「よく、あのモノのなかった時代に...」
これは、今の自分達が昔の職人さんが作られたモノを見て、つい言うてしまう言葉です。
城の好きな自分は、時間があれば城郭巡りをしよりますが、特に目を奪われ、注目しているのが石垣ながです。あれだけの巨大な石を寸分違わず切り、合わせ、ビックリするような高さの石垣を築いちゅうがです。穴太衆と呼ばれる石垣職人が、それぞれ日本各地の城で腕をふるい、何百年間も変わる事なく、そこにある存在感。おそるべき技術やと思うがです。
けんど、これは石垣職人さんのお話だけではありませんぞね。もっと小さな工芸品でも昔の日本の職人さんは凄かったなあ。そして、特に古い竹細工などには素晴らしい作品があるにゃあ。よくそんな風に思う事があるがです。今のように便利な素材がなく、代替え品も無かった時代。無かったからこそ、竹に求められた機能性、装飾性、他に選択肢がないからこそ、竹に真っ直ぐに、竹をどこまでも極めたような細工が生み出されたと思うがです。
おそらく、これは竹の世界だけではなく、日本の手工芸全体に言える事なのかも知れませんが、こんな小さな手の平にのるような竹髪飾りひとつからも、そんな時代の香りが漂うてきますぞね。竹の髪飾りが生み出されたのは、もう50年以上も前の事、しなやかで、丈夫、細く、しなやかな竹ヒゴになる竹が、スーパースターのような存在でもあったのかも知れんです。
職人さんの工房で、少し違ったものが作りたくなって、手の空いた時に作って見たという竹アクセサリーを拝見しました。さすがに熟練の職人さんだけあって、専門に作る事もないのに素晴らしい出来映えやったがです。
けんど、昔の手仕事と今の手仕事の一番の大きな相違点は数量。昔は同じものを朝から晩まで製造するだけの市場がありましたので、職人さんの技は黙っちょっても上がっていき、作られる数量も増えていったのです。手の若い職人さんも数をこなしていく内に上達し、更に新しい商品や、難易度の高い竹が編みだされる、そんな理想的なスパイラルが出来上がっちょたのですろう。価値観の多様化や、モノのあふれる今の時代に、昔と同じような技の深みを求める事はできなくなっちょります。けんど諦めるのではなく新しい竹の道はきっとある。職人の手は一朝一夕にできるものではありませんが、これからの時代の竹がある事は、固く信じちゅうがぜよ。
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