんど、竹炭の研究や開発はこれで終わりという事ではありませんぞね。これからも更に高品質、高機能を目指して出来る事をやり続けていかねばならないと思いよります。石鹸の次はシャンプー、リンスが今度の薬用竹炭に切り替わっていきますけんど、その他の商材についても皆様に喜んでいただけるものは積極的に取り組んで行くつもりながです。


懐かしい、初めての竹工場

竹材店


その竹屋さんには偶然手にした一冊の本が導いてくれたがです。はじめてお伺いする会社様の広々とした敷地には大きな竹の山があり、竹を立てかける鉄骨、大きな湯抜き釜、張られたロープに干されたウエス...。眺めていると懐かしい故郷に帰ってきたような気持ちになってくるがぞね。古く天井の高い木造倉庫の入り口から中を覗いたら、ずっと向こうまで竹、また竹。まっこと、小さい頃の自分の遊び場のようやにゃあ。


「今、昼休みなので、もうすぐしたら誰か出てきますよ。」


向かいの方が親切に声をかけてくれました。もう少し、ゆっくり見ていたいと思いよりましたので会釈して、そのまま黙って竹を見ちょりました。竹を切る音、竹を割る音、竹を積み込む音、薄暗い工場からは機械の音に混じって竹の音が聞こえてくるがぜよ。


「どちら様ですか?」


ゆっくりと工場に現れた社長様は、祖父を知っちょりました。随分前に一度訪ねて来た事があるそうなのです。


カンテキでの竹矯め


ふと、振り返るとご年配の職人さんが、慣れた手付きでカンテキと呼ばれる小型ガス窯で竹の矯め直しを始められていました。どこかで見た事があるような、いや見た事のある光景、もしかしたら前にも、ここに居ったろうか?自分は小さい頃から祖父に連れられて日本で行ったことがない県は無いという程、各地を回り様々な竹製品、竹細工の会社や工房にお伺いしているそうです。ほとんど忘れちょりますが、時々どうしたものか初めてなのに懐かしく思える場所があります。寡黙な職人さんが何か小声で呟かれます。


「あんた、あの時の...」


そう聞こえた気がしましたぜよ、そして優しかった祖父の面影を感じたのです。自分にとって竹は一体何なのだろう?と思う時があります。全てであるようであり、そうでないようであり、ただ確かな事は自分の竹は、祖父の面影を辿る事。たった、それだけの事ながです。


新春!日本唯一虎竹の里ウォーキング

竹虎四代目、Andre Loum(アンドレ ロウム)さん


今年の新春虎竹の里ウォーキングは2日(土)にする事に決めちょりました。おっと、そうぜよ、虎竹の里ウォーキングと言うても何の事か説明しないと分かりませんにゃあ。実は数年前からお正月休みに日本唯一の虎竹の故郷である焼坂の山道を歩き、峠を越えて隣町の久礼まで歩いています。例年なら3日か4日に歩いているのですが今年は他にせねばならない事もあって新年早々の2日になったのです。


さて、今までもこのような偶然のような、絶妙のタイミングでの出会いは多々ありましたが又今回も、ちょうど会社前の駐車場から歩きだそうとした所に一人のお遍路姿の外国の方が通りがかりました。その方は一端は竹虎を行き過ぎて国道を歩いて行ってしまってましたがガイドブックのような本を見ながら戻ってこられます。どうやら昔の遍路道を行きたいのだけれど、その入り口が分からず迷っておられるようでした。


どこから来られたのかと尋ねるとフランスからだと言われますぜよ。名前はAndre Loum(アンドレ ロウム)さん、自分達が歩く焼坂の道は、何を隠そうアンドレさんの探しておられる昔から続くお遍路さんの道でもありますので一緒に歩く事にしたがです。


虎竹の里、Andre Loum(アンドレ ロウム)さん


そもそも、何度となく竹林に通って来たこの道を、わざわざ歩こうと思いたったのには理由がありますぜよ。いつもトラックや車でしか来ることのない道を自分の足で歩く事によって、今までと違う景色が見たかったのです。そして、それは紛れもなく100年前にこの道を歩いた初代宇三郎の見た焼坂であり、竹林であり、もしかしたら知ったつもりになっちゅう虎竹の新しい一面が発見できるかも知れないと思うたからながです。


虎竹の里からは東の須崎方面に行くにも、西の四万十川方面に行くのにも、峠越えをせねばならず昔は交通の難所とも言われた時代がありました。そんな当時、高知県西部に行くにはここが唯一の道路であり、今では自分達でも信じられませんが乗り合いバスが走る生活道でもあったがです。そんな古い道の説明をアンドレさんにしながら歩いて行きますぞね。


竹虎四代目、Andre Loum(アンドレ ロウム)さん


麓から歩いてほどなく、日本唯一の虎模様の浮き上がる竹林があちこちに見えてきます。何と言うても、この虎竹の事を一番ご覧いただきたいがですが沢山あるように見える竹でも、昨年生えたばかりの竹には虎模様が出ていませんし数年経ったものでも全ての竹に色付きがあるわけではないのです。


貴重な虎竹の事をお伝えしたいのですが英語が満足に話せないので、詳しくは伝えられません。けんど、こうやって実際に道路脇の虎竹を触り、ご覧いただきながらの説明です、単語は正確には分からないものの、自分の身振り手振りでこの竹が日本でも特別な地域に育つ、特別な竹だと言うことは、しっかりと理解いただけちゅうように思います。


焼坂の山(久礼側)


この山で仕事をしていたら標高228メートルの頂上までは虎竹の林が沢山あるものの、頂上を境にして全く竹がなくなる不思議さを、他所から来られる歩き遍路のような方から問われる事があります。ここも実際にアンドレさんにご覧いただけて、まっこと良かったですぜよ。峠を少し過ぎた見晴らしの良い場所から眺める焼坂の反対側には本当に竹は一本も見つける事ができないのです。


竹虎四代目、Andre Loum(アンドレ ロウム)さん


昔は大きなバスやトラックさえ走っていた道でありますが、未舗装の道路は人が通らなくなると途端に荒れてしまうものです。虎竹の里側の道は、毎年伐り出される虎竹を運び出すためトラックが入れるように手入れしています。何気に歩いていると、その手間の大変さに気づかずにいるのですが峠を越えて反対側に来ると山道の様子が激変します。


大雨の鉄砲水で崩れてしまっている所、草が生え、木が生えて人一人がようやく通れるくらいになってしまっている所など、とても車で通れる道ではなくなっちゅうのです。虎竹の里の山道が、ずっと昔から土地に暮らす人々の生きている生活の道であり、命の道である事を、日常的に使われなくなった峠からの下り道を通る度に感じるがです。


竹虎四代目、Andre Loum(アンドレ ロウム)さん


お遍路道の道中には所々に地元の方の善意で設けられている接待所があり誰でも休憩できるようになっちょります。車で走って札所を回るだけなら、その有り難さに気づくこともあまり無いかもしれませんが、歩き遍路ですと雨風がしのげる屋根があり、荷物を下ろしてゆっくりと座れる場所があるのは本当嬉しい事だと思うがです。ひとつの難所である焼坂の峠を越えて漁師町久礼に入る少し手前にも、山道の疲れを癒やしてもらいたいとばかりに接待所があります。ちょうど、ここで昼時になりましたので持っていたオニギリとサンドウィッチをアンドレさんと一緒に頬張りましたぞね。


そして、自分達はJRの汽車で帰るために久礼駅へ、アンドレさんは、20数キロ離れた岩本寺目指して行くため別れる事にしたがです。けんどまっこと、年の初めからこのような嬉しい出会いがあるとは、今年も運がエイですにゃあ。まっこと楽しく幸運な新春!日本唯一虎竹の里ウォーキングでした。


元日、日本唯一の竹林

竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)


昨年末、日本唯一の虎竹の故郷である焼坂の山道を下って来て見晴らしの良いカーブで車を停めましたぜよ。まっこと、高知の自然は、気候は何と素晴らしいがですろうか。こうやって晴れ渡る青い空、降り注ぐ太陽、力強い山の緑、山の向こうには美しい土佐湾がある事を恥ずかしながら、ずっと当たり前の事のように思うてきちょりました。


けんど、それは違うがぞね。同じ四国であっても、日本であっても、こなんに豊かで気持ちのエイ自然はそうそうはありませんろう。まず、自分達はこの事に感謝せねばなりませんにゃあ。本当に天に向こうて「ありがとうございます!!!」こう大声で叫びたいような2015年を締めくくるにふさしい穏やかな午後やったがぜよ。


さて、ところでこの道沿いから虎竹の里の山々を眺めて見るのに、あれっ?この場所からだと不思議と竹林が見えちょりませんにゃあ...そんな事を思われる方もおられるかも知れませんちや。実は、その通りなのです。ここから見える安和の集落と取り囲むように見えるのは植林の山々ばかりです。


高知は何と84%の森林率を誇る日本一の森林県でもありますが、昔から山と言えば杉やヒノキ等の木材を植えるのが普通であり、竹を伐採する事はあっても、あえて増やす事はあまり無かった事だったと思います。当然、この虎竹の里でも山主さんは、せっかくの財産である山を持っているのなら杉など木材の植林をされてきました。虎竹の里でも山には竹林ばかりではなく、こうして見渡して植林の山が多いのは当然の事ながです。


このような背景がある中、100年前に大阪から単身やって来た竹虎初代宇三郎は山主さん一人一人を説いて竹林面積を少しづつ、少しづつ増やしてきたがです。杉やヒノキは竹虎の所有の山にも植林されちょりますが、伐採には数十年という時間が必要ぜよ。その点、竹は毎年生えて、季節が巡る度に伐採し買い取ってもらう事ができます。農作物の耕作面積が広いわけでもなく、交通不便だった当時の虎竹の里を思えば、こうして特産の竹が毎年、毎年、現金化できるのは魅力的な事やったですろう。


竹の開花周期は60年とも120年とも言われちょりますが、虎竹(淡竹)の開花など実は誰も知らんがぜよ。つまり、この里に広がる竹林の竹は全て人の手で植えられたもの。木を切り倒し、石垣を積み、先人の汗で増やしてきた日本にここにしかない大切な地域の財産です。けんど、元々、土佐藩に年貢の代わりとして献上されよった記録の残る虎竹が、一大産地となり、この地域に暮らす多くの方が竹と関わっていくようになる陰には初代の虎竹増産への大きな情熱があったがぞね。


「一年の計は元旦にあり」


虎竹の竹林に入り触れたいと思うちゅうのは、その先人の熱さなのです。


奇跡の撮影...!?新春2016年賀状

新春2016年賀状


明けましておめでとうございます!今年も何卒よろしくお願いいたします。恒例となりました竹虎四代目年賀状ですが、申年の今回は日本唯一の竹林に集うお猿さん達になりましたぜよ。


大学四回生の時から、ほぼ毎年のように続いちょります写真付き年賀葉書です。今年は何と有り難いことにご縁を頂いて、有名な写真家ミナモトタダユキさんに撮って頂いたがぞね。例年、秋も深まる季節になると恒例行事のように自分達で撮影をしながら手作りで27年やってきましたけんどプロカメラマンの方がお越しいただけるとあって、写真撮りに参加する社員も、そして準備にも、こじゃんと緊張して臨んだがです。


更に、今回は撮影に特別ゲストがおられました。それが大阪堺市で代々続く竹工芸家田辺小竹さんご一家ですぞね。田辺さんは昨年末にもパリで虎竹を使うた高さ6メートルもの圧巻のインスタレーションを発表されたちょりましたが、アメリカやヨーロッパでの個展など日本の竹文化を世界発信されゆう第一人者でもあられる凄いお方ながです。そんな芸術家の方が、まさかお猿の格好で撮影して頂けるとは思うてもみなかったですが、まっこと光栄な事に自分達と一緒に奇跡の撮影となったがです。


さすがにプロの技、撮影の方は完璧に進み、無事こうして元日を迎えられたのです。申年ならではの年賀状を皆様のお手元にも滞りなくお届けできて、まずは安心しちゅうがぜよ。


申上げましたように撮影は日本唯一の竹林で行いましたが、一体どんな様子やったのか?それは年賀状一覧のページに「竹虎2016」としてご紹介しちょりますので是非ご覧いただきたいがぜよ!!!今年も何卒よろしくお願いいたします。


おっと動画もありますぜよ!