昨日の高知新聞には大きく掲載いただいて、まっこと驚いたがぜよ!日本にここにしか成育しない虎模様の竹、そして、その竹を育み守る竹文化など、虎竹の里ならではの地域からの発信を続けている事が、多くの方との繋がりの中で自然と、このような取り組みとなったのです。また、地元紙に掲載という形になって、多くの県民の方に知っていただけて、もしかしたら、同じような志をもち活動する皆様に、ほんの少しでも光を感じていただけたとすれば本当に嬉しいがです。
今回の企画にお声をかけて頂いた中野和代先生は、田舎者の自分などと違うて何とニューヨーク在住、いわゆるニューヨーカー。今度の竹バックの名前通りのお方なのですが、30年もバックデザイナーとして活躍し続けられちゅう方ですぞね。何でも続けられるというのは、それだけで信用であり、ブランドであり、まっこと凄い事やと思うちょりますが、自分の尊敬する知人の中にも中野先生がずっとやられてきたブランド、「Kazuyo Nakano New York」の熱烈ファンもいたりする一流の方なのです。
疲弊しつつある日本の伝統産業にも危機感を持っていただいて、国内での活動も増やされている中で中野先生を知りましたが、竹虎とは、ちょうど良いタイミングでご縁をいただけたと思うちょります。これから少しづつ来年春のニューヨークでの展示会に向けて、スピード感を持って進めていかねばなりませんが、元々、戦後の日本から輸出品としてアメリカに渡った竹バックが、偶然にもニューヨークの街角で発見されて太平洋を渡り持ち帰って来られ、そして、たどり着いた先が自分の祖父の代から懇意にしていただく、大分の渡辺竹清先生の工房だったという、まっこと壮大な物語(笑)。
そこで、初めて出会うた竹バックニューヨーカーは平らに伸ばして、先生の工房の壁飾りとして使われちょったのです。
「この見慣れない壁飾りは一体何ですろうか?」
思えば、あの一言から数年...。いよいよニューヨーカーは新しい形となって、再び太平洋を渡ってアメリカ大陸に上陸するがですにゃあ。どんな人に出会うていくがやろうか?日本唯一の虎斑竹はどうなってくのやろうか?複雑に絡み合うた時代の糸が、いよいよ時が来たことを知り、ゆっくりと解れて一本の長い長い糸となり、まっすぐ海の向こうの世界一の大都市へ伸びていく、自分には、そんな風に思えてならないのです。
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