旅館のような部屋の秘密

のし竹皿


小学校の低学年の時に新しい自宅が建ったがです。一階の家の北側に一番端っこに自分の部屋が出来て、こじゃんと嬉しかった事を昨日の事のように覚えちょりますぜよ。鉄筋コンクリート二階建て、度々襲ってきた台風にもびくともしない丈夫な作り、屋上からは西に虎竹の古里、焼坂の山がそびえ、東には貨物船の行くのが見える須崎湾が眺められる景色の良さに、子供心にも胸が躍る気分やったがです。


この家には二階にもキッチンとトイレを設えちょりました。祖父母が暮らすという事もあったろうけんど、それにしても二階の一番手前の和室の作りが凝った床の間や違い棚もあって、自宅と言うよりも、まるで旅館か何かの部屋のようにも思えて、何か不思議な感じがずっとしよりましたぜよ。


その秘密が解けたのは、ずっと後になってから、そう言えば...ああやったにゃあと納得した事ながですが、虎竹の里は昔からお遍路さんの難所と言われるくらい山に囲まれた交通の不便なところやったがです。今では24時間営業のコンビニも何とかありますけんど、その頃、周りには何もなく買い物に行くスーパーも車で山越えで行きよりました。もともと竹虎は120年前に大阪で創業した会社ですし、取引先様は昔から県外の問屋さんばかり。そしてそんな問屋さんが頻繁に来社されよりましたので、おもてなしをせねばなりませんが周りに何もない竹虎では、自宅にお招きして食事や宿泊をしていただくのが常やったがです。


実は、こんな商習慣は竹虎に限った事ではなく、交通不便で宿泊施設も今のようになかった昔の日本では、来客を自宅でもてなすのは当たり前の事やったようです。それは言葉で知った訳ではなく古いお付き合いの会社や職人さん宅に行くと、奥様が前日から仕込んだ地元料理を出してくださったり、料理屋さんからとった料理をふるまってくれる事から、自分の祖母や母のしていた幼い日を紐解くように思い出したがです。


大阪や京都からの社長さんを田舎料理でもてなして来ましたので、今頃になって気づくけんど祖母の料理は、まっこと旨かった。大阪に数軒あった料理屋の娘と言う事もあったろうけんど、どうして、こんな田舎やに作るご飯が洒落ちゅうし、気品やさえ感じるろうか?こんな謎が解けたのも後になってからの事やちや。


母の水屋には、まっこと珍しい竹細工の皿や食器類がありますぞね。これも、その当時のお客様にお出しするための名残、どう考えても家庭用らしからぬ、よそ行きの顔をした竹細工があるにゃあ。昔の竹製品は今とは趣が違うて手の込んだものが多くて楽しいがです。沢山の家の台所で竹が花形やった頃の往年のスター選手たちとでも言うろうか、これは近いうちに、ゆっくりと全部取り出して、ひとつひとつ見せてもらいたいと思いゆうがですぞね。


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