ちょうど今頃は竹の伐採時期ですので新竹が豊富ながです。青物細工と呼ばれる真竹を使うた竹編みも、伐りたちで山から出したきたばかりのような竹を使うた商品は、青々としてこじゃんと気持ちがエイ。香り立つような竹と言うても大袈裟ではないがです。
そんな瑞々しい竹で編み上がってすぐの籠は持った感じも、水分が多いのか手に少しズシリと伝わる事があるくらい、生まれたばかりの若々しさや新鮮さも感じる、もしかしたら竹籠の青春時代かも知れませんちや。初めてご覧になられる方でもハッと目がとまるような輝きは、今だけしかないから余計に眩しゅうに映りゆうのかも知れません。
この素晴らしい時は永遠に続いたらエイですけんど、人の場合と同じようにそう長くは続かないがです。時間の経過と共に、いつの間にか青々とした色合いは乾いていき、白っぽく落ち着いた感じにと変わっていきますぞね。実は、この青竹の色合いをそのままの色に定着させる試みは、今まで色々な方が挑戦されたりもして来たようですが、自然のそのままの色合いを残すのは難しいようですぞね。青竹色の塗装をかける竹製品もあるのですが、これは人に例えたら厚化粧と同じですろうか。時と場合により必要な事もあるかも知れんけんど、あまり好みではないがです。
けんど、その若竹本来の青々とした色合いが無くなり、落ち着いて地味な色合いになる事は悪い事でも無いですぜよ。それからがお使い頂く方次第ともなって、竹肌に艶が出て飴色に変色したり、深みのある風合いになってくる、人が成長して人格を高めていくように、年齢と共に魅力がでるように、竹も時間の経過により進化していくがです。
そこで、時間と同じように必要なものは「愛情」。ずっと昔の魚籠や竹籠や竹ざるが渋い光沢を放ちながら今あるがは、この二つが上手い具合に揃うちょった賜やと思うちょります。
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