佐藤竹邑斎(ちくゆうさい)さんと言う方がおられました。本名は佐藤智世太、大分県生まれ高級花籠の名人としてご高名だった方です。東京や京都でも籠の染色などを学び皇室にまで作品を献上されたり、大正15年(1926年)のフィアデルフィア万国博覧会では、金賞受賞されるなど竹工芸界に多大な功績を残された方なのです。
紋付き袴姿で写真に写った佐藤さんは一体どのような方だったのか。目の前にある作品から、その人となりを探すしかありませんが、残された緻密で精巧な編み目の花籠からは、竹に命を燃やした生き様が垣間見れる気がします。そんな佐藤竹邑斎さんの作品に触れて感動し、そのまま竹の世界に飛び込んだのが生野祥雲斎さん。後に竹工芸では初めての人間国宝となる竹芸家ながです。
生野祥雲斎さんが1967年に重要無形文化財保持者に認定された時には、さらに全国各地の竹の仕事に従事する名も無き多くの人達に希望と勇気を与えたと言われますが、その始まりが、この佐藤竹邑斎さんである事を思えば、28歳という若さで亡くなった、この大作家の作品が、全く違った輝きを持って見えてくる気がしますぜよ。
これは、長い長い竹の歴史のほんの一片、けんど竹で言えば節にあたるような所ですろうか。竹と日本人とは数千年の歴史があり深い関わりが続いています。生活道具としての竹細工から竹工芸へ、そして美術工芸へ。更に今度は又まったく新しい活用方法の模索が続けれちょります。竹の世界が、そうして今までも変わり続けてきたように、これからも、もっともっと広く大きく竹は変わり続けていきますろう。
先日よりストックホルムで開催されています国際家具見本市でのステファン・ディーツ(Stefan Diez)さんがデザインされた竹家具は、今まであまり取り組まれていなかった竹の素材感そのままを生活に中に取り込んでみたいという新しい試みでもあります。沢山の方に好評をいただきながら改めて竹の可能性を感じちょりますが、ステファンさんが制作した竹家具動画も、思いがけないほど多くの再生回数で、まっこと今回の竹の試みへの世界的な関心の高さに驚くほどながです。竹は毎年季節になれば地下茎から、どんどんと新しい命が生まれます。そもそも変わり続ける事に長けた存在であり、変わり続ける事で竹は無限になるがです。
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