「岡山県真庭郡久世町三坂に虎竹の産地あり。」
明治44年11月14日の日付で当時の内務省(現在は文部省に移管)に提出された建白書には、竹に一種の細菌が付着して斑紋がつき、工芸品にも使われていた美しい竹の保護を松村任三氏、伊藤篤太郎氏、白井光太郎氏、三好学氏という四名の理学博士連名にて求める内容になっちょります。
実はこの建白書により日本での天然記念物法が発令され、虎竹は、その一番最初の指定を受けたのです。「天然記念物の第一号は虎斑竹」この言葉と同時に、久世町三坂という地名は竹虎にとって昔から少し特別であるのです。現在では地名も変わり真庭市となっちょります彼の地。今まで何度かお伺いする機会のあったのですが、先日は、久しぶりにお伺いさせて頂く事になったがです。
さて、自分は竹の神様にいつも良くしてもらいゆうにゃあ...。そう感じる事が多いのですが、この日も、まっことそんな気持ちからスタートしましたぜよ。行きがけの高速道路には霧が立ちこめてヘッドライトを付けても、ほんの少し前すら見られないような状態やったがです。休憩しようとパーキングエリアに停まって車外に出て辺りを見回しても、今にも雨でも降りそうなくらい薄暗い霧に包まれちょります。こんな悪天候で三坂まで行っても、竹は見られないのではないろうか?そんな思いで再び車に乗り込み走って行ったのです。
ところが、目的地近くのインターを降るやいなや、あの立ちこめていた深い霧が、だんだんと嘘の消えていき、そろそろ現地到着かという頃には、すっかり青空がが広がりだしてきましたぜよ!まっこと、日本で一番最初に天然記念物に指定された虎竹の山々が「よくぞ来てくれたなあ~!!!」山全体が笑顔で歓迎してくれちゅう気がするのです。
当初、こちらの虎竹は四箇所に分かれて成育地があるとの事でしたが、そのほとんどで絶滅のような形になってしまって、現在では、ただ一箇所のみが残り、ここでしか竹が見られなくなっている、そう聞いている現場に導かれるように辿りついたがですぞね。そして、車から降りて竹林を遠くから眺めるがです。
右側に見える大きな竹林の孟宗竹であり今回の目的の竹ではないがぜよ。虎竹は孟宗竹の下を通る小道を川の上流に向かって歩いた所にあるがです。前に来たのは何年前の事やったろうか?ハッキリ思い出す事ができないのですが、前回は役場の担当の方がわざわざ駆けつけて来てくれて、成育地まで案内して頂き、管理の問題などもお話ししてれちょりましたが、さてさて、今ではどうなっちゅうろうか?元気でやってくれにゆうろうか?
ちっくと不安もありましたぜよ、というのも、実は前回には、ちっくと寂しい思いをしたからなのです。ここの虎竹は、虎竹の里と同じように虎模様になる竹であるはずなのに、天然記念物に指定されて勝手な伐採をされないという事あろうかと思いますが、あまり手入れも管理もされておらず、誰にもすっかり忘れられている存在のように感じたからながです。現場までお越しいただいた役場の担当の方の熱意には、地域の竹を愛おしく思う気持ちを感じましたものの、やはり、部署が変わる事もあれば、竹にばかり関わっちゅう訳にもいかないという、もどかしさを感じました。
「やっぱりか...」
自生地を表す看板が立っている場所に、本当に、これで全部やろうか?と思うてしまうくらい細々と生える竹が虎竹です。整備が進むというような期待はしていませんでしたが、前に来た時よりも竹達の勢いが随分と感じられなく弱々しいがです。竹林の中に入らないようにとの事ですろうか。全体に張り巡らされたロープが、まるで病人に巻く包帯のように見えて痛々しく感じるがぜよ。
こんな包帯が竹にいるかえ?竹ほど、若々しく、健康で、美しく、元気な生命力にあふれちゅものはないっ!それが、けんど、どうぜよ...!?ロープなど張らないても誰も竹の中に入れないぞね。竹は乱立して立ち枯れなども見られ、とても中に進める状態ではないがです。これでは、ちっくと竹林とは呼べません。これは、こういう場合の竹は竹藪と言わざるをえんがぞね。
この三坂の虎竹というのは大正13年に天然記念物に指定されました。高知の虎竹とは、まったく違い細身のヤシャダケという竹に虎斑が入る竹です。ヤシャダケはナリヒラダケ属ですが要するにメンチクのように細い竹であり、江戸時代には筆などに珍重されて、その濫伐を防ぐため、当時の名代官が留山にして保護したとの記載も見られるのです。筆の材料の他には観賞用などとしてが主であり、竹細工、竹製品への加工用竹材としては、あまり用途は多くない竹なのです。しかし、それにしても日本の天然記念物制度の契機となった竹という、日本に600種類もの竹がある中でも特別な竹の一つですろう。もう少し地元の方の関心が竹に向けられると、同じ竹を扱う者としては嬉しいと思いよります。
「天然記念物の第一号は虎斑竹」岡山の虎竹と、自分達の製造する虎竹はまったく違うものです。それなのに、この文言を祖父がパンフレットに刷り込み、ずっと数十年来使ってきたのには、かって江戸時代には土佐山内藩への献上品としても珍重された虎竹に、どうにか光を当てたいという気持ちがあったと思うのです。
真庭郡久世町三坂の虎竹と同じように虎斑の入る竹。竹に斑が入る事自体の希有さ、美しさは日本を動かして、天然記念物という新しい制度を作るまでになる。竹の虎模様とは、そんな凄い事であり、素晴らしい素材であるという事を地域の方を含めて多くの方に伝えたかったのだと思うのです。
幸いにして高知の虎斑竹は淡竹(はちく)なのです。竹細工にするのに十分な長さと太さと性質があり、様々な竹製品にする事ができます。天然記念物に指定されなかったお陰で自由に伐採して管理できます。「笑」という文字が「竹」と「人」から出来ているように、数千年前から人と密接に関係し役立ち続けてきた竹は、人の役に立ち、人と共にあってこそ笑顔になれるものながです。
虎竹の里の竹林への道には100年前に曾祖父が登った山道があります。その同じ道を祖父が通り、父が歩きました。今、小鳥達のさえずる心地よい風の通る竹林で思う事はただひとつ、いつまでも続けてゆきたい虎竹の里の事。日本唯一の虎竹の里と、いつも自分がお話しさせていただくのは、竹は人の手が入り、竹同士が地下茎で手と手を繋ぎ合うているように、人と竹が手を繋ぎ合うてこそ、素晴らしい竹細工が生まれ、美しい景観が保たれ、人も竹もが笑顔でいられる、そんな人と自然の長い歴史の営みの中に育まれてきた竹として、まさに日本に、ここにしかない竹だと思っているからなのです。