竹ランドセル

背負い籠(かるい)


ランドセルは昭和20年当時からあるようですので、その歴史は、結構長いようですにゃあ。今の子供達が使っているものと同じような革製の物があったのです。それが、太平洋戦争の物資不足の中で革も少なくなり、代用品として竹ランドセルが作られちょったという話しを聞きましたぞね。


どのような物か一度見たいと思いよりましたが、機会があり拝見させてもらったのです。一目見て、なるほどと思わせるような竹ランドセルやったがです。ランドセルの形を竹網代編みで見事に再現されちょります。かって日本の竹製品というのは安価で大量に製造するものだったので、竹ヒゴの取り方ひとつでも今とは随分と違います。一本の竹から、少しでも沢山の製品を作り出すために、竹表皮だけでなく、竹の身部分でもヒゴを取り編まれちょります。なので、多少の竹繊維の粗さは感じますものの、それも素朴な風合いとなって好感の持てる籠だったのです。昔の職人さんの事だから、こんな手のこんだ竹ランドセルでも、さぞ沢山編む事ができたのだろうなあ...。全体のバランスも美しく、しっかりと作られた網代の編み目を見ながら、そんな事を思うたのです。


そして、思い出したのが、かってお会いさせてもらった竹職人さんから聞いたお話ぜよ。その地方では「かるい」と呼ばれていた背負い籠は、当時は一つ一つ背負う人の肩幅に合わせて別誂えて編まれたそうながです。だから細い山道でも小枝が籠に当たったりする事なくスムーズに歩けたそうぞね。本当に竹が人の生活に欠かせない大事なパートナーやった頃のお話です。そんな話しを聞くだけでも、ゾクゾク鳥肌が立つ思いなのですが、土地の子供達は、そんな「かるい」にお母さんが思い思いに取り付けてくれた余り布で作った背負い紐で学校に通ったと言います。


この、「かるい」は凄く良く出来ちょりまして、平地では立てる事ができない代わりに、急斜面では使い勝手が良いように、底の方の厚みが狭くなった逆三角形の形をしています。子供達は登校すると、肩からおろした「かるい」を教室の後ろに重ねて置いておく事ができたそうなのです。重ねた「かるい」は同じ形のものばっかりだったのに、この、お母さんお手製の背負い紐のお陰で、自分の籠を間違える子供は一人もいなかったと聞きます。竹網代編みのランドセルにしても、「かるい」のランドセルにしても、見ていると明るい小学生の笑い声が蘇ってくる気がするがです。


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