第57回の京銘竹・竹製品展示品評会が京都で開催されちょりました。以前、滋賀県で開かれている竹の市に参加させて頂きましたが、このような竹のセリ市があるのは全国でも京都と滋賀だけですろう。滋賀県でのセリ市は、のどかな田園風景の広がる中に建つ大きな倉庫での開催でしたが、京都の竹の市は京都市内にある京都竹材商業協同組合会館で開かれちょりました。
京都での乾杯は条例で清酒と決められちゅうのをご存じですろうか?まず品評会は青竹に注がれた清酒の乾杯から始まりますぞね。ちっくと遅れて行ったのですが、お世話係の方に用意いただき本当に恐縮したがです。さらに、竹の集まりでは、当然のように、このように清々しい青竹が使われる事が多いようなのです、以前の京都竹の大会でもやはり竹杯で宴席はスタートしましたにゃあ。
京都が誇る白竹や図面竹、ゴマ竹、亀甲竹など普段あまり身近に触れる機会のない太く立派な銘竹まで手に取り見られるだけでも楽しくなってくるのに、市場で聞いたことのある魚や野菜のセリ声と同じように竹が競り落とされる光景は、滋賀の竹のセリ市と同じぜよ、まっこと新鮮なのです。
それにしても竹は奥が深い、知っているつもりでも知らない事ばかりちや。また、狭い日本の小さな業界のはずですが地域によっての違いなどもあってから、やっぱり面白いがぜよ。この根付きの孟宗竹は縦に割れが入っていますが、これは「石割」と呼ばれています。柔らかい筍の時に、ちょうど石に当たりこの部分だけ割れているそうですが、このの自然な景色を活かして花筒など作るとなかなか渋い物が出来そうですちや。
朝10時から始まる品評会ですが竹のセリ市も端の竹材から順をおって進んでいきます。竹材生産者の方にとったら自分の子供を見守るような気持ちで成り行きを見ていますし、竹材を使う業者の方々もそれぞれの竹を、どう活かしてお客様に提供するのか熟慮しながらだと思います。
竹のセリ市では竹材だけでなく、京都らしい図面の袖垣や、大きな穂垣なども並べられちょります。そう言えば、もう随分と前の事になりますが竹虎本店にトラックで大きな穂垣が積み込み運ばれて来た事があったのです。何枚も担ぎおろしましたけんど、これが重たくて数人がかりで持たないと運べないものもあったように記憶しちょります。今回、こちらにお邪魔させていただいて、この時の穂垣が、この竹のセリ市で分けて頂いたものだと分かりましたぞね。聞けば、祖父の時代には、ここにある竹だけではなくて、別の倉庫においてあった竹まで積み込んで帰ったと言いますので自分などは全く知るよしもないような、竹にとっても景気の良い時代が昔はあったようなのです。
竹は稈の部分は言うに及ばず、枝も捨てるところがないように使い切っていましたので枝打ちした後の竹枝を集めてくれる山の職人さんもおられるのです。今では需要も少なくなりそんな事はありませんけんど、毎年シーズンになれば「一体どこからこんなに沢山の竹枝が出てくるのやろうか?」と不思議に思うくらい集荷場には竹枝が積み込まれていたのを思いだしますぜよ。カサが張るので余計に大量に見えるのですが、多い時には10トントラックで何度も積み込みに行くほどでしたので今から言うたら想像もできませんろう。集めた黒穂は竹虎だけでは使い切れません。他社様にもお分けするために数人がかりで金型につめてロープで縛って荷造りしますが、それがちょうどこのような形になっていたのです。
竹の油抜きには乾式と湿式、つまり炭火やガスバーナーの炎で熱を加える方法と、熱湯で熱を加えて油抜きする方法があるがです。京都は乾式のガスバーナーで油抜きしていくのですが、やはり晒し竹を見ると、熱湯を使う湯抜きの場合と比べると色艶が乳白色に仕上がり、経年変色にも特有の趣があるがです。
孟宗竹だけを見ていても、そんな京銘竹の仕事の丁寧さや美しさを見て取れて、それぞれの職人さんの竹への深い愛情も感じられますけんど、更に火抜きの真竹を拝見させてもろうたら又格別ぞね。工場に沢山在庫してある竹屋さんに行くなら別として、こうして色々な竹を見比べ出来るのが竹のセリ市ならではの事かも知れませんにゃあ。
囲炉裏の煙に燻されて100年、200年と経った竹の宝石のような煤竹がズラリと並んじょります。30年ブログ「竹虎四代目がゆく!」を、いつもご購読いただきます方でしたら濃淡部分が縄目であるとご存じかも知れません。この部分が実際に縄で縛られ、長い風雪を過ごしてきた証とも言えるかと思うがぜよ。この煤竹も茅葺きの家から真っ黒い竹を一本づつ丁寧に取りだして洗い、油抜き、矯め直しなどの手をかけた後、ようやくこうした輝きを放つ竹になるがですぞね。
ところが同じ煤竹であっても、地域により出来上がる竹の質が違うのです。これは、寒い土地ほど囲炉裏に火を入れている時間が長いので竹の出来具合に大きく影響するというのが一つ。そして、それだけではありません、囲炉裏で燃やす材質によっても色づきに違いができるのです。だから、煤竹も全てが同じという事ではなく、やはり産地があり同じ竹のように見えても価値が全く違ってきます。数百年の時を経た煤竹は茶華道で珍重される素材ですが、奥の深い世界が広がっている事を垣間見る事ができるがです。