「竹虎四代目への道」の出版記念懇親会

「竹虎四代目への道」の出版記念懇親会


地元の森林組合さん、婦人会、大学の先生などが発起人となって頂いて、今回の「竹虎四代目への道」の出版記念懇親会を開いて頂いたがです。地域あっての竹虎、近くの周りの皆様に支えらてれ今の会社があること、竹の商いをさせて頂けちゅう事を改めて思うたがです。


竹虎四代目(山岸義浩)


自宅に帰ると、その日に取った野菜が玄関に置かれちょったり、釣ってきた魚や貝を頂いたり、季節の果物を持って来て頂いたり、思えば地域の方々には、ことあるごとに良くしてもろうてきたがぞね。そして、自分はそんな環境の中、小さい頃から両親の大きな愛情の元、まっこと自由に育てて頂いてきちょります。何でも思う通りにやってきた事がいきすぎて新築の家に落書きをしたり、農家の方にご迷惑をかけるような、今思うたらとんでもない事ばかり。まっこと今、思い返したら赤面して穴があったら入りたいばあぜよ。


「竹虎四代目への道」の出版記念懇親会


けんど、そんな自分を小さい頃から気にかけ、何かあれば、あちらこちらで声をかけて見守ってくれていたのは父や母、竹虎の職人さんたちだけでなくて、安和全体の皆様の、大いなる温かい気持ちの中にいつも居た、その事に、ようやっと気づかせて頂けたがです。


「竹虎四代目への道」の出版記念懇親会スピーチ


虎竹の里の皆様に一言づつ頂くスピーチは、まっこと心に響く。自分には、ここにしかない虎竹への愛の賛歌のように聞こえるのです。半年は農家をされて、半年は虎竹を伐採して暮らしてきた地域の事、虎竹のお陰で余所に働きに行く必要がなくて助かった事、江戸時代に安和から年貢として土佐藩山内家に運ばれた虎竹の事、30年前の竹虎の大火災の事や、虎竹の里の山道の事、竹の運搬機械に取って代わりなくなったキンマ(木製のソリ)の事、今は竹に携わっていない方も、家族の思い出と虎竹が重なっちゅう。


竹虎は初代宇三郎が大阪天王寺からこの地にやって来てから100年、二代目義治、三代目義継、そして四代目の自分までずっと、この虎竹の里のお陰でやってこさせて頂いた、その事のへの感謝の気持ちを改めて強く強く感じさせてもろうたぞね。竹には、こじゃんと(とても)素晴らしい所がいつくかありますけんど、そのひとつに地下茎があるのです。竹林に入ると、それぞれの竹が、ただ涼しい顔をして風にそよいでいますけんど、実は、地面の下では、それぞれの竹が、それぞれの竹と、しっかりと手を握りあうかのように根で繋がり、支え合うちゅうのです。


「竹虎四代目への道」の出版記念懇親会


「地震の時は竹林に逃げろ」そんな事を聞いたことはないですろうか?天然の鉄筋コンクリートと言われるほどに地面の下には丈夫な竹根が縦横無尽に伸びて繋がる竹たち、だから、どんな強風が来ても負けないがぜよ。竹は一本づつ立っているのでは無くて竹林として一致団結して強いがです。虎竹の里は、本当に狭く、小さな地域ではありますけんど、まさに、このような竹のように助け合い、支え合うてきたがですろう。


高知新聞掲載


自分は、虎竹を守ってこられた先人の皆様に負けないよう、もっと、もっと虎竹のために出来る事を、やはり竹に見習い、まっすぐにやる決意を新たにした一日やったがです。


青竹踏み色々

青竹踏み


先週末に雑誌「GINGER(ジンジャー)」に青竹踏みを掲載いただき、少しお話しさせていただきましたけんど、実は、もう少し青竹踏みでは申し上げたき儀があるがです。青竹踏みは、文字通り青竹の瑞々しさをそのままご家庭にお届けする商品ぞね。ただし、ただ単純に竹を半割しているだけではありません。


竹林で伐採されてからは、湯抜き加工をして余分な油分を除去し、竹表皮は綺麗に拭き取るという作業をしちょります。ただ、今時の梅雨時には、湿気も多くて機械乾燥なども行いますが、水分の多い竹の乾燥になかなか追いつかないのが現状ながです。現在、青竹踏みをはじめとして、踏み王くんや、携帯用青竹踏み、そして、炭化された竹踏みまで品不足や品切れとなっていますのは、この乾燥部分で滞っている事がほとんどながです。


自然な竹をそのまま加工しちょりますので乾燥具合によっては、カビなどの発生になる場合があるのです。いつもなら竹の状態をみて天日干しを数日することもありますが、連日の長雨続きでは、それもできかねちょります。カビの生えるのは主に青竹踏みの内側である竹の身部分ですが、この時期の青竹踏みは表の竹表皮側も色目が揃っていない事が多いのです。今後また対応は考えていかねばならないとは思っていますが、自然の竹をそのまま加工して、更に今のようなお手頃価格でお届けさせていただくのには、多少の色合いやシミなどは竹の個性ですので、その竹そのものをお楽しみいただければと考えちょります。ただ、竹の色合いの違いやシミ、多少のキズなどは、快適にお使いいただくのには全く関係ありません。


また、竹は生きちょります、乾燥具合により縮んだり反対に広がる事もあります。縮んだらピンポンイトで足裏に強烈な刺激のある竹踏みになりますし、広がると反対に初心者入門用のような形になります。もちろん、このような事ができるだけないように竹を選び加工しているのですが、竹そのものの形に近いほど、実は扱いが大変な部分があり、自然の竹を扱う中では、必ずこのような竹も出てくる事を、是非皆様にもご承知いただきたいと思っているのです。


雑誌「GINGER(ジンジャー)」掲載の青竹踏み

雑誌「GINGER(ジンジャー)」掲載、青竹踏み


「GINGER(ジンジャー)」という若い女性向けのファッション雑誌に、青竹踏みを掲載していただきましたぜよ。女性の悩みには色々あるかと思いますが、その中でも「むくみ」「便秘」などは大きな問題ではないですろうか。そこで、こちらの雑誌社様でもこの二つをヘルシーボディの敵として取り上げて特集記事を書かれちゅうがです。


「むくみ」と「便秘」はあまり関係がないようにも思いますけんどにゃあ...。ところが、このコーナーに登場されちょます大学病院の先生によりますと、むくみと便秘は腸内環境を整えることにより改善すると言われよります。腸の働きが良くなると便秘が解消され老廃物や毒素が体外にキチンと排出され、それにより、きれいな血液が全身に循環するので、むくみも改善されるそうなのです。身体の外の事ばかり気にしていた「むくみ」ですが、実は身体の中のインターケアが大事という事を今回はじめて知ったがぞね。


さて、そこで竹虎からの商品の登場ですけんど、足のむくみには青竹踏みが最適という事でご紹介ただいたのです。なにせ足裏は第二の心臓とまで言われてツボが集中しちょります。ここを刺激することにより、むくみをスッキリさせるのです。そう言えば、何度かお話しさせて頂いちょります元キャビンアテンダントで、現在はカリスマブロガーとして活躍されゆうカータンさんが、現役で飛行機に乗られていた時の経験談を思い出しますぞね。10分くらいフミフミしていて、いざご自分の靴を履こうとしたら、むくみが取れて、足が小さくなり自分の靴と思えないほど、ブカブカになったそうながです。


効果の素晴らしさに驚いて竹虎の青竹踏みをご紹介いただいた事があって、実はそれ以来、青竹踏みは少しづつ認知度を上げてきちょります。けんど、依然若い学生などには、半分くらいの方が名前すら知らず、一体どんなものなのか?とキョトンとしたお顔で尋ねられます。かっては日本のご家庭にひとつはあったお手軽健康法の代表選手として、その地位の回復にこれからも努めていかねばと思う今日この頃なのです。


竹ワインクーラーの加工工程

孟宗竹竹林


日本狭いようで、やっぱり広いですにゃあ。孟宗竹の竹林にしても、これだけ平坦で手入れされちょって出入りが簡単、しかも、ここは道路がすぐ横にあって搬出に、こじゃんと便利そう、こんな夢のような竹林は、まずありませんぜよ。けんど、もしかしたら一般の皆様はこれが普通の竹林と思うちゅうがやろうか?だいたいテレビや雑誌などに掲載される竹というのは、特別に整備された綺麗な竹林ばかりなので、恐らくそうですろう。


けんど、実は日本の竹林というのは、そんなに美しい所ばかりではありません。特に竹ワインクーラーの材料となる孟宗竹という日本最大級の竹などは、もともと、筍を取るために管理され竹林の景観が守られてきた一面があります。ところが安価な輸入筍がある現在では、わざわざ苦労して孟宗竹の林に来て、筍を掘っていこうなどという方はおられないのです。


そこで、放置竹林などという言葉がありますように、次第に人の足が遠のいた竹林が全国各地に増えてしもうちゅうのです。普通にある孟宗竹の竹林と言えば急斜面で登るのも大変な苦労で、いざ竹林に入ろうとすれば、日頃手入れもしちょりませんので、生命力の強い竹は次から次への生えて密集し、中には立ち枯れの竹などもあって既に竹林とは呼べない竹藪状態ながです。


竹ワインクーラー


そんな場所での伐り出しは、手入れされた竹林に比べて何倍も大変で、竹が沢山生えすぎて竹を伐り出しても倒れる事すらなかったりするがぞね。今現在日本に流通する孟宗竹は、そんな手間暇かかる竹林から、大変な労力をかけて山から運びだされて来ているのです。だから竹虎の竹ワインクーラーは更に更に大変です。そうやって伐り出される孟宗竹でも、特別に太い竹しか使えないからぜよ。竹なら何でも良いという事なら...いえいえ、それでも苦労しますけんど、極太の竹だけ厳選するなど本当に気の遠くなるようなお話しでもあるがです。


だいたい10%くらいしか適材がありません。そんな大切な素材です、加工される時には、もちろん一本、一本を無駄にしないように大切に湯抜きされます。最初のハツリ加工では竹表皮の上下部分を機械にて粗削りしたあと、職人が手削りしてワインクーラーの表情を決めていくがです。


竹ワインクーラー製造


山の材料から、ここまでの工程では竹ワインクーラーの形など、全く何も出来てもいませんけんど、太さだけではなく、竹の歪な形や節の穴など選別してから、ナタで竹表皮を削り出していく事を考えますと、竹材料から下ごしらえの、この部分までだけでも結構大変な工程で、ひとつの製品が生み出されるのがお分かりいただけるのではないかと思うがです。


金箔の竹籠

金箔竹籠


金箔と聞くと何と言うても歴史大好きな自分などは、豊臣秀吉の黄金の茶室を思い出すのです。何かの展示で、その豪華絢爛な内装を再現しちょったことがありました。まっこと今の時代にも、あれだけキラキラと輝くような空間を拝見できる機会などそうそうあるものではありません。その昔に、あのような金に囲まれた部屋に座られた方は一体どんな気持ちになったろうか?想像することも難しいがです。


そんな非日常的な不思議な気持ちになる金箔は、金を薄く薄く打ち延ばして作られちょります。以前にデパートの催事で金沢の金箔職人さんとご一緒する機会も多く、実演される所を、何度か拝見させてもらった事がありますが、風が吹いたら飛んでいきそうなくらいの薄い紙状になっちょります。その金箔をガラスや漆器など食卓で使うテーブルウェアに使われていました。そう言えば、あの時にひとつ小さなグラスを買い求めてきましたにゃあ。内側に金箔をあしらったものですが、もったいなくて、あれから二十数年は経つかと思いますが、まだ使ったことがなく、金の輝きを放つ置物のようになっちょります。


金箔網代編み


今回、拝見させていただいた金箔は竹細工に施された美しいものです。ガラスや陶器など平面のものに、あの薄い金箔を貼るのは何となく分からない事もないのですが、立体感のある竹編みに、これだけ綺麗に金箔をされる技というのは、間近に見れば見るほどに凄いものではないかと思うがです。一本一本の竹ヒゴの表情に合わせて貼り付けられた金は、まるで、最初から金の竹ヒゴがあったかのような錯覚すら覚えるのです。


そもそも、この竹網代編みに金箔をするというアイデアは、ニューヨークに本社のある有名宝石店で活躍されていた、エレサ・ペレッティーさんという一人のデザイナーのものなのです。そして、その当時に竹網代編みの籠を提供していたのが当社の二代目義治と、ずっと昔から懇意にしていただく渡辺竹清先生やったのです。オープン・ハートという誰でも一度は耳にした事のあるアクセサリーを生み出した方として有名なデザイナーの方なのですが、渡辺竹清先生の工房に来られて最初の作品を開発した時のお話しは、いつ聞いても、まっこと興味深いものですぞね。


金箔竹皮


ニューヨークではパーティーバックとして発表されていた作品です。当初は竹素材そのままの籠であったものが形や大きさを変えてゆく中で、宝石店という華やかな世界にそう金箔という、日本の伝統の技をも竹の世界とマッチングさせた功績は大きいと思います。


たまたま今回の展示には金箔職人さんが考案された竹皮に金箔を貼ったものがあったのです。これは何に使うのかと思いよりましたが、盛り皿だそうです。例えば、おめでたい宴席での器としては素晴らしいものですろう。ただ、竹皮そのものでもグングン成長する不思議な生命力のある竹の皮なので、おめでたい席にはピッタリのものであろうかと考えちょりますが、そこまで皆様が思いをはせているか、どうかは別ですにゃあ。いずれにせよ、おにぎりを包む竹皮を製造する職人さんや、竹皮草履を編む現場にいる自分などからは、きっと生まれてこないアイデアには違いないがぜよ。


金箔バック


黄金の竹籠を拝見してから帰ってきましたぞね。華麗な輝きを見せる籠はパーティーバックとして使われているものやそうです。着物に竹籠は良く拝見させていただきますけんど、ドレスに竹籠を持つというたら、やはりこのよう派手さが必要かも知れません。


渡辺竹清先生から特別に頂いている数百年前の煤竹で編まれた竹手提げ籠を久しぶりに桐箱から出してみたがです。金のような輝きはありませんが、それに負けないような竹ならではの光沢、やはり日本の長い伝統文化、気候、人、技、暮らしそのものが生み出した竹、その迫力に圧倒されたり、ぬくもりに包まれたり、田舎の小さな竹屋に似合うのは、こちらのようですぞね。


託された竹根茶碗

 
竹根茶碗


もう随分と前に祖父が職人さんから頂いて来た竹根細工があったのです。竹根というのは文字通り竹の根の部分であり、土の中に埋もれちゅうところを活用しますので、竹の稈以上に、一つ一つの個性があり大きさも違えば形も違いますし、細かい竹根の出方など全く別モノというほど違うのです。竹根職人さんは、そんな違いこそ楽しむかのように、それぞれの大きさや形を活かした風合いの作品に仕上げられちょりました。実はその中で、ちょうどご飯茶碗として使い勝手の良さそうなものがあり、ひとつ頂いて自分用として長い間愛用させてもらいゆうがですぞね。


竹茶碗と竹虎四代目


しばらく竹根細工の職人さんは不在の時が続き、いよいよ竹根の作品もなくなってしまいそうな、ある日、たまたま偶然が重なってひとりの職人さんとご縁ができ、竹根茶碗を再び店頭に並べられるようになったがです。今までの職人さんの作風が軽やかで都会的でもあり、垢抜けたセンスを感じるとするならば、今度の職人さんの作り出す茶碗には、そのような洗練されたものは無い代わりに手に馴染む温もりがあります。ふたつとして同じような形も色もない竹根茶碗を眺めるとき、きっと職人さんも同じように見ていたのではないろうか?そう思えて仕方がないのです。


竹根茶碗


「病気になった、もう作品は作る事ができない。」


最初、職人さんから言われた時にはショックで声がでなかったほどぜよ。あんなに元気に工房で竹と向き合われていた方なのに...。けんど、次の言葉にハッと自分を取り戻したがです。


「手元に残る作品を竹虎に託したい。」


この言葉には感激して熱くなりましたぞね。自分が遺していく作品たちを託していただける事が光栄で、また、職人さんの思いを受け継いでいかねばならない責任を感じ、自分がずっと愛用してきた竹根細工の良さを皆様にお伝えしながら、作品がある限りご紹介していくつもりながです。


竹根器


けんど、それぞれ違いがあって、それぞれが素晴らしいちや。形や色合い、大きさだけでなくて重さや手触りなども違う、そんな竹根茶碗を見ていたら時を忘れてしまいそうぜよ。


竹器


竹根茶碗の特徴は何というたち、その細かい根っ子の模様ですぞね。大きな木材から、くり抜いた器であれば、このような模様や、形は生まれることはないのですが、自然そのままの竹根をできるだけ活かし、模様や形まで、個性を伸ばしきって創作しちゅうところに、この竹根茶碗の魅力があると思うちゅうがです。


竹ナイフ、竹スプーン、竹スパチュラ

竹ナイフ


竹でナイフなど作ってもステーキは切る事ができないし、誰かが竹のものを使ってみたいなどと考えちゅうとは思いもせんかったがぜよ。けんど、ある方にご意見をいただいて職人さんに試作をしてもらったら、これが、なかなか面白いがですぞね。もちろん、金属製のナイフのように使える訳ではありませんが、世の中には竹ナイフで十分使える自分が考えたこともないような食材や料理があるようなのです。そして、もしそんな食事に竹ナイフが使えるとしたら、手触りもエイし、温かみや優しさがあり食卓の雰囲気も変わりますろう。


竹スプーン


スプーンにしても同じような事がありましたにゃあ。普通のコーヒースプーンくらいまでなら竹でも色々あるのですが、本当に小さな薬味スプーンのようなものは、実は小さいだけに余計に手間がかかったりしますし、あまり多くの方が必要とするものでもありません。なので、試作などもしたことは一度もなかったのです。けんど、いざやってみると職人さんの素晴らしいアイデアで、まっこと面白いような竹スプーンが出来上がったりするのです。


竹スパチュラ


スパチュラとは要するにヘラの事ながですが、ヘラと言っても今までの竹ベラは主に調理用として、炒飯ヘラや返しヘラのようなものが中心やったのですが、ヘラの用途はそれだけではなくて実は色々とあって、特に薬品、化粧品など身体に使う用のヘラだとすると、竹ほど適材なものは他にないのではないかと思うちゅうのです。エステ用スパチュラは木製や金属製、プラスチック(ABS樹脂)などがありますけんど、これからは国産の竹も見直していただけると嬉しいと思うがですぞね。


日曜日の竹工場

休日の竹工場


誰もいない静かな日曜日の竹工場が好きながぜよ。長い竹を立てかけますので天井も高く作っちゃある竹虎の工場。小さい頃から屋根の低い所は、どうも違和感があるのは、このせいやろうか?広々とした工場に自分の歩く八割BLACKの音だけ聞こえよります。そういうたら、祖父もこうやって雪駄履きで工場を歩きよった。ゆっくり、ゆっくり、ひとりひとりの職人さんの手元を見ながら歩きよった。一本、一本の竹を下から上まで見ながら歩きよった。


竹虎本社工場


そんな事を思いだしながら作業場に入るがです。職人さんの使う機械や道具、この古い鋸には住所が刻印されちょります「大阪上本町六丁目」竹虎は今年で創業121年もやらせてもらいよります。こんな文字ひとつで多くの先人の方の苦労によって今がある事を改めて感じさせてもらえて感謝するがです。


休日の竹虎工場


「ヨシヒロ。お前も少しは竹の事が分かるようになったなあ...。」


いずれ、こんな事を祖父に言うてもらいたい、ただ、それだけぜよ。振り向いたら、おそらくそこに居るろう。けんど、まだまだこれから恥ずかしゅうないようにやってから、それから声をかけるきに。そんな、竹人たちに会える誰もいない竹虎の工場は、自分が帰る場所であり、ここが故郷ながですろう。


虎斑竹、世界に発信

虎斑竹、世界に発信


昨日の高知新聞には大きく掲載いただいて、まっこと驚いたがぜよ!日本にここにしか成育しない虎模様の竹、そして、その竹を育み守る竹文化など、虎竹の里ならではの地域からの発信を続けている事が、多くの方との繋がりの中で自然と、このような取り組みとなったのです。また、地元紙に掲載という形になって、多くの県民の方に知っていただけて、もしかしたら、同じような志をもち活動する皆様に、ほんの少しでも光を感じていただけたとすれば本当に嬉しいがです。


今回の企画にお声をかけて頂いた中野和代先生は、田舎者の自分などと違うて何とニューヨーク在住、いわゆるニューヨーカー。今度の竹バックの名前通りのお方なのですが、30年もバックデザイナーとして活躍し続けられちゅう方ですぞね。何でも続けられるというのは、それだけで信用であり、ブランドであり、まっこと凄い事やと思うちょりますが、自分の尊敬する知人の中にも中野先生がずっとやられてきたブランド、「Kazuyo Nakano New York」の熱烈ファンもいたりする一流の方なのです。


疲弊しつつある日本の伝統産業にも危機感を持っていただいて、国内での活動も増やされている中で中野先生を知りましたが、竹虎とは、ちょうど良いタイミングでご縁をいただけたと思うちょります。これから少しづつ来年春のニューヨークでの展示会に向けて、スピード感を持って進めていかねばなりませんが、元々、戦後の日本から輸出品としてアメリカに渡った竹バックが、偶然にもニューヨークの街角で発見されて太平洋を渡り持ち帰って来られ、そして、たどり着いた先が自分の祖父の代から懇意にしていただく、大分の渡辺竹清先生の工房だったという、まっこと壮大な物語(笑)。


そこで、初めて出会うた竹バックニューヨーカーは平らに伸ばして、先生の工房の壁飾りとして使われちょったのです。


「この見慣れない壁飾りは一体何ですろうか?」


思えば、あの一言から数年...。いよいよニューヨーカーは新しい形となって、再び太平洋を渡ってアメリカ大陸に上陸するがですにゃあ。どんな人に出会うていくがやろうか?日本唯一の虎斑竹はどうなってくのやろうか?複雑に絡み合うた時代の糸が、いよいよ時が来たことを知り、ゆっくりと解れて一本の長い長い糸となり、まっすぐ海の向こうの世界一の大都市へ伸びていく、自分には、そんな風に思えてならないのです。


竹虎掲載、高知新聞掲載記事こちら


ストックホルム中央駅の信じられない奇跡

 
世界遺産(Skogskyrkogarden)、竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)、武石正宣、後藤彰一郎


この2月にストックホルムの国際見本市(Stockholm Furniture Fair)に出展させて頂く事になって、竹家具の展示に行った話しは何度かさせて頂いたと思うがです。青竹そのままの造形はインパクト満点ですので、きっと人目を引くのではないか?そう思いよりましたが予想以上の反響に、まっこと驚きの連続でしたが、今日の話題は、そのストックホルム・ファニチャー・フェアではなく、期間中に一日だけあった、オフの日の出来事をお話しさせてもらいたいがです。


ストックホルムといえばノーベル賞の授賞式会場があったり、ジブリ映画の舞台とも言われるガムラ・スタンという旧市街地。そして、世界遺産の墓地スコーグスシュルコゴーデン(Skogskyrkogarden)など、見本市会場から電車ですぐの場所に素晴らしい見所が沢山あるのです。


ストックホルム中央駅


もちろん、田舎者の自分はヨーロッパは初めてでしたし、右も左も分かりませんので、はぐれないように皆さんに付いて行くのに必死。ストックホルム中央駅に入っても、珍しいものを見るでもなく、ただ、ただ、後ろに着いて歩くだけやったのです。


ストックホルム中央駅


ここは中央駅と言うだけあって色々な路線のハブになっちゅうがですろうか?駅構内は、なかなか広いし、沢山の人が行き交いよります。まっこと東京や大阪など日本の大都会と同じやにゃあ。そんな事を思いながら迷子にならないよう歩いていきよりましたが、ただ、一箇所だけ駅の中の中心地と思われる場所に、丸いサークル状になった所があり階下を歩く人々が見える、少し変わった場所があった事はハッキリと覚えちゅうのです。


ストックホルム中央駅の虎


最近は物覚えも良くないのですが、どうして鮮明に覚えているかと言うと、実は、サークルの柵の上に虎がおったからなのです。最初はライオンかにゃあ?と思うて近寄ったのですが模様が虎ながぜよ。こりゃあ、虎やろう!とにかく虎と言うたら何か親近感が湧いてきて思わずカメラを取り出してシャッター押したがぞね、だから、この場所は間違いなく覚えちゃあるのです。


さて、話しはこれからながですぞね。ストックホルム国際見本市での仕事も無事に終わり帰国してからのある日、突然、ある方からメッセージが飛んで来たがです。そのメッセージには、こう書かれちょりました。


「2月●日にストックホルム中央駅の、下の階が見える丸い所にいませんでした?」


「えっ!?......どうしてそれを?」


実は、その方も偶然その日に、そこにおられたとの事でした。そして、たまたま自分の姿を見つけていただいたようなのです。そういえば、ストックホルムに行きがけの乗り継ぎのヒースロー空港でも竹虎のお客様が同じ飛行機に乗っておられて、こじゃんと嬉しかったのですが、作務衣に前掛けは、やはり海外では尚更目立つようながですぜよ。外国に行くにも、着ていくよそ行きの洋服を持っちょりませんきに、いつもの格好でそのまま行ったけんど、思いがけずケガの功名で、よかったかも知れんにゃあと思うのです(笑)。


パリオペラ座(Palais Garnier)、竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI),作務衣,さむえ,SAMUE


さて、そこでです。色々お話しさせていただくうちに、実は、その方は料理人でありヨーロッパ各地にご友人がおられて、あちら、こちらを悠々自適に旅もされゆうとの事で、たまたま、自分が5月にパリのパティシエさんの所に竹炭を持っていき、スイーツ作りの見学などする事になった事をお伝えしますと、ちょうど、その頃はイタリアに滞在してているのだけれど、フランスまで移動してくるから食事をしようという事になったがぜよ。


ネージュ・デテ(Neige d'ete)竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)、北村貴、井寄奈美、根井チエ


そのお店はパリ15区にあって、食通の方の間でも評判になっている。日本人シェフ西秀樹さんのお店、ネージュ・デテ(Neige d'ete)と言います。日本語の意味では「夏の雪」、なんとメッセージを下さった方の娘さんも働かれゆうレストランですぞね。自分のような味音痴には、フランス料理の繊細な事も分からんですけんど、この時に一緒に行った方々は、料理関係のお仕事もされゆうし、日頃からグルメな食生活の方達やったのですが、ここで出して頂くお料理には最初から唸りっぱなしやったです。自分もこんな美味しいチーズは高知には無いにゃあと思いよったですが、皆さん大満足のランチとなって、まっこと嬉しかったのです。


ネージュ・デテ(Neige d'ete)、西秀樹(nishi hideki)、竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)、北村貴、井寄奈美、根井チエ、根井るり


そんな素晴らしい西秀樹(nishi hideki)シェフともお知り会いになったし、まっことストックホルムから不思議なご縁がパリに繋がりましたぜよ。インターネットの発達で色々な変化が起こりよりますが、今回は竹虎のウェブサイトや竹虎FBで自分の事もよく知っていただけちゅうし、相手様の事も前もって色々と知ることができるので、奇跡のように繋がることができたのだと思います。このような人とのご縁が世界を舞台に繋がっていくのなら、日本唯一と自分達では言いながらも、今まであまり知られる事なかった不思議な虎模様の竹も、もしかしたら、ひとつひとつ繋がり、広がっていける無限の可能性があるろうか?いやいや、きっとあるに違いない、そう確信するがです。


京都の真竹 その2

京銘竹白竹


湯抜きの白竹は白さが強調されていて、それは、それで晒竹の綺麗さというものを感じるのですが、火で油抜きされた白竹の魅力というのは又格別なものがありますぞね。火抜きされた何とも雰囲気のある光沢と美しい白竹の表皮をこじゃんと(とても)注意深く見ていくがです。そう、まるで虫眼鏡片手で探偵にでもなったかのような気分になって、じっくり、じっくり探していくと、ようやく見つけられる、小さな小さな穴が節と節の間の稈の部分に開けられているのです。


この穴は入荷した青竹を水洗いした後に、それぞれの節間に職人さんが極細の高速ドリルで開けられた穴ぜよ。けんど、わざわざ穴を開けるのはどうしてやろうか?話さない限り、大方の方が気づく事すらない穴の存在を知ると、何故、開けられたものなのか不思議に思われるのが普通ですろう。


白竹の穴


実はこの針の先ほどと言うても大袈裟でないような細かい穴は、青竹をガスバーナーで炙って油抜きしている時に必要になってくる穴なのです。竹の何処の部分にでも適当に開けている訳ではなくて、元の部分には必要ないですが、ウラ(先端)の方になるにしたがい、竹の身の厚みが薄くなるので元から2メートル程度の高さから上には、一つの節に一つの穴が開けられちゅうのです。


炎で竹を熱していくと節間にある空気が温められ膨張し、ついにはパンッと大きな音をたてて割れてしまう事あるがですぞね。竹虎の工場でも虎竹の油抜きが始まると、竹独得の甘い香りと、パンッと甲高い音を立てて節合いが勢いよく割れる音が聞こえきますぜよ。もちろん、割れてしまうと商品価値はなくなりますので、そうならないようにガスバーナーでの油抜きの加減をしていくのです。炙り時間が短いと竹に含まれる油成分が出切っていないので、ウエスで拭き上げるにしても、綺麗に拭き取れずムラが出てしまいます。反対に時間が長すぎると焦げる事もあれば竹割れを起こす事もあるのです。


油抜きをする際の熱を利用して竹の曲がりを矯めていきますが、この矯めの工程でも、熱の入れ具合により音を立てて割れる場合があります。こんな小さな穴ひとつで、そんな割れを未然に防いでいるのです。ところが、この穴も全ての竹材に開けるという事ではないがぜよ。丸竹のまま使う場合には穴を開けて出来るだけ割れない工夫をしよりますが、短く切って加工していく材料には開けてないのです。


これは、こんな小さな穴からでも湿気が入り、竹の内側にカビなどが発生する事があるからなのです。切断面を見せる寸胴など花器に加工する場合は、火抜きの熱の入れ具合により、黒ずみがシミのように見えますので油抜きには慎重な作業が要求されますけんど、それと同じように竹の外側の美しさばかりでなく、切ったり、割ったりしないと分からない竹の内側の美しさまで心を配る職人気質、まっこと、知れば知るほどに竹職人の技と深い愛情に驚くばかり。室内装飾用、あるいは加工用として厳選に厳選して一本づつ大切に生み出される、京銘竹の伝統と凄みを感じずにはおれないのです。


京都の真竹

真竹水洗い


竹と言えば虎竹の里と自分達は思いよります。それは虎斑竹(とらふだけ)という日本唯一の虎模様の入る竹が、ここにしか成育せず、他の場所に移植しても不思議な事に美しい柄が出ることがないからなのです。虎竹は淡竹(はちく)であり、竹細工に多用される竹のひとつですけんど、もうひとつ日本には真竹という代表的な竹があるがです。今日は、この真竹について、ちっくとお話しさせていただきますぞね。


普通、皆様が「竹」と呼ばれる時に頭に思い浮かぶのは、孟宗竹か、淡竹か真竹かの3種類の事が多いがです。それだけ一般的に目にされる機会も多い竹だと思います。先ほど言いましたように虎竹は淡竹の仲間ですが、同じような太さ、高さの竹で真竹という竹は全国各地に生育しちょって、節間の長さ、身の厚み、粘りやしなり等から竹細工には最適の竹ながです。


お米にしろ、野菜、果物なども寒暖の差が大きいと美味しいと言われますが、実は竹にも同じ事が言えて、寒暖の差が竹の品質に大きく関わるようです。日本全国に質のよい竹というのがありますが、土質や竹林環境は違うものの気温差という条件は似ている気がしちょります。京都の真竹が良いと言われるのも、盆地で寒暖の差があるからですろう。伸びが良く、身が厚く、質のよい真竹、けんど、さらに京都の真竹の名声を高めるのは竹職人の晒しの技なのです。


竹は青竹のままですと耐久性に劣りますので、必ず油抜きのという余分な油をとる加工が必要なのです。「晒し」と言うのは真竹の油抜きという加工した後に、天日に干して晒す事から「晒し竹」と呼ばれちょりますが、こうして製竹される竹は、よくご覧になられる事も多い白竹ですぞね。この加工での京都の竹屋さんでの真竹の扱いは「むむむ、さすが...」と思わせるものがあり、それが、まず一本一本丁寧に柔らかいブラシ等を使う洗いなのです。真竹の油抜き加工には、熱湯で加工する「湯抜き」と「火抜き」という二つの方法があり、それぞれ違いがあるがですが、湯抜き加工しか行わない竹屋さんから見たら、この水洗いは衝撃ぜよ。熱湯を使い仕上げていく場合には、水洗いなど考えた事もないからです。


真竹加工用ガスバーナー


けんど、京都の竹屋さんでは時間をかけて職人さんが手洗いしよります。こうやって綺麗に汚れを落とした後にガスバーナーで火抜きするのです。この油抜きの違いは湯抜きは竹内部の成分が全て抜けるので、割れが入りやすくなるのに対し、火抜きは比較的割れが入りづらいと言います。これは火抜きにより竹の油成分が表皮に染み出して、ある種のコーティングされたよう状態になるからと職人さんは話されます。


割れに常に気を配り、注意を払っているのは、京都の真竹は加工用としての用途もさることながら、京銘竹として室内装飾などに利用いただく機会が多いからなのです。火抜きの前の水洗いなど手間を惜しまない加工の工程も、ツルツルとなめらかに仕上げられる美しい竹肌をそのまま活かす製品なら用途の地域性があるからと感じます。火抜きの際に竹の油分を拭き取るウエスがありますけんど、あらかじめ水洗いして汚れを落とした竹です。竹虎の工場での虎竹の火抜きに使うウエスと比べると断然綺麗なものでした。火抜きの前に既に余分な汚れが十分に取り除かれている証です。


京の真竹が真っ白というよりベージュがかったような特有の光沢を放つのは火抜きのせいであるのですが、その真価が問われるのは、実は加工直後の竹ではありませんぜよ。時が経てば経つほどに深まる飴色のような色合い、静かにではありますが貫禄と風格を、さりげなく漂わせる晒竹の迫力、歴史のある京都だからこ育まれた、竹文化の一つではないかと感じるがです。


美しい白竹盛り籠

白竹四角盛り籠


皆様は、こんな美しい白竹の盛り籠があるのをご存じですろうか?厳選された白竹を丁寧にヒゴ取りして、しっかりと編み込みされちょります。竹ヒゴは、よくよくご覧いただくと二枚が重なったような形になっていて、一本の竹ヒゴが実は上下二枚に割りを入れられちゅう事に気づくがです。こうする事により、竹は、しなやかでありながら硬い堅牢性という、竹独特の相反するような性格を更に強調する事になり、職人さんにとっても編みやすく、綺麗な仕上がりの竹籠になるがです。


そして、この盛り籠は、縁の籐巻きが又素晴らしく丈夫に出来ちょります。お皿のような形状で低く作られているだけあって、縁の印象が知らず知らずのうちに、全体の雰囲気を決めてしまうのですが、一目みて、この盛り籠を作った職人さんの一本気で真面目な仕事ぶりを感じてしまうのは、この籐巻きによるところが大きいように思うがです。


竹の仕事で高い技術力と熟練度を思う時、自分がいつも基準の一つにしている事は、同じ素材、同じ形、同じ品質のものを作りだせるかどうか?そういう意味合いにおいて、この竹職人さんは「職人」ぜよ。だから、この工房は気持ちがエイ、時間を忘れる、一言も話すことなく、いつまででも過ごせる気がするがです。これだけペラペラしゃべる自分が一言も話さない?いやいや、竹と話しよりますぜよ。尊敬できる職人芸の竹に囲まれる幸せは、まっこと最高ながやきに。


白竹四角盛り籠


さて、この雪国育ちのような白い竹肌の籠は何に使うたらエイろうか。清々しく清潔感のある見た目は朝のパン籠に最適ですろう。なので、この日は少し遠くにありますが、特別に美味しいと言われちゅうパン屋さんにまで足を運んで買うてきたがです。ご飯も好きやけんど、パンも大好きですきに、わざわざ行くことは苦労でも何でも無いですけんど、あの竹籠に入れるなら、どれがエイろうか?アレコレ選ぶのが楽しゅうて、ついつい食べ切れないほど持ち帰りましたぞね。


白竹四角盛り籠


スコーンは大好物ぜよ、特に干し葡萄の入ったヤツには目がないちや。きっと、あの小さいな白竹四角盛り籠には、こじゃんと似合うろう、そう思いながら、三つ、四つ...そして、小ぶりでシンプルなパンをいつか入れて。竹籠から始まる朝の食事は、まっこと贅沢で楽しい。こうやって生活の中で活躍できてこそ竹は竹であり、幸せな食卓に居る竹が一番幸せで輝く時ながですろう。


三坂に虎竹の産地あり

虎斑竹自生地


「岡山県真庭郡久世町三坂に虎竹の産地あり。」


明治44年11月14日の日付で当時の内務省(現在は文部省に移管)に提出された建白書には、竹に一種の細菌が付着して斑紋がつき、工芸品にも使われていた美しい竹の保護を松村任三氏、伊藤篤太郎氏、白井光太郎氏、三好学氏という四名の理学博士連名にて求める内容になっちょります。


虎斑竹自生地


実はこの建白書により日本での天然記念物法が発令され、虎竹は、その一番最初の指定を受けたのです。「天然記念物の第一号は虎斑竹」この言葉と同時に、久世町三坂という地名は竹虎にとって昔から少し特別であるのです。現在では地名も変わり真庭市となっちょります彼の地。今まで何度かお伺いする機会のあったのですが、先日は、久しぶりにお伺いさせて頂く事になったがです。


真庭市の霧


さて、自分は竹の神様にいつも良くしてもらいゆうにゃあ...。そう感じる事が多いのですが、この日も、まっことそんな気持ちからスタートしましたぜよ。行きがけの高速道路には霧が立ちこめてヘッドライトを付けても、ほんの少し前すら見られないような状態やったがです。休憩しようとパーキングエリアに停まって車外に出て辺りを見回しても、今にも雨でも降りそうなくらい薄暗い霧に包まれちょります。こんな悪天候で三坂まで行っても、竹は見られないのではないろうか?そんな思いで再び車に乗り込み走って行ったのです。


真庭市の青空


ところが、目的地近くのインターを降るやいなや、あの立ちこめていた深い霧が、だんだんと嘘の消えていき、そろそろ現地到着かという頃には、すっかり青空がが広がりだしてきましたぜよ!まっこと、日本で一番最初に天然記念物に指定された虎竹の山々が「よくぞ来てくれたなあ~!!!」山全体が笑顔で歓迎してくれちゅう気がするのです。


当初、こちらの虎竹は四箇所に分かれて成育地があるとの事でしたが、そのほとんどで絶滅のような形になってしまって、現在では、ただ一箇所のみが残り、ここでしか竹が見られなくなっている、そう聞いている現場に導かれるように辿りついたがですぞね。そして、車から降りて竹林を遠くから眺めるがです。


虎竹自生地


右側に見える大きな竹林の孟宗竹であり今回の目的の竹ではないがぜよ。虎竹は孟宗竹の下を通る小道を川の上流に向かって歩いた所にあるがです。前に来たのは何年前の事やったろうか?ハッキリ思い出す事ができないのですが、前回は役場の担当の方がわざわざ駆けつけて来てくれて、成育地まで案内して頂き、管理の問題などもお話ししてれちょりましたが、さてさて、今ではどうなっちゅうろうか?元気でやってくれにゆうろうか?


ちっくと不安もありましたぜよ、というのも、実は前回には、ちっくと寂しい思いをしたからなのです。ここの虎竹は、虎竹の里と同じように虎模様になる竹であるはずなのに、天然記念物に指定されて勝手な伐採をされないという事あろうかと思いますが、あまり手入れも管理もされておらず、誰にもすっかり忘れられている存在のように感じたからながです。現場までお越しいただいた役場の担当の方の熱意には、地域の竹を愛おしく思う気持ちを感じましたものの、やはり、部署が変わる事もあれば、竹にばかり関わっちゅう訳にもいかないという、もどかしさを感じました。


真庭市の虎竹


「やっぱりか...」


自生地を表す看板が立っている場所に、本当に、これで全部やろうか?と思うてしまうくらい細々と生える竹が虎竹です。整備が進むというような期待はしていませんでしたが、前に来た時よりも竹達の勢いが随分と感じられなく弱々しいがです。竹林の中に入らないようにとの事ですろうか。全体に張り巡らされたロープが、まるで病人に巻く包帯のように見えて痛々しく感じるがぜよ。


こんな包帯が竹にいるかえ?竹ほど、若々しく、健康で、美しく、元気な生命力にあふれちゅものはないっ!それが、けんど、どうぜよ...!?ロープなど張らないても誰も竹の中に入れないぞね。竹は乱立して立ち枯れなども見られ、とても中に進める状態ではないがです。これでは、ちっくと竹林とは呼べません。これは、こういう場合の竹は竹藪と言わざるをえんがぞね。


虎竹


この三坂の虎竹というのは大正13年に天然記念物に指定されました。高知の虎竹とは、まったく違い細身のヤシャダケという竹に虎斑が入る竹です。ヤシャダケはナリヒラダケ属ですが要するにメンチクのように細い竹であり、江戸時代には筆などに珍重されて、その濫伐を防ぐため、当時の名代官が留山にして保護したとの記載も見られるのです。筆の材料の他には観賞用などとしてが主であり、竹細工、竹製品への加工用竹材としては、あまり用途は多くない竹なのです。しかし、それにしても日本の天然記念物制度の契機となった竹という、日本に600種類もの竹がある中でも特別な竹の一つですろう。もう少し地元の方の関心が竹に向けられると、同じ竹を扱う者としては嬉しいと思いよります。


岡山虎竹


「天然記念物の第一号は虎斑竹」岡山の虎竹と、自分達の製造する虎竹はまったく違うものです。それなのに、この文言を祖父がパンフレットに刷り込み、ずっと数十年来使ってきたのには、かって江戸時代には土佐山内藩への献上品としても珍重された虎竹に、どうにか光を当てたいという気持ちがあったと思うのです。


真庭郡久世町三坂の虎竹と同じように虎斑の入る竹。竹に斑が入る事自体の希有さ、美しさは日本を動かして、天然記念物という新しい制度を作るまでになる。竹の虎模様とは、そんな凄い事であり、素晴らしい素材であるという事を地域の方を含めて多くの方に伝えたかったのだと思うのです。


幸いにして高知の虎斑竹は淡竹(はちく)なのです。竹細工にするのに十分な長さと太さと性質があり、様々な竹製品にする事ができます。天然記念物に指定されなかったお陰で自由に伐採して管理できます。「笑」という文字が「竹」と「人」から出来ているように、数千年前から人と密接に関係し役立ち続けてきた竹は、人の役に立ち、人と共にあってこそ笑顔になれるものながです。


竹虎四代目


虎竹の里の竹林への道には100年前に曾祖父が登った山道があります。その同じ道を祖父が通り、父が歩きました。今、小鳥達のさえずる心地よい風の通る竹林で思う事はただひとつ、いつまでも続けてゆきたい虎竹の里の事。日本唯一の虎竹の里と、いつも自分がお話しさせていただくのは、竹は人の手が入り、竹同士が地下茎で手と手を繋ぎ合うているように、人と竹が手を繋ぎ合うてこそ、素晴らしい竹細工が生まれ、美しい景観が保たれ、人も竹もが笑顔でいられる、そんな人と自然の長い歴史の営みの中に育まれてきた竹として、まさに日本に、ここにしかない竹だと思っているからなのです。


白竹簀の子

 
白竹すのこ


ここは某大学のとある校舎の玄関なのですが、知らずに入った方なら思わず歓声をあげる事もあるような、大迫力の白竹簀の子があるのです。竹虎にも黒竹玄関すのこという商品があって、まるで自宅の玄関が料亭になってような...等と嬉しいお声を頂戴しちょりますが、この広い入り口一面に竹を敷き詰めているのを見ると、まっこと、これだけて清々しい風が吹き抜けていくような気分になりますぜよ。


それぞれ一つ一つを正方形にちょりますので、縦横竹の方向を違える事により市松模様のようになるのも面白いし、靴を脱いで素足で竹を踏んだときの心地よさも格別ですろう。これなら、こじゃんと(とても)勉強にも身が入るというものですちや(笑)。


白竹簀の子


別の少し狭い入り口には下駄箱が置かれちょりました。そこでも靴を脱いでスリッパに履き替えられるように白竹簀の子が活躍しよります。正方形の形のパーツを短くカットしたりして、狭い場所には狭いなりに簡単に加工できるのも竹のエイところですろう。


白竹スノコ


通路の一角にテーブルと椅子が置かれたコーナーがありました。ここで学生さん達が打ち合わせや雑談をされるようですが、靴を脱いで素足に竹を感じながらリラックスできるよう工夫されちょります。こんな足元の涼しげな場所があったら話し合いにしても何にしてもスムーズに事が運びそうですちや。


これから暑い日が続く夏がやってきますぞね。環境問題から、節電のためのクールビズなどと言われる事も多いですけんど、エアコンの設定温度も、ちっくと高めにしても、ここなら平気ではないろうか?そんな風に感じさせてくれる白竹簀の子なのです。


感激!虎竹和紙団扇の試作完成

 
虎竹和紙団扇


5月30日のブログでもお話しさせて頂いちょりましたが、今年の虎竹は、どういう理由か分かりませんが和紙に漉ける繊維質になるのに普段の数倍の時間がかかってしもうたがです。最終的にはそれでも、まだ和紙には出来ないとの事やったので、竹素材を和紙メーカーさんから竹虎本社まで一度持って帰ってきて、皆で代わる代わる大方半日がかりで少しづつ木槌で叩いて細かくしたのです。


いつもと変わらない竹素材のはずだったのですが、まっこと自然素材の難しさを改めて感じた今回の竹和紙作りですが、けんど、そうやって苦労をして和紙漉きできるようになり、和紙工場で一枚の竹和紙となって来た時には、やうやく難関を突破したような気持ちで、まっこと嬉しかったがです。


虎竹和紙うちわ


ところが、それで終わりではありませんぞね。虎竹和紙を使うて、今度は団扇職人さんに団扇にしていただかねばならないのです。ひとつ懸念しちょった事があります。それは、竹和紙の油分の事ですぞね。今度の団扇は長くご愛用いただきたいと思っています。なので団扇には柿渋を塗り仕上げる事にしちょりました。柿渋を塗布しますと、風合いも当然増すのですが、その他にも防水、防腐、防虫効果があるのです。100年くらい前の団扇が現代にも普通に残っていたりするのですが、これは、この柿渋の効能による所が大きいのです。


さらに、柿渋仕上げの団扇に自分が魅了されたのは、その経年変化ぜよ。年を追うごとに色合いが深まり、まさに渋みが増していく様は、まっこと、磨きの竹細工を見るようで嬉しゅうなってきますぜよ。ただ、ひとつの懸念というのが、この柿渋が竹の油分にどうか?という事だけだったのです。上手く塗ることができればエイけんどにゃあ...。


そうこうしている内に団扇が出来あがってきましたぞね。一目見て、柿渋が何とか上手く虎竹和紙に馴染んでいるのが分かり、まっことホッとするやら、そして和紙作りに苦労しただけに、淡い色合いに入った竹虎ロゴマークに感激してしまったのです!思わぬアクシデントがあって、皆様にご紹介できるのが遅くなっちょりますが、来月には黒竹の団扇立て同様にお披露目できそうです。日本の猛暑はとどまるところを知りませんので、エアコンを止める事には少し抵抗もあるかも知れませんが、暑い時期には節電も言われよりますので設定温度を上げるなどして、その後は、昔ながらの伝統の団扇で涼んで頂く、そんな、夏もエイのではないですろうか?


虎竹の里炭石鹸と地の塩社

地の塩社研究室


もうコチラの地の塩社さんとは長い長いお付き合いになるがぜよ。そもそも炭の吸着力などを活かした炭石鹸を作りたいと思うて、全国の石鹸のメーカーさんを探しまわっていた時に、偶然出会うた熊本にある自然派石鹸の製造会社様やったのです。


小さい頃から肌が弱く、アトピー体質やった自分は、虎竹の里から汽車に2時間ちかくも揺られて高知市内の皮膚科に通いました。母は今でも「皮膚科の病院に一体幾ら使うたか知れん」などと話してくれますが、あまりに快方に向かわない自分の痒みに、ついには神頼みになったのか?菩提寺に連れて行かれて燃えさかる炎の上で真っ裸で捧げられ、祈祷していただいたという記憶もある程なのです。


熊本の大自然


数十個も取り寄せたサンプルや試供品の石鹸を自分が時間をかけて試し、使い心地の良さに満足して最後の最後にたどり着いたのが今の炭石鹸やったのですが、後から会社概要を拝見して、自分達と同じように自然豊かな環境の中で仕事をされている様子が伺えて、こじゃんと安心しましたぞね。熊本には世界有数の阿蘇カルデラがあり水の宝庫などとも言われちょります。その豊富で綺麗な水を使い製品作りをされているのをみて、自分達の炭石鹸を作っていただく事を決めたのです。


虎竹の里炭石鹸工場


たまに炭石鹸工場にはお伺いさせていただく事もあるのです。衣類のゴミをローラーで丁寧に取りのぞき、靴を専用のスリッパに履き替え、手洗いをした上でエアシャワーでホコリやばい菌類が入り込まないよう、さすがに徹底した衛生管理をされちょって、いつも感心してしまうがです。


虎竹の里炭石鹸工場エアシャワー


このような厳重な管理の元で製造されていく虎竹の里炭石鹸ですが、只今、更に使いやすく、皆様に愛される品質にしたいと思うて、リニューアルをさせていただく事にしたがです。一番のポイントは石鹸に含まれる薬用炭とよばれる炭の中でも特殊な炭、つまり当社なら化粧品に属する、つまり石鹸やシャンプー、リンスなど、ごく限られた製品にだけ使われる炭にこだわったのです。


虎竹の里炭石鹸製造工場


薬用炭には細かい分析試験項目があります。化粧品などに適合する炭にするには、この全てにクリアする必要があるのです。これが純度試験から硫化物、シアン化合物、酸可溶物、重金属など、定められた色々な項目があり、普通の竹炭では適合せんのです。自分達には竹や竹炭の専門知識はあっても、このような分析試験の事は分からない事が多かったのです。そこで、高知県工業試験所さんのご協力をいただきながら何度も挑戦し、ようやく適合竹炭の精製に成功したのです。


しかし、まだまだこれで簡単に竹炭石鹸ができるという事ではないがです。虎竹の里炭石鹸の素材は、石鹸素地に水と炭だけというシンプルなもの。その薬用竹炭の含有量などでもパーセンテージを変えた試作石鹸を何パターンも作り、自分はもちろんですけんど、虎竹の里炭石鹸を愛用する社員や、身近なお客様を中心に、時間をかけて使用テストを繰り返していくのです。薬用竹炭は本当に細かでなめならかパウダーですけんど、電子顕微鏡で見ると、今までの薬用炭とは形が違うなど、使い心地に影響のでそうな事も考えられちょりました。


そして、自分が何ともいうても大事にする竹炭の含有量は、今まで同様に最大限にまで持って来たいと、ずっと思っていたのです。まっこと微量な竹炭の増減も人の敏感な肌には嘘はつけないようぞね。0.01%のような細かな刻みで量を微調整し、今まで以上に皆様に喜んでいただける竹炭石鹸にしたいと思えば思うほど、試験期間は延び延びになってしまい、新しい石鹸が出来上がっているハズが、ついには売り切れとなってしもうちょります。炭石鹸をご愛用いただく皆様には、本当にご迷惑をお掛けいたしまして申し訳ない気持ちでいっぱいながです。


正直申し上げたら、早めに手をうち製造にかかれば、1ヶ月も2ヶ月も品切れというような事はなかったと思うちょります。けんど、せっかく新しい竹炭石鹸の誕生ですきに、少しでも使い心地の良いものを納得いくまで追求したいがです。ご愛用の皆様には、お待ちいただいただけの甲斐はある、本当に使い心地の良い竹炭石鹸になりますきに、どうぞ楽しみにお待ちいただきたいと思いゆうがです。


竹の年期

 
竹手提げ籠


年期の入った竹というのは、まっこと色艶がよくなりエイものですぜよ。ちょっと腰に提げる魚籠籠のような形をした手提げ籠も、作った当時は青々とした色合いだったのが時間の経過と共に色が落ち着き、ついには飴色のような何とも美しくも、ホッとさせてくれるような、竹独特の風合いに変化...、いやいや成長というべきですろうか?それとも進化とでも呼んだ方が、しっくり来るのかも知れませんぞね。


使うほどに、値打ちが更に高まり、愛着が深まるのは、自然素材ならではの素晴らしいところだと思いますけんど、さて、さて、そんな竹手提げ籠の持ち手を少し乱暴に扱ってしまい傷んでしもうたがですちや。ところが、これも自然素材の素晴らしい所でもあり、日本人が伝統的に受け継いできた「もったいない」という精神にも、もしかしたら繋がるかと思うのですが、修繕の心というのがあります。


日本では生活の中で使われてきた道具達は、少しくらい古くなったり、壊れたりしても、すぐに捨てるのではなく、修理したり、リフォームしたりして、ずっと長く愛用し続けてきたのです。竹籠なども、もちろん、その代表選手みたいなものですぜよ。こんなに手に入りやすく、細工のしやすい素材は、他にはなかなか無いですので、持ち手が壊れたくらいは、すぐに手直しして使用再開ながです。


古い飯籠


おっと、そこで職人さんにお願いして出来上がってきた竹手提げ籠をみると、色艶のよくなってきた竹籠本体に比べて、持ち手の青々しい事!なるほど、竹素材の新旧ではこんなに違いがあるのだと、初めての方にも本当に分かりやすくご理解いただけるのではないですろうか?


しかし、竹籠の色艶の渋さが深まるというのは実は序の口ぜよ。数十年前に編まれた飯籠は持ち手を長く作られています。風通しのよい縁側のひさしの所にぶら下げて、ご飯を保管していたからなのです。この飯籠の蓋が無くなって、どうしようかと困っちょりまたのですが、ちょうど腕のよい職人さんが蓋を作ってくれるというので、本体の籠を預かっていただいちょりました。竹籠に蓋を付けるというのは大きさをカッチリ合わせねばならず、実は大変難しい技術を必要とされますきに、竹職人さんなら誰にでもお願いできるという代物ではないがです。時間は少しかかりましたが蓋付きで戻ってきた飯籠は、数十年前に出来たと同じような見栄えになり、新品でピカピカの帽子をかぶったようで何やら恥ずかしそうにも見えますぞね。


本体の竹編みの赤茶けた濃い色合いと、蓋の清々しい色合い、これだけ違うので、もしかしたら下の籠は染料で染めているのか?もしかしたら、竹の種類が違うのか?黙って置いていたら色々考えてしまうかも知れませんにゃあ。けんど、手品でも何でもありませんぜよ。蓋も本体を編む竹も、まったく同じ竹であり、ご飯を入れて使う生活道具の竹細工ですきに染めるなど考えた事もありません。元々は蓋のように青みがかった竹が長い間使われる中で、徐々に風合いが深まり、ご覧のような竹に成長してきたがです。もちろん、こうなったら、もう誰もこの竹は手放せないのです。


いごっそうの深竹丸ざる

深竹丸ざる


田舎の実家に里帰りして皆で勢揃いしたかのような竹ざる達、昔の縁側で楽しそうに並んじょりますが、こうして見たら日本の古い民家というのは、まっこと素晴らしいぜよ。縁側という機能も、家の外側と内側の中間のような存在で、ここで家族と、あるいは近所の方達と休んだり、話したり、最高のコミュニケーションの場所ではなかったかと思うがぞね。


そう言えば自分の小さい頃にも、この陽当たりの良い縁側が遊び場で、郵便配達のおじさんでも、知らない大人の人が尋ねてきても「お母さんか誰かお家の人は居るかね?」と、まず最初に声をかけられるのが縁側の自分やった。思い起こせば、幸せな時代やったのかも知れませんちや。


深竹丸ざる職人


まあ、それはさておきまして、この竹ざる達は土佐の頑固職人が編み上げた深竹丸ざるぞね。他の人の伐った竹では気に入らないと話されて、自分でコレと思う竹を伐り出しては割って竹編みをされる、昔ながらの「いごっそう(土佐弁で頑固者)」ながです。


もともと農家さんでの畑仕事に使われてきた竹籠を作りよりましたので、とにかく一本一本の竹ヒゴも厚みがあり丈夫ながです。出来上がる竹籠も持っただけで重みや質感で、その技術の高さが分かるほど、前に近くの産直の野菜売り場に丸々と太った特大の大根がありました。街中のスーパーで売っているような上品な大根ではないですぞね。片手で掴んで持っているのが大変なくらいのズシリとくる大根ぜよ。その大きな大根を何と6本も入れてみましたけんど、この頑固職人の竹ざるは、ビクともせずに楽々持ち運びができたのです。


竹職人


さすが現場で鍛えられて強さを追求してきた竹ざるやと感心した事ですが、この深丸竹ざるの凄い所は、ただ堅牢な編み込みを誇るだけでなく、強さと美しさを併せ持つという所ながです。面取りされて手触りのよい竹ヒゴ、深みのある形、極太の厚みのある当縁など、まっこと格好がエイがぞね。高知も梅雨入りで、うっとおしい天気が続く毎日なのですが、この長雨が過ぎた晴れ間には、今年も梅干しの土用干しをされる方も多いかと思います。一生使える、この深竹丸ざるの出番でもあるがです。


今日のショルダーバックは竹虎では、ないっ!

竹虎四代目


梅雨の晴れ間に、ちっくと旅気分を味わいたくてJRの駅に来てみたがぜよ。虎竹の里の安和駅は自分で勝手に「レストラン安和駅」と呼んで、すぐ前の眼下に広がる雄大な太平洋を眺めながら、ベンチに腰をおろしてオニギリなど食べることがありますが、こうして街中の駅に来ることは、まっこと数年に一度か...?あまり無い事ですにゃあ、珍しいことながぜよ。


けんど、こうやってホームにおったら初夏の風が気持ちがエイちや。そして思うよりも沢山の方が駅を利用されゆうのが分かりますぞね。買い物に出掛けられるご高齢の方々、通学される学生のみなさん、車社会とは言いますけんど地方のJRはじめ公共の交通機関は、なくてはならない皆の足となっちゅうのが良く分かるがです。


あれっ?けんど四代目...。今日の出で立ちは、少しいつもと違うのでは?


そう思われた、あなた様は鋭いぞね。実は今日はいつもの竹虎前掛けショルダーバックの代わりに、青竹籠ショルダーバックを提げて来ちゅうがやきに。どうしてち?理由はいくつもありますぜよ。


真竹ショルダーバック


ひとつは、若い職人さんに、いつ頼んだか忘れるばあ前にお願いしていて、随分と楽しみに待ちよった籠が、ようやく出来上がって嬉しくてたまらん事、そして、ふたつめは、この青竹の出来たばかりの清々しさが、今日のカラリと乾いた晴れ間の天気に、うってつけだったからなのです。そうそう、手に持つステッキも竹根の杖でなくて、何と細いけんど、こじゃんと丈夫な根曲竹の杖にしましたぞね。


そして最後の理由、実はこれが一番大きいのですが、この竹籠に一目惚れした底の力竹が何ともいえず魅力的やきですぜよ。もともと、この籠は山深い地方に伝わる古い背負籠がモデルになっちょります。それを現代風にアレンジして作った竹籠なのですが、この太く、存在感のある力竹の入り具合というたら何と格好がエイろうか!?思わず手にとって肩にかけて、何処にも行くあてなどないくせに、そのまま外に飛び出してきたというのが本当のところながです。まっこと今日は、この竹ショルダーバックに外に連れ出してもろうて、楽しいやら、嬉しいやらの一時ですぞね。


竹を逆さに立てる、もうひとつの理由

 
晒竹(真竹)


皆様ご存じのように竹は元の方が太くて先端になるに従い細くなりますぞね。だから、竹を壁に立てかける場合にはウラ(先端)を下にするのが普通ながです。もし、元を下にたてかけていったとしたら最初はエイかも知れませんが、段々と元の部分ばかり前にドンドンと張り出してきて、しっかり整理して保管することが出来づらくなってくるのです。


竹は伐採時期が決まっちょって、一時期にその年の竹が全て出そろいますので、竹の量が大量に工場に入って来たときなどは、ウラと元と交互に立てかけていくなどという裏技もあるにはありました。今ではそんな事は夢のような話し、懐かしい思い出話しぜよ。長尺の竹もそうですが、1メートル程度に短く切断して、2箇所、3箇所紐で縛った竹束なども元の方を下にして置いたら最後、その衝撃で紐が緩んで束を再度縛りなおすような事にもなりかねませんぜよ。細いウラの方を下にして立てると反対にギュッと紐がしまるのです。


さて、竹を逆さに立てかける理由は一応そんな所なのですが、専門の方でも案外しらない、もう一つの理由というのが実はあるがぞね。それはベニカミキリに代表される竹の虫対策なのです。おっと、そうそう、竹を虫が食うことすら、あまり知られちょりませんが、竹細工に一目で穴と分かるような大きな虫食い穴を作るのが、この虫と、タケトラカミキリという名前は「タケトラ」と付くものの、「竹虎」とは随分違う外来種の害虫ながです。


竹皮


この竹を食う悪い虫たちが卵を産み付けるのが竹節にある小さな穴。この穴は竹皮が竹節に付いていた時の名残で、竹はこの、竹皮を一枚また一枚と脱ぎ捨てながら伸びていきます。ポロリと竹皮が剥がれ落ちた時に竹皮の付いていた穴は竹節部分に残ります。虫たちは、この竹節の穴を狙って卵を産み付けるがですが、問題はその時の虫の格好なのですが、足を竹節の出っ張り部分に引っ掛けるように逆さになり生み付けるので、竹のウラを上に向けて普通に立てている状態だと虫が竹節を利用しやすく、卵を産み付けやすい状態になっているのです。反対にウラを下に向けていると竹節の引っかかりは下を向いており、悪さをする虫たちも、卵を産み付けにという訳ながです。


竹には「割れ」と「虫害」という二つの大敵があって、昔から山の職人も、竹屋も、竹職人もこれと向き合うてきました。現代人の竹離れ、いえいえ「竹忘れ」が進んで竹に携わる人口は、年々少なくなっていく一方ではありますが、竹を逆さに立てかけること一つにも、こんな深い理由があり、それを頑なに守り続ける、誇り高き竹人の魂にふれるごとに自分も奮い立つ思いで、嬉しくなってくるがですぜよ。


我が家のカレーライス

竹カレースプーン


竹カレースプーンと金属スプーンが台所にあるとしますぞね、さて、今日のカレーにどちらに手が伸びるか?そう考えたら、やっぱり竹の方に軍配があがりますにゃあ。


竹カレースプーンは金属のスプーンのように薄くはありませんぜよ。薄くするのには強度的な限界もありますし少し厚みを残して加工されちょります。だから、金属スプーンと同じような使い勝手というワケにはいきません。けんど、多少の使い勝手や、器の底に残ったカレールーをすくいづらいとしても、その、ささやかなマイナス面を補ってあまりある持ち手の気持ちよい感触や、何より金属のようにヒンヤリとしない優しい口当たりがあるがです。


このような竹カトラリー類も、よく似たような製品が、海外でも製造されていて安価なものを見かける事があるがです。ところが、この「極上」と名前を付けたシリーズは、どちら様がご覧になられても、その持ち手の太さや、維管束と呼ばれる繊維密度が高く、竹の強度が一番ある表皮部分をギリギリに薄く剥いで丁寧に仕上げられた美しさは、一目で、お分かりいただけるのではないですろうか?


竹節付カレースプーン


さらに自分の気に入っているところは極上竹カレースプーンの竹節付きのもの。これは、竹の特徴が良く出ちょりますので、もともとは見た目の風合いなどを考えて作り出したものなのですが、実際に出来上がったものを使ってみますと、思いがけない大きな副産物があって、まっこと嬉しかった事を覚えちょりますぜよ。


それは、何かと言いましたら、竹節の側をテーブルに向ける、つまりスプーンを反対に向けましたら、節部分の高さがあるのでスプーン先端がテーブルに着かないのです。これなら食事の前の用意でもスプーンは衛生的ですし、食事の最中にスプーンをテーブルに置きたい場合にしても、お箸のように箸置きは必要なく、そのまま汚す事なくスプーンを置けますぞね。カレーは、どこのご家庭でも作られる今や国民食のようになっちょります。なので恐らく味噌汁のように、そのお家ごとの母の味がありますろう。極上の竹スプーンは我が家の美味しいカレーライスを更に美味しくしてくれる強い味方なのです。


携帯用青竹踏みで快適ロングフライト

青竹踏み(携帯用)


自分は田舎者ですきに海外旅行などは今まであまり行く事がなかったがぜよ。それが、今年の2月にはストックホルム国際見本市に参加させていただき、そして、先月はパリにまで行く機会があったがですぞね。旅慣れた皆様やったらご存じのように、アメリカ東海岸やヨーロッパなどは10数時間のフライトとなりますちや。まっこと退屈やし、同じ姿勢で座るのは大変でもあるがです。


実は旅行の前に色々とアドバイスを頂いていたがですが、エコノミークラス症候群(ロングフライト血栓症)という話しを聞きました。これは飛行機の高度も関係していて国内線と違い、気圧も下がるので血流が悪くなり引き起こされるとの事。そこで、足の指や、歩いて動かす事によって予防できるとも知ったのです。小まめに立ち上がりトイレに行くなどして、同じ姿勢でいない事に気をつけたらエイにゃあと思ったのですが、これほど酷い症状がでないまでも、慣れないロングフライトです、足のむくみや疲れ、気分転換などに何かないかと考えていて、すぐに思い出したのが、かってJALだったかANAだったかで機内乗務員として、ずっと働かれていた方の事だったのです。


この方も国際線のお仕事で足のムクミをとるのに青竹踏みを使ってみたところ、キツキツやった靴に指一本入るほどになり、その効果に驚かれて、以降ずっと青竹踏みを愛用しゆうとのお話しでした。青竹踏みは竹を半分に割っただけのシンプルな構造ですが、古来、日本ではご家庭に一本くらいは常備されてちょって、足の健康のためにずっと使われてきたものなのです。ところが、最近の若い学生さんなどに聞くと半分くらいは、何と、この逸品の存在をご存知ないのです。先のキャビンアテンダントの方も、たまたま仕事場に置いてあったて初めて使われたのでした。


ところが...です。機内乗務員の方でしたら職場に常備されちゅうモノであり、自分で手荷物として持ち込むという事ではありません。長いフライトに備えて青竹踏みは持ち込みたいけんど、長さが40センチ、重さ350グラムの半割の竹というのは、いくら良いものであったとしても少し躊躇されるかも知れんがです。


そこで、何か忘れちゃあしませんか?そうぜよ!この青竹踏み(携帯用)ながですぞね。実は自分は職場やったり自宅やったりに青竹踏みは常に置いていて、電話をかけながら、テレビを観ながら毎日使うようにしちょります。なので長期の出張には、できるだけ持参することも多いのですが、通常の青竹踏みにくらべて長さ長さ20.5センチ、重さ150グラムと、格段にコンパクトで鞄にも楽々はいるサイズに仕上げちゅうがぜよ。それでいて、普通の青竹踏みが1本の竹を半分に割るのに対し、6対4の比率で割っちょますので1本の竹から1個しか取れませんが、足にはギューとピンポイントで効くのです。


今回のロングフライトでは、携帯用青竹踏みが、こじゃんと(とても)大活躍しましたぜよ。周りが薄暗くなって、寝静まっちゅう中、立ち上がり、シートに手をかけてフミフミ、フミフミ...。いやいや、まっこと少しの事でここまで気持ちがエイろうか?この携帯用も元々はお客様からのお声で作った製品ながです。ありがたいお声に感謝しながらフミフミ、フミフミしたがぜよ。


孟宗竹という日本最大級の竹

孟宗竹


孟宗竹(もうそうだけ)は、中国原産の竹で、仏教と一緒に日本に渡って来た竹なのです。一番最初に入って来たのが京都であるか、鹿児島であるか、諸説ありハッキリとした事は残念ながら分かっちょりませんが、一番自分が申し上げたいのは、いずれにせよ日本に来て数百年の竹ぞね。それが、現在では日本各地どこに行っても人の暮らす里山には見られるようになっているという所を注目してもらいたいがです。


現在日本には約600種類のもの竹類があるがですが、その中でも20数メートルの大きさに成長する最大級の竹であり、これだけ成育地域が広がっているという事が、昔から様々な用途として重宝されてきた証ではないかと思うがです。


京都を訪れた際に、美しい竹林に清々しい気持ちになられた方も多いのではないですろうか?手入れの行き届いた孟宗竹の竹林では筍が栽培されよります。今では安価な筍が輸入されるようにもなって、名産地やブランド筍以外の竹林では筍を掘ること少なくなり、いわゆる放置竹林と言われるような所が多くなりつつありますが、かっては日本中の孟宗竹の林では毎年季節になれば筍の収穫が行われ、伐採された竹は建材や農業、漁業用、竹細工用として有効活用され、美しい景観を保つと共に、人と竹との良い関係が続いてきたがぞね。


伐採しても毎年のように筍を生やし、驚くような成長力と、一年通して青々とした葉を茂らせる生命力は、昔から神秘的なものとして崇められ、様々な神事にも使われよりますが、人の管理ができなくなると反対にその逞しいパワーが仇となり、竹林の拡大などの問題とも言われる事がありますが、孟宗竹の放置竹林で悪いのは、もちろん竹の方ではなく、管理できなくなった人間の責任であり、竹の有効活用を出来ていない竹に関わる自分達の責任であるがぜよ。


孟宗竹は太く、身も厚く、竹としては実は様々な加工に適応する素晴らしい素材でもあるのです。虎竹の里には、当たり前ですが孟宗竹はあまり増やしていません。虎竹の竹林ばかりなので竹虎の細工で使う孟宗竹は、全て遠くの竹林までトラックで取りに行きよります。


しかし南方系の植物だけあって、やはり温暖で雨の多い気候の孟宗竹は育ちがエイですにゃあ。高知もそうですが、孟宗竹の竹林面積が日本一という鹿児島はじめ、九州の孟宗竹にはビックリするような太さのものがあります。反対に東北地方など寒い地域では同じ種類の孟宗竹であっても、もしかしたら違う種類?と思われるほど少し小ぶりなものが多いのです。


けんど、少し余談になりますが、雪の残る季節に東北の孟宗竹の竹林に行った事がありますぜよ。竹葉や節に真っ白い雪が積もる様は神聖ささえ感じられ、本当に心が洗われるように美しいものやったがです。とにかく雪の中でも竹の生命力は衰えることなく緑の葉を茂られちゅう、この白と緑の色合いのコントラストが、何とも素晴らしいがです。そして、雪の重みで大きく竹が曲がながらも、じっと耐えている竹の姿、雪の竹林は、まっこと感動に溢れちゅうと思うたのです。


さて、話しをもどして孟宗竹の太さをそのまま活かした竹ワインクーラーの事なのですが、こちらは、ずっと前からずっと定番でご愛顧いただく、天然の孟宗竹の特徴をそのまま活かした商品の一つですけんど、一番大変なところが自然の丸竹をそのまま活用する所ぞね。丸竹となれば、太さや形にバラつきがあるという事ながです。一つの竹林でも竹の太さ、形、性質には違いがあり、伐採した竹の、ほんの極一部しか材料として使える竹がないのです。


竹ワインクーラーは少しリニューアルして風合いを変えちょります。日本最大級の竹の迫力をご家庭や店舗様でも感じていただきたい、そんな思いは前々から何ら全く変わりません。沢山伐採する時に、太い孟宗竹だけを特別に選別して、工場内に大事に保管するようにしちゅうがですが、乾燥による割れや虫害などを選り分けて加工していくと、広大で無数にあるように思える竹の中から、製品としてお届けできる竹は意外なほど少ない事が分かるがです。


白竹ねじり編み盛籠

白竹ねじり編み盛籠


編み目が水面を渡る風のように思えてしまう白竹ねじり編み盛籠ぜよ。名前の通り竹ヒゴを捻って編み込む立体感のある形は、オブジェのような花籠にしても、手提げ籠や、写真のような笊にしても、強い印象が残る独特の風合いがあるがです。


白竹ねじり編み盛籠製作


竹細工では、これほどの見た目のインパクトがある作風は少ないですけんど、見た目の凄さだけではなくて、この一連の作品群は、どれも堅牢で、まっこと実用的でもあるがです。製作途中の編み込みでも既に形がガッチリと決まり、折り返した竹ヒゴが抜けたり、折れたりする事は、まあ、普通にしていれば、ちっくと考えらませんにゃあ。


竹盛籠底部分


盛籠を裏返して見てみましたぞね。面の竹の表情も面白味がありますけんど、裏返した盛籠も普通の竹笊にはないデコボコがあり面白いがです。よくご覧いただきますと1本の竹ヒゴを上下に薄く剥いでいて、二重になっているのがお分かりいただけるかと思います。注意深く見ていないと見逃される事も多い職人技ですぜよ。そうそう、料理人で言うたら隠し包丁のような、表からは見えないものの、無くてはならない技術の一つなのです。


根曲竹


捻られた竹ヒゴも特徴的で、こじゃんと美しいのですが、もう一つ、この竹盛籠の大きな特徴は何かというと実は縁巻きにあるがです。縁巻きには通常は籐などを使うことが多いのですが、この盛籠に使われる素材は、寒い地方や高山に育つ根曲竹という、太さはエンピツか太めのボールペンくらいの細さですが、その粘りと強さは、数ある竹の中でも抜群ながです。冬の雪に埋もれて根元部分が曲がっちゅうので根曲竹と呼ばれますが、厳しい寒さに鍛えられた素晴らしい素材なのです。


竹は普通は3年程度の竹を伐採して竹細工にしていきますけんど、縁巻きに使う竹はその年に生えた竹を夏場に伐採するがです。若竹は、大きさこそ親竹と同じように育っていますが、その身は柔らかく、薄く剥いで竹ヒゴに使うと、縁巻きなどの素材としては最高ながですちや。


けんど、なかなかこの根曲竹を縁巻きに使うちゅう籠は多くありません。この盛籠が、独特な雰囲気を醸し出しているのは、実は、ねじり編みのせいだけではなく、もしかしたら気づかない方もおられるかも知れないような、しかし、見る方が見られたら、なるほどと納得される、縁巻きの根曲竹の力ながです。


祖父のショートホープ

竹虎四代目とタバコ


禁煙してから20数年、今ではビルや駅の喫煙ルーム近くさえ、そのニオイが気になって近寄りたくないほどなのです。だからホテルの部屋でも消臭対応では寝ることが出来ないがですぞね。出張で禁煙の部屋が取れない場合は、遠くても他のホテルを探すほどぜよ。前は、あれほど吸いよったのに、禁煙したらこんなにタバコが苦手になるのか...。昔の事が、まっこと嘘のようですにゃあ。


ところが、そんな自分が年に何度かだけ、嫌いなタバコを手にする事があるがです。しかも、ニコチンが強烈に入っちゅうショートホープ!100円ライターで火を付ける、軽く吸い込む、懐かしい味と香りとが口にひろがる、「そうそう、タバコは、こんな味やった...」。その度ごとにそんな事を思うこのタバコは、愛煙家の祖父が好きやった銘柄。たまに足の向く墓前でふかす煙が空に消えていくぞね。


「僕は、どうやろうか?やれゆうろうか?」


ショートホープ


この里のを守りたい、それだけやけんど...。タバコが消えるまでの間、そこには日本一の竹屋と言われた祖父がおる。虎竹の古里焼坂の山を見上げたら、ゆっくりと日が落ちてきた。竹虎が、この光景を100年見てきた時間の長さを思うたら、自分もこのタバコの煙みたいなものぜよ。だから今を全力で生きんとイカンですろう。何の力もない弱い男が立ち上がる。また、背中を押してもろうたちや。一人でないと思うたら、何でもできる、何処でも行ける。