気が向いたら一人で竹林の道を歩く事があるがです。仕事でよく来る山もあれば、子供の頃通った懐かしい山もある。まっこと(本当に)数年ぶりに来た山もあるがです。
虎竹の里の山道は、一昔前なら自分達がキンマと呼ぶ。木製のソリを肩に担いで通った道。今なら動力の付いた運搬機がありますので、どこの山道でも、その運搬機が通れる道幅があるがぜよ。都会から来られた方には、この山道を「細い道」と分かりやすくお話しさせて頂くのですが、虎竹の里のような田舎の山深い所に、これだけ整備された生活道は他にないと思うちょります。
山登りやハイキングなどの行楽に使いゆう訳ではないがです。曾じいさんの100年前から竹を伐り出していた生活の道、竹の道。だから僕にとっては特別な道。急な傾斜を一歩、一歩踏みしめながら登っていくと、曲がりくねった道の両脇竹からは優しく話しかけてきてくれる、何とも心休まる道でもあるがです。自分が一番自分らしいがは、おそらく世界中でもここですろう。どんな美しく素晴らしい場所よりも、どんな歴史的な場所よりも自分にとってもここという場所がある事は、まっこと幸せな事やにゃあ。そう思いながら冬と思えないような温かい陽射しの道を歩きよりました。いつものように大阪天王寺から虎模様の不思議な竹を探して、遙々とこの地にやってきた竹虎の歴史を思うがです。そして初代宇三郎に会えるがぜよ、二代目義治に会えるがぜよ。
竹が話しかけるとか、誰かに会えるとか。僕は少し変やろうか?いやいや、特別な事とは思うちょらんがです。頭のようない田舎者やし上手には言えませんけんど、要はその程度の男と言う事です。けんど、ふと横をみたら太い虎竹、細い虎竹。まるで親子みたいに並んで仲良く伸びやかに笑いゆう。
「不思議やにゃあ...」
不思議と思いませんろうか?淡竹(はちく)特有の粉がふいたように見える竹肌の下には、黒っぽい虎模様が見えるがぞね。
「どうしてやろう?...何でやろうかゃあ...」
昔からずっと虎模様の竹を見てきちゅう。子供の頃から触れてきちゅうのに、この山に生える竹を見て改めて思う事があるがです。
「不思議やにゃあ...」
竹の神様も面白い事をするものちや。この竹を名前を付けてくれた大恩人、世界的植物学者だった牧野富太郎博士を記念した植物園に移植しちょります。けんど、虎の模様がだんだん少なくなって今では普通の竹に戻っちゅうぞね。首をかしげながら又歩きだすと少し登った所に別れ道がありました。どちらに進んだらエイろうか?けんど、どちらに進んでもきっと同じ事。その先には、121年目を迎えた竹屋の自分にしか出来ない、自分だけの仕事が待ってくれちょりますろう。
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