年期の入った竹というのは、まっこと色艶がよくなりエイものですぜよ。ちょっと腰に提げる魚籠籠のような形をした手提げ籠も、作った当時は青々とした色合いだったのが時間の経過と共に色が落ち着き、ついには飴色のような何とも美しくも、ホッとさせてくれるような、竹独特の風合いに変化...、いやいや成長というべきですろうか?それとも進化とでも呼んだ方が、しっくり来るのかも知れませんぞね。
使うほどに、値打ちが更に高まり、愛着が深まるのは、自然素材ならではの素晴らしいところだと思いますけんど、さて、さて、そんな竹手提げ籠の持ち手を少し乱暴に扱ってしまい傷んでしもうたがですちや。ところが、これも自然素材の素晴らしい所でもあり、日本人が伝統的に受け継いできた「もったいない」という精神にも、もしかしたら繋がるかと思うのですが、修繕の心というのがあります。
日本では生活の中で使われてきた道具達は、少しくらい古くなったり、壊れたりしても、すぐに捨てるのではなく、修理したり、リフォームしたりして、ずっと長く愛用し続けてきたのです。竹籠なども、もちろん、その代表選手みたいなものですぜよ。こんなに手に入りやすく、細工のしやすい素材は、他にはなかなか無いですので、持ち手が壊れたくらいは、すぐに手直しして使用再開ながです。
おっと、そこで職人さんにお願いして出来上がってきた竹手提げ籠をみると、色艶のよくなってきた竹籠本体に比べて、持ち手の青々しい事!なるほど、竹素材の新旧ではこんなに違いがあるのだと、初めての方にも本当に分かりやすくご理解いただけるのではないですろうか?
しかし、竹籠の色艶の渋さが深まるというのは実は序の口ぜよ。数十年前に編まれた飯籠は持ち手を長く作られています。風通しのよい縁側のひさしの所にぶら下げて、ご飯を保管していたからなのです。この飯籠の蓋が無くなって、どうしようかと困っちょりまたのですが、ちょうど腕のよい職人さんが蓋を作ってくれるというので、本体の籠を預かっていただいちょりました。竹籠に蓋を付けるというのは大きさをカッチリ合わせねばならず、実は大変難しい技術を必要とされますきに、竹職人さんなら誰にでもお願いできるという代物ではないがです。時間は少しかかりましたが蓋付きで戻ってきた飯籠は、数十年前に出来たと同じような見栄えになり、新品でピカピカの帽子をかぶったようで何やら恥ずかしそうにも見えますぞね。
本体の竹編みの赤茶けた濃い色合いと、蓋の清々しい色合い、これだけ違うので、もしかしたら下の籠は染料で染めているのか?もしかしたら、竹の種類が違うのか?黙って置いていたら色々考えてしまうかも知れませんにゃあ。けんど、手品でも何でもありませんぜよ。蓋も本体を編む竹も、まったく同じ竹であり、ご飯を入れて使う生活道具の竹細工ですきに染めるなど考えた事もありません。元々は蓋のように青みがかった竹が長い間使われる中で、徐々に風合いが深まり、ご覧のような竹に成長してきたがです。もちろん、こうなったら、もう誰もこの竹は手放せないのです。
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