碗籠には自分なりの思い入れがあって大好きでもあるし、多くの方にお使いいただきたい竹籠の一つながぜよ。高知には「お客」という文化があって、法事や神祭の度に親戚やら隣り近所から沢山の方が集まって宴会が始まるのです。こういう時には昔の家というのは良く考えられちょりますにゃあ。日頃は狭いと思っているお宅でも、襖を取り除いたら見事な大広間が出来上がるのがです。
神祭は地域ごとにあるのです。だから、一つの集落から何人もの職人さんが働きに来て頂いていた小さな頃には、この「お客」に一体何軒回ったか数えられなくなるくらい行かせてもらいよりました。思えば大人になってから、あんなに梯子する事は一度もないがぜよ。どこのお家にもズラリと皿鉢料理が並べられ機嫌の良さそうな大人達の笑い声でいっぱいやった。台所には何人ものお母さん、お姉さん達が割烹着姿で忙しそうにしよります、そして、そんな脇にいつもあったのが竹の碗籠やったのです。
もちろん、今のように可愛いサイズではありませんぞね。両手で抱えるような大きな籠がありましたし、洗った食器を干せなくなったら、その辺りにある竹籠や竹笊でも何でも使うて庭にならべられちょったがです。竹籠にお茶碗や湯飲みが入れられているのを見て、何か心がホッと安らぐのは、きっとそんな賑やかで温かった当時の事を賑やかな笑顔と共に思い出すからですろう。
そんな碗籠は気づくと職人さんがいなくなり、ある時出来なくなってしもうちょりました。これはイカン!まるで自分の使命のように思って何とか復活させたいと走り回ったのは、もう何年前の事やろうか。最初は似たような形の竹籠は出来るものの、どうにもお客様にご紹介できる竹編みが出来上がりませんでした。熟練の職人ばかりではない竹の世界にあって、はじめて作り出すという事がいかに難しく大変な事か、誰もやろうとしないのが、まっこと良く分かったがぜよ。
けんど、だから大人しくできるならもっと上手く儲けられるかも知れませんにゃあ。竹の事となったら、やたらと熱くなり会社経営の事を考えない父親を軽蔑した事もあったけんど、気がついたら自分も全く同じになっちょった。おそらく祖父も、もしかしたら曾じいさんもそうやったに違いない。こんな竹籠ひとつに、どれだけ時間と労力をかけて、まったく売り物にもならんのに...。だから、どうした。自分がやらんで誰がやる。ただ、それだけぞね。
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