店の向こうから歩いてこられる姿にドキリとしましたぜよ。ええっ!?あの、おんちゃんが若返って会いに来てくれたがやろうか!?まっこと驚いて足が思わず止まったまま、そんな自分に
「社長さん、オヤジとお袋が長い事、お世話になって...」
なんと、自分が小さい頃からずっと竹虎で働いてくださりよった下元のおんちゃんの息子さんだったのです。それにしても、良く似ている、顔はもちろんですけんど、その雰囲気、何と言うたらエイのか?歩くときの、ちょっとしたしぐさ、話し方や声まで、息子さんと聞いても下元のおんちゃんが久しぶりに来てくれたように思えてならないのです。祖父の代からずっと、ご夫婦で竹虎に来て頂きよりました。おんちゃんは、当時県外に虎竹や竹製品を積んで、ひっきりなしに走って行っていた、トラックの運転手さんとして、おばちゃんは、工場の中で職人さんとして、それぞれ大事なお仕事をしてくださりながら数十年勤務してくださいました。
そうそう思い出して来ましたぜよ。下元のおんちゃんがトラックのドアを開けてタバコ片手に降りてくる、竹が山のように積み上げられた土場の事を鮮明に覚えちょりますちや。けんど、そのトラックは濃いグレー色に白い竹虎ロゴマークの入った三輪車、今の若い皆様やったら「三輪車」と言えば、子供の乗り物くらいしかご存知ないかも知れんにゃあ。けんど、40数年前には三輪車のトラックが竹を積んで普通に走りよった。ああ、やっぱり随分と古い話ながぜよ。
当時は虎竹の里からも、そんなに遠くない笹場という所からも、竹虎の別工場があり職人さんに働いていただきよりました。黒竹の産地として昔から有名な地域で竹虎とは関係が深く、その近所から本社に働きに来てくださる方も多かったのです。あれは何の時やったのか?小さい頃なので詳しくは忘れましたが、「お客」と呼ばれる高知特有の習慣があって、その時期には、それぞれのご家庭で宴席を設けられていました。
お招きしてもうちょったからだと思いますが、沢山あった社員宅を一軒づつ、祖父に連れられ回らせてもらった事があるぜよ。どこのお家も襖を取り払い大広間に設えられた所に、長テーブルと座布団をズラリと並べ、豪快な皿鉢料理と、大きなお皿に盛られた鰹のタタキに、ワイワイと賑やかな宴が夜遅くまで続いちょりました。帰りには沢山のお土産やら何やら小さな自分の手にも持ちきれないくらい頂いた事を覚えちゅうがです。
「ヨシヒロ、お小遣いやるき」
下元のおんちゃんが、くわえタバコで年期の入ったお財布から小銭を手に握らせてくれましたぜよ。あれから何十年も経ってから、又おんちゃんにエイ物をいただいた。もろうてばっかりやきに、ちゃんと返せるように頑張らんとイカンにゃあ。竹虎は、まっこと多くの方の思いと繋がっちゅうがです。
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