リニューアル竹炭石鹸

竹炭石鹸


今はご高齢になられた菩提寺の住職さんも当時は若かったがです。小さかった自分は真っ裸にされて、燃えさかる炎の上に抱き抱えられました。そして、そのまま何やら祈祷を始められましたが、自分はそれどころでは無かったですぞね。そばで心配そうに付きそう母親に大丈夫と声を掛けてもらっていましたが、熱つさを感じた記憶がないほど怖かったのです。


一体何のお話しかと言いますと、こうやって神頼みしなければならない程、自分の皮膚病の酷かったという事ながぜよ。当時はアトピーなどと言う言葉は知らなかったと思いますけんど、原因が分からず、どういう理由か、いつも身体を痒がる自分を両親は、こじゃんと心配してくれちょりました。汽車に揺られ、バスや電車を乗り継ぎ、片道数時間もかけて、遙々と高知市内の専門の病院にまで通っていたので、自分のアトピーには一体どれくらいお金がかかったか分からないと、いつも母は笑って言うのです。


中学、高校、大学と進学する中でも、ずっとアトピーの薬は手放すことは出来ませんでしたけんど、竹虎に就職してからも、頻度の差はあれ、ずっと同じ皮膚科の病院には足を運ばねばなりませんでした。けんど、あの菩提寺での祈祷が、それほど特別な事ではなく、親としたら、そんな気持ちになるというのが理解できるようになったのは、自分が子供を持つ親になってからの事ながです。


痛い方がまだ良いと思えるほどの痒みの辛さを知る者として、我が子が同じようにアトピーの薬を使うようになって、はじめて本気で考えるようになったがです。出張に出た時に、ホテルで備え付けの石鹸が、肌にピリピリ刺すように感じる事があったのです。自宅では薬用石鹸や、できるだけ刺激の少ない石鹸を使いよりましたが、毎日のお風呂で肌を清潔にする石鹸大切さを思い、自分や家族が使う竹炭石鹸を作りたいと考えるようになったのは、実は、子供のアトピーを見てからながです。


竹炭石けん


思うたら、あの幼い日の菩提寺の祈祷の炎と虎竹の里炭石鹸は、まったく結びつかないものでしたけんど形は違えど、同じ親心からの全く同じものやったのかも知れませんぞね。皆様のご愛顧のお陰で25万個も販売させていただくまでになっちょりますが、もともとは、こうやって自分や家族が使えたらと思うて作ったもの。そして、更に使い心地が良くなればと思うて、高知工業試験センターさんはじめ沢山の方に、ご協力やご指導頂ながら薬用竹炭を開発させてもろうたがです。


竹炭石鹸にするのにも試作、試作と繰り返し、周りの人にも手当たり次第にモニターになっていただきましたぜよ。予定より大幅に時間もかかりましたが、少しも妥協する気にはなれませんでした。小さいサイズの試作用石鹸では、いつもの使い心地とは違う気がして、何個も同時に使ったり、竹炭の配分量の微調整をしたり、けんど、正直言うて自信が持てるようになったのは、試作で完成した竹炭石鹸を自分達が何個か使った後からながです。自分は頭皮から爪先まで全部、これ一つですきに一番よく分かるのです。少しづつ自信が確信に変わってきてリニューアルして良かったと、心から思えるようになった虎竹の里竹炭石鹸が、また、笑顔の輪を作っていけるとしたら、こじゃんと(とても)嬉しいがです。


かえたろうFAMILY 美KI=まりゐ<br>


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