あれは何だったがやろうか?今でもたまに思い出す事があるかぜよ。どんどん先の見えなくなっていく竹の世界、どうして良いか分らない真っ暗闇な中で押しつぶされそうな重圧感と閉塞感の毎日の中で、まるで何かが弾けたように竹の造形に取り組んだ事があったのです。
ある時はホテルや旅館のロビーを使わせて頂いて、ある時はお寺の客殿で、屋外競技場や医療施設などでも展示させて頂いたことがあったがぜよ。長い竹をそのまま街中に持ち込んでいくので、大型トラックに竹を積み込んで、職人達と共に行きよりました。まっこと、どうかしちょったかも知れませんにゃあ、竹の需要が右肩下がりに落ちていき明日はどうなるかも分らないような時の事でした。
日本唯一の虎竹と言えば、イギリスBBC放送が取材に来たり、オンリーワンやし聞こえもエイけんど、当時はその竹が売れなかった、余ってしょうがなかった。誰も振り向いてくれないので、どうせ行き先のない竹ならと思って「これでもか」と言うくらい使いよった。もちろん、虎竹だけではありませんぞね、真竹でも孟宗竹でも同じ事やちや、竹自体が誰にも振り向かれず、気にされず、消えていくだけ。そんな強い焦りの気持ちが全身から吹き出しそうやった。
ジーンズファクトリーという高知発のカジュアル衣料品店があるがです。こじゃんと人気がある店舗で、高知のみならず県外にも数店展開され躍進を続けられるファッション業界でも有名な企業様ですが、こちらの店内に孟宗竹を組み上げた時の写真は、1999年の年賀状にもしましたので、ちょくちょく目にする機会もありますぞね。地元高知店、高松店、岡山店と同じように組み上げて行ったけんど、もう随分と前の事、忘れかけている事も多いがです。ただ、竹を見てほしい、竹を見てほしいと思いよった、だから確か竹は一本たりとも切っていなかったと思うがです。竹虎から持っていったそのままを使うた、少しでも短くしたくなかった、竹の長いままを、そのままを見てほしかった。どうして?と自分に問い返してみても、
それが竹やからとしか言いようがないですかにゃあ。
今年も、そんな年賀状の季節。まっこと早いぜよ。
コメントする