真っ青な明徳の空に

一刻生涯


さて、明日3月1日の明徳義塾卒業式での卒業生代表スピーチに向けて何度か明徳に足を運び、懐かしい先生方にお会いさせてもらう中で、あの頃の記憶が、どんどん蘇ってきて、30年ブログ「竹虎四代目がゆく!」を書き始めて10年目になりますが、初めて明徳中高等学校在学中のお話をさせてもらいました。けんど、そろそろ今回で最後にしたいと思うちょります。まあ、今日だけは乗りかけた船ですので最後に、気弱で何をやってもダメダメな竹虎四代目少年が、その後どうなったか?ちっくとだけお話しさせてもらいたいがです。


試練の朝礼を吉田幸雄校長先生のお陰で何とかやり過ごした後、心配な事が次にやってくるのです。そうながです、明徳は、朝礼だけではなかったのです。実は全校生徒を集めた夕礼という夜の集まりも毎晩やりよりましたので、ここでも寮長が前に出ての号令をかけねばなりません。そして、それは持ち回りで確実にやってきます。


こんなに切羽詰まることは今までありませんでした。どうしたら良いか、こじゃんと考えました。けんど悪い頭で何を考えてもそんな良いアイデアはなく、結局したことは、人を真似ることやったのです。他の寮長がどんな声の大きさで、どうやって声を号令をかけているのか、はじめて真面目に聞きました。すると声の調子により人の動作は影響を受けゆうのが分かります。竹虎の全社会議では電話対応方針というのがあって、電話にでる声の高さはドレミファソの「ソ」の音で出よう、という項目がありますが、この音階というものですろうか?この声の高さも大切だと思いました。


まあ、けんどそんな事よりも男子生徒だけでなく、女子寮の女子生徒の番もあるのですが、さすが寮長に選ばれる皆さんです。一生懸命声を張り上げ、頑張りよります。やっぱりスポーツ倶楽部等で中心選手として頑張りゆう人は違う。男も女もない、後輩でも何でも関係ない、改めて凄さを感じました。ほんで思うたがです。そしたら自分との違いは何やろうか?一番思うたのは「やる気」「本気」ではないろうか?誰一人として逃げゆう人はいない。この朝礼、この夕礼で一番本気になっちゅうのは、前に立ち、全校生徒と向き合っている寮長やと気がついたのです。


ある方をお手本にさせていただく事にしました。その号令を思い出しながら何度か隠れて練習して、他の寮長のように自分からやる気で朝礼の順番を待ちました。実は、30数年経った今でもあの時の号令を再現できるのです。それが当時の明徳で、果たしてどうやったかは分かりません。気にしていたのは600名の生徒の中で自分だけやったかも知れません。けんど、面白いもんですちや、本気でやるようになると、今まで嫌だと思いよった朝礼や夕礼で前に出る事が待ち遠しく、本当に楽しくなってきたのには自分もビックリしちょったがです。


本気という詩があります。


「本気でやればたいがいの事はできる」


「本気でやれば何でも面白い」


「本気でやっていれば誰かが助けてくれる」


この時は、この詩の事など知らなかったのですが、後から知って、もしかしたら、あの時の事を言うているのかなあ、そんな風に納得したのでした。当時の厳しい明徳で寮長をさせていただけるなど、一生涯の中でも、二度と出来ない素晴らしい経験でした。今振り返っても大きな感謝の気持ちが湧いてきます。そんな機会をいただいたのは野中義一先生です。自分はこの一学期を過ごすために明徳に入学したとさえ思える程の最高のチャンスを何もなかった自分に与えてくれました。


ところが、そんな野中先生はその年明けすぐに急逝されたがです。連絡を受けた自分には、まったく信じられなく、声もなく何もできず立ち尽くすだけでした。先日の打ち合わせの折、その大恩ある野中先生の娘さんが明徳の事務所で働かれていると聞き、ご迷惑と思いながらも、たまらない思いでお伺いさせてもらいました。


「父も今のあなたを見て喜んでいますよ」


その言葉を聞いて、ボクがどれ程嬉しかったことか!吸い込んだ息がそのまま止まりました。そして、急いで校舎の外に出て、声を上げて泣きました。真っ青な空に明徳義塾の看板が浮かんで見えたけんど、空の上から見てくれよりますろうか?野中先生、あの時、寮長にしてくれて心配やなかったですか?他の先生方の反対を野中先生が言うてくれたがですろう?自分も先生が逝った年齢を少しだけ越しました。先生が明徳のために、こじゃんとやったように、自分も自分にしか出来ない事をこじゃんとやります。


吉田校長先生は、どう思われちょりましたか?号令もかける事のできない退学寸前の落ちこぼれをどうして、信じてくれちょったがですろう?ボクは、あなたのような人になりたいがです。あんなに大きな心で、人を真剣に思いたいがです。


まっこと、ありがとうございます!本当にお二人のお陰で今があるがです。


自分は明徳など入学することも考えた事もなかったけんど、導かれるようにして明徳に入り、6年間を過ごさせていもらって、吉田幸雄校長先生、野中義一先生に出会うて助けていただきました。田舎の小さな竹屋ですので何もできない、ちっぽけな人生ですろう。けんど日本にここにしかない竹で、ささやかではあっても一隅を照らす事は出来るはずです。それが自分の人生だと思うちゅうがです。


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