青竹酒器のこだわり

青竹酒器用竹材


青竹酒器の青々とした竹筒にお酒を入れると竹の香りが移り、味も美味しくなるのはもちろんですが、見た目の清々しさも抜群なので新春のお祝いの席などに使われます。以前は沢山製造したこともあってホテルさんや旅館さんに収めよりました。最初の頃などは板前さんが青竹酒器を大事に扱いながら、少しでも青さを長持ちさせるようにと冷凍庫に入れるのに驚いたものです。まあ、それくらい青竹の色合いの良さを楽しめる期間は短いがですが、この猛暑続きの夜の宴に涼をよぶ野趣あふれる演出などにも、まっこと、これほど最適なものはないがです。


さて、山から同じような頃合いの竹を伐り出してきて並べらちょります。この竹を汚れを落とし節のところで切って酒器に加工しますけんど、この本数の竹で一体何個の酒器が出来るかやろうか?ひとつ、ふたつ、みっつ...節の数を数えて、だいたいこれくらいですか?と聞いてみたら大ハズレぜよ。


青竹


この職人さんの答えた数はなんと5個です。5本の竹としても節は沢山ありますので上下に節のついた筒状のものは、もっと沢山切り出すことができるよに思われる方もおりますろう。けんど、太さが揃わないという事ながです。竹は元の方が太くて、ウラ(先端)にいけばいくほど細くなっちょます。熟練の山の職人さんの中には、この元とウラの太さの違いをできるだけ無くすような竹の管理もあるそうですけんど、どうしても、やはり太さは違ってくるのです。


そこまで、こだわらない方もおられて1本の竹から酒器でも、御猪口でも出来るだけ作ることもあるかと思うのですが、確かに、お店でズラリと並べた時に太さが違えば、あまり格好良いものではないですにゃあ。どうですろうか?5本の竹から5個しか作らないと聞きますと、一つの青竹酒器のお値段が決して高いものではないと思うがですぞね。言わなかったら、竹が全て同じ太さで5個の酒器など、1本の竹で作れてしまうと勘違いされる方がもしかしたら居られるかも知れませんちや。かっては身近で毎日の暮らしにあった竹なのですが、そんな事を心配するほど日本人と竹とは、ちっくと距離が開いているのです。


蘆花浅水荘の竹

炭取り籠


蘆花浅水荘を建てた山元春拳画伯は、よほどの竹好きであられたと見えます。そもそも数寄屋造りで竹を随所に使われている内装であるのですが、竹の間などという特別に竹づくしの部屋まで創られている事は、昨日のブログでもご紹介させていただいた通りながです。部屋の内装に凝って竹を使われるという事は、やはり竹の道具や小物類にも竹を見る目があられて、炭取り籠なども品の良い出来映えのしっかりした竹籠を使われていたようです。


竹行灯


太い孟宗竹を使った行灯が部屋の隅に置かれちょました。職人の丁寧な仕事ぶりもさることながら、さすがに銘竹の本場、京都に長く住まわれていただけあって、竹そのものが美しいものばかりです。竹肌は火抜きならではの飴色に変色した艶やかな光沢ですぞね。


竹筆


愛用されていた筆も遺されていましたが、持つと驚くほど軽やか、そしてこれも竹が美しく、当時そのままのような形を今に伝えちゅうようながです。


竹根


芸術家らしい変わった造形の竹も収集されていたのですろうか?まっこと鎌首をもたげた蛇のような竹根や。


竹根


ややっ!?あの吊り下げられちゅうものは一体何やろうか?一瞬スズメバチの巣か、何かかとも思うようなものの正体は、近づいて良くみたら、内側に竹節が見えていて、どうやら、これも竹根部分のようですぜよ。


竹節


何かで腐敗していたものやろうか、人が意図してできたものとは違い、自然に出来上がった造形というのは不思議でもあり、どんな職人でも、敵いませんにゃあ。


竹縁台


帰り際、玄関に入る時から気になっていた竹縁台を外に持ち出させて頂いて、ゆっくり見せてもろうたがです。年期が入った様子から、かなり前の品かと思うのですが、意外なほどに竹そのものに傷みがないというのが印象であり、また、細かい部分や設えは今の仕事とは比べもののないほど丁寧ちや。竹虎では日本唯一の虎竹と黒竹を並べた縁台を40年前から同じような大きさと形で作り続けよりますが、こんな昔の縁台が残っていたりするやろうか?複雑な思いと、又お伺いしたいという気持ちで蘆花浅水荘を後にしたがです。


「蘆花浅水荘」の竹の間

「蘆花浅水荘」竹の間


いよいよ、蘆花浅水荘の竹の間に入る事になったがです。この部屋は竹と名前が付くだけの事はあって、まっこと竹づくしなのです。ありとあらゆる所に竹が配置されていて見ていて飽きることがありません。特に変竹と呼ばれる竹が床の間にも配置されちょって、自然に曲がりくねった面白味のある捻れが独特の空間を創造しています。


丸窓


竹の間の見せ場のひとつの丸窓もしかり、あまり見かけることのない竹が装飾と使われています。


障子を閉めた丸窓


障子を閉めると満月にススキがゆれているような風情、なんとも粋な創りになっちゃあるのです。


竹取手


山元春拳氏は、よほど竹に思い入れがあり好きだったと見えます。そして、普通のものでは満足できず、竹にも芸術家らしい自然の意匠を求められていたような気がします。


竹の間


襖絵にも竹ですし網代編みされた竹を張り付けた引き戸には、極端に楕円形に押しつぶれたような竹節を活かしています。


引き戸竹取手


引き戸の取手には、他にもこのように細部まで神経の行き届いたデザインの凝ったものがあり楽しくなってきますぞね。


しぼ竹


ここに使われちゅうのは、しぼ竹ですろうか。シワが付いたように見える竹肌は自然が産んだ偶然の産物ぜよ。幻の竹とも言われる事があるようですけんど、このような珍しい竹が、まっこと好きな主やったようですちや。


竹灯り


この部屋を照らす照明も当然ながら竹製ですぜよ。竹ヒゴを細く取って編み込んだ竹細工ではなく、あえて、丸竹を使うた灯りがこの部屋には似合うちょります。この部屋の主役は竹ながです。あくまでも竹職人ではありません。竹そのものを愛し、竹そのものに価値を見いだした山元春拳画伯が偲ばれます。


山元春拳旧邸「蘆花浅水荘」の衣装籠

古い衣装籠


さて、いよいよ竹の間を拝見させていただこうと部屋を出て廊下を歩いていきますと、ふと一つの衣装籠が目にとまるのです。一目でその美しさに心奪われ、そのまま立ち止まります。ほんの数年前まで同じような竹籠を編まれていた、熟練の職人さんの顔が知らず知らずのうちに思い浮んできますぞね。まっこと見事な造形ぜよ。


衣装かご


裏返してみても、この端正な作りに溜息がでるばかりなのです。もしかしたら当時としては普通であったのかも知れません、いやいや、毎日の生活道具として使われちょった事を考えたら、少なくとも特別なものではなかったと思うのです。


ところが、今となっては、このような用の美を感じるような竹細工には、なかなか出会う機会は少なくなっているように思うのです。この衣装籠を作られた職人さんも最初からこの腕前ではなかったはずです。毎日、毎日、この竹編み専門で続けていくうちに、このような一つの芸術品とも呼べるような作品の域に到達したと思います。


磨きの竹細工


そう考えれば、このような竹が多用されて、人々の暮らしに密着し、必需品としてあった当時の技を、この現代に再現するというのは、なかなか難しい事かも知れません。それにしても、竹は本当に素晴らしい素材ですぜよ。竹表皮を薄く剥いだ「磨き」と呼ばれる技法であまれた竹肌は、渋い色合いに変色して自然なツヤに輝いています。一本づつ磨かれていたのは、竹の方なのか?それとも職人自身の腕なのか?たぶん両方ではないかと遠い昔を思いよったのです。


柳行李


隣に置かれちょった柳行李も年代ものでしたぞね。柳は強くて通気性もありながら、しなやか素材ですので、ただ衣装などを入れて保管するという事だけでなく、持ち運びなどの運搬用としても昔は頻繁に使われちょった素材です。傷みやすい口部分には竹、角には革や布で補強されたものが多いのですが、こちらの柳行李も、今でもまったく現役として使用可能のように見えました。自分の子供の頃にはまだ見ることのあった、懐かしくもあり、古き良き時代を十二分に感じさせてくれたのです。


山元春拳旧邸「蘆花浅水荘」

山元春拳旧邸「蘆花浅水荘」


高名な画家山元春拳氏が、ご自身の生誕地に近い膳所に別荘として建てた、蘆花浅水荘(ろかせんすいそう)のお話しを伺ったのは、それほど前の事ではないのです。美術にはとんと疎いもので、この画家の方の事も知らんかったのですが、後にはこの芸術家の創作の場となった建物に興味を持ったのは、平成6年には国の重要文化財に指定される程の素晴らしい、数寄屋造りを基調とした建物の中に「竹の間」と呼ばれる竹づくの部屋を拝見し、たからなのです。


竹


蘆花浅水荘には円融山記恩寺が開山されちょりますので、訪ねられる場合には、どちから迷う事もあるかも知れませんが、大津からも近い琵琶湖湖畔に静かに建っています。けんど、ここも入り口の門から凄いがぞね。自分が、ついつい目を奪われてしまうのは桧皮の重厚な屋根ではなく、格子に使われちゅう竹。当時は匠が太さや節間など一本づつ丁寧に選別した竹は、長い歳月の間にすっかり枯れた風合いになってはいますものの、当時と同じような凛とした佇まいを今でも、しっかりと残しているようです。


水屋の簀の子


水屋の竹にも同じような風情を感じますぞね。新しくやり換えられた竹は清々しく気持ちも新に引き締まるようですので、年初に向かい竹を取り替えられる事も多いのですが、こうして、誰かに大事に愛でられながら年月を経た竹には、独特の景色が見えてくるように思うのです。


船屋形天井


ゆったりとして見事な船屋形天井にも竹が効果的に使われちょって、ゲストとして招かれた皆様の気持ちを和ませた事やろうと思うがです。この廊下は一面ガラス戸が設えてあって、埋め立てて道路が出来る前の当時は、すぐ目の前まで琵琶湖の水がせまり、何ともいえない風情を醸し出していたろうと想像するだけで、まっこと楽しくなってきますちや。


竹灯り


灯りを吊しているのは煤竹です。天井に使われているのは確か北山杉と言われていたように覚えちょりますが、年期を感じさせる色合いに煤竹が馴染んでいるのは、もしかしたら建造当初より今の方が落ち着いて見えるかも知れません。竹の間に行くまでにも随所に見られる竹のあしらいに、この建物の主の方の竹への思いがヒシヒシと伝わり、ゆったりとした幸せな時間が流れる蘆花浅水荘なのです。


雑誌掲載の竹籠たち

雑誌「nid」


雑誌「nid」さんに取り上げていただく事があるのです。先日も竹の飯籠を掲載いただいちょりましたが、nid(ニド)という雑誌名がどうも不思議な名前ですにゃあ。最初は何とも思いよりませんでした、そんな英語でもあるのかとも考える程度でしたが、何回か掲載いただく内に、ふと見た雑誌名の下に、「ニッポンの イイトコ ドリ を楽しもう。」と書かれちゅうがです。なに?日本の良い所取りの頭文字でnidなのか。はじめて気がついて納得したことやったのです。


日本の良い物という事で竹虎のエビラなども掲載いただいています。ちょうど、この長雨が上がれば、梅干しの土用干しをされたい方も多いかと思います。エビラは、網代編みの竹を敷き詰めた平らな籠ですが、農家さんなどでも多用されているものを半分サイズにして、都会のベランダなどでも使えるようにしたタイプなどもあるがです。梅干しを干す以外には野菜干しなどに使われゆう方が多いようですぞね。


雑誌「nid」


つい先日に発行されました雑誌「nid」さんに掲載いただいたのは飯籠ぜよ。ご飯を炊いた後に、竹籠に入れて軒先や井戸などに風通しがよく、涼しい場所において保管していた時代があったのです。今では、飯籠の使い方、どうしてそのような籠が、それぞれのご家庭で必要だったかもご存じない方が多いと思います。


それは日本人の生活習慣や家族構成など暮らしに密着した事情があります。昔はお子さんの人数も多く、おじいさんからお孫さんまで、皆が一つ屋根の下に生活していましたので炊飯の量も多かったがです。薪で焚くご飯ですので、そう何度もご飯は炊く事もできません。一度に沢山炊いておいて、あまったご飯は飯籠に入れて保管していました。ご飯は白米だけですとそでもないようですが、麦飯を入れると傷みやすいと言われます。大量に炊きあげたご飯には飯籠は必要不可欠な生活道具のひとつやったのです。


だから、昔の飯籠は現在編まれる籠に比べてかなり大きく頑丈です。味噌こしざるなども、どうしてこんな大きなサイズが必要なのか?もししたら名前を間違えていないだろうか?そんな風に思えてくるほど、サイズ感に誤差があることも、人の暮らしの移ろいの中で出来てきた変化の違いですので、仕方のないことだと思うのです。


古い根曲竹手付き籠ひとつ

根曲竹手付き籠


一昨日の22日のブログにて根曲竹手付きかごについて少しお話しさせていただいたのです。太い持ち手が二つもダブルになって付いちょって、現代の暮らしの中で洗練されたインテリアとしての役目も担いながら、しっかりと伝統的な機能性を継承して残してある竹籠なのです。


実は何度かご紹介させていただいた事のある河井寛次郎記念館には、随分と昔に編まれたであろう同じ根曲竹で編まれた、似た形の竹籠がスリッパ入れとして今でも現役で使われちゅうのです。先日の写真と比べていただくとお分かりのように、まず一番大きな違いは編み目の大きさですぞね。こちらの竹籠は六ツ目の編み目が大きくザックリとした印象です。農業や漁業用とてして発展してきた籠でもあります。使われる方の用途により編み目の太さは違っていたのですろう。しかし、この長い月日を越えてきた色艶の素晴らしさは圧巻ぜよ。つやつやと飴色に輝く竹肌は、編まれたばかりの籠とは全く別モノですので、知らない方なら全く違う竹としか見る事はできないのかも知れませんちや。


そして、編み目の大きさの違いと、色艶など経年変色の素晴らしさの違いの他にもうひとつ気づくのは、もっと近寄ってみた竹籠のヒゴを見た時に思う事なのです。竹表皮に黒っぽい汚れのようなものが所々に付いちょります。これは根曲竹が山に生えている自時から付いている汚れかと思います。根曲竹は寒い地方に多い竹ですので、あまり原竹を目にする機会は多くありませんが、職人さんの工房で伐採されたばかりの根曲竹が束にされて山から運び出されてきたのを何度か拝見したことがあるのです。竹節のあたりには、同じような黒っぽい汚れが付いていて、職人さんは、まずこの竹の汚れを取る作業から始められちょりました。


一本づつ磨かれ竹ヒゴで編まれた籠は青々として素晴らしく綺麗です。ところが、もっと昔に編まれていた根曲竹細工は、おそらく竹ヒゴを磨くこともなく、編みやすいようにさえなっていれば、多少の汚れなど気にすることなく作るし、販売もされていたのだと思うがです。そもそも野菜を入れたり、魚介類を運ぶ器としての籠ですので、そこまで見栄えを気にする必要もなかったのですろう。必要とされていたのは使いやすさであり、数量でありました。


根曲竹は、本当に丈夫で堅牢な素材です。その当時に製造された籠も大事に保管されちょったら、今でも十分に使用に耐える品質を保ち続けていますが、竹ヒゴの汚れも気にせず編み込まれた編み目から、当時の活気に満ちあふれた竹工場の職人さんたちの手早い仕事ぶりが、今でも鬼気迫るように感じられます。


百年団扇

虎竹和紙団扇


今度の虎竹和紙団扇は全体的な方がまずエイ、そして、持ち手の竹部分も、ふっくらと優しい作りで持ちやすく、暑い夜にゆっくり、ゆっくり扇いでも疲れにくそうながです。細工も丁寧で、こじゃんと気に入っちょりますが、やはり何というても虎竹和紙を使うた紙部分に注目いただきたいがです。日本唯一の虎竹を繊維にして、土佐和紙の職人気質の社長さんに和紙にしてもらいましたぞね。


長い時間がかかって、もしかしたら今年の夏の販売には間に合わないかも、そう思って気が気でなかったのですが何とか形にする事が出来ました。指先で和紙を摘んで、これなら団扇にいけるだろう、そんな感じの熟練職人の社長さんのお陰で美しく漉き上がった虎竹和紙を、今度は団扇職人さんが綺麗に仕上げて、最後は、柿渋塗布してもろうちょります。


虎竹和紙うちわ


虎竹ゴールドの呼ばれる和紙の色合いが又渋く代わるだけでなく、防水、防腐、防虫効果が高まり耐久性が増すのです。同じ製法で作られた百年前の団扇を拝見させてもらいましたが、和紙に塗られた柿渋がさらに経年変色して焦げ茶色のような、渋い色合いになっちゃある。ややっ?だから「柿渋」なのか...?いえいえ、そんな事もないのでしょうが、まっこと自然という名の職人さんには、人の手は遠くかなわんがです。


右肩に入れた竹虎ロゴマークも格好がエイですろう?桃花色と銀鼠の二色ありますちや。このマークが又自分達にとってはかけがえのないものですから、この団扇は、何とも愛おしい一本となっちょりますけんど、長い間のご愛用で和紙の色合いが変わっていくなかで、どんな見え方になっていくがやろうか?まだまだ先の事なのですが、それも楽しみの一つなのです。


根曲竹手付きかご

根曲竹手付きかご


根曲竹は、竹と名前が付いてはいますがボールペンほどの太さしかなく、高さも1.5~2メートル程度の笹の仲間なのです。竹と笹の違いは背丈と、もう一つが稈についた竹皮ですぞね。成長するに従って竹皮が全て剥がれ落ちるのが竹で、大きくなっても稈に皮がついたたままのものが笹という分け方をします。


笹の一種である根曲竹は、竹皮が付いたままなので、伐採して山から運び出された状態では細工に使うことはできません。職人さんの工房では、まず根曲竹を一本づつ丁寧に磨いて、表皮の汚れと共に、竹皮など余分なものを落とす作業から始まりまるのです。寒い地方に多い竹なので四国、九州ではあまり見かけませんが、その堅牢さから、実は昔から様々な籠に多用されてきた素材の一つぜよ。


農家さんや、漁師町でも仕事で多用されていた実用重視の竹籠ですので、消耗品として沢山の製品が作られていた事を偲ばせるように、今でも残る古い籠に、この竹素材を見ることも少なくありません。ただ、仕事で使われる籠なら強さと機能性があれば十分なのですが、それぞの台所や、居間でのご愛用ならやはり見栄えが必要ながです。職人さんの手により磨かれた竹は青々として美しく、その竹肌は時間の経過と共に落ち着き、色合いが渋く変わってくるのは他の真竹や淡竹などと同じなのです。


手付き部分に使われちゅう竹が、無骨なほど太く、昔ながらの職人さんの伝統の名残をも感じさせる根曲手付きかごですが、持ち手に巻かれた竹、口巻きに使われちゅう竹は、特別に伐採した柔らかな若竹を使い細工されています。この縁巻きは、真竹など他の竹にはない独特な雰囲気を醸し出していて、本体の整った細かい六ツ目編みや、バランスの良い全体の形を更に魅力的に見せているのです。


北海道、自転車の旅

自転車旅行


自分は明徳中学、高校という全寮制の学校に進学したがです。そうそう、この春に卒業生代表スピーチをさせて頂いた学校ですぞね。今ではスポーツが、こじゃんと(とても)有名で、相撲の朝青龍、プロゴルファーの松山英樹、横峰さくら等、素晴らしい皆様を輩出されるようになっていますが、自分の入学した時には学校は出来たばかりで高校卒業は第三期やったぜよ。当時は、スパルタ教育が徹底されちょって、テレビ、ラジオ、漫画という娯楽なども一切禁止でしたので、思春期の6年間は、かなり外部からの情報なしの生活をしよりました。まあ、それが楽しくないか?と言われると実はそうでもなくて、楽しみや、笑いは、どこにでもあるものだと思うのですが、そのお話しは又の機会にさせていただくとして。


今日は、そんな明徳時代からずっと心に決めていた自転車旅行の話しぞね。どうして自転車で旅をしたいと思うようになったかと言うと、今でも付き合いのある二つ上の先輩が、少ない休みをやり繰りして、帰省で実家に帰った時に友人二人で数泊の自転車旅行をした、そんな話しを聞いてからながです。


今のようにデジカメがあるわけでもなし、明徳にはカメラなど持ち込み禁止でしたし、先輩の撮った、ほんの2~3枚の写真しか見ることは出来なかったのですが、それでも自転車の自由さ、旅の面白さがヒシヒシと伝わってくるがです。思えば、便利になりすぎて詳しく見せる事ばかり考えがちですけんど、実は見えないからこそ、より想像がふくらむという事がありますろう。


自転車旅行装備


この時などが、まさにそうやったがですぞね。特に印象に残ったのは出発前夜、装備品をズラリと並べて撮った一枚、明日からの旅への緊張感や、ドキドキワクワクしている気持ちが、見ている自分にまで、のり移ったかのように思いましたちや。けんど、その写真は何年経っても忘れられず、実は自分が北海道に旅立つ前夜、同じように装備品を並べて写真を撮ったのです。


1982年8月3日(火)の大阪は、下宿の前の道が水に浸かるほどの土砂降り。雨が降るなど思いもしなかったので早朝から大慌てで自転車に積むバックにビニールをかぶせるなど雨対策をして、波乱を感じさせる旅がスタートしたがぜよ。


札幌駅1982年


北海道を一ヶ月かけて一周する計画で友人達三人で行ったのです。大阪から舞鶴まで走り、そこらかフェリーで小樽に着いて、時計回りに走って小樽まで帰ってくるコースぞね。旅の終わりの方で一泊した札幌駅は今行くと全く見る影もなく、近代的な大きなビルに建て替わっちょりますが33年前はこんなだったのです。


北海道、自転車旅行


自転車も少し乗るだけなら爽快ですし気持ちのエイものです。けんど、自転車旅行となると又違いますちや。自分達の旅行用の自転車はパンクしないように太く丈夫なものでした。ほとんど野宿ばかりの一月なのでキャンプ用品なども含めた重たい装備品を積んで、毎日、毎日ペダルを漕ぐ日々、さぞ気持ちのよい景色やろうと思っていた北海道の景色すら楽しめない、まっこと長く辛い道もありました。


まずは北へ、北へ、第一目標地点である日本最北端の地をめざします。高知県も人口密度は低いほうですけんど、北海道を走って思うたのは、本当に人家のない所が多いのです。行けども、行けども人の気配のない道が続くので、非常食だけでもと思ってチョコレートか何かを、見つけた店で慌てて買いましたぞね。


稚内駅


稚内駅に辿り着いたら、自分達と同じような自転車だったり、バイクだったり、沢山の若い旅人がいます、北海道の旅の一つの楽しみは、行く先々で出会う、そういう旅人との交流やったのです。道ですれ違う時には誰とはなしに手を上げ挨拶する、たったそれだけでも、どれだけ励まされたか知れません。


坂道で必死にペダルを踏んでいると横を通る車の車窓から、小学生くらいの女の子が声をかけてくれます。ハンドルから手が離せず、笑顔を返すのが精一杯。あの小さな声にも、こじゃんと助けられましたにゃあ。留萌だったか、羽幌町だったか日本海を眺めキャンプの用意をしていたら、バーベキューをしていた地元の方々が声をかけてくれました。そして、鮭一匹と野菜を大きな鉄板で焼く豪快な料理、「ちゃんちゃん焼き」をこの時に、初めて食べて感激したのです。北海道の方は、皆さん本当に優しく、親切な方ばかりやったぞね。これは、旅の間ずっと毎日のように感じる事でした。


最北端宗谷岬


明徳の時、日本最北端の宗谷岬に行けたらエイなあ。単純にずっとそう思いよったのです。どんな所か、どれくらい遠いのか、時間がかかるのか知らんけんど、とにかく「宗谷岬」という最北の地は憧れであったのです。


「最北端の宗谷岬まで行こう」、ずっとそう思いながら自転車を走らせました。けんど、来てみたら何のことはない海の広がる岬ぞね。自分と同じように走ってきた仲間と、日本最北端の碑があるだけ、夏というのにヤッケを着ないと寒いくらいの風が吹いちょりました。高校の時からここに来たくて、望みどおり到達したけんど、来てみたら、ずっとずっと岬の向こうまでも走り続けて行かねばならない道は遙か先に幾らでも伸びちょります。当たり前の事に気づいた若かりし日の最北の地やったのです。


北海道には背丈の低い笹は沢山ありましたが竹は全く見た覚えありません。一ヶ月もの長い間、竹を見ることも触ることもないと言うことなど考えたら、あれからはもちろんですが、これからも無い事ですろう。まっこと貴重で贅沢な時間だったと思っています。


土壁の竹林

土壁の竹


土壁の家などあまり見かける事はなくなりました。前に若い方に土壁の話しをしたら、ああそれ知っていると言われます。珍しい方やにゃあ、こんな方もおられるのだなあと思っていたら、いわゆる、新建材を使って建てた家の中の壁から、シックハウスの原因となる物質が出ているというような理由で、上から珪藻土を塗るリフォームの事でした。日曜大工で家の壁を塗ると出来上がりの見栄えもよく、有害物質、ニオイや湿度調節まで出来ると言われていますので、なかなか良い物ではいないかと思いよります。何より自分の手で愛情込めて塗った壁の家は愛着も一際湧くのですろう。


けんど、自分達が土壁という場合には均一間隔にに割った竹を格子状に組んで、そこに赤土など固めた昔ながらの土壁を言うのです。10年一昔とは良く言うたものですが、ほんの15年、20年前までは、大型トラックに満載するほど、この土壁用の割竹を作りよりました。日本唯一の虎竹も全てに虎模様が付いているわけではありません。「白」と呼ばれる色つきの悪い竹も間引きながら伐採するので、このような細工には適さない竹は割竹などに加工していたがです。だから、漆喰壁の家を見ると、自分には綺麗な白壁より、その下に組まれた竹割が見えるような気がしてくるがですぞね。


さて、前にお伺いしたお店の入り口階段には、雰囲気のある土壁が施されちょります。そして、そこに埋め込まれているのは細い女竹(めだけ)でした。少し薄暗く、踊り場の足元を竹の照明で照らしちょった通路は、まるで竹林へ登る山道にも思えてきて、お店への期待がいやがおうにも高まったことを覚えちゅうのです。


小屋名のしょうけ その2

マタタビ縁巻き


小屋名の竹細工の特徴的なのは芯に使われちゅう木材...。それがツタウルシとは知りませんでしたが、長い間の経験から自然と使われるようになった素材だと思うので、身近であり、柔軟性、強度にも富む木材ですうろ。表皮を剥いで置いておくと虫がつきにくく保管が効いところなど、竹職人さんからしたら、まとめて材料確保できるので、さぞ好まれた理由のひとつだと思うたがです。


そんなツタウルシの他に、竹細工には珍しい素材を組み合わちゅうのを知って、まっこと遠く小屋名まで来たかいがあったと、しみじみ感じたのですが、何と、縁巻きにマタタビを使われちゃあるのです。昔ならいざ知らず、今では竹細工の縁巻きといえば同じ素材の竹、あるいは籐、マタタビで巻くというのは、まっこと見た事は無かったのです。


マタタビ


マタタビと言えば東北にはマタタビ細工というものがありますぞね。これも堅牢な素材で、水にも強く、手触りも素晴らしい素材です。米研ぎザルをいくつか持っちょりますが、中でも名人と言われる方のものは薄く均一に剥がれたマタタビが、見とれる程美しく編み込まれ、軽いのに特有のしなりがあり、一生使えるほどの丈夫さながです。


マタタビ割り


マタタビの職人さんからお話しを聞くと、沢などによく生えているのを見つけては降りていって集めるそうです。黒っぽい木肌なのに、その下には真っ白な生地が隠れちょります。表皮が浮き上がってくるまで1週間程度も水に浸し皮を剥ぐのです。それをマタタビ割りという木の道具で四つ割りにしていきます。


小屋名竹細工道具


こちらでは、使わなくなったナタや鎌を再利用するような形で、竹細工の道具を作られちょりました。このような道具をつかい竹ヒゴも作れば、マタタビの縁巻き用のヒゴも綺麗に作っていくのです。


小屋名竹細工職人


マタタビの縁巻きを拝見させてもらいましたぞね。あの、しなやかで強いマタタビの縁巻きなら、実用的で毎日の台所仕事にも全くビクともしない竹ざるが出来た事やろう。スズ竹、ツタウルシ、マタタビという3つの山の素材で編まれた竹ざるは、美しい山々に囲まれた小屋名でこそ生まれた竹細工だったのです。


飛騨の山々


小屋名(こやな)しょうけ

竹職人


飛騨高山は地名こそ有名で良く耳にすることはありますが、高知からは遠く離れちょって、まったく行く機会もなく、岐阜県の山深い所にあるという事以外知りませんでした。そんな高山市の小屋名(こやな)という地区に竹ザルの産地があると聞いたのは。いつの事やったですろうか?なかなか行く機会がない土地ですので、たまたまあったついでに、少し離れてはいるものの、ある時、小屋名しょうけを写した一枚の写真を拝見し、どうしても確かめたい事があったので、思い切ってお伺いしてみることにしたのです。こちらは高知などと違い、冬場は雪に閉ざされてしまう山間部です。小屋名のしょうけも、そんな冬期の農家の副業として発展したとの事でした。


小屋名片口しょうけ


自分がお伺いした時に編まれよったのは「片口しょうけ」と呼ばれる、片方に口のついた竹ざるで、洗ったお米など他の容器に移すのに便利な、まっこと実用的な竹細工ながです。このような竹ざるは、かっては日本の家庭ではどこででも広く使われよりましたので、その産地も各地に点々とあるものです。けんど、どこにでも同じような物があるからこそ、作り出される竹には気候、文化、地域性がでて、なかなか興味深いものながぜよ。


ツタウルシの枝


こちらの片口しょうけを初めて見た時に遠くでも見たいと思うたのは、口の部分に見えていたのが何やら木材のようやったからながです。四国や九州など竹の豊富な地域なら竹を使う細工でも、山の幸の多い土地柄なら、その素材を活かした竹細工が発展します。ここの場合は、ツタウルシの枝を火であぶり丸く曲げて芯に使われちょります。


小屋名しょうけ


竹は真竹や孟宗ではなく、スズ竹を使うというのも高地の高山ならではですろう。スズ竹は細く背丈も短い竹ですが、しなやかで粘りがあり、丈夫。竹細工として日常使いするには最適の素材と言えるがです。けんど、この竹ざるの素晴らしいところはこれだけではなかったがです。一枚の写真が気になって遠くやってきた小屋名しょうけ、やはり実際の竹ザルを見ないと分からない、こじゃんと魅力的なチャームポイントを明日は紹介しますぞね。


竹炭窯と竹酢液

竹炭窯の排煙


竹酢液(ちくさくえき)と言うても、いまひとつどうやって作られるものか、ハッキリご理解いただいていない方も多いかも知れませんぞね。よく質問される事もあるのですが、竹炭窯から出る煙を利用している事は、一時期、テレビや雑誌などで大きく取り上げて頂いた事もあるためか、何となくご存じの方も多いのですが、さすがに詳しくは、なかなか分かりにくいと思っています。


竹酢液は炭窯からモウモウと立ち上る、この煙から作られるのです。煙がステンレス製の長い煙突に入り冷やされ液体となったものが竹酢液ぜよ。約300種類もの有効成分が含まれると言われますが、このモウモウと上がる排煙温度が80度~150度の間の煙でしか採取しちょりません。これは80度以下だと有効成分があまり含まれる事がなく、反対に150度を上回ってしまうとベンツピレン、クレゾールという有害物質が含まれる事があるからながです。


竹炭窯


だから、竹炭窯には昔から二つの色のイメージを持っちょります。一つは赤々と燃え上がる炎のイメージ、そして、もうひとつが、真っ白く立ち上る煙のイメージながです。竹炭窯にも色々あって、明るく開放的な感じの窯もありますが、概ね少し薄暗く、そんな中で見る炎は強烈に目に焼き付きます。きっと焼き上げている最中には、竹炭窯の中では何か人知など遠く及ばない神秘的な事が行われているように思うのです。


曇っていた空から明るい陽射しが差し込んできましたちや。振り向くと、おっと...これは美しいですちや。煙の立ち込めちゅう炭窯に「天使の階段」が降りてきちょります。様々な竹炭の素晴らしい効能を思うたら、竹炭は、こうやって天から降りてきた天使からの贈り物のような気がしてきます。熟練の炭職人さんが向こうでニッコリ笑われゆう、今日は何か神々しさを感じる竹炭窯なのです。


国産竹串について

国産竹串


竹串や竹の楊枝など国産のものは、やはり国産だけの品質があるのです。竹は自然のままのモノ、カビや防虫などの薬剤は使うちょりません。まず、当たり前ですが安全性が一番やと思うのです。そして、竹表皮に近い一番丈夫な部分だけを使っているので強いのです。誰にでも分かりやすいの物のひとつに竹楊枝がありますにゃあ。もし、お近くに市販されている木製の楊枝があれば、竹楊枝の折れにくさや、先端部分の強度など簡単に比べられます。


ところが、このような付加価値があまり高くはない竹材加工は、どんどん海外に生産が移り、日本で製造されるメーカーさんは、本当に極わずかとなっちゅうのが現状ながです。竹虎で昔から使いよります竹釘などもそうですぞね。金属製の釘では効かない竹には竹で出来た釘(セン)が最適ながです。色々なサイズがあって、以前は沢山作ってくださる職人さんがおられました。けんど、このような竹釘も、仕事の変化や高齢化で地元の職人さんはおりません。今後は、どうやって調達しようかと模索しているところぜよ。


焼き鳥や団子などに使う串のサイズとは明らかに違う大きなサイズの竹串、これは一体に何に使うがやろうか?と思いよりましたら、アメゴとか鮎など川魚を囲炉裏で焼き上げるのに使う竹串だったのです。いつやったか、美しい渓谷を通りがかった時に、まさに囲炉裏の炭火の周りにアメゴの丸焼きを突き立てて販売しよりました。日頃あまり食さない川魚ですが、一口食べたら、その美味しさに、一気に丸かじりで食べてしもうた事を思いだしますが、あの時も確かにこのような大きな竹串に刺さっちょりましたにゃあ。このような竹串がないと、あの美味しいアメゴは食べられなくなるのです。


竹を細く縦に割って簡単に面捕りして、両端を鋭利に削るだけのシンプルなものです。どこでも製造出来そうではありますがこれも竹楊枝や竹串などと同じです。程度の差はありますものの、もしかしたら今までのように、製造する事が出来にくくなっていくのではないかと思っています。日頃から同じような竹串を製造し続けているものでしたら、冬場にしか伐採しない良質な材料も用意されているし、専用の機械があったりノウハウのある職人さんもおられるかも知れません。しかし、たまにあるだけの仕事なら、そのような準備をする事はできません。安全性や国内の竹材有効活用など環境意識なども手伝って、日本のモノ作りへ還ってくる動きは随分前から感じつつも、いくつかの手仕事で復活が難しい空洞化が進んでいるのも現実ながです。


昔ながらの飯籠

飯籠


その昔、竹細工は日本全国各地に産地があり、それぞれの地方の竹を使うて地域性にあった竹籠や竹ざるが大量に生産されていた時代があったがです。その当時の職人さんは少なくなって、お話を聴かせてもらえる機会も段々と少なくなりつつありますので、今のうちに出来るだけ一人でも多くの方にお会いしたい、ずっと、そう思いながら色々な方にお会いさせて頂いてきたのです。


こんな事を言うたら田舎の井の中の蛙と笑われそうですが、日本で誰よりも竹職人と会い、竹に関わる人と話し、竹の現場に足を運び、竹を見てきたという自負があるがです。自分がやらねばという使命感に突き動かされたという思いがありますが、やはり根底にあるのは「竹が好き」という単純な気持ちかも知れません。


飯籠は、干しザルや米研ぎ笊など、何処の地域に行っても編まれていた竹細工の一つぞね。日本でお米を食べない所は無いですからにゃあ。炊いたご飯を飯籠に入れて軒先の風通しのよい所で保管するのは、自分の小さい頃には、まだ見られた光景ですが、今でも竹職人さんの中には、わざわざ炊飯器のご飯を保温せずに、美味しいからと言うて飯籠にいれられる方もおりますぞね。


飯かご


飯籠には長い持ち手と蓋がついちょりますが、昔ながらの飯籠には網代編みされた蓋も多いのです。年期が入って赤茶けた渋い色合いになった飯籠を見かける事があります。当時の職人さんのモノは今の竹籠サイズに比べるとかなり大きいのです。ご飯を研ぐにしても、炊くにしても一家当たりの人数が今とは比べられないほど多かったからですろう。


そして、編み込みから腕の確かさが見て取れます。飯籠など一家に一つあって毎日使用しますので、それなりに傷み交換しますので、全国的にみたなら凄まじい数量が必要だったと思います。ほぼ、専門のように飯籠ばかり編む方もおられたし、まるでセミオーダーのように、そのお宅に暮らす人数に合わせて籠のサイズを決めて作るなどされていたと話す職人さんもおられます。今では、ほとんど出来なくなった、このような飯籠が、先日より再び皆様にご紹介できるようになりました。昔ながらの伝統の竹籠、もちろん数は多くはできませんので、欠品の事か多いと思いますし、お待ち頂く事も多々あろうと予想しちょりますが、こうして広く告知できる意義は小さくないと考えちょります。


竹の台所

水切り籠


少し体重を落とそうと思うて、野菜と肉を中心とした食事を心がけちょります。昔は肉を食べると太るとか言われてましたが、これは少し違うようです。また元々野菜は何でも大好きなのでモリモリ食べよりますぞね。先日も大きなキュウリを沢山頂いたので大助かりやったですちや。キュウリは体温を下げる食材って知っちょりますろうか?どうやら夏に旬を迎える野菜には、そんな効果があるようですので、まっこと自然は良く出来ているなあと思うのです。


さて、野菜は当然ながら水洗いしますぞね。近くで頂く野菜は農薬など使っていないものばかりですけんど、やはり、それでも軽く水に流しますので、その際は、こんな格好のエイ水切りざるがひとつキッチンにあれば、こじゃんと便利でもあるし、台所の景色が違って見えてくるのです。


生野菜でも、炒めた野菜でも野菜は美味しいですにゃあ。そうそう県外の方は高知の野菜は味が濃いというて評価してくちょりますので、もしかしたら自分の野菜好きは、この高知のお陰かも知れませんぞね。けんど、野菜を食す時の決め手は何というて鬼おろしで作ったシャキシャキ大根おろし、これを思う存分かけて、その時の気分でポン酢や胡麻ダレを選んでかけたら、まっこと、夏バテ知らず、いくらでも食べられるがです。


竹の鬼おろしを手にして、ふと大きなボールに入った野菜に目を落とします。この硬い竹は、小さい時には筍として、目の前にある野菜達と同じように食材として使えたものですにゃあ...。しかも何とも美味、収穫時期はあるものの野菜のように手間もかからない、それが大きく成長して竹となれば、このような竹製品として、あるいは細く割って竹ヒゴにすれば柔軟性をもった水切りざるとして活用できる。この野菜等と同じように食べる事もできたものが、大きくなったら、今度はその調理に役立つ道具になるとは、まっこと改めて竹という素材の多様性、素晴らしさに感動せずにはおれません。もっと竹に「ありがとう」を言わねば、竹の台所で思うがです。


下元のおんちゃん

竹虎本店にて


店の向こうから歩いてこられる姿にドキリとしましたぜよ。ええっ!?あの、おんちゃんが若返って会いに来てくれたがやろうか!?まっこと驚いて足が思わず止まったまま、そんな自分に


「社長さん、オヤジとお袋が長い事、お世話になって...」


なんと、自分が小さい頃からずっと竹虎で働いてくださりよった下元のおんちゃんの息子さんだったのです。それにしても、良く似ている、顔はもちろんですけんど、その雰囲気、何と言うたらエイのか?歩くときの、ちょっとしたしぐさ、話し方や声まで、息子さんと聞いても下元のおんちゃんが久しぶりに来てくれたように思えてならないのです。祖父の代からずっと、ご夫婦で竹虎に来て頂きよりました。おんちゃんは、当時県外に虎竹や竹製品を積んで、ひっきりなしに走って行っていた、トラックの運転手さんとして、おばちゃんは、工場の中で職人さんとして、それぞれ大事なお仕事をしてくださりながら数十年勤務してくださいました。


そうそう思い出して来ましたぜよ。下元のおんちゃんがトラックのドアを開けてタバコ片手に降りてくる、竹が山のように積み上げられた土場の事を鮮明に覚えちょりますちや。けんど、そのトラックは濃いグレー色に白い竹虎ロゴマークの入った三輪車、今の若い皆様やったら「三輪車」と言えば、子供の乗り物くらいしかご存知ないかも知れんにゃあ。けんど、40数年前には三輪車のトラックが竹を積んで普通に走りよった。ああ、やっぱり随分と古い話ながぜよ。


当時は虎竹の里からも、そんなに遠くない笹場という所からも、竹虎の別工場があり職人さんに働いていただきよりました。黒竹の産地として昔から有名な地域で竹虎とは関係が深く、その近所から本社に働きに来てくださる方も多かったのです。あれは何の時やったのか?小さい頃なので詳しくは忘れましたが、「お客」と呼ばれる高知特有の習慣があって、その時期には、それぞれのご家庭で宴席を設けられていました。


お招きしてもうちょったからだと思いますが、沢山あった社員宅を一軒づつ、祖父に連れられ回らせてもらった事があるぜよ。どこのお家も襖を取り払い大広間に設えられた所に、長テーブルと座布団をズラリと並べ、豪快な皿鉢料理と、大きなお皿に盛られた鰹のタタキに、ワイワイと賑やかな宴が夜遅くまで続いちょりました。帰りには沢山のお土産やら何やら小さな自分の手にも持ちきれないくらい頂いた事を覚えちゅうがです。


「ヨシヒロ、お小遣いやるき」


下元のおんちゃんが、くわえタバコで年期の入ったお財布から小銭を手に握らせてくれましたぜよ。あれから何十年も経ってから、又おんちゃんにエイ物をいただいた。もろうてばっかりやきに、ちゃんと返せるように頑張らんとイカンにゃあ。竹虎は、まっこと多くの方の思いと繋がっちゅうがです。


一文字持ち手の竹籠

持ち手付丸籠


所変われば品が変わると言われますけんど、この青々とした編み上がったばかりの竹籠も、普通のものとは、ちっくと趣が違うがですぞね。作った本人の職人さんは、お祖父さんの代からずっと同じ作りだよと涼しい顔で笑いながら手を動かしていますけんど、こんな丸籠に一文字の持ち手というのは、あまり見た事は無いのです。


持ち手付丸籠


しかも、その持ち手が縁巻き同様に素晴らしく綺麗に仕上げられちょります。これだけの腕前をされるという職人さんなら、ずっと若い頃から竹一筋に歩まれてきた熟練の方というのは明らか。そのような方が、こう話してくれるので、これは説得力があるがです。


いやいや、それにしても珍しいちや。重たい物を入れた時には籠の下を抱えるように持つので持ち手は必要ありません。畑に肥えをまくのに使われちょった竹籠なども、脇に抱えて楽に仕事できるように楕円形に作られちょります。片手で手提げのように持つというのは、あまり知られていない形です。


竹籠に木の持ち手


今までも日本各地に興味深い竹があり、竹細工があり、竹文化がありましたぜよ。暮らしの中から生まれた様々な籠も拝見してきましたけんど、このような一文字の持ち手はありませんでした。まっこと、この地方独特の竹の作りかも知れませんにゃあ。そうこうしている内になんと木製の持ち手もあることを発見しましたちや。これだけ綺麗に編まれた名人作の横編みの丸籠に、何と大胆な、木の棒のあしらい!かなりもったいな気持ちで一杯になってきますちや。


丸竹籠


けんど、これか地域性というものながですろうか。自分達ならそのまま美しい丸籠として使うところを惜しげもなく一文字に竹を入れたり、木まで使うたりして、今まで知らない自分達と違うやり方だからこそ、面白いと思うがですぞね。


竹ターナーの節模様

竹ターナー


竹ターナーや調理ベラをお使いになられていますでしょうか?持った感じも優しいですし、鍋を傷めないので調理用のターナー類は、木製のものか、竹製のものが多いのではないですろうか。そんな竹ターナーを良くご覧いただきますと、何処か一箇所か二箇所くらいに横一文字に筋のような独特の模様が入っているのではないかと思います。実は、これが竹節にあたる部分ながです。


写真の竹ターナーの下には、竹ターナー用に炭化加工された竹材料を置いちょります。竹は元の方が節間が詰んでいて、ウラ(先端)ほど節が開きます。また、それぞれに個性があり伸びも違いますので節の位置がどこにくるのかは、加工される竹素材により当然違いがありますぞね。


素材の竹には二箇所に竹節が見えています。ターナーの形に削り出した加工後のものにも二箇所に竹節の後が入っています。ちょうど、下の素材のような竹を形に削り出して、一本づつ、一本づつ手作りで仕上げされゆうのです。縦に細かく走っちゅう竹繊維の模様と横一文字の竹節の模様、これを見つけられたら、竹か木かもしかしたら分からない方も、しっかりと見分けがつくのではないかと思うがです。


竹は筍として地上に頭を出してから、わずか3ヶ月で大人の大きさに成長します。3年で製品に加工できる継続利用可能な唯一の天然資源ですので、今や海外でも集成材として大量に製造され日本にも輸入されよります。家具になったり、フローリングや壁材などにも多用されている竹を見つけるには、この竹節の模様を探されるのが一番ですぞね。


東京の赤坂に東京ミッドタウンという所があります。田舎者の自分は、地下鉄の出入り口が覚えられず、いっつも迷うのですが、ここの床や壁にはこの竹集成材が使われちょります。所々に見える模様は、まさに竹節部分ぜよ。床などあまりゆっくりご覧になられる事もないかと思いますけんど、今度、もし行かれる機会などがありましたら、「ああ、ここが竹節なのか...」と少し注意して見ていただくと嬉しいがです。


華麗な大傘

和傘


岐阜県のイメージというたら皆様はどんなですろうか?飛騨高山とか、長良川の鵜飼いとか、戦国時代が好きな方には金華山の岐阜城...。まあ、色々とあるかと思いますけんど、自分の場合には圧倒的に和傘ながですそね。だから、他の方と話していて「和傘」が出て来ないことに違和感があったのです。


和傘は、その昔には全国各地に生産地がありましたが、日常品として大量生産されるものでしたので、その工程が細かく分かれていて、地域に和傘製造に関わる方が沢山集まり、ひとつの産地を形成しちょりました。これは、和傘に限ることではなく様々な竹細工にも言えることなのですが、特に和傘の場合は、竹と木と和紙という複数の素材を使う事や、複雑な部品や工程があることから、専門職の職人さんが多く必要やったのですろう。


何を隠そう今年で創業121年になります竹虎は、元々はこの和傘職人さんに素材を提供させて頂く竹材商からスタートしちょります。だからという訳ではありませんが二十代の頃から和傘は好きで、ずっと使っていました。母から譲られたものでしたが、使ったの後の管理が悪かったのか、ボロボロに紙が破れ、ヨレヨレになっちょりましたが、和傘など使う方は周りに一人もいなかったし、かえってその使い込んだ番傘が、どうにも愛おしく、格好がエイと思っていたのです。実際、町でさして歩きよりましたら、道行くひとに良く褒めてもらいましたぞね。


けんど、今回拝見させていただいて岐阜で開催された古い和傘の展示には、まっことビックリ仰天やったがぜよ。中でも京都の老舗和傘店「かさ源」さん所蔵という、豪華絢爛な大傘には魅せられましたにゃあ、四尺三寸の大迫力!現在、日本でたったの二本しか確認されていないそうなのですが、普通なら傘の竹骨の表面にしか張ることのない和紙が内側にも丁寧に張られていて、一体どうやって細工したのが?お話をうかがう和傘職人さんでさえ分らないと話されちょりました。


この大きい傘を広げると、空一面に鮮やかな色合いの花が咲き乱れたよう。傘の下にいると一体どんな晴れやかな気持ちになったがですろうか?今ではこの大傘の産地をはじめ、誰のために、どんな風に使われたのか、まったく分らないそうですが、それは、それで歴史のミステリアスな魅力ですちや。この大傘の美しさを拝見しながら、あれこれ想像してみるがです。


この和傘の展示会には、傘の表面の紙を張った竹骨部分に、更に、その上から竹を一本ずつ貼り付けて凝った化粧をしたものや、これぞ昔の職人芸という、ただそこに閉じてあるだけで姿が美しい和傘など、今では想像することすら難しいような素晴らしい和傘が並びます。和傘の向こうに見え隠れするのは当時の職人さんたち、自分の腕に自信と誇りをもった彼らに認められてはじめて一人前、そんな厳しいプロの世界で竹虎初代宇三郎は生きていたのですろう。「NO BAMBOO NO LIFE(竹のない人生などない)」と思うちゅうけんど、自分の竹など一笑に付されるかも知れませんにゃあ。


大事なメガネ置き

白竹根曲がり縁巻おしぼり籠


メガネを日常的に使うようになって久しいがですが、今まで通り過ぎよったメガネ屋さんに目が止まるきに不思議ですちや。そうして引き寄せられるように一本のお気に入りの眼鏡を手にいれましたぞね。丸い繊細なフレームに手が伸びたのは自分と全く逆やきですろうか?真っ直ぐにカクカクと行く事しかできない粗野な男ですきに、こんな柔らかい感じのメガネをしたら、少しは雰囲気が変わるかも知れんにゃあ。そう思うて買ってきたがです。


けんど、決めてはコチラの眼鏡メーカーさんが「ササ」と呼ぶ、セルフレーム部分の模様ながです。ササと聞くと「ササ=笹」に思えて、どうも縁がある気がしちゅうがですぞね。なかなか掛け心地もエイですし大事な一本になりましたけんど、自分の場合は、手元が少し見えづらくなりましたので、常に掛けているという事ではなく掛けたり、外したりする事が多いです。


そこで、メガネを持ちはじめた頃には工場でも職人さんの所でも、いつも忘れて探しまわったことが何度もありましたぜよ。そうそう一度などは羽田空港に置き忘れた事もありましたちや。後から郵送でお送り届けてもらって手元に帰ってきた時には感動したがですが、そんな事が続きましたので、こりゃあイカンにゃあ。せめて、事務所や仕事場ではメガネの定位置を決めねばと思ってから、随分とメガネが何処にいったのか行方不明になる事は少なくなったがぞね。


白竹根曲がり縁巻おしぼり籠


お気に入りのメガネであれば、あるほど、どんな置き場所を定位置にするかは、こだわるものではないかと思います。自分もそうながです、やはりこの一本やきに少し特別な竹籠を使いたい、そう思うて候補にあがったのがこの、おしぼり籠なのです。厳選した白竹で丁寧に編まれちゅうだけでなく、あまり感じることのない野趣あふれる面白味があるのは縁巻き部分です。


白竹ねじり編み盛籠


実は同じような縁巻きにした竹盛籠があります。ねじり編みというて川面を風が渡っていくような清々しさも感じるすばらしい編み目が特徴の籠ですが、縁巻きに根曲竹という細く粘りと強さをもった竹が使われているのです。


前に山形の雪深い山中で根曲竹に出会うた事がありまし、なるほど、上の竹葉までスッポリと雪に覆われていて、これは南国土佐では想像もできない事でしたが、雪の重みに耐えながら根部分が曲がっていくのです。この重みと厳冬の寒さが竹を鍛えあげ堅牢な竹細工を産むがぞね。


けんど、縁巻きに使う竹は、ただ強いだけではいけません。何より柔軟で柔らかくないと細かく巻き付けていけないのです。だからその年に生えた一年生の若竹を夏場に伐採して集め、縁巻き専用の竹として用意しちゃあるがです。竹職人の、こんな弛まない準備と技で、まるであの山の自然が家の中に飛び込んできたかのような、そんな錯覚すらするほどの竹が作られていくのです。まっこと日本の伝統の技には、いつも驚嘆するばかりです。


Laurent FAVRE MOT Patisserie South Pigalle

Laurent FAVRE MOT Patisserie South Pigalle


5月に竹虎の竹炭パウダーでスイーツ作りをしてくださった、パリのパティシエ、Laurent Favre-Motさんのお店が、先月、パリ9区(12 Rue Manuel)にオープンしたがです。届いた写真には、まっこと美味しそうなケーキがズラリと並んじょります!さすがにファッションの都だけあって、お洒落感満点ながぜよ。お店の出来た界隈には最近話題のお店が次々に出来るという注目の地域でもあるそうぜよ。そう言えば工事中のお店に立ち寄った際には、「アレが有名なパン屋さん...」「雑誌で騒がれているレストラン...」とあちらこちらに人気の店舗があって、道行く人達の表情もこじゃんと楽しそうやったがです。あと一度だけはパリに行きたい!と心に誓うちょりますが、その時には、真っ先にLaurentさんの店に行かねばと思うちゅうがです。


店舗工事中


店舗の開店が予定より遅くなることはフランスでは常識だと言われよりましたが、自分がパリに行った時には既にオープンしているハズだったお店は、まだまだこれから厨房も作らねばなりませんし、内装も仕上げねばならない状態で、考えていたより何も無い空間でしたが、だからこそ一体どんなお店に変貌するがやうろか?店内を想像する楽しみがありましたけんど、ずっと期待していた店内画像も届いちゅうがぞね。


Laurent FAVRE MOT patisserie


「トレビアン!」工事の職人さんがいた現場からは想像も出来ないような素晴らしさぜよ。ここでスイーツをお持ち帰りもできるし、店内で簡単な食事等もできるようながです。


竹炭パウダー、Laurent Favre Mot


たまたまお伺いする事になったフランス行きは、海外にまで広がりだした竹炭の活用が食の本場のパリでどう試されゆうのか、肌で感じたいと思ったのが一番の大きな理由でもありました。パティシエのLaurent Favre-Motさんとパートナーのマガリさんには、新しい店舗の開店準備等もあった忙しい時期に、時間を取っていただいて、わざわざ竹炭スイーツを何種類も創作してくださり、美味しく頂かせてももらって、まっこと大満足やったがです。


竹虎の竹炭パウダー(Bamboo charcoal powder)、Laurent FAVRE MOTさん


日本が好きで、日本の素材を使い多くの方の笑顔を作っていく、本当に気さくで料理人仲間も多く、親しみやすいLaurentさんですが、是非日本にやってきて、日本唯一の虎竹はじめ竹にに関わり働く人達を見てもらいたいぜよ。自分がパリで肌で感じたと同じように、ご自身もその目で、しっかりと見てもらいたいと思いゆうがです。それが、もしかしたら竹や竹炭を、どう使い、発展させていくのか、創りだすスイーツに間違いなく広がりがでるように思うちょります。


「飛行機が苦手だからシベリア鉄道で行くか」冗談交じりにそんな事も話されよりましたが、日本の竹文化に触れることは直接料理に関係ないようで、実は深いところで確実に何かを変えてくれると思いよります。Laurentさん、きっと待っちょりますぜよ(笑)。


冷蔵庫で実感、竹炭の力

 
竹炭(バラ)5キロ


5キロの竹炭というと、どんな量ですろうか?なかなか実感として分かりにくいので50センチの直径で、深さも15センチある大きな深竹ざるに入れてみましたぞね。実際に入れてみたら、ちっくと驚く程のボリューム感ですちや。梅雨時は湿気対策、あるいはニオイ対策で竹炭を使われる方も多いのです。たとえばトイレに置くと洗面所の隅やリビング、戸棚、下駄箱など、家のアチコチに置きたくなってきますので、かなりの量と思っていても実は、すぐに使ってなくなってしまうがです。そこで、調湿、消臭用として出来るだけお求めやすい竹炭(バラ)として「お達者クラブの竹炭」をご紹介させて頂いちゅうのです。


炭窯というのは実は種類が色々とあって、地元で焼かれる竹炭は、もちろん昔ながらの土窯ばかりですけんど、同じ土窯でも燃焼温度が違っていて、竹炭(バラ)は比較的低温の400度くらいで焼かれた竹炭なのです。アンモニア臭などの消臭に向いていてる竹炭でもあり、湿度の高い時には吸収し、乾燥してくると放出するという湿度の調節にも力を発揮するので置き竹炭に適した竹炭ぜよ。


竹炭(バラ)


お届けさせていただく時には土窯から出したそのままの状態です。かなり多い量ですので水洗いは結構大変かと思いますが、天気のよう休日など、もしお庭があるようでしたら是非外に出て大きな竹ざるがあれば最高ながですが、なければ何でも結構です。ホースの水などで軽く手でこすりながら洗うと手は真っ黒になりますが、何故か気分は晴々最高に気持ちがエイがです。


ただ、お達者クラブの竹炭は通常の竹炭(バラ)からしても、かなりお求めやすくしている分、本当に細かい竹炭が入る事もあります。これは一つの竹炭窯でも焼き上がり、出来映えが色々で袋詰めする際に、どうしても多少のバラ付きができてしまうのでご了解を頂きたいところです。けんど、そのような、あまりにも細かい竹炭は、庭の土に入れてもよいですし、竹虎では鉢植えの観葉植物などにも利用しています。


軽く水洗いして天日干ししていると、ピキピキ...ピキピキ...、乾いた竹炭から心地よい音が聞こえてくる事がありますぞね。天気が良ければ乾燥には、そんなに時間がかかりませんが、心地良い音色を聞きたくて、しばらくそのまま腰をおろしてみる事もあります。それぞれ用意した竹籠に入れ分けていきますが、小さな不織布の袋などを用意しておいて冷蔵庫にひとつ入れてみます。香りの強い食品が多い場合でも竹炭を入れておきましたら、少しビックリするくらいニオイが感じられなくなって、本当に竹炭の力を実感できるのではないかと思いますが、これが竹から生まれた自然そのものの機能性という事を考えると、つくづく改めて素晴らしさを感じずにはおれないのです。


父の日、竹炭枕

竹炭枕


先月の父の日は皆様どうやったですろうか?竹虎では父の日に、日頃お疲れのお父さんには快眠のプレゼントをしよう!と、いうことで土窯作りの竹炭がタップリ3キロも入った、ちょっと硬めの寝心地ですが、グッスリ寝られる竹炭枕をご紹介しちょりました。もしかしたら、この30年ブログをご覧になられている方の中にも、ご家族から頂いた方がおられるのではないろうか?そんな風にも思いながらお話しさせてもらいゆうがですが、父の日からなら、お使い頂いて、かれこれ2週間ばあになります。寝心地の方は一体どうですろうか?


特に、今は日本列島すっぽりと梅雨に入っていて湿気も高く、じめじめ寝苦しい夜がある地方もあるかと思うちょります。高知県は雨のせいか思うほど気温が上がっていませんので、その分助かっていて、今の所は熱帯夜というような事はありません。けんど、湿度の高い部屋は決して寝やすい環境ではありませんぞね。そこで、目立たず、クールに活躍しているのが竹炭枕ではないかと、そんな風に思っているのです。


実は自分も、この竹炭枕を愛用して3年になります。ちょうど梅雨に入り始めた頃に使いだしたと思うのですが、竹炭の調湿効果も期待してもありますが、何より硬めの枕に頭をのせた時に「ジャリ」という竹炭粒の音が気になる感じもありましたが、頭が枕に沈み込みこまず、何とも涼やかな感じがしたがです。ジャリ音も、すぐに気にならなくなり...というより気がついたら朝でした。


これは夏場にはエイのかも知れないなあ...。どうしてもっと早く使っていなかったのかと思いつつも、まあ、それでも夏限定で使うつもりでいたのです。ところが、確かに最初は夏だけの試用のつもりだったのが、この竹炭枕の寝心地があまりによくて、その年の秋になっても、寒い冬が来ても、そのまま使い続け、寝付きも最高なので結局未だに手放せなくなっちゅうのです。さてさて、そこで自分と同じように思われちゅう方もおるろうか?そんな事が気になっている今日この頃ですぞね。


鬼おろしダイエットに挑戦! その2

鬼おろしの大根おろし


大根は、まっこと素晴らしい野菜ですちや!すぐに思い浮かぶのが、味のしみた大根のおでん、これは美味しい。ところが大根は摺りおろす事によって独特の辛味が出来るし「大根おろしに医者いらず」というような効能が発揮されるがですぞね。解毒作用、殺菌作用、そして消化促進効果もあるという、まさにスーパー野菜と言うてもエイがぜよ。


大根おろしは摺りおろした汁まで飲むと良いそうです。金属製など通常のものでは大根をする下ろした時に、おろし汁が沢山でるものですが、竹の鬼おろしは粗めの大根おろしが出来ますので、摺り下ろしの時の大根汁もほとんど出ないのです。名前通りに鬼の歯のように硬い竹のギザギザが並んでいますので、十分注意しながら大根をあてがい摺っていきます。往復摺るのが大変な場合には手間に引くような形で摺りおろすと簡単です。大きな大根を持って、勢いよく摺りますと見る見るうちに、シャキシャキ感のある、今の季節にもバッチリの美味しい大根おろしが気持ちが良いほど竹の受け皿にできるのです。


鬼おろし丼


野菜と肉だけなので、何か少しモノ足りないにゃあ...。ちっくと飽きがきそうだった食事に、鬼おろしのシャキ感大根おろしをタップリのせて、馬路村のゆずポンなどかけると...おおっ!また違う美味しさ発見。食がいくらでも進む上に、健康にもエイとなれば、これは鬼おろしを使わない手はないと思うがぞね。大根おろしの量など調節しながら自分なりの美味しさが探せますぜよ。ゆずポンだけではないですぞね、甘めのバーベキューソースなどをかけても、炒めたキャベツとも、まっこと良くマッチして箸が止まらんちや。箸が止まらんち...?こんなに食べていたら、なんぼ糖質が少ないとは言え、ダイエットにはならないかも知れんにゃあ...けんど、お箸は止まりません(笑)。


体重計


今までは、あまり縁のなかった体重計ですが、糖質ダイエットを始めてからは毎日のって測りよりますぞね。70キロの壁を破ったあとは、スピードが速いとは言えないものの、着実に落ちて今では68.4キロまできましたぞね!ダイエットと聞くと、我慢とか、辛いというイメージがありました。どうも苦労するという意識が先行して避けていたように思うがです。けんど、今やっているのは、ほんの少しだけ食に意識を向けるだけの事。食べたいだけ食べるのだし思うようなストレスはないがです。


先日、たまたま立ち寄った米屋さんに5キロ入りの商品があったがです。持ち上げたら、ううん...重い、けんどこれだけの重量が自分の身体から減ったのか!?反対に、こんな重さを常に持ち運んでいたのやろうか!?まっこと、そう思いながら米袋を置いて、しみじみと眺めたがです。鬼おろしを多用しながらの糖質ダイエットは、まだまだ続きますぞね。どこまで行けるか又皆様にこのブログにてご報告させてもらいたいがです。何卒よろしくお願いいたします!


鬼おろしダイエットに挑戦!

糖質ダイエット肉料理


身体がドンドン太っていって体重計にのるのがイヤになっちょりました。このままズルズルしていたら、もしかしたら80キロくらになるのかも?まっこと、自分にしたら未知の超大台も夢ではない!?(そんな夢はいらないのですが)待てよ...80キロといえば昔のテレビ番組であった「池中玄太80キロ」を思い出しましたぞね。西田敏行、杉田かおるが出演しちょったドラマですが、あれは、確か太った主人公という設定ではなかったか...!?そう考えると、まっこと笑っておられなくなってきたのです。


そこで、ようやくダイエットをしてみようかと思いはじめたがぜよ。けんど世の中には本当に痩せたい方があふれちゅうとみえますちや。ありとあらゆる方法や食品があるのではないかと言うほど、色々なダイエット方法があり、それぞれ成功された方もいるようです。まあ、腹筋が割れなくてもエイですが、健康に影響を及ばさない程度には適度に、ゆるやかに痩せたい、そこで始めたのが、よく耳にしていた糖質ダイエットながです。


糖質ダイエットとは、お米やパン、うどんなど炭水化物を食べないのですが、どうして数あるダイエットの中から糖質ダイエットにしたかと言うと、実は以前参加させてもらった事のあるイベントで、ある産婦人科のお医者様が話された事が、ずっと頭にあったのです。


「お米は、のどから下に入ると糖分です。」


最初はエエッ!?と思いながら聞いていたのですけんど、そこの病院では炭水化物の摂取を抑えることで、妊婦さんのダイエットに成功されているとの事でした。だから、それほど知識があるわけではありませんが、とりあえず炭水化物を食べないようにしようと決意したのです。ところが、実は自分はご飯も大好きですが、パンも大好きながです。長い間毎朝、美味しいパンを食べる習慣がついていて、そこは、ちっくと考えましたけんど、まあ我慢して1ヶ月...。新しく購入した体重計にのって驚きましたぜよ。


「はぁ...?4キロも減っちゅう...!!!」


なんと久しぶりの60キロ台になっちゅうではないですか!?人は結果が出てくると俄然やる気になってきますにゃあ。体重計が100グラム単位のデジタル式というのも明確でエイです。これは、もう少し続けてみたいと思いました。辛ければ大変ですが、ダイエットと言うても炭水化物を控えるだけなのです。後は、普通に食べよります。さすがに好きなスイーツはやめました。目新しいものは、ほんの一口だけ味見程度に食べるだけ。どうしても、おやつが食べたくなったらチーズやナッツなら良いようです。


鬼おろし


昼も夜も野菜と肉にしちょりますが、野菜でも、さつまいも、カボチャ、じゃがいも、蓮根など、比較的に炭水化物が多い野菜もあることを初めて知りました。白菜、レタス、きゅうり、小松菜などが少ないがですにゃあ。まあ、けんどそれほど気にせず野菜も大好き、肉も大好きですので、あわせて美味しくいただきよりますが、なにせ、昼、夜、野菜と肉...。むむむ、そろそろ何か変化が必要ぜよ、そう考えた時に、やはり思い浮かぶのは、そう「鬼おろし」しかなかったのです。