虎竹和紙作り

虎竹和紙作り


「竹虎さん、こりゃあ和紙にならんぜよ~」


土佐和紙製造会社の社長さんに、こじゃんと怒られよりますぞね。虎竹を和紙にするためには長期間水槽で水に浸けておき、柔らかくなった所で撹拌して繊維を取りだしていくのですが、今年の虎竹は、どういうワケやろうか?同じ期間だけ水に浸しておいても柔らかくなっていないのです。そこで、不思議に思われた社長さんから連絡を受けて、急遽、和紙製造の現場にお伺いさせてもらう事になりました。


「う~ん、いつもと同じ原料ながですけんど」


虎竹和紙原料


和紙製造会社の社長さんは、今回の原料はもしかしたら古い竹で、今までの竹は若い竹だったのではないか?古竹と若竹で性質は違うだろうから、このようになっているのでは?このような推測もされていたのですが、竹虎にある竹というのは全て3年竹、4年竹くらいが中心で、若竹は山での伐採自体をすることがないのです。


概ね竹の場合は、若竹では細工になりませんので、若い竹を伐採する事自体があまり無い事なのです。また、虎竹の場合には日本唯一の虎模様が成育して3年くらい経たないと、色づきがないという特徴もあり、若竹(新竹)が混ざる事は考えられません。竹の樹齢に違いはないということなら竹の個体差ですろうか?それなら、山により、竹林により性質は異なります。極端にいえば同じ性質の竹は一本としてなくて、竹自体の丸みの形にも違いがありますし、伸びや曲がり、粘りなど、それぞれ違いがあるがです。


虎竹和紙原料作り


ハッキリとした原因は分からずじまいではありますが、自然界では、その年々により果物などで良く言われる表年、裏年のように、竹自体でも表年、裏年と竹林単位で毎年繰り返しちょります。元気が良く、葉も青々として筍を沢山出す翌年には、竹に疲れがあり、黄葉が広がり筍の数も少ないがです。今回の竹につきましては、虎竹和紙にする竹ですから、全体からすると本当に極わずかな量でした。もかしたら、そのような虎竹の里の大きなバイオリズムの中で、少し硬い個性を持った性質の虎竹を持って行ったのかも知れません。


それは、ともかく、とにかく竹を細かい繊維質にせんとイカンぞね。そこで、土佐和紙工場から竹を一度持って帰ってきてから、木槌でひとつひとつ叩いて砕いていくがです。すでに柔らかくなっていて手で強く握ると、ボロボロッと崩れるような竹もあるにはあるがです。けんど、やはり全体的に見れば和紙に漉けるような状態ではありません。


虎竹和紙製造工程


丁寧に叩いて細かい筋状の竹繊維にしたところで再度土佐和紙工場ぜよ。こちらで加工していただき、ようやく和紙に漉ける原料となりました。今回の虎竹和紙は団扇を作ろうと思うちゅうがです。ここの和紙工場さんには日本で最小とも言われる和紙製造の機械があって、自分達のような少ないロットの注文にも対応していただけるがです。機械を使うと言うても、他の大型機械を使うて、何キロ、何トンというように、どんどん製造していくワケではなく、まっこと昔ながらの技術を使うた職人の手作り和紙と呼ぶに相応しいぞね。パイプからは近くを流れる仁淀ブルーの伏流水が溢れだしよります。まっこと、こんな綺麗な水が豊富にある土地柄だからこその伝統です。


小さい頃、母に連れられて何度かこの街に遊びに来た事があるがです。その度に、道路脇の用水路に透き通った水が、いつでもタップリと流れていて、なんと水の多い場所かと子供心にずっと思っていたがです。和紙作りの技がこうやって残り、大人になって自分がお世話になるとは、その頃には思うてもみなかったのですが、まっこと、高知の美しい自然に自分達は助けられちょりますぜよ。


ここまで来たら、あとはもう少しです。けんど、ここからも山あり、谷ありやろう。せっかく漉きあがった虎竹和紙での団扇づくりなので、長く使えて、多くの方に喜んでもらえる団扇を作っていくがです。


ストレートネックとは?

ストレートネック


ストレートネックという言葉を何度か聞くようになりましたぞね。直訳したら「真っ直ぐな首」いう事ですろう。ちょうど虎竹の里の竹達も今の時期には筍から成長して、親竹と同じように真っ直ぐに天を目指して伸びていきます。だから「ストレート」という事は、別に悪い事ではないのではないろうか?素人考えにそんな風に思うたのですが実はこれが大きな間違いやったがぜよ。元々人の首の骨は、ある程度湾曲しているのが普通のようなのです。それが近年のパソコンを使った仕事やスマホ時間が飛躍的に伸び、常にうつむいた姿勢でいる方も多なっているのはご存じの通り。そして、この姿勢の悪さがストレートネックに繋がっているそうながです。


田舎に暮らしているとスマホをされる方は、思うほど目立つ事は無いがです。車での移動ですし、あまり待ち時間がないことが多いからかにゃあ、などとも思うのですが。ところが、都会に行くと電車であったり、街中であったり、ほとんどの方がスマホ片手に思い思いの時間をすごされよります。ある時など、夜遅い電車に乗りましたら10人中7人くらいがスマホされゆう。まあ、そういう自分も退屈なのでスマホを片手でしたが(笑)。


なるほど、こうやって知らない間に、うつむき姿勢が当たり前となり、頭痛や肩こり、首の痛みなど色々な症状が現れる、ストレートネックとなっていくようなのです。まっこと、肩こりだとか、何だと言えば昔はお年寄りに多いものだったのが、最近は中学生、高校生に増えている聞きましたが、やはり生活習慣の変化がもたらす現代の弊害の一つかも知れないのです。


ストレートネックに竹半円枕


さて、そんなストレートネックの改善に大きく力を発揮しているのが、カマボコ状の形をした半円枕ながです。お客様からのメールでは、ストレートネックで、どんな枕でもダメだったのが、竹の硬さがちょうど良かったようで人生で一番の買い物かも...と、本当に嬉しいお声をいただいているのです。


自分も猫背で姿勢が悪いうえに首や肩が張って痛いことが多々ありますきに、今回、何度も試作しながら改良して出来上がった竹半円枕を、実は、真っ先に使ってみたのです。竹虎は竹専門店ですきに、硬い孟宗竹を半割にして製造しちょります。最初使いはじめには首が痛いと感じていたのですが、だんだんと慣れてきて今では普通に使うことができますぞね。


先ほどのお客様は硬さが身体にあわれて、「枕に頭に載せたくて、仕事帰りの電車の中でもウキウキしています。」とまで書いて送っていただいちょります。竹の硬さは他の素材の硬さとは又違う、優しさと温もりがありますけんど、これは個人差があるのかも知れんと思うちゅうのです。


半円という形状を考えた時、竹ほどピッタリの素材はないと感じましたけんど、太さや質を厳選せねばなりません。けんど孟宗竹は、ほとんど無尽蔵というてもエイくらい材料は豊富です。人の手を入れずとも毎年筍が生えてきますぜよ。継続利用可能な唯一の天然資源と言われるだけあり、竹は、わずか3年で伐採できて製品への利用もできるのです。竹の硬さ、清涼感を活かすために枕上部に8個の穴を開け、両サイドの切り込みも入れて通気性を十二分に考慮した形にもこだわりました。一人でも多くの方のお役にたてる竹がお届けできたら、現代の日本では、出番が少なくなりつつある孟宗竹も、きっと山の竹林で皆と手に手を取りながら喜びあうと思うちゅうがです。


パリの国虎屋

 
パリ国虎屋、野本将文さん,作務衣,さむえ,SAMUE,竹虎四代目(山岸義浩)


先日からパリに行った話しばっかりしよりますけんど、そろそろ地元高知や虎竹の里の話題も言わんといきませんにゃあ。という事で今朝は自分が30年近く前から行きよります。高知県は安芸市にある国虎屋という饂飩屋さんのお話しをさせてもらいますぜよ。


そもそも「国虎」というネーミングがしびれますろう?この名前は安芸国虎という武将から来ちゅうがですが、長宗我部元親が土佐を統一するまでは安芸市一帯を治めちょったがです。「国虎」と「竹虎」、「虎」繋がりですきに名前だけで惹かれますが、饂飩のお味も抜群で虎竹の里から言うと高速の無かった時代なら、ゆっくり3時間はかかる道のりやったのですが、その遠さが、まったく苦にならないほどの饂飩屋さんやったがです。そんな、いつ行っても満席状態の人気店がパリに進出する...?かれこれ20数年前の事やったと思いますが、初めて話しを聞いた時には、どこか遠くの話しのようでした。自分は田舎の竹屋ですのでヨーロッパなど一度たりとも考えた事もないし、あまりに掛け離れていて想像もできなかったのです。


おっと高知のお話のつもりが、またまたパリに戻るのですが(汗)、今回、ひょんな事からパリに行く事になり、特に飲食店を数店お伺いする事になっていましたので、すぐにこの国虎屋さんを思い出して連絡させてもらったがです。高知の田舎から世界に飛び出された店主とは、どんな方やろうか?こじゃんと憧れや尊敬の気持ちが強くて、全く見ず知らずですけんどホームページのメールアドレスから、好きな事を書いてメールを送らせてもらいました。


けんど、いつになっても返信も何も全くないがです。考えてみたら、そりゃあ、そうぜよ。同郷とは言え見ず知らずの田舎の竹屋ですきに、突然行ってもご迷惑をお掛けしてしまうかも知れん。しかし、せっかく一生に一度パリに行くのなら、馴染みの国虎屋に足を踏み入れないワケにはイカンがです。そこで、作戦を立てましたぜよ、名付けて「いつも通り作戦」。


銘菓かんざし


何かと言うたら、いつものように高知銘菓「かんざし」を持って行く!まあ、いうたらそれだけの事ですぞね。自分も坊主頭に作務衣でお坊さんみたいな風体ですので、坊さんかんざし買うをみた♪の歌詞どおり、坊主がかんざし持って来た言うて、店主の方にお会いさせて頂こうと思うたがです。


ちょうどお伺いした日は饂飩屋さんの方はお休みで閉まっちょりました。ああ、残念やにゃあと思いながら店の中を覗くと、一人の男性の方が何やら事務仕事をされよります。そこで、トントンと扉を叩いてご挨拶させてもろうたがですが、なんと、この方こそが店主の野本将文さんでした。お会いするのは初めてですが20数年前に羨望のまなざしを向けた方、長い時を経て、こうしてお会いできるだけで感激しましたぜよ。


Restaurant Kunitoraya


その日は饂飩屋さんは定休日ですけんど、すぐ近くにオープンされちょります、もう一軒の方の、Restaurant Kunitorayaの方は営業されちゅうとの事で、お連れいただく事になったがです。歩いてすぐの所にある高級感ある店構えのお店がそうでした。お昼前とあって、どんどんとお客様が入りはじめた活気のある店内は、地元パリ方達ばかりのようでした。すっかり異国の地に定着して、自分の知る国虎屋さんではないにゃあ。饂飩とは、およそ掛け離れて思えた内装やお客様の姿...、そう思いよったところに運ばれてきたのが国虎饂飩ぜよ。


パリ国虎うどん


国虎饂飩は高知の店でも看板商品となっちゅうメニューで、自分も何度となく食べたことのある味噌味ベースの饂飩ながです。見た目は、さすがにお洒落なパリ風になって少し変わっちゅうけんど、肝心の味はどうやうか...?味噌味のお汁をレンゲで口に運んだ瞬間、店内に喜多郎のシンセサイザーの音が鳴りはじめたがぞね!!!


あの郷愁を誘うようなゆったりした調べ...どこから聴こえゆうろう!?実は、音楽が聴こえゆうのは自分だけながです。高知の国虎屋さんでは、いつも喜多郎がかかっちょります。自分がこの音楽を聴く機会は、ここで饂飩を食べる時ぐらいですので、パリのお店で国虎饂飩をいただいた時にも思わず、日本の店を思い出し、音が頭の中でかかり始めたいうワケながぜよ。


安芸のお店でも人気の饂飩が、こうやってパリジャンの間でも人気とは。遠い未知の国とばかり思いよりましたフランス。もちろん、今でも、その思いは変わる事はないがですが、決して都会ではない自分と同じ田舎の高知の味が、こうやって花の都で受け入れられちゅう事を拝見させてもらい、野本さんには、こじゃんと感謝しちょります。大きな力が湧きあがってくる気がしたがです。


田中淳シェフ「Restaurant A.T」

 
田中淳(Atsushi Tanaka)、竹虎四代目


いつもお話しさせていただきますけんど食に炭を使う事自体は、正直新しい事でも何でもなく昔から日本では民間療法的にあった事ですぞね。それが、たまたま見直されて今や国内では様々な食材に使われています。パンやお菓子だけでなくて、レストランの一品料理にも出てくるようになり、まっこと、面白い時代やにゃあ。あの竹炭を炭窯でかじる言いよった職人さんが見たら、どんな風に思うろうにゃあ...。けんど、これが世界の食をリードしゆうパリにまでとなったなら、これは何と凄い事やろうかと思いよったがです。


そうこうしている間にパリで大注目されちゅうという日本人シェフ、田中淳(Atsushi Tanaka)さんの「Restaurant A.T」を知る事になったがぞね。実はこの方、地元のフランス料理人の間でも広く知られる存在で、あのミシュランの星の付くのも間違いないと言われちゅうそうぜよ。日本から遠く海外まで行って、まっこと素晴らしい方やと感激しましたぞね。


Atsushi Tanaka、Laurent Favre-Mot、竹虎四代目(山岸義浩)、Ben Bibenbou、Sang-Hoon Degeimbre、Catherine Seiler Luttmann


「Restaurant A.T」さんに行きたいと、パティシエのLaurent Favre-Motさんに頼んだら、ちょうど自分達も行きたいと思っていた店だったとの事で、話しはトントン拍子に進んで、料理関係のご友人の方なども含めて、一緒に予約をしていただいちょりました。中にはベルギーで二つ星のレストランをされているシェフの方もおられます。こうやってパリでお店をされるという事は、毎日のように舌の肥えたお客様を相手にされるという事で、日々、挑戦と進化の積み重ね、まっこと凄いにゃあと思うがです。


竹炭チップス(Bamboo charcoal)、Laurent Favre Mot


さて、田中淳さんの、コースはいきなりの先制パンチ、竹炭のチップスから幕を開けますぜよ。これからの期待を更に盛り上げる嬉しい一品でした。


「Restaurant A.T」(Atsushi Tanaka)

「Restaurant A.T」(竹炭、Bamboo charcoal)


それから自分が勝手に名付けた竹炭三種盛り?おっと実際にはそれぞれお皿が別なので三種盛りではないがですが、竹炭入りの料理が連続3連チャンで運ばれます。


「Restaurant A.T」(竹炭、Bamboo charcoal)


最初のインパクトから、すっかり心を奪われちょりましたが、次々と出していただく料理が新鮮な感覚で美味しく、食事が楽しくて次の料理が待ち遠しくなってきますぞね。きっと、この方は絵心があると思うがです。お皿が一枚、一枚、彩りが美しく、まるで絵画のようやきです。白いお皿に効果的に黒い竹炭粉を使う事によって、今まで見た事もないフランス料理の表現がされちょりますが、黒は主役にもなれるし、脇役として他の主役を引き立てる事もできる、使い勝手のエイ色合いではないかと思うたがぞね。


「Restaurant A.T」

レストランA.T、竹炭、Bamboo charcoal

レストラン A.T

「Restaurant A.T」竹炭、Bamboo charcoal


最後のデザートに致るまで竹炭を使うちょります。炭の量を調節することにより黒色でも濃淡ができますちや。確か黒に種類が何種類もあるのは日本ではなかったろうか?日本の繊細な色使い、感覚がフランス料理の世界でも、十二分に活かされているようにも感じたがです。


田中淳(Atsushi Tanaka)、竹虎四代目(山岸義浩)


食事を終えた後に田中さんが厨房で竹炭と料理について、いろいろと教えてくれるがです。結局、今夜の12品のうち竹炭が入ったのは6品。今度は、12品全部に使ってチャレンジしたい、そう話されていた表情は、すでに自信たっぷりやったです。


今度...?


精一杯頑張って、ようやくの思いで、はじめてパリに来て、もう二度とフランスには来る事もないろうと思いよりましたが、むむむ、、、Laurent Favre-Motさんの店もオープンしてなかったし、あと一度だけは何としても渡仏する運命ながやろうか?


Atsushi Tanaka、YOSHIHIRO YAMAGISHI、Sang-Hoon Degeimbre、Ben Bibenbou


田中さんの料理はアート的なところが感じられますきに、つい勝手なイメージがありましたけんど、まっこと気さくで話しやすい方やったです。料理の味だけでなく、人間味ても魅力的な方で、嬉しい出会いやったぜよ。


さて、話しは少し変わりますけんど、ピエール・ガニェール(Pierre Gagnaire)さんという方を、たまたまテレビで拝見したばかりだったのです。食通の方なら知らない人のいないフランスで有名なシェフであり、聞くと日本にもお店があって大変な人気のようながです。田舎者の自分は、高級なフレンチのような世界には縁遠く、実は、存知上げていなかったのですが、この方の立ち振る舞いが格好よくて、見た瞬間から画面の前に釘付けになりましたぞね。白衣を着ちょりますので料理をされる方というのは一目瞭然ですが、フランス料理のシェフと言うよりも芸術家かアスリートのような、チラリと見え隠れするストイックな感じと、料理を心から楽しんでいる姿に、まっこと魅入られてしもうちょったがです。


時間を費やせ(prends le temps)ピエール・ガニェール(Pierre Gagnaire)


そして、最後にピエール・ガニェールさんが言うた言葉にしびれたぜよ。生きている事自体が夢であり、自分にとってプレゼントのようなもの、だから、他の多くの人を喜ばせたい、幸せにしたい、そんな事を話された後にこの言葉が出てきたがです。


「 prends le temps(時間を費やせ) 」


まさに、これは田舎者で頭が悪く、人より全てにおいて劣る自分が心がけて来た事でした。準備が長く必要なので誰よりも早く会社に行く。要領が悪い分は、誰よりも時間を使うことでカバーする。


けんど、自分は朝から晩まで竹の事ばかり考えて、実はこれでエイがやろうか?そう思うてしまう事もあったのです。けんど、この言葉が自分の毎日をも肯定してくれ、間違うてないよと、背中を押してくれちゅうような気がして本当に嬉しく思いました。それで、このシェフの名前は忘れたくないなと写真を撮っておいたのです。そしたら、何と田中淳さんが若かりし日にピエール・ガニェールさんに感銘を受け、この方の店で料理人としての修行もされたというのを後から知ったがぜよ。いやいや、さらに不思議なご縁やにゃあと思うたのです。田中淳シェフに又お会いできる日はあるろうか?目と舌が喜ぶ料理を食させていただける機会はあるろうか?その日が来ることを信じて、今日も頑張るがぞね。


ベルギーOPRINS社の竹たち その3

OPRINS社で竹虎四代目


何から何までケタ外れのOPRINS社で目を回しそうになりながら、数カ所に点在しているプラントを見させて頂いたのです。けんど所変わると、これほど違うがやろうか?自分が頭に思い浮かぶのは、良く車で通りがかる茶畑の様子ぜよ。


毎年、筍の時期になると茶畑のアチラコチラから、真っ黒い孟宗竹の筍がニョキニョキと生えて来ているのです。お茶の木自体の背が低く、綺麗に手入れされているから、尚更、高さのある筍が目立つこと、目立つこと(笑)。こうやって他の田畑を浸食していく、まるで悪者のように言われている日本の竹、見る見る背丈を越える大きさになるので、ある日、通りかかると全て折られてなくなっていたりするのです。


ポット入りの竹


一方、それが、こちらOPRINS社さんではハイテク技術で培養され、温かなビニールハウスの中で大事に育てられスクスクと育っちょります。美しい緑の葉を輝かせて、ヨーロッパ各地に運ばれていく日を待つ竹たち。


OPRINS社


作業場では、次々に運びこまれてきたポット入りの竹が、作業員の方達によって仕分けられよります。その量も半端なものではないがぜよ。まっこと、ポットを収納している黒いプラスチックケースが、小山のように積み上げられちゅうのです。


ホークリフトで運ばれる竹たち


ホークリフトがやって来て、それらを積み込み再度運んでいきます。こんな流れ作業が朝から晩まで、毎日のように続きゆうがやろうか。それは、そうだろうと思うのです。遙か向こうまで広がるビニールハウス、サッカーでもフットボールでも野球でも好きなだけやれそうな広々としたプラント向こうまでホークは運んで行きよりました。


OPRINS社農園


日頃の行いが良いからですろうか?まっこと驚くような好天気で汗ばむような陽気の中、案内をしていだくウォルターさんと再度屋外の畑にもやってきましたぜよ。ベルギーは高知とは違うて平地がどこまでも続いちゅう。土地が広いので、少し羨ましいような気にもなってきますけんど、陽だまりの続く木立の向こうには緑に映える古民家のような建物がありました。


OPRINS社倉庫


ここは古い農家の倉庫だったと言われよりました。天井も高く体育館のような大きさながですが、これでも、この地方では比較的小規模な農家さんだったそうですきに、自分達とは、元々の物差しが違うがですにゃあ。ここには池をつくり、堀に水を流して、人工的な大きな庭園のようにしちょりますが、ゆくゆくは造園業を営むOPRINS社さんが、森や緑をテーマに、人工的で広大な公園のような施設を作ることを予定されちゅう場所でした。なんと、のんびりとして安らいだ気持ちにさせる所やろうか。もともとの森だった大木には、自分達では考えられないほどの種類の小鳥達が遊びよります。自然と共に歩んでこられた会社様の志が形になる日は近いようですぜよ。



ベルギーOPRINS社の竹たち その2

 
広大なOPRINS社の竹成育場


このOPRINS(オプリンズ)社さんの施設は数カ所に別れているのですが、その一つ、一つが圧倒的な広さで、まっこと圧巻ぜよ。何ヘクタールと聞いてもピンと来ないのですが、あのずっと遠くに見える林までが一つの区切りで、その向こうに同じ面積の畑が何個ある...という様な説明をいただくと、規模を身体で体感できるのです。


OPRINS社Wouterさん


今回の訪問では社長様が東南アジアに出張されていましたので、Genrral Managerのウォルターさんにご案内いただきましたぞね。わざわざパワーポイントまで用意して頂いて会社の概要から、現在の業務内容まで詳しくご説明いただけました。自分は観葉植物としての竹という事で、こちらの会社様を知ったのですが、竹の割合は一番大きいものの、竹以外にも害虫に強い新しい品種の植木など、庭園の樹木全般をされていてフランスの宮殿や美術館などで見ることのできる、美しい刈り込みをした庭園の中にもOPRINS社の仕事のものが多々あるそうなのです。


OPRINS社の金明竹


それにしても80種類もの竹を集められて、それぞれ気候に合わせた成育具合を研究されよります。中には、緑色の竹表皮に筋状の黄色い色合いが入る金明竹などもあり、さすがに観賞用の竹の会社様と感心するのですが、これだけ高さのある竹でも鉢植えで育てているのが印象的ですぞね。


竹への自動給水


大きな竹用のハウスの中には天井にスプリンクラーが取り付けられていましたが、屋外で沢山育てている鉢植えには、それぞれに細いホースが伸びて土中に刺さっています。これは自動給水システムで一定の時間で水が供給されるようになっちゅうがです。OPRINS社さんは日本では考えられないような広さと規模を誇ります。そんな中で竹という生き物を管理されよりますので、人の力も当然多用されよりますが、あちらこちらで自動化の工夫が目につくのです。これをウォルターさんは「カイゼン」と笑いながら話されます。さすが竹を中心にされちゅう会社様という事もないと思うのですが、日本の会社の企業文化を、積極的に取り入れられちょりましたぜよ。


OPRINS社バイオルーム


OPRINS社さんでも非常に大事な部分は竹の培養技術ですが、完全に外部の雑菌をシャットアウトした無菌ルームを見学させてもらいました。ここで生まれた竹の赤ちゃんが少しづつ成長するにしたがって場所を移動していく工程は、まるで進んだ農業を見るような気持ちです。


竹の苗


日本で竹と農業といえば、まず筍栽培を思い浮かべるのですが、竹そのものを、こうやって大切に増やし、育てていくという発想自体が新鮮で、今まで自分が考えてきた竹とは全く違う異文化に触れた気がして、湧き上がる興奮を抑える事ができないのです。


「凄い...!凄い...!凄い...!」


こちらのプラントに来させてもらって何度この言葉で唸ったことか。まっこと世界は広く、自分の知識が狭く、いかに事を知らずにいたか思い知るがです。


竹苗の根


ウォルターさんがポットから竹を引き抜いて見せてくれましたぞね。竹の生命力は、こじゃんと(とても)強いのです。根を張る力も尋常ではありません、小さなポットの中で、竹の生きる力が渦巻いているように思えます。


OPRINS社の竹虎四代目(山岸義浩)


こんなポットが、はるか彼方の向こうまでズラリと並んでいるのです。一体ここは何ながやろうか...!?ずっと広がる緑の絨毯のような光景に圧倒されて、本当に言葉を無くして、ただ魅入るだけぜよ。竹の声が聞こえるか?ですか?もちろん、子供達の声が聞こえますぞね。けんど、多すぎて、元気すぎてガヤガヤやかましい(汗)。しかも半分がフランス語、半分がオランダ語で何を言いゆうのか、さっぱり分からんがぜよ(笑)。


ベルギーの美しい田舎町


OPRINS社の本社や農園のあるベルギーの街は、まるでテーマパークか何かのように美しく、静かで、豊かな空気に包まれちゅう。人と自然が見事に調和する、この素晴らしい環境で、ヨーロッパ各地で見られる竹が育てられゆうと思うたら、この街は、その竹達の故郷であるわけやにゃあ。日本唯一の虎竹の故郷も、この街のようにいつまでもありたい、そんな事を心に誓うたのです。



ベルギーOPRINS社の竹たち

 
ベルギーOPRINS社の竹虎四代目


ベルギーの田舎町にOPRINS社という竹関係の方なら知る人ぞ知る、有名な会社様があるがですぞね。元々は造園から創業された会社様という事ですが、ここの凄いのは竹をバイオ技術で培養し、鉢植え商品として製造されているところながです。ちょうど自分は今、生まれて少し経ったばかりの竹子供達の海に浮かんで、まっこと上機嫌ぜよ!どんな竹林に行く事があっても、このようなポットに植えられた竹というのは今までにない未経験ゾーンながです。


しかも、ここの施設は日本の規模から考えたら想像もつかないような広大な敷地での大量生産、見渡す限りの竹、竹、竹...なのです。こんなに大量に竹の鉢植えなど、果たして需要があるのだうろか?そんな心配をされる方も、もしかしたらおられるかも知れませんぞね。


竹の生け垣


竹の生育に適しちょって竹の種類も豊富な日本では、竹は生活と密着していて様々な日常製品の中に取り入れられていますが、竹細工や竹製品のような暮らしの道具という事の他にも、防災への利用というのも、昔から一つの大きな竹の活用方法だったのです。


竹生け垣と竹虎四代目


竹は天然の鉄筋コンクリートとも言われるほど地下茎を発達させ、それぞれの竹同士がしっかりと繋がっていて竹林全体が強力な防風林であり、洪水などの自然災害からも人々を守ってきたのです。護岸工事に竹が多用されてきた名残は現在でも日本各地でみられます。西日本、東日本でそれぞれ気候が違い、成育に適した竹がありますので、川べりに植えられた竹も違っちょって興味深いのですが、台風銀座とも呼ばれてきた高知県は強い風、強い雨への備えとして、竹の生け垣をされているお宅も多いのです。


パリの竹


このように日本では竹の植栽というのは観賞用という事もありますが、むしろ自然に成育する竹を人の手を加えて管理した形での防風林としての役割のものも多いかと思います。


ところが、欧米では竹は育つことが少ない希少性もあり、想像以上に人気が高く、好きな方も多いがです。数年前にシアトルから虎竹の里の虎竹を見学に来れちょった、竹専門の造園会社様もありましたが、アメリカでは鉢植えにして、オフィスや自宅で育てられる需要が多いと話されていたのです。そう言えば、いちどサンフランシスコの愛好者の方のお宅に宿泊させていただいた際、ベランダには沢山の竹の鉢植えが置かれていて、毎日大事に水やりなどをして育てられていたのを思い出しますぞね。


高級住宅街の庭園には竹を好んで植えられると聞きましたし、ある意味ではステイタスシンボルようになっているようですぞね。かって江戸時代には武家の庭に中国から渡ってきた孟宗竹を植える事がステイタスであったので、竹においては、やはり日本が進んでいるのかも知れませんにゃあ。


さて、パリでも街を歩いていきますと、レストランやカフェ、デパートなど人の集まる場所には、古い街並と不思議にマッチしている竹のは鉢植えが目を引きますぞね。竹は逞しい生命力にあふれている植物なのです。一年通して青々とした葉は道行く人を和ませ、心安らぐ午後のひとときには欠かせない存在になっているように感じたのです。


そうか...パリからベルギーのOPRINS社までは数時間の近さです。こちらで育てられた竹達は大都会の華やいだ街に運ばれ、こうやって沢山の方の目を楽しませゆうのやと思うと、何か嬉しくなってくるがですぞね。



パリと高知と

パリ、オペラ座


先日からパリだのロンドンだのとヨーロッパの華やかなりし街の事を、田舎者がアレコレとお話しさせていただきよります。けんど、もちろんパリなど今まで一回も来たことも、いえいえ、来ようなどと考えた事もなかったがですぞね。


たまたまフランス人パティシエのLaurentさんとのご縁が出来て、竹炭微粉末を使うたスイーツ作りのお手伝いをさせてもろうたり、ロンドンでのファッションショーに虎竹を使うてもらったりと、偶然の仕事が同じ時期に重なって渡仏させて頂く機会を頂戴したがぜよ。だから、せっかくパリにいたのにセーヌ川や凱旋門、エッフェル塔など、テレビなどで見た事のある有名な観光地さえも一体どこにあるのか?通りすがりにチラリと見るだけで、ほとんど知らないまま日程は過ぎてしもうたがですぞね。


(同じ高知出身の饂飩屋さん国虎屋パリには行かねばなりませんが...)


ただ一箇所だけ、ホテルの近くにはオペラ座という建物がありました。ここは、さすがに映画やミュージカルなどでも聞く名前ですし、もし街中で迷ったりしたら、ここの名前を言うて帰ってこようと思いよりましたので、いの一番の早朝に出掛けて行って外から眺めてみたがです。むむむ、、、確かに凄い、、、。これは圧倒されるぜよ、これだけの建造物を一体誰が作ったのだろうか?これは一言で言い表せないような荘厳さに立ちすくむばかりです。


パリ、竹虎四代目,作務衣,さむえ,SAMUE


オペラ座だけではありません、ここは街全体が一つの大きな美術館やろうか?そう思えてくるほどの歴史と伝統を感じさせる統一感に包まれちょります。石畳の道は、歯下駄では確かに歩きにくいので誰ひとり履いている方は見かけませんでしたけんど、日本ではあまり見ることのない異国の趣に溢れています。


けんど、皆さんパリや言うて何ちゃあ、おじる(怖がる)事は無いぜよ。確かに、道行くスーツ姿の男性はハリウッド俳優のように格好がエイし、女性の方も、さっそうと歩いていく様は、まるでファッションショーのモデルさんみたいな方がおられます。華やいだ美しい街には間違いないのですが。


はりやま橋、竹虎四代目,作務衣,さむえ,SAMUE


しかしっ!!!!!


この写真をご覧いただきたいですぜよ。ここは何処やうろか?そうぜよ上のパリの街角と見比べてみとうせや!まっこと実にソックリとは思われませんろうか!?何を隠そう、ここは高知の有名な観光名所、はりまや橋交差点。後ろに見える四国銀行の建物もパリの街角の建物も、それほど違うことはありませんちや、似たようなものですぞね。まあ、あえて違いを言うなれば、やっぱり高知は陽射しが明るい、空の色も南国土佐の名前にふさわしく綺麗ですにゃあ...どうですろうか?おっと、これなら、わざわざパリまで行く事もないにゃあ。そんな風にも思えてくるがですちや(笑)。


Royal College of Art Libraryの虎竹

 
中山直哉さんと竹虎四代目


少し前のブログにてロンドンで開催予定になっている、ファッションショーの事をお話しさせもらいましたぞね。実は、この噂を聞きつけた地元高知新聞の方が取材にも来られちょりますが、英国王立美術大学(Royal College of Art Library)で、デザインを学ぶ日本人学生さんが遠い異国の地で自分自身を見つめ直した時に、やはり思い出すのは、自身の身体にも流れる日本伝統の文化やったのです。そして必然的に竹を素材として取り入れる事にされて、自分たち竹虎と出会う事になるがですけんど、この学生さんが何と、たまたま高知県出身と聞いて思わず立ち上がったのです!


「土佐の男がイギリスで檜舞台に立つがやったら、高知にしかない虎竹ぜよ!」


まっこと、今度のショーで世界中で外すことのできない素材と言えば、日本唯一の虎竹しかないと思うたがです。そこで、はるばる海を越え、ユーロスターに揺られ、郷に入らずんば郷に従えとばかり雨の中を傘も差さずに、イギリスでも一流と呼び声の高い、この大学にやって来たがぞね。


竹金具


それにしても最初から驚きましたぜよ。イギリスでは竹が手に入らないと聞いちょりましたので、何かに使えるろうか?と思うて竹の端材などもお届けしちょったのですが、それらを上手く活用してベルトのバックルや留め具など、本来なら金属やプラスチックで作る細かい部分まで竹材で仕上げちゅうのです。まっこと、自分の想像を遙かに超えた竹の活用の仕方です。驚いた次には、本当に嬉しくなってきた、こうやって大事に使うてもらえる竹達、遠いところ運ばれて来た甲斐があるにゃあ、幸せ者やにゃあ。竹は人の役に立ちたい、立ちたいと山で叫びゆう、だから、こうやって人の役にたてる竹の気分は最高ながぜよ!


ファッションショーに使われる虎竹


さて、日本唯一虎竹ですが、虎竹はもちろん表皮部分が命ながです。竹は表皮に近づくほど維管束と呼ばれる細かい繊維が密になり丈夫ぞね。丈夫であり、模様の美しさを100%引き出せるように、細かく割った竹炭を薄く剥いで柔軟性がでるようにされちょります。丸く円状につないで首元や腕、手首などワンポイントに入れて、衣装がより映えるように工夫されているのです。


衣装画像


学生さんでもあり、デザイナーである中山直哉さんは、来月に迫るファッションショーのため部屋にこもりっきやったそうなんですが、それもそのはず、イギリスでの学びの集大成とあれば、力の入るのも当然ぞね、まっこと半端ではないのです。おびただしいデッサンや試作の画像の数々を見せてもらいながら、高知とロンドンとをスカイプで繋いで、ご自分の思いの丈をデッサン画や動画や言葉で、初めて伝えてこられた日の事を思いだしよりました。


中山直哉さんデザイン


さすがに高知県人の血は熱い。そして、それだけでなくて、この方には美の才能がある。高知にいた時から習い始めた絵の技を活かして、透けるような生地に手書きされた緻密な花模様には目を奪われるのです。


英国王立美術大学にて中山直哉さんと竹虎四代目


恐らく中山さん自身も、ずっと日本に居たとしたなら、これほどまでに自分をかえりみて日本を思う事はなかったですろう。数々のデッサンは長方形にカットされた形の生地で出来ちゅうそうです。その生地を四枚並べて真上から見ると、ありゃあ!日本では馴染みの形、何と四畳半の見取り図になるちや。


そんなシンプルな生地に表情を付けられるのが、柔と剛の相反する特性をもった日本伝統の竹素材。この日本の若者が、いざとなった時に思いだしたのが竹だった。今回のロンドン行きは、まさに此処に自分の意義がありました。ただ、ただ、この事だけに喜びと、感激と大袈裟に言うと、未来への可能性を感じたきに、居ても立ってもおれんかったがぜよ。そう、自分は運のエイ男ですきに、たまたまパリに来る用があって今回は来ましたけんど、もし、このファッションショーしかないとしても、おそらく、いや間違いなく、このアトリエには足が向いたですろう。それほど感動しちょったがです。


生地×竹


まっこと、今度のショーの衣装というのは薄く軽い生地が多用されています。この白い生地はサテンやろうか?ソフトなふんわかした少し頼りないくらいの優しい布地に、簡単に編み込んだ竹を骨組みのように入れた面白い服ですぞね。


英国王立美術大学(Royal College of Art Library)


そうぜよ、竹の血に目覚めた(?)もう一人の方がおられたぞね。インドから来られちゅう学生さん、この方もデザインを考えていくうちに結局たどりついたのは、自国にも、こじゃんと(とても)多い竹やったのです。自分の生まれ育った街で使われていた竹やったと言われちょりました。


レース編み


細かいレース編み生地に虎竹を組み合わせています。この生地も編み込みされているものの、実に軽やかにまとうことのできるものなのです。


英国王立美術大学(Royal College of Art Library)


生地を編まれた方は、イギリス出身の方。色使いに凄いセンスを感じたのですが、こうやって見ていたら、こんどのショーは、中山さんにとっての大舞台、しかし、お一人が立っているのではなく、エリアを越えた様々な方との関わりと助力により成り立っちゅうのです。これは、まさに竹が地下茎で根を張って周りの皆と手を繋ぎあい、助け合いながら大きくなっていく様と全く同じぜよ。若竹が真っ直ぐに天を目指して伸びやかに大きくなっていくのを楽しみにしちょりたいと思うちゅうのです。


Laurent Favre-Motさんの竹炭スイーツ

Laurent Favre-Motさんの竹炭スイーツ


そもそもフランスのパティシエさんからお声が掛かったのは、パリ在住の日本人の方を通してやったがです。突然に竹炭パウダーを使ったスイーツ作りをされたいとのお話しでしたが、日本では、すっかり定着して色々な食品に使われる竹炭なので、ヨーロッパで注目されるようになっても不思議ではないとは思いよりました。


けんど何というたち花の都パリですぞね。洋菓子というたら世界最高峰のいうてもエイような、まさに本場中の本場。そんな夢のような街で活躍されている方からの竹炭を使ってみたいとのお問い合わせに、まっこと心が躍ったのです。だから、山ばかりの虎竹の里から煌びやかな憧れの街というと、想像もつかないくらい極端に差があるにゃあと思いながらも、一度、お伺いしてみる事にしたがぜよ。


竹炭スイーツ


田舎者で大きな空港では迷ってしまい飛行機にも乗れない自分が、まっこと、まさかパリまで行くとは考えても見なかった事ですちや。そして、その彼の地に、真っ黒な竹炭が届けられて、一体どんなスイーツが完成するがやろうか?実はあまりにドキドキわくわくしすぎて12時間くらいかかるフライトも、「あれっ早から着いたろうか...」そんな風に思うくらいアッと言う間やったちや。初めてのフランスの空港でも、ドキドキしたはずですけんど、さっぱり何も感じんかったぜよ!それっぱあ、フランス人パティシエ、Laurent Favre-Motさんにお会い出来る事を楽しみにしちょったがぜよ。


Laurent Favre-Motさんの工房


竹虎でも毎日のように投稿させてもらいよりますが、最近ではフェィスブックなどというものがあってLaurentさんが、どんな方なのかは、だいたい分かっちょりました。けんど、何か職人気質な頑固さのある少し怖そうな方やにゃあ、眼光鋭い写真を見てそう思いよったがです。


Laurent Favre-Motさんの竹炭お菓子


ところが、お会いさせてもろうたら、どうやろうか、こじゃんと(とても)気さくで陽気、笑顔の格好のエイ、クールな方やったがです。しかも、パートナーの方も遠くからでも華を感じられるようなパリジェンヌ!個性的でもあり、感性豊かそうなお二人を拝見させていただいて、これは竹炭を使うた、とびきりなスイーツを体感できると期待が高まったがぜよ。


竹炭生地


普段は恐らく部外者には、こんな風にご自分の仕事を見せる事もないかと思いますが、今日はLaurentさんが生地作りから詳しく見学させて頂く事になっちゅうがです。淡々と手際よく進める仕事ぶりはさすがプロですちや。けんど、フランス語は案外早口ですし何を言うているのか、さっぱりぞね。Laurentさんが、何か話たりすると間髪いれず通訳をして頂く方がいてくれて、今回は本当に助かっちゅうがです。実はあまり表に見えないこのような素晴らしい方々のお力添えがあって、パリでも、まるで高知にいるかのような仕事ができたがです。


竹炭焼き菓子


竹炭入りの焼き菓子やスポンジを試作してくれます。スポンジ生地はレンジに入れて簡単に膨らませよりましたが、それぞれを、一つかみ食べて食感を確かめさせてもらいますと、竹炭の黒い色合いは、しっかり付いちゅうのに、口に微妙に残ったりするザラ感がないのは、配合を何度か調整されているのだと思うたがです。


竹炭粉


こんな粉状のものまで作られちゅうちや。バニラやイチゴのアイスクリームの上からかけるがやろうか?白×黒あるいは赤×黒と色合いに変化を持たせたい時にはエイろうにゃあ。後は、何かのスイーツに使うのだと思うのですが、本場フランスのお菓子、やはり奥は深いようなのです。


パリのパティシエ、Laurent Favre-Motさん


実はLaurentさんは新しいお店を出されるという事でした。自分がパリに到着する時には既にオープン予定であったものが、工事が遅れてしまい新しいお店に行く事ができません。そこで、別に用意していた工房で、色々なお菓子の試作を繰り返されているLaurentさんだったのです。なぜ竹炭に注目したのかと聞いてみました。すると、竹炭微粉末をスイーツに取り入れる事によって、今までのフランスのお菓子にはなかった彩りや風味の表現が、自分のインスピレーションで幅広くできるようになったと話されちょりました。


Laurentさんは日本が大好きな方なのです。お菓子職人としての自分の求めるオリジナリティや自分が作りたいモノ作りを追求していくなかで、好きな日本の「竹文化」というのは当然でてくるがですろう。Restaurant A.Tという同じように炭を使うた料理を創作されているのも日本人シェフとの事ですが、いつもお話しさせていただくようにイネ科である竹は、お米の品質がそうであるように、竹の品質は日本が世界一だと確信しちょります。今までにない最高のスイーツを求めていくのなら日本の竹炭といのうは、さすがLaurentさんです、一流のパティシエらしい選択ながぞね。


ローランさん創作竹炭スイーツ


日本びいきのパティシエさんが創作した作品の一つに、「まんじゅう」があったぜよ。おっと、いやいや、饅頭とは呼ばないと思うがですが、そんな形を思い起こさせる表面の薄皮に微量の竹炭が使われちょります。上品なグレーは自分も好きな色合いです。白、黒、グレーは日本の城好きならピンとくる色の取り合わせ、白は漆喰壁、黒は焼板の黒壁、そして瓦のグレーです。フランス人のLaurentさんが、そこまで意識したとは思えませんが、形から色合いに到るまで、まるで日本を表したかのようなスイーツぜよ。


お菓子の中身には濃厚なバニラアイスが入っていますけんど、その真ん中、饅頭で例えるとアンコの中心部分には、今度は竹炭パウダーを沢山入れて黒くなったコアスイーツが隠されちゅう。底には岩おこしのように砕いたアーモンド類を敷き詰めた創作MANJUスイーツ、これが又、何とも説明ができないような甘さと美味しさやったがぜよ。


胡麻竹の作り方

胡麻竹(ゴマダケ)


胡麻竹(ゴマダケ)は、文字通り竹の表皮にゴマ状のブツブツができる何とも変わった竹ではありますけんど、これも銘竹として茶華道では珍重されてきたがです。竹虎の本店で製品として一番多かったのは、やはり寸胴と呼ばれる花器でした。このゴマ柄と言いますか、いやいや柄ではないのです。手で触るとまさににゴマのような感触で本当に小さなゴマが付いたようぜよ。それが竹全体に均一に入った大きな竹が製品にされちょったのです。


実は、このゴマ竹については小さい頃から竹林で遊んだ自分達にとっては、まったく馴染みのない竹材ではなかったがですぜよ。竹は驚くくらいの生命力と成長力とがありますが、たまに何かの拍子で立ち枯れのような状態になった竹が竹林にあるのです。枯れて軽くなってしまっている竹を掴んだ時に、あれっ?と思うのが竹表皮に付いているゴマ状のブツブツ、まさに、これが胡麻竹やったわけです。


自然にできたゴマ竹


別に立ち枯れしているものだけではなくとも、竹を伐採して積み込んである竹に雨等がかかり、湿気が抜けず、湿ったまま長い間置かれていても、同じようにゴマ状のものが出来ている事があります。このような竹は、竹自体が傷んでいますので銘竹にはなりません。


ゴマ状のブツブツが出来る原因は、アピオスポラ・シライアナ(Apiospora shiraiana)又はアピオスポレラ・バンブサエ(Apiosporella bambusae)と呼ばれる糸状菌(カビ)の作用によると言われちょります。そういえば虎竹の山を研究に来られた京都大学の先生も、虎竹の模様は特殊な細菌のせいとも話されていたそうですぞね。竹には、このような菌による作用が多々あるがです。その菌の作用を人がコントロールして、より美しい銘竹に作り出すのが京都の銘竹の技ながぜよ。それなら、どうやって胡麻竹は作られるがですろうか?


胡麻竹の作り方


この孟宗竹の竹林には、ある部分にだけ異様な光景が目につきます。何か変だと思われませんでしょうか?そうながです、竹の先端が切りとられていて枝葉がないのです。実は、これが胡麻竹の作り方そのものながぜよ。3年から5年の孟宗竹は十数メートルにもなりますので、長いハシゴで先の方まで登り、先端と枝葉を切り落としてしまうのです。こうすると光合成のできなくなった竹は立ち枯れ状態となります。これを3月頃にしておいて、後は放置するだけ。あと胡麻竹に必要ものは適度な湿気ですろう。梅雨を経て秋以降くらいには菌のうまくついた竹には綺麗なゴマがつくそうです。その年の天候などにより胡麻竹の出来具合が違うというのは、こうやって人の手は加えるものの、その作り方には、ほとんど自然の力による所が大きいせいなのです。


けんど、こうやって竹林のある一箇所にだけこうやって胡麻竹を作るようにしているのは、先に出ました舌を噛みそうな細菌がそれぞれ発生した時に、近くに立ち枯れの竹が集まっていた方が菌がつきやすいためだそうです。まっこと、けんどこの枝葉のない竹林の光景も珍しい景色ぜよ。テレビに「なんとか珍百景」という番組がありましたが、これこそ「竹珍百景」のひとつですにゃあ。


宮川征甫先生の昇り龍

宮川征甫先生の昇り龍


あれはもう30年近く前の事になるのです。当時、茅ヶ崎にあった宮川征甫先生の工房にお伺いさせてもらった事があります。祖父の代からのお付き合いで虎竹の里にも来られた事があり、何度もお会いさせてもろうちょりましたが、竹と向き合う姿勢が二代目義治と同じに感じて、いつご一緒させてもらっても、まるで祖父といるような気がして、こじゃんと居心地が良くつい時間を忘れてしまう程でした。


征甫先生の作品は店舗にだけでなく祖父の遺した室内装飾や調度品に、今現在でも沢山あって毎日の生活の中に溶けこんでいます。これが年月を経るにしたがって、かなり渋い色合いになっているのです。竹林に鶏たちが遊ぶ図は圧倒的な迫力で壁一面に虎竹の象眼細工で描かれちょります。天才的なモノ作りの腕前と鋭い感性を感じさせてくれると共に、祖父との思い出も沢山つまっているような気がして大好きながです。


けんど、今でも脳裏にハッキリ焼き付いちゅうのは、自分が大学四回生の夏に工場、店舗が全焼してしまい、今は写真でしか残っていない昇り龍の壁面画ですぞね。これは、圧巻やった、竹の事を何も知らず、関心も今のようになっかた、若き日の自分の心も龍がガッチリ玉を掴んでいるがごとく鷲掴みされちょった。美しい白竹を長方形の板状にカットしたものを一面に貼り付け、そこに何と大型のガスバーナーで龍を焼き付けていかれたのです。炎が白竹を焼き焦がす焼き目で絵を描いていくので、さまに一発勝負、一瞬の気もぬけなかったといいます。大きな龍やったので、高い脚立に上がり、全体のバランスを確認しながらの創作、そのお話を伺うだけでワクワク、ドキドキ、まるで小さな子供が紙芝居のお話を聞くように先生の一挙手一投足に、目が話せなかったのを覚えちゅうのです。


宮川征甫先生の昇り龍


遠くに、大きな孟宗竹に掘られた昇り龍を観た時、すぐに征甫先生の作品だと分かり、小走りに駆け寄りましたぜよ。ちょうど工房で、この作品を彫り上げた所にお伺いした事があったのです。数十年ぶりに拝見する作品は、あの時とまったく変わらず威厳があり、竹への信念を感じて身が引き締まる思いぜよ。こんな大作の前であの日と何ちゃあ変わっていない自分を「一体、何をやっているんだ...?」ギロリと先生に睨まれた気がしたがです。


宮川征甫先生の銘


目を閉じると征甫先生の言葉が次から次へと思いだれさてきます。優しい笑顔で祖父と笑い合う姿が後ろ姿になりました。見送ってから振り返ったら、やる気が10倍になっちゅうやいか、いやいや間違えた、100倍じゃ、やれん事は何ひとつない。


小さい虎竹巾着籠

 
虎竹巾着籠


虎竹の四ツ目編みの竹籠に竹虎織物を取り付けた巾着籠は、さすがに虎竹模様を織物で表現しただけあって、竹の模様と生地の相性が素晴らしいがぜよ。なので、しあがった巾着籠が実に良くまとまりがあり、高級感と共に品のある出来映えになっちゅうと我ながら思うがです。自分でも何回か使いゆううちに、まっこと、これは、ちっくとお洒落をせねばならない時などにも、こじゃんと「のうがえい(便利)」と思うて、ますます気に入るようになったのです。


ただ一点、タップリ入る容量は良い所ではありますものの、本当に少し近所を行くだけの散歩のような時には、スマートフォンと鍵と小銭入れくらいしか持っていかないと思います。さらにサイズを小さくして、もっと小回りのきく使い勝手のよいものを一つ用意したいと思うようになったがです。


虎竹巾着籠とスマホ


そこで、作りは全く同じながら大きさだけを小ぶりした虎竹巾着籠を作ることにしましたぜよ。サイズの基本となったのは実は皆様ご存じのアップル社のアイフォン5ぞね。アイフォン6というが昨年より発売されていて、少しサイズも大きくなっちゅうのですが、サンプルを作ってみたら、少し大きめに出来上がり、最終的には自分の思いどおりのサイズ感とやったがです。


自分の場合は、こんな小ぶりな巾着籠は、休日の日か、時間と心にゆとりのあるお出かけにか使えませんにゃあ。けんど、だからこそ、この小さい虎竹巾着籠を持ちたいがです。何かで聞いたことがあるのですが、普通は楽しいから笑うと考えがちです。しかし、たとえ別にそれほど楽しくない時であっても、まず笑うという行動をする事によって気持ちも楽しくリラックスされるそうですぞね。それならば、この小さい巾着籠を持つことによって、心にゆとりが生まれて来ることもあるのではないですろうか?さっそく持ってみて、そんな事を思うがですぞね。


クマが出た!

 
孟宗竹のタケノコ


「クマぜよ!」と言うても本物の熊ではないがです。筍の名産地京都では土から出た真っ黒い皮の筍の事をクマと呼ぶそうです。そう言われてみれば、色といい、細かい毛が生えてるところといい、熊にそっくりやちや、誰が付けたか、なかなかのネーミングぜよ。ちなみに先端の緑のくちばしの様に見える小さな葉状のものは、鞘片(しょうへん)と言うのですが、この曲がりに注目ぞね。この曲がりの方向に筍の元となる根があるそうながです。


まあ、そんな豆知識はどうでもエイかも知れませんけんど、昨日は、時期的にいうと終わりになっちょります。虎竹の筍をご覧いただきましたので孟宗竹の筍と見比べてもらいたいがです。クマと呼ばれる丸々と太った逞しい身体付き、昨日の虎竹は淡竹(ハチク)であり、両者の筍を比べると圧倒的に孟宗竹の方が太いのが良く分かります。


淡竹は日本の在来種で昔からあって筍も食されてきたと思いますが、孟宗竹が江戸時代に日本に渡ってくるやいなや全国に広まります。ある時には武士のステータスとして庭に植えられたと言いますが、自分が想像するに、やはりこの圧倒的な太さは、食料としての価値が大きかったと思うのです。


京都の筍


土から頭を出して重たくなるほどに成長する筍は、現代のように食べ物が豊富でない時代には、この季節を冬からずっと辛抱強く待ち望まれる貴重な食べ物であり、春の訪れと、寒い季節を生き延びた喜びの味だったに違いありません。高知では穂先筍というて2メートル以上伸びたようなものも、先端部分だけを食べたりしますが、小さなものから、大きくなるまで旬の短い筍を食べ尽くすのは、そもそも食料の意味合いが大きかった名残かも知れんと思うのです。


そして、何処の山里に行っても日本在来種の竹よりも、まるで遙か昔から、そこにあったかのような顔をして茂る孟宗竹を見る度に、人々に大いなる歓喜とともに受け入れられた竹なのだなあと感じます。


筍栽培の竹林は「畑」だと前にもお話した事がありますろう。まさに、収穫のために畑と同じように手間をかけ、筍を育てて、出荷しているのですが、肥料を入れたり手を加えている事もあるのですが、収穫をどんどんすれば、するほど次の筍が次々と頭を出してきよります。これは、収穫された筍に行くはずだった竹根に蓄えた養分が余り、次の筍に回されるためなのですが、毎年のように、こうして生えてくる筍の成長力、神秘的な力は、まっこと継続利用可能な唯一の天然資源と思わせてくれる所以ぜよ。


筍


虎竹の里のには孟宗竹の林というは本当に少ないのですが、筍の美味を知っているのは人間だけではないがぞね。そうです、最近増えすぎて少し困っているイノシシも大好物ながです。地中にある筍を鋭い嗅覚で嗅ぎ分けて、あのガッチリした竹根を掘り起こし筍を食べていくので、さすがに野生動物は凄いにゃあと思いますが、その掘り起こされた後に、逞しく次の筍が頭を出し始めてちょります。この竹の力強さ、逞しさは自分も見習いたいと常々思うのです。


虎竹の里の「虎の子」たち

 
虎竹の里の筍


虎竹は淡竹(ハチク)の仲間ですので、孟宗竹のように大きく太い筍ではありませんが、少し時期を遅らせて今年もドンドンと生えてきちょります。筍が、わずか3ヶ月で親竹と同じ大きさに成長する事は、いつも自分がお話しよりますので、このブログをご購読の皆様には、耳にタコが出来ちゅうことかも知れません。けんど、意外と知られていない事なので、いつでも、その都度、その都度お話させてもらいたいと思っている事ながです。神秘的な成長力の秘密は節にあって、それぞれの節が一斉に成長するので、全体としての竹の成長スピードが加速するのです。この筍も見る見るうちに大きくなり、枝葉がでて、アッという間に姿形は親竹と見分けがつかないようになるがぜよ。


虎竹林


虎竹の筍は美味しいとは言われつつ今まで一度も食べた事はないがです。それは虎竹が見た目は親竹と同じように成長して一人前に見えても、その実、3年経たないと竹細工に使う場合には適材ではありませんし、何より虎竹独特の虎模様が出でこないのです。虎竹は全ての竹に不思議な色づきがあるワケではありません。素晴らしい色づきの虎竹になるのか、製品にならない虎竹なのかは、筍の時には全く分からない事ながです。


虎竹の竹林に入ると沢山のある竹の中に、キラリ、キラリと光る竹が見えてきます。その数が多い竹林もあれば、そうでない竹林もあります。温暖化などが原因とも言われますが年々虎竹の品質が落ちつつあり、生産量も減りつつある虎竹の里で次の世代を担っていく筍たちは未来の大スターぜよ。いやいや、虎竹だけに「虎の子」ぜよ。


見事な青竹染色の技

青竹染色


青竹の清々しい色合いは日本人なら誰しも本当に心地よく感じる色合いだと思います。これからの季節、この青竹に入った羊羹なども和菓子屋さんどで良く目にするようになりますろう。見た目にも清涼感があり、冷たいお茶などと一緒に、つい手にしたくなる甘味となって定着しちょります。


この青竹の色合いと、スパッと切った竹の身の白さのコントラストが、日本人が一番好きな色の対比だと聞いたことがありますぜよ。そういえば一年で一番大事なお正月の門松も、ちょうど、この色合いになっていることを思いだしますちや。青竹の瑞々しさから季節の食器としても使われる事もありますぜよ。食材を盛り付けたり、酒器や杯としても多用されよります。ただ、この青竹には一つ難点があるがですが、それが、退色なのです。美しい青い色合いは、まっこと一時のもので、酒器や杯など切り口から、みるみる青みが抜けてゆき、落ち着いた色合いに変わっていってしまうのです。


今まで、この退色を解決すべく人工的な染色技術や塗装が繰り返し試されてきて、そのいくつかは製品としてもあるのですが、なかなか自然の色合いに勝るものは見る事ができなかったのです。ところが、先日、かなりリアルな青竹に迫る竹を拝見したがです。自分が手に持っているのが染色した青竹で、その横に並ぶのが自然の青竹ぞね。こうやってお話しますと違いが分かるかと思いますが、これが室内装飾や何か竹製品になって置かれていたら、恐らく気づく方は少ないのではないろうか?竹の技術もこうやって少しづつ進歩していることを見せてもろうて、まっこと嬉しい竹との出会いやったのです。


コンビニ弁当を10倍美味しくする

初夏のランチタイム


暑くもなく、寒くもなく、一年でも最高に過ごしやすい季節ぜよ。新緑も鮮やかな天気の良い日などは室内にいるのがもったいないちや。せめてランチタイムだけでも外に出て美味しい空気を吸いながら、明るい陽射しの中で座っちょりたいと思われる方も多いですろう。そう言えば、田舎では意外と見る事は少ないのですが、都会のオフィス街などたまに行くと外のベンチやら広場やらで、沢山のサラリーマン、OLの方々がお弁当を食べている姿を見かけます。緑の少ない中で仕事されゆう方は、なおさら、この気持ちの良いシーズンには外が恋しくなるがやろうか?


さて、その皆様をよくよく見て観察させてもらいよりましたら、愛妻弁当のような、ご自宅から持ってこられた弁当箱の方もいますが、多くの方が、近くのお店が販売しちょりますお弁当や、広場に売りにきている移動販売車から買われたり、また、コンビニ弁当の方も結構見受けられますぞね。


竹弁当箱


自分は、コンビニのお弁当を食べる機会は、あまりないがです。けんど、今日は珍しくコンビニ弁当を買うちゅうぜよ。道を走ればどこにでもあって、一番身近で手軽といえば、やはりコンビニになりますろう。今日は、そんなお弁当を100倍美味しくする秘密グッズを持ってきているからなのです。


この白竹を四ツ目編みして作られた弁当箱は、地元の職人さんから頂いた一点ものなのですが、まるで竹籠を風呂敷のようにした作りがユニークで気に入っちょります。少し古いものなので白竹が飴色になつつあるのもエイところ。四片からの蓋部分を中央の竹ヒゴで押さえつけて留めるのですが、弁当だけでなく本や文房具をいれて通学にも使えそうな籠なのです。


竹弁当箱


外のベンチに腰掛けて留めを外して開けてみたら、この通り!ワンタッチで上蓋が開いてお弁当を取り出せますぜよ。これをご覧いただきましたら10倍美味しいというのも、あながち大袈裟でも何でも無い事が納得いただけますろう。竹の弾力性を活かして作られた風呂敷のような竹弁当籠。職人さんの遊び心とアイデアで生まれた品ですが、開閉部分など細かい所は手直ししながら使ってきました。これからも大事にしながら、たまの屋外のランチタイムにお供にしたいと思うちょります。


まだ続く、京銘竹、角竹作り

角竹作りの竹林


筍が次々に生えだしている明るい竹林です。ここは、最近まで筍栽培用とされていた所との事ですので、竹のウラ(先端部分)が切り飛ばされちょります。実際には切るのではなく、ある程度大きくなった時に揺さぶり折るのですが、こうする事により、枝が少なくなった竹林には、太陽の光が多く差し込み、土中を温めてくれますし、強い風が吹いても竹の揺れが小さく、竹根を傷めないとの事なのです。筍収穫用の竹林はすぐに分かりますぞね。竹の先端がポキリと折れたような竹が並んでいます。今度竹林を見る機会があれば、是非注意深く見てもらいたいがぞね。


へこみ角竹


満足いく角竹ができる確率が半分とも話しされちょりましたが、筍に対して木枠が大きすぎると、綺麗な角竹にはなりませんし、反対に木枠が小さいと、竹中心部にへこみができたりするがです。木枠は大きすぎても、小さすぎてもダメ。ちょうど筍の成長ぶりを見越してピッタリの木枠を取り付ける、この角竹作りの大事な部分は竹林での竹と職人との対話に尽きるのです。


木枠から頭のでる筍


筍の成長は、まっこと早いがですぞね。見る見るうちに伸びるというのも大袈裟ではないほど、一日に1メートルを超えて大きくなる驚くべき成長力なのです。前にはめ込んだ木枠から頭を出して伸びている筍を見つけましたぜよ。さて、これからどうするかと言うと...。


角竹作り


「ヨイショ!」と声を揃えて二人がかりで木枠を下から持ち上げます。下の部分は既に木枠で四角形に固まっているので、筍の成長にあわせて木枠を上へ上へとズラしていくのです。清水銘竹店の職人さんが、人の合わせるのではなく、竹に合わせる、という自分達の仕事の事を話してくれましたが、意味が少しづつ分かってきましたぜよ。


角竹作り途中の竹


木枠が外された竹を触ってみると見事に四角形の形になっちょります。なるほど、これが角竹になった瞬間か...。しっとりと湿気を含んだ竹皮の下に角張った形を確認して嬉しくなります。竹皮の表皮には細かな毛が生えています。この短い毛のお陰で滑りやすくなり木枠をズラしていくときに役立っているようです。竹虎では竹皮草履や包材としても利用する竹皮ですが、やっぱり、なかなかスグレモノなのです。


木枠を筍に合わせる


見上げるような、ずっと上の方にまで木枠が上げられました。こうして木枠を使う工程は5月一杯くらいまで続くそうです。木枠の先端から筍が更に伸び枝がでる頃になると木枠を外します。この頃になったら梅雨がそこまで来ちょりますが、木枠をしたままの長雨は箱の中が蒸れて竹が傷むので、それまではに作業を終わらせねばなりません。角竹作りは、自然そのものが相手ながです。その年の筍の成育、気象条件、その時々の天候など、複雑な要素のからまる中で、毎年変わらない品質の竹を仕上げつづけるのは、長年の伝統の技術と、竹への愛情ではないかと思うちょります。


美しい角竹


角竹で意外に知られていない事は、角竹は全て一年竹なのです。木枠を外してそのまま竹林で成育させておき、11月には伐採するというのは自分達の虎竹からすれば、ちっくと考えにくい事ではありますけんど、職人技により創られる角竹は慎重の運ばれて油抜きして、このような見事な、まさに京銘竹と呼ぶにふさわしい、威風堂々とした竹になっていくのです。


清水銘竹店の角竹作り

京都の角竹作り


「自分達は予想屋や...」


まず最初の言葉に何!?とビックリさせられると共に、並々ならない竹への自信と愛情を感じて嬉しくなりますぜよ。予想屋というのは、その筍が一体どのくらい成長するのか分からない段階で、サイズの決まった木枠選び、はめ込んでいくからなのです。だから、木枠を決める工程は真剣勝負そのもの。部外者に立ち入ってもらっては困るという厳しい雰囲気ですぞね。


この日、木枠を決められていたのは清水さんの弟さん。近年まで筍畑だった陽射しのタップリ入る竹林で兄弟二人で働かれゆうがです。久しぶりにお会いする弟さんは若い頃には竹を運ぶためにトラックで何度も竹虎にお越し頂きよりました。あの頃に比べると白髪は増えたけんど、角竹作りの職人としての凄みの増し方は、それどろこではない、現場では声もかけられないほどの迫力ながです。


角竹用木枠


木枠は数百本あるとの事やったのですが、それぞれサイズが明記されちょり、太さが細かく別れていて、どんな太さの筍にも対応できるように用意されています。角竹に作る筍はその竹林でも1番筍か2番筍に限るそうぞね。それ以降の筍は成育も悪く大きくなりきらないものもあるそうです。けんど、「予想屋」と自らを言うだけあって、頭を出し始めて伸び出した筍に、それぞれ決まったサイズの木枠をはめるのは、長年この仕事をされてきた職人さんでも非常に難しい作業ですろう。


清水銘竹店、清水さん


木枠をはめ込んだら数カ所を紐で固く縛っていく作業があります。こうすることで丸く成長する筍の形を木枠でギュッと抑え込み、角い形にしていくのです。


竹製コミ栓


職人さんの傍らに置かれた竹籠にはコミ栓と言われる半割した竹をハス切状にしたものが入れられちょりました。何に使われるのかと思っていましたが、木枠を部分的に締めたい場合には、縛った紐部分にコミ栓を打ち込み、更にきつく調整をされているのです。


竹小枝


ふと横に置かれちゅう木枠を見ると枝打ちしたばかりの小枝を切って、コミ栓にされているものもありましたぜよ。本当に微妙な調節はこんな風に、その場の職人さんのカンと工夫です。こんな細やかな仕事ぶりが、自分が小さい頃から竹虎にも沢山立てかけてあった、あの見上げるような立派な角竹に繋がっていたのか...!?「この竹は、どうして角い形やろうか...」小さい両手で角竹をなで回していた日の事が蘇ってきて、まっこと、感動してしまうのです。


角竹作り竹林での作業


木枠を決めてはめ込んだ後は周りの竹に紐を張って固定していきます。青い竹が無数に生えている竹林に色も鮮やかな白い紐が張り巡らされた様子は、他ではまず見ることがない、この辺りの竹林だけの景色です。まっこと、知らない方がたまたまご覧になられたら、一体何事かと、幻でも見たかのように目を何度もこすって驚かれるような光景ですぜよ。


京銘竹、角竹作り その1

角図面竹


さて、先日竹セリ市で銘竹を色々と拝見させてもらいました。実は、竹虎には特産の虎竹ばかりがあるように思われちょりますが、今は少なくなったものの祖父の代から集めてきた県内外の銘竹が沢山あり、自分も小さい頃から、虎竹と同じように、この銘竹が暮らしと共にあったがです。大学卒業してから一人で住んでいた離れの玄関は、もともと一番最初の店舗だった所で天井が5メートルほどの高さになっていて、各地から来る色々な銘竹置き場になっていましたので、朝晩行き帰りに毎日観て、毎日触れていた馴染みの竹達でもあるがです。


そんな銘竹の中でも京都で作られる角竹という竹があるがぜよ。竹は丸いのが常識かと思いますがこの常識に真っ向から挑戦して、誰も見た事のないような角い竹を創り出す先人がいるから、まっこと竹の世界というのは面白いがぜよ!


清水銘竹店、清水さん


京都の清水銘竹店さんは祖父の代からのお付き合いのある老舗竹屋さんぜよ。自分も学生時代や修行中には運転手の助手として大型トラックに竹を満載して、京都まで何度か走ってきた事があるがです。小さい頃から角竹は良く目にする竹であり、木枠にはめて作る事を竹虎に来られていた清水さんのお父さんや、祖父から聞いていました。けんど、話しに聞くだけで実際に見た事がなかったので、今回、どんな仕事をされているのか様子を拝見させていただける事になり、まっことドキドキワクワクやったがぜよ。


京都の孟宗竹林


京都は孟宗竹の筍の栽培が盛んな地域でもありますぜよ。こちらの筍と高知で自分などが職人さんから頂く筍の違いは、土の中にあるか、土の外にあかるやろうか?高知では土から出て大きく育った筍を食用にしますぞね。穂先筍というて人の身長より高くなったような筍を採る事もあります。ところが、京都の筍は土の中にある真っ白く柔らかい筍ちや。土から出て黒くなった筍は「クマ」と呼ばれてあまり食されないようです。


まあ、それはさておき角竹作りは、そんな筍シーズン真っ直中の竹林で行われるがぜよ。手入れの行き届いた竹林は、まさに筍畑ちや。こんな美しく気持ちのよい職場は、何処を探してもちょっと他にいはないがぞね。


角竹用木枠


これが角竹作りに使われる木枠ぜよ!高知でこれを見みせたら、鰻を捕る道具かよ...?などと言われそうなくらい、まっことソックリですぞね。竹製で編まれたウケの他に、ちょうどこんな大きさの木枠でつくられた細長い鰻捕り用の道具が使われちゅうがです。けんど、これは鰻などとんでもないがぞね。角竹を作る筍用として使われる伝統ある道具なのです。清水銘竹店さんでも、お父さんの代から40年、50年と大事にしながら、ずっとこの木枠を毎年使って角竹作りをされてこられちゅうのです。


孟宗竹林にて清水さん


どうやって筍に木枠をはめていくのだろうか?自然の筍だから同じ大きさのものとかあるはずありません。また、その時々により筍の成育状態も違いますろう。1日に120センチも伸びることのある爆発的な成長力のある筍相手やき、まっこと、想像もできないような苦労があるのではないろうか?


「明日は作業があるさかい、見せてあげるよって」


竹林で見る職人さんの姿は、本当に格好がエイものです。自分達の仕事や竹林に並々ならぬ自信と誇りを感じるがです。


竹材置き場


竹葉の敷き詰められた竹林の中にリンが置かれちょります。伐採した竹を積み上げて保管する場所になっているのです。考えたら、この辺りの竹林は平地が多いのです。手入れの行き届いた竹林は差し込む陽射しも柔らかく絶好の竹置き場ぜよ。


竹の養生


ふと見ると、竹置き場にある一本の竹の根元何やら巻き付けられています。竹を積み上げた時に、当たってキズなどが入らないようにという、この竹への思いやりですぞね。こうやって竹を愛しむ仕事人の方々です、創り出す角竹は、さぞ素晴らしいものに違いないと期待が高まるのです。


虎竹の里の秋

虎竹の秋(黄葉)


京都の黄葉を観てきましたけんど、それなら日本唯一の虎竹の里はどうかと言うましたら、まっこと、見事に黄葉しちょますぜよ。そこでランチタイムには黄葉狩りしながら竹林で過ごしますが、少し蚊も増えてきましたけんど、夏場に比べれば全然少ないし、まだ蚊除けの竹酢液が必要ないくらいですぞね。陽射しも和らいだ竹林の中は、まっこと過ごしやすく、今が最高の季節というのを改めて思うがです。


虎竹筍


筍は孟宗竹が一番早くて、それから淡竹(ハチク)、さらに半月ほど遅れて真竹が生えてくるがです。虎竹は淡竹の仲間ですので、孟宗竹が大きくなった頃に、そろそろ出始めてきよります。竹の秋は、この筍を成長させるのに親竹が力を使いはたし、疲れて葉を落とすのだとも聞きますが、先日お話させてもらったように竹にも表年、裏年があり、表年は筍も多く生えてくるのです。けんど、沢山の筍を伸ばしながらも竹葉は青々とちゅうので、表年の竹は、前年のパワーを余程貯め込んでいると見えます。


虎竹の秋(黄葉)と竹虎四代目


もう少ししたら、風が吹き抜けるとハラハラと竹葉が舞散り、竹の小枝がちっくと寂しい感じになるがです。けんど竹が落葉して緑でないなどというイメージは、ほとんどの方は持たれていないと思うのです。同じ地域でも全ての竹林で落葉がすすむという事ではないのと、若葉がすぐに芽吹いて若々しい雰囲気の竹林になるのと、この二つの大きな理由があるように思うちょります。


樹木の場合、秋から冬にかけて葉が色づき落葉するものがありますが、竹はその反対に秋には若竹の青々とした瑞々しい雰囲気です。竹の春とも言われるその覇気にあふれる勢いに、昔の人々は、竹の神秘的な生命力をみたのだと思います。前にもお話させてもろうたかも知れませんが、竹の関わる祭事や神事は全国各地に合計869箇所もあるそうです。古来、不思議な力を崇められてきた竹は、この生態による所も大きいと自分は想像しちゅうのです。


竹の秋(黄葉)

竹の秋(黄葉)


竹の秋」という言葉があるのをご存じですろうか?実は今は竹にとって秋なのです(笑)。先日、孟宗竹の多い京都にお伺いしちょりまして、タップリと紅葉狩りをしてきましたぜよ。そう、竹屋の紅葉狩りは初夏にするものながです。本当は「紅葉」ではなくて「黄葉」が正しいかと思います。竹の葉が一斉に青々とした葉から、黄色に変わり落葉するがです。まさに、その様子は秋そのものぞね。


竹の落葉


竹林に入ると黄色い葉っぱが、ずっと向こうの竹林まで一面に敷き詰められたようになっちょります。実はこの葉が油分が付いているのか滑りやすく、この時期、竹林にはいる職人さん方は慎重に歩かれゆうがぜよ。


孟宗竹の秋


孟宗竹という竹が古来種ではなく外来種と知っていますろうか?日本最大級の竹で、皆様が今の季節よく食される筍も、ほとんどが孟宗竹の筍かと思います。中国から渡ってきた、この竹が一番最初に植えられたのが、京都という説もあり、京都は昔から竹というイメージが強いですし、筍の知名度やブランド力もピカイチながです。そんな京都観光で皆様がよくご覧になられる美しい竹林も、ほとんどが孟宗竹の場合が多いですが、よくよく注意してみたら葉の色合いが日頃みるよりも黄色く変色しているのが分かるのです。


洛西竹林公園より竹の秋を眺める


京都には洛西竹林公園という、110種類もの竹や笹が集められた公園がありますけんど、少し高台になっている、ここから眺めると遠くの竹林も一斉に黄葉しちょります。


実は筍には出番、非番という、沢山生える年と生えない年とが交互にやってきちょります。これは果物などにもある表年、裏年と同じで興味深いですが、出番の時には竹が元気なせいなのか葉の色合いは比較的に青々としているそうです。ところが今年の京都の竹林は非番にあたる竹林が多いようで、こうして広範囲で「竹の秋」を観ることができるがです。


出番、非番など自然界のものには人の英知の及ばないところがありますが、わずか国道一本隔てるだけで、出番、非番がそれぞれの竹林が違う事もあり、片方は青々とした竹林、かたや一方は黄葉という場所もあるのです。ブログをご購読いただく皆様のお近くの竹林はどうですろうか?別に京都まで行かずとも竹の黄葉は楽しめますので、少し関心を持ってご覧になられると面白いかも知れまんぞね。


竹のセリ市 その2

芽付竹


銘竹のセリ市が滋賀と京都で今も続いているのは、竹が茶華道と深い繋がりがあるからながです。この芽付竹なども竹の枝を長さを揃えて切られちょります。節部分の油抜きには手間がかかるとの事ですが、そんな事を全く感じさせないような美しい仕上げになっているのです。しかし、このような茶室などに多用される竹は、一般のご家庭では見ることはありませんし、普通の方が来られると「一体何のためにこのような竹があるのたろう?」少し不思議に思われたりするかも知れませんちや。


しゅみ竹


しゅみ竹という独特のシミのような模様の入る銘竹も展示されちょります。このような竹も見た目の渋さが好まれて、切りっぱなしの竹に銅板をはめ込んだ寸胴と呼ばれる花器にもされてましたし、職人さんによっては景色のよいところを茶杓などにも作られるのです。


矢竹


こじゃんと綺麗な矢竹もありましたぜよ。矢竹は文字通り、昔の合戦などに使われた弓矢の矢にする竹ぞね。有名な武士が弓矢用にするのに、矢竹を庭に植えたものが、今に伝わっていると言うのも聞いた事がありますが、この竹は細さが、ほぼ均一で伸びがよく、比較的真っ直ぐ、そして、節が低い事から矢に適しちゅう竹なのです。


竹は、しなやかで柔軟なイメージがありますけんど、この矢竹を加工して火入れして矯められたものは、ビックリするくらい硬く丈夫になっちょります。三本の矢の話しがありますろう?一本なら折れる矢が三本なら折れない話しですが、まっこと、あの硬さで三本なら、簡単には折れませんぜよ。竹は、こんな柔と剛の相反する特製を併せ持つ不思議な素材ながです。


竹セリ市会場


それにしても、というのはエイです。こうやって選りすぐられ、それぞれの竹職人が手塩に掛けた竹たち。普通は竹細工といえば、竹を編むとか、何かを作るとか、そちらにばかり目がいくことが多いですけんど、ここにズラリと立ち並ぶ竹そのものにも伝統の技と職人魂がこめられた竹文化の結晶と言えるがですぞね。心地よい初夏の風が吹き抜ける展示場は、本当にいつまでも居たくなるような心地のよい空間になっちょりました。


煤竹


圧巻の煤竹が、やはり目を引きますにゃあ。縄目がクッキリと付いて、これが数百年という長い年月を経て、自然にできたものは信じられないようなデザインの見事さです。滋賀県の北部の方にいくと気温も低く一年の内かなり長い期間、囲炉裏に火を絶やさなかったと言います。そこで、煙にずっと燻されこのような濃淡がハッキリとした、誰かから手で描いたと聞いても納得しそうな煤竹が生まれるのです。古い民家では300年と聞きますので、まさに時というアーティストが創作した芸術作品なのです。


煤竹


もちろん、この煤竹も最初からこの美しい輝きを放つワケではないぞね。真っ黒く煤けた竹を一本、一本手入れして油抜きをして磨き上げる、竹職人の技がプラスされてこそ数百年の時を超えた竹に新たな生命を授けることができるがです。ただの汚れた竹として、その役割を終えるのか、次の世代に受け継がれて又数百年、人のお役立ちをさせてもらえるのか、竹職人の腕にかかっちょりますので、やはり職人は凄いです。


変竹


変竹(へんちく)と呼ばれる、少し変わった曲がりのある竹も、お茶室などの設えなどに使われる事があるようです。定番の竹ではありませんが、このような竹も銘竹として珍重されるのが日本の竹文化の一面でもあるのです。


竹セリ市


この竹のセリ市は63年間という長い歴史のある竹材業界の最先端の一大イベントであり、情報交換の場でもあります。昔の隆盛を知る方からは、ちっくと寂しい声も聞かれますが、いやいや、今の時代の中での竹のあり方を思えば、これだけの銘竹が並び、人が集い、セリ市が開催されちゅう事こそ、竹業界のひとりひとが誇るべきぜよ、素晴らしいではないですか!日本人と竹は数千年の歴史と付き合いがあり、竹はずっと生活の中にあったがです。竹虎では1985年から「21世紀は竹の時代」と言うてきましたけんど、忘れたように見える竹は、必ず竹は思い起こされる日がきますぞね。竹のセリ市は、そんな事も感じさせてくれたのです。



竹のセリ市 その1

竹セリ市看板


セリ市と聞くと魚や野菜など生鮮食品をまず思い浮かべると思うのです。だから、竹のセリ市...?最初はなかなかピンと来ないのが普通です。もしかしたら高知県で有名な四方竹のセリですか?せいぜい、そんな風に思われるのが関の山ですろうか。


滋賀県竹セリ市


ところが、今回の竹のセリ市は正真正銘の竹のセリ市。皆様が頭に思い浮かべる通りの長い竹のセリながです。ただし、竹は竹でも銘竹と呼ばれる値打ちのある竹ばっかり。現在では京都と滋賀の2箇所で毎年開催されよって、今年で何と63年目の歴史のある市でもあるがぞね。


滋賀県、田園風景


けんど、さすがに竹のセリ市ですちや。一般的に見本市とか展示会とかいえば都会の一等地などで開催しますが、こんな田園風景の広がる、のどかな所で開かれているのです。来場される方には、ちっとく便利とは言いがたいですが、竹の生産の中心地は、日本各地何処に行ったとしても、このような自然豊かな美しい土地という事で、まっこと嬉しいがですぜよ。


竹虎四代目と銘竹


更に嬉しくなるのが、長い竹をゆっくり立てられる天井の高い広々とした倉庫にズラリと並んだ銘竹の数々...!真竹や煤竹(すすだけ)、黒竹など馴染みの竹ですが、これだけの量が整然と並ぶのは、あまり見る機会はないがですぞね。こんな幸せな空間は無いですので思わず笑みがこぼれるぜよ。


竹セリ市の煤竹


同じ煤竹でも種類がいくつかあって、丸竹をワラ縄で縛ってつくる簾(ミザラ)に使われちょった竹や、忍べ竹(しのべだけ)というて細身の女竹が煤竹になったもの、これらの他にも芽付竹、しゅみ竹、矢竹、変竹、つる巻など、まっこと、こんな機会でないと絶対に見られない銘竹があるがです。


竹セリ市会場


会場の中央には長テーブルとバイブ椅子が用意されちょります。竹を見回って疲れたら思い思いに腰かけて、お茶やお菓子をいただけるようになっちゅうがです。なんか、虎竹の里にもある神祭のお客のような雰囲気で、これまた、何とも肌にあうエイ感じちや。


おもてなしのゆで玉子


最高に素晴らしいのが各テーブルに置かれちゅう、ゆで玉子ぜよ。庭で飼っている地鶏やろうか、遠くからも来られる方に、ご婦人方がこうやって、大事にもてなしてくれゆうのがしみじみ伝わります。竹の世界は、元々があまり広い世界ではありません。それぞれが知った仲同士のアットホームなセリ市は、まだまだ続くのです。



田舎×インターネット×老舗「竹虎四代目への道」

田舎×インターネット×老舗「竹虎四代目への道」


田舎×インターネット×老舗「竹虎四代目への道」という本を幻冬舎さんから発行させて頂いたがです。「田舎」、「老舗」それなのに「インターネット」少し異質の組み合わせで意外な気がされますろうか?


けんど、地方の時代と言われながら、いつまでも陽の当たらない田舎も、伝統の技が、どんどん忘れられていって継承が難しくなり消えゆく老舗も、インターネットという新しいツールで生まれ変わる可能性を多くの人に知って頂きたいという願いを込めた題名になっちょります。


自分が本を書くなど、まったくもって柄ではありません。竹の事しか知らない田舎者ですきに本という形ではありますが、内容は、誰にでも役立ったり、面白いものでは無いかも知れません。ただ、ただ、自分は竹のように真っ直ぐに竹を見習うて、竹のように生きたいと思うちょりますので、そんな思いだけで竹虎の今までを本にさせてもろうたがです。近しい人にこそ遺す竹虎の言葉であり、歴史ながです。


竹虎四代目,作務衣,さむえ,SAMUE


自分は謙遜して言うわけでも何でもなく、学生時代から何をやっても中途半端なダメな男やったですぜよ。勉強もスポーツもダメ、優柔不断で楽な事ばっかり追いかけよった。そうそう、3月に母校である明徳の卒業生スピーチをさせてもらいましたが、その数日前の30年ブログ「竹虎四代目がゆく!」の2月25日~3月2日辺りを関心のある方はご覧いただければと思いますが、まっこと人にお話するのも恥ずかしい、どうしようもない若造でした。とても竹虎四代目になれるような人間ではなかった。自分は最初から竹虎四代目では無かったがですぞね。


弱く、小さく、迷ってばかりの男が、それでも何とか立ち上がろうと決意出来たのは日本唯一の虎竹と100年に渡って伝統を守り続けてきた竹の血ですろう。自分は虎竹の里の見えない力に助けられて竹虎四代目になっちゅうがです。この本を書く時、こうやって竹林で大好きな祖父や職人さんを思う時、自分が、この大いなる竹林の一部であり、悠久の時の流れの一部であり、はかなく存在ではあるものの「今」を生きられる感謝があふれます。


竹の道は、イバラの道ぜよ。ずっと暗闇を歩いてきた、自分は誰やろうと思うた。どうして初代宇三郎は、こんな竹をわざわざ大阪から探して来たがやろう?二代目義治は...、三代目の父は...。こんな竹、こんな竹、こんな竹、こんな竹、こんな竹...。涙があふれて止まらんなって、独り工場で大声だして我にかえったら竹に笑われゆう気がした。そんな情けない男の本ながぞね。


自分だけの角物籠たち

別注角物籠


竹虎でピクニックバスケットとして親しんで頂いている竹籠は、四角い形をしちゅう事から「角物」などと言われてきたのです。見た目のシンプルさと裏腹に実は製作が、こじゃんと(とても)大変で、その昔に大量生産していた職人さんを心から尊敬してしまう竹細工のひとつでもありますぞね。


季節もよくなってきましたちや。これからは外の風に吹かれながらのランチタイムが最高ですが、せっかく自然の中に飛び出す時には、こんな角物籠をお供にされると、まっこと、全然違うた景色に出会えるものですぜよ。そこで、今日は自分が持っている定番以外の角籠を、ちっくとご覧いただきたいと思うちゅうがです。それぞれ、一つづつくらいしかない試作品やったり、既に製造をやめているものやったり、実は、結構沢山の型違いの竹ピクニックバスケットがあるがです。


角物竹バック


さきほどの角物籠は軽く二人分くらいのお弁当やオヤツを入れて、ちょっと手近な緑を楽しみに行く時になどに最適ですけんど、こちらの金製留め具の付いた物はスリムに作られちょますので、お弁当箱として使うなら一人分。持ち手や金具が機能的にできちょりますので、お弁当箱としてよりもセカンドバックなどとして使ったほうが使い勝手のよさそうな籠ながです。今はこんな格好のエイ竹バックを提げて歩いている方もおられないし、街で使うたら、まっこと注目の的かも知れませんにゃあ(笑)。


手提げピクニックバスケット


個人的には、このような昔ながらの形が一番しっくりくるがです。ずっと長く作られてきた伝統的な手提げ角籠ですが、正方形の形でサイズは色々あったのですが概ね大きめなのです。持ち手も適度に長く実用的、持ちやすく工夫されているのは、もともと野良仕事に出掛ける農家さんのためのお弁当箱やったからぞね。


今と違うて近くにコンビニもお茶もない時代から作られちょります。家族というても当時は大人数ですきに、沢山のオニギリやら飲み物を運ぶために、このような、しっかりした竹細工が作られていたのだと思います。角籠を手にした農家の皆さんが畦道を歩いて行かれる姿を想像したら、まっこと笑顔になってきますちや。お弁当箱として使われていたものを今では野菜籠や小物入れなど思い思いの使われ方をしていますが、畑仕事には行かずとも、たまにご家族や親しい仲間とのランチタイムに、手提げピクニックバスケットとしてお使いいただくのが、やはり一番のご愛用方法ですろう。