お客様から自分の書かせて頂いた「竹虎四代目への道」へのご感想を頂いたがです。竹虎はお陰様で今年で創業121年を迎えさせてもらっている老舗ではありますが、日本の山仕事が疲弊しつつある中で竹も間違いなく斜陽産業であり、将来性など全く感じることのできなかった、どん底からのスタートやったのです。自分では当たり前と思っていたり、あまり何も感じずにいることが、現在の竹虎しかご存じない方が、こうして驚かれたり、意外に思うて頂いたりするとしたならば、やはり恥を忍んで拙書を出版させてもらった甲斐があるというものながぜよ。
自分は学生の頃から何をやっても中途半端やった。イヤな事や苦手な事があれば、すぐに楽な方にばっかり逃げよりました。派手で居心地のよさそうな場所にばかり気をとられ、自分が誰かも知らんかったのです。一つの事を長続きさせられず、あきらめてばかり、挫折の連続ちや。ちっくとでもイヤな事、大変な事があれば、その都度、楽に方に曲がっていきますので、どんどん快適になるはすが、気がついたら自分の望んだ状況と全く正反対になっちょった。
自分がどうして生まれてきたのか、何を成すべきか、教えてもろうたのは、一人のお客様やったけんど、田舎の小さな竹屋ですきに、できる事はたかが知れちゅうぞね。まっこと、小さい小さい、皆様からしたら笑われそうな事ながです。けんど、これを日本で自分しか出来ないと思うたら...。
最初から竹が好きな人などおるがやろうか?竹に魅入られた祖父を見て、どうしてやろうかと不思議で仕方なかった。何が面白いがやろうか?何が楽しいか?何が美しいのか?どうかしちゅうぜよ、とずっと思いよった。こんな竹、こんな竹、こんな竹...。手にした竹を見ていたら泣けてきた、恨みたくなった、腹が立って力一杯蹴飛ばした事さえある。
あきらめて来たのは、いつも自分ながです。ここしかないと腹をくくった瞬間に世界が変わる、そんな当たり前の、ごく普通の話しをもしかしたら、まだ知らない、気づかいな方がおられたら、自分の経験の範囲でお伝えしたい、そう思うたのです。前掛けの「004」の数字か輝いて見えたのやったら、それは、ご自身が輝きゆうきですろう。人は、それぞれの場所で輝くために生まれちょります。
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