北海道、自転車の旅

自転車旅行


自分は明徳中学、高校という全寮制の学校に進学したがです。そうそう、この春に卒業生代表スピーチをさせて頂いた学校ですぞね。今ではスポーツが、こじゃんと(とても)有名で、相撲の朝青龍、プロゴルファーの松山英樹、横峰さくら等、素晴らしい皆様を輩出されるようになっていますが、自分の入学した時には学校は出来たばかりで高校卒業は第三期やったぜよ。当時は、スパルタ教育が徹底されちょって、テレビ、ラジオ、漫画という娯楽なども一切禁止でしたので、思春期の6年間は、かなり外部からの情報なしの生活をしよりました。まあ、それが楽しくないか?と言われると実はそうでもなくて、楽しみや、笑いは、どこにでもあるものだと思うのですが、そのお話しは又の機会にさせていただくとして。


今日は、そんな明徳時代からずっと心に決めていた自転車旅行の話しぞね。どうして自転車で旅をしたいと思うようになったかと言うと、今でも付き合いのある二つ上の先輩が、少ない休みをやり繰りして、帰省で実家に帰った時に友人二人で数泊の自転車旅行をした、そんな話しを聞いてからながです。


今のようにデジカメがあるわけでもなし、明徳にはカメラなど持ち込み禁止でしたし、先輩の撮った、ほんの2~3枚の写真しか見ることは出来なかったのですが、それでも自転車の自由さ、旅の面白さがヒシヒシと伝わってくるがです。思えば、便利になりすぎて詳しく見せる事ばかり考えがちですけんど、実は見えないからこそ、より想像がふくらむという事がありますろう。


自転車旅行装備


この時などが、まさにそうやったがですぞね。特に印象に残ったのは出発前夜、装備品をズラリと並べて撮った一枚、明日からの旅への緊張感や、ドキドキワクワクしている気持ちが、見ている自分にまで、のり移ったかのように思いましたちや。けんど、その写真は何年経っても忘れられず、実は自分が北海道に旅立つ前夜、同じように装備品を並べて写真を撮ったのです。


1982年8月3日(火)の大阪は、下宿の前の道が水に浸かるほどの土砂降り。雨が降るなど思いもしなかったので早朝から大慌てで自転車に積むバックにビニールをかぶせるなど雨対策をして、波乱を感じさせる旅がスタートしたがぜよ。


札幌駅1982年


北海道を一ヶ月かけて一周する計画で友人達三人で行ったのです。大阪から舞鶴まで走り、そこらかフェリーで小樽に着いて、時計回りに走って小樽まで帰ってくるコースぞね。旅の終わりの方で一泊した札幌駅は今行くと全く見る影もなく、近代的な大きなビルに建て替わっちょりますが33年前はこんなだったのです。


北海道、自転車旅行


自転車も少し乗るだけなら爽快ですし気持ちのエイものです。けんど、自転車旅行となると又違いますちや。自分達の旅行用の自転車はパンクしないように太く丈夫なものでした。ほとんど野宿ばかりの一月なのでキャンプ用品なども含めた重たい装備品を積んで、毎日、毎日ペダルを漕ぐ日々、さぞ気持ちのよい景色やろうと思っていた北海道の景色すら楽しめない、まっこと長く辛い道もありました。


まずは北へ、北へ、第一目標地点である日本最北端の地をめざします。高知県も人口密度は低いほうですけんど、北海道を走って思うたのは、本当に人家のない所が多いのです。行けども、行けども人の気配のない道が続くので、非常食だけでもと思ってチョコレートか何かを、見つけた店で慌てて買いましたぞね。


稚内駅


稚内駅に辿り着いたら、自分達と同じような自転車だったり、バイクだったり、沢山の若い旅人がいます、北海道の旅の一つの楽しみは、行く先々で出会う、そういう旅人との交流やったのです。道ですれ違う時には誰とはなしに手を上げ挨拶する、たったそれだけでも、どれだけ励まされたか知れません。


坂道で必死にペダルを踏んでいると横を通る車の車窓から、小学生くらいの女の子が声をかけてくれます。ハンドルから手が離せず、笑顔を返すのが精一杯。あの小さな声にも、こじゃんと助けられましたにゃあ。留萌だったか、羽幌町だったか日本海を眺めキャンプの用意をしていたら、バーベキューをしていた地元の方々が声をかけてくれました。そして、鮭一匹と野菜を大きな鉄板で焼く豪快な料理、「ちゃんちゃん焼き」をこの時に、初めて食べて感激したのです。北海道の方は、皆さん本当に優しく、親切な方ばかりやったぞね。これは、旅の間ずっと毎日のように感じる事でした。


最北端宗谷岬


明徳の時、日本最北端の宗谷岬に行けたらエイなあ。単純にずっとそう思いよったのです。どんな所か、どれくらい遠いのか、時間がかかるのか知らんけんど、とにかく「宗谷岬」という最北の地は憧れであったのです。


「最北端の宗谷岬まで行こう」、ずっとそう思いながら自転車を走らせました。けんど、来てみたら何のことはない海の広がる岬ぞね。自分と同じように走ってきた仲間と、日本最北端の碑があるだけ、夏というのにヤッケを着ないと寒いくらいの風が吹いちょりました。高校の時からここに来たくて、望みどおり到達したけんど、来てみたら、ずっとずっと岬の向こうまでも走り続けて行かねばならない道は遙か先に幾らでも伸びちょります。当たり前の事に気づいた若かりし日の最北の地やったのです。


北海道には背丈の低い笹は沢山ありましたが竹は全く見た覚えありません。一ヶ月もの長い間、竹を見ることも触ることもないと言うことなど考えたら、あれからはもちろんですが、これからも無い事ですろう。まっこと貴重で贅沢な時間だったと思っています。


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