楽しき竹の世界「イワシ籠」

鰯籠


高知出身の漫画家、青柳祐介さんの作品「土佐の一本釣り」で有名な漁師町久礼。ここの大正市場には大きな鰯籠をアーケードから吊り下げちゅうのです。鰯籠とは、カツオの生き餌を運ぶための竹籠の事、まさに久礼にはピッタリの竹籠ですろう。この籠は、初めてご覧になられる方にしたら驚くほど大きいのですが自分の小学校の頃には、こんな大きな籠どうやって使うがやろうか?運ぶがやろうか?誰が作ったがやろうか?次々に疑問が湧き起こってくる程の、まだまだ大きな竹籠も漁港近くに置かれちょったがですぞね。


鰯かご


さて、この鰯籠でいつも思いだすのが、もう6~7年も前に一度見たことのある熊本は水俣で作られていた鰯籠ながです。高知で使われちょった竹籠は丸い壺型ばかりやったです。ちょうど川漁師さんなどが腰に提げている丸魚籠を大きく大きくしたような形ぞね。ところが、こちらの籠は角型。そして、その巨大さと言うたら、まっこと圧倒される他はないがぜよ。


鰯籠編み込み


実は、この巨大鰯籠の事は前にもブログでお話しさせていただいた事があって、その時に職人さんに聞いたサイズを記載しちょります。横3.6メートル、奧行き2.6メートル、高さ2.3メートル!図面も何もなしで職人さんのカン頼りに作られちょりましたので多少サイズには違いがあったかと思いますが、竹籠というより竹で編み込まれたひとつの家?今までに見たことのあった竹製品や竹細工の概念を覆すような迫力を感じたがです。


漁師さんの注文で仕事されゆうという事やったがですが青空の下で、昔ながらのやり方で、自分の全く知らなかった竹を使った仕事をされる姿にはシビれました。虎竹でもイベントなどで使われる特別大きな花籠を製作される職人さんがおられました、しかしそれも、せいぜい高さ1.5メートルたらず、幅1メートル程度のもの、まったく比べものにはならなかったのです。


鰯籠の材料、孟宗竹


さすがに、これだけの大きさになると竹材も柔なものでは役に立ちませんぜよ。材料は全て孟宗竹を使われていました。太くて長く、身の厚い丈夫な孟宗竹あっての巨大竹籠ですちや。


水俣の鰯籠


籠は一人の職人が編み上げるのが普通ですが、この職場では一つの竹籠を数人で役割分担して協力しながら作っていきよりました。


鰯籠製造


要所を締め込む針金は、籠の内側に一人が入り、二人がかりでの仕事ぞね。巨大な鰯籠は、ご夫婦と息子さんのご家族三人で作り上げる竹籠だったのです。


鰯籠力竹


力竹も半割した孟宗竹ですので、この豪快さと言うたら無いがぜよ。曲げ部分に焼け焦げた跡が残っちょりますが、こうして熱を加えて竹の曲げ加工をするのは、大きな竹であっても、小さな細工であっても同じながです。


鰯籠土場


広々とした土場には丸い孟宗竹が二列に置かれちょりました。その上に完成した巨大鰯籠が並べられていきます、まっこと初めて見た時には目を疑うような光景やったちや。恐らくこのような竹編みをされているのは日本でも、ここだけではなかったかと思いますし、職人さんも、もしかしたら他にはおられないかも知れませんぞね。


それだけ貴重で、凄い竹籠であり、まさに歴史のある竹文化ですが毎日ここで仕事される、ご本人達には、虎竹の里に生まれた自分達が竹と言えば虎模様があるのが普通の事と考えちょったように、いつもの仕事をされている意識しかないのではないですろうか。


竹虎四代目(山岸義浩),作務衣,さむえ,SAMUE


近くいると見逃してしまいそうな価値ある竹...この鰯籠などは、その最たるものの一つやったですろう。けんど、このような未知の竹には今年も何回も出会う機会を頂いて驚かせてもろうたし、竹を魅せていただく事になり感動したのは自分自身やったように思います。竹の世界が狭いなどとは、とんでもない事ぜよ、知ったような気になっていても、まだまだ広い、深いがです。そして、知る程に竹と古くから結び付いている日本の素晴らしさを感じましたぜよ。


日本の竹は、まっことエイがです。竹はイネ科の植物です、だから世界一美味しいお米の育つ日本は、竹の生育にも最適な環境やと思います。元々は外来種として中国から渡ってきた孟宗竹も、まるで昔からあった在来種の竹であるかのように日本中の何処の山に入っても青々と繁っちょります。豊かな自然と、美しい四季のある日本で最高の竹と、職人の感性が育まれ、長い歴史の中で磨かれてきたのが日本の竹文化ながぜよ。来年も、そんな竹と、皆様と一緒におられる一年にしたいと思うちゅうがです。


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