「クマぜよ!」と言うても本物の熊ではないがです。筍の名産地京都では土から出た真っ黒い皮の筍の事をクマと呼ぶそうです。そう言われてみれば、色といい、細かい毛が生えてるところといい、熊にそっくりやちや、誰が付けたか、なかなかのネーミングぜよ。ちなみに先端の緑のくちばしの様に見える小さな葉状のものは、鞘片(しょうへん)と言うのですが、この曲がりに注目ぞね。この曲がりの方向に筍の元となる根があるそうながです。
まあ、そんな豆知識はどうでもエイかも知れませんけんど、昨日は、時期的にいうと終わりになっちょります。虎竹の筍をご覧いただきましたので孟宗竹の筍と見比べてもらいたいがです。クマと呼ばれる丸々と太った逞しい身体付き、昨日の虎竹は淡竹(ハチク)であり、両者の筍を比べると圧倒的に孟宗竹の方が太いのが良く分かります。
淡竹は日本の在来種で昔からあって筍も食されてきたと思いますが、孟宗竹が江戸時代に日本に渡ってくるやいなや全国に広まります。ある時には武士のステータスとして庭に植えられたと言いますが、自分が想像するに、やはりこの圧倒的な太さは、食料としての価値が大きかったと思うのです。
土から頭を出して重たくなるほどに成長する筍は、現代のように食べ物が豊富でない時代には、この季節を冬からずっと辛抱強く待ち望まれる貴重な食べ物であり、春の訪れと、寒い季節を生き延びた喜びの味だったに違いありません。高知では穂先筍というて2メートル以上伸びたようなものも、先端部分だけを食べたりしますが、小さなものから、大きくなるまで旬の短い筍を食べ尽くすのは、そもそも食料の意味合いが大きかった名残かも知れんと思うのです。
そして、何処の山里に行っても日本在来種の竹よりも、まるで遙か昔から、そこにあったかのような顔をして茂る孟宗竹を見る度に、人々に大いなる歓喜とともに受け入れられた竹なのだなあと感じます。
筍栽培の竹林は「畑」だと前にもお話した事がありますろう。まさに、収穫のために畑と同じように手間をかけ、筍を育てて、出荷しているのですが、肥料を入れたり手を加えている事もあるのですが、収穫をどんどんすれば、するほど次の筍が次々と頭を出してきよります。これは、収穫された筍に行くはずだった竹根に蓄えた養分が余り、次の筍に回されるためなのですが、毎年のように、こうして生えてくる筍の成長力、神秘的な力は、まっこと継続利用可能な唯一の天然資源と思わせてくれる所以ぜよ。
虎竹の里のには孟宗竹の林というは本当に少ないのですが、筍の美味を知っているのは人間だけではないがぞね。そうです、最近増えすぎて少し困っているイノシシも大好物ながです。地中にある筍を鋭い嗅覚で嗅ぎ分けて、あのガッチリした竹根を掘り起こし筍を食べていくので、さすがに野生動物は凄いにゃあと思いますが、その掘り起こされた後に、逞しく次の筍が頭を出し始めてちょります。この竹の力強さ、逞しさは自分も見習いたいと常々思うのです。
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