蘆花浅水荘を建てた山元春拳画伯は、よほどの竹好きであられたと見えます。そもそも数寄屋造りで竹を随所に使われている内装であるのですが、竹の間などという特別に竹づくしの部屋まで創られている事は、昨日のブログでもご紹介させていただいた通りながです。部屋の内装に凝って竹を使われるという事は、やはり竹の道具や小物類にも竹を見る目があられて、炭取り籠なども品の良い出来映えのしっかりした竹籠を使われていたようです。
太い孟宗竹を使った行灯が部屋の隅に置かれちょました。職人の丁寧な仕事ぶりもさることながら、さすがに銘竹の本場、京都に長く住まわれていただけあって、竹そのものが美しいものばかりです。竹肌は火抜きならではの飴色に変色した艶やかな光沢ですぞね。
愛用されていた筆も遺されていましたが、持つと驚くほど軽やか、そしてこれも竹が美しく、当時そのままのような形を今に伝えちゅうようながです。
芸術家らしい変わった造形の竹も収集されていたのですろうか?まっこと鎌首をもたげた蛇のような竹根や。
ややっ!?あの吊り下げられちゅうものは一体何やろうか?一瞬スズメバチの巣か、何かかとも思うようなものの正体は、近づいて良くみたら、内側に竹節が見えていて、どうやら、これも竹根部分のようですぜよ。
何かで腐敗していたものやろうか、人が意図してできたものとは違い、自然に出来上がった造形というのは不思議でもあり、どんな職人でも、敵いませんにゃあ。
帰り際、玄関に入る時から気になっていた竹縁台を外に持ち出させて頂いて、ゆっくり見せてもろうたがです。年期が入った様子から、かなり前の品かと思うのですが、意外なほどに竹そのものに傷みがないというのが印象であり、また、細かい部分や設えは今の仕事とは比べもののないほど丁寧ちや。竹虎では日本唯一の虎竹と黒竹を並べた縁台を40年前から同じような大きさと形で作り続けよりますが、こんな昔の縁台が残っていたりするやろうか?複雑な思いと、又お伺いしたいという気持ちで蘆花浅水荘を後にしたがです。
コメントする