昔ながらの飯籠

飯籠


その昔、竹細工は日本全国各地に産地があり、それぞれの地方の竹を使うて地域性にあった竹籠や竹ざるが大量に生産されていた時代があったがです。その当時の職人さんは少なくなって、お話を聴かせてもらえる機会も段々と少なくなりつつありますので、今のうちに出来るだけ一人でも多くの方にお会いしたい、ずっと、そう思いながら色々な方にお会いさせて頂いてきたのです。


こんな事を言うたら田舎の井の中の蛙と笑われそうですが、日本で誰よりも竹職人と会い、竹に関わる人と話し、竹の現場に足を運び、竹を見てきたという自負があるがです。自分がやらねばという使命感に突き動かされたという思いがありますが、やはり根底にあるのは「竹が好き」という単純な気持ちかも知れません。


飯籠は、干しザルや米研ぎ笊など、何処の地域に行っても編まれていた竹細工の一つぞね。日本でお米を食べない所は無いですからにゃあ。炊いたご飯を飯籠に入れて軒先の風通しのよい所で保管するのは、自分の小さい頃には、まだ見られた光景ですが、今でも竹職人さんの中には、わざわざ炊飯器のご飯を保温せずに、美味しいからと言うて飯籠にいれられる方もおりますぞね。


飯かご


飯籠には長い持ち手と蓋がついちょりますが、昔ながらの飯籠には網代編みされた蓋も多いのです。年期が入って赤茶けた渋い色合いになった飯籠を見かける事があります。当時の職人さんのモノは今の竹籠サイズに比べるとかなり大きいのです。ご飯を研ぐにしても、炊くにしても一家当たりの人数が今とは比べられないほど多かったからですろう。


そして、編み込みから腕の確かさが見て取れます。飯籠など一家に一つあって毎日使用しますので、それなりに傷み交換しますので、全国的にみたなら凄まじい数量が必要だったと思います。ほぼ、専門のように飯籠ばかり編む方もおられたし、まるでセミオーダーのように、そのお宅に暮らす人数に合わせて籠のサイズを決めて作るなどされていたと話す職人さんもおられます。今では、ほとんど出来なくなった、このような飯籠が、先日より再び皆様にご紹介できるようになりました。昔ながらの伝統の竹籠、もちろん数は多くはできませんので、欠品の事か多いと思いますし、お待ち頂く事も多々あろうと予想しちょりますが、こうして広く告知できる意義は小さくないと考えちょります。


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