間違うていたら申し訳ないのですが、確か自衛隊の起床時間は朝5時55分と聞いた事があるがです。これは「ゴーゴーゴ-!」という一日のスタートには最適の語呂合わせですろう。
そこで今回の全日本竹産業連合会の主催する竹の大会、京都大会も、第55回という「ゴーゴー!」という一つの節目かと思うちょります。開催地の京都は昔から歴史のある竹の本場でもあり、国内外の方からすると最も竹をイメージしやすい街かも知れませんので、節目の開催地としては、まっことピッタリの場所やと思うたがです。
さて、竹を取り巻く現状と言うのは今にはじまった事ではないにせよ、非常に厳しく、これからのビジョンを描くことが難しい時代ぞね。今回の大会でも、様々な問題が多数報告され、また意見交換もされたがですが、自分の思うのは、竹の今日というのは周りの環境変化など外因ではなく、竹に携わる自分達が日本の竹の良さを伝えていない問題をつきつめると、この一点に尽きると思うちょります。
もっと言うたら竹を愛しているか?自分達自身が竹の事をもっと知り、素晴らしさを実感し、愛用する事、竹を生活の中で活かしていない者が竹を誰かに語る事はできないのです。例えば、おにぎり等弁当用の竹皮一枚とってみても、今では、ほとんどが海外からの安価な竹皮ばかりになっていますが、竹皮職人が一年のうちで本当にわずかな期間だけ竹林に入り、手間暇かけて一枚の竹皮を仕上げていくのです。その工程には、とても真似のできないような神業のような職人技があります。初めて見ると、その熟練の手さばきに感動する覚えますが、これをお伝えするのが付加価値やと思うのです。
そして、そうやって丁寧にこだわりを持って仕上げられた竹皮を、実際におにぎり弁当に使うた事はありますろうか?国産のものなので安心して使える事はもちろんですが、やってみないと分らない意外なほどの簡単さ、便利さ、縛る紐も別に何か用意する必要もなく、竹皮は横には裂けませんが縦には簡単に綺麗に裂けますので、それを紐がわりにして頂くと初めての方でも驚くほど手軽に、本格的な竹皮おにぎり弁当を作る事ができるがです。竹皮の特性である通気性の良さで蒸れず美味しくいただけるオニギリ、楽しいランチタイムを体験するとお客様にお伝えする内容には、今までとは全く違う説得力が生まれますろう。
「竹が泣いている」と言われたのは故上田弘一郎先生だったと思いますが、こんな竹の今日を招いている唯一の原因は、竹屋の自分達自身の責任やと反省しちゅうがです。竹はアジアにしか無い貴重な資源というようなお話もありました。日本の竹だけでなく、お隣の韓国にも、中国にも台湾にも、また東南アジアの国々にも竹はあり、それぞれ独自の進化をされちょります。これからの時代はアジアが一つになって竹文化そのものを、もっと推進していく事が必要ではないかと思うちょります。その中で、切磋琢磨があり、はじめて世界に通用する竹が生まれますろう。
海外への竹の展開のお話などもありましたが、竹を知らない国からしたら、竹は一つであり日本の竹と他国の竹が、どこが違うのか分らず、判断基準が価格だけになりがちです。日本の竹は日本の感性で磨かれ独自のものであると思うちゅうがですが、それなら、その独自性、特異性を伝えなければ、海外での競争力はおぼつかないのではないですろうか。竹は見直されていて、今、追い風が吹いているという事も聞きましたが、本当言うたら竹に追い風は、ずっと前から吹き続けていると言うのが本心ぜよ。竹の為にも上手く風に乗らんといきませんにゃあ。
今回の大会には先日韓国でお世話になった通訳の金さんはじめ、来年の世界竹博覧会の実行委員の方々や若手職人さんなど来られちょりました。潭陽にお伺いした時には、こじゃんと良くして頂きましたので、つい5ヶ月足らず前の事なのに懐かしく、再会がまっこと嬉しかったがです。
実は更に嬉しい事がありましたぞね。前回、潭陽では竹祭りが開催されていて、そこでは数名の職人さんが竹編みの実演をされていました。すると通りかかった自分を見つけて頂き、お声をかけてもろうたがです。まさか遠く韓国に行って竹虎の事をご存知の方がおられるなど夢にも思わない事で、最高に感激したがですが、何と、今回はその時の職人さんの息子さんが来られちょったがです。
日本でも後継者不足が言われ、竹をされる方は段々少なくなりつつあります。韓国でも同じような状況と聞いてましたが、このような若い職人さんが育ち、日本にまで学びに来られている事は、国境を越えた竹の同志として心から嬉しく、頼もしく思うがです。
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