古い根曲竹手付き籠ひとつ

根曲竹手付き籠


一昨日の22日のブログにて根曲竹手付きかごについて少しお話しさせていただいたのです。太い持ち手が二つもダブルになって付いちょって、現代の暮らしの中で洗練されたインテリアとしての役目も担いながら、しっかりと伝統的な機能性を継承して残してある竹籠なのです。


実は何度かご紹介させていただいた事のある河井寛次郎記念館には、随分と昔に編まれたであろう同じ根曲竹で編まれた、似た形の竹籠がスリッパ入れとして今でも現役で使われちゅうのです。先日の写真と比べていただくとお分かりのように、まず一番大きな違いは編み目の大きさですぞね。こちらの竹籠は六ツ目の編み目が大きくザックリとした印象です。農業や漁業用とてして発展してきた籠でもあります。使われる方の用途により編み目の太さは違っていたのですろう。しかし、この長い月日を越えてきた色艶の素晴らしさは圧巻ぜよ。つやつやと飴色に輝く竹肌は、編まれたばかりの籠とは全く別モノですので、知らない方なら全く違う竹としか見る事はできないのかも知れませんちや。


そして、編み目の大きさの違いと、色艶など経年変色の素晴らしさの違いの他にもうひとつ気づくのは、もっと近寄ってみた竹籠のヒゴを見た時に思う事なのです。竹表皮に黒っぽい汚れのようなものが所々に付いちょります。これは根曲竹が山に生えている自時から付いている汚れかと思います。根曲竹は寒い地方に多い竹ですので、あまり原竹を目にする機会は多くありませんが、職人さんの工房で伐採されたばかりの根曲竹が束にされて山から運び出されてきたのを何度か拝見したことがあるのです。竹節のあたりには、同じような黒っぽい汚れが付いていて、職人さんは、まずこの竹の汚れを取る作業から始められちょりました。


一本づつ磨かれ竹ヒゴで編まれた籠は青々として素晴らしく綺麗です。ところが、もっと昔に編まれていた根曲竹細工は、おそらく竹ヒゴを磨くこともなく、編みやすいようにさえなっていれば、多少の汚れなど気にすることなく作るし、販売もされていたのだと思うがです。そもそも野菜を入れたり、魚介類を運ぶ器としての籠ですので、そこまで見栄えを気にする必要もなかったのですろう。必要とされていたのは使いやすさであり、数量でありました。


根曲竹は、本当に丈夫で堅牢な素材です。その当時に製造された籠も大事に保管されちょったら、今でも十分に使用に耐える品質を保ち続けていますが、竹ヒゴの汚れも気にせず編み込まれた編み目から、当時の活気に満ちあふれた竹工場の職人さんたちの手早い仕事ぶりが、今でも鬼気迫るように感じられます。


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