小菅小竹堂さんの最後の回顧展とも言える「一日だけのミュージアム」。どうしてもお伺いしたかった理由のひとつ。それが虎竹バックニューヨーカーながですぞね。
今では想像も出来ない事ながですが、かつて日本の竹製品というのは欧米向けの輸出品のひとつであり。竹細工が大量に船に積み込まれ運ばれて行ったという歴史があるがぜよ。竹虎も初代宇三郎の頃には神戸にも竹加工場を持っており、ヨーロッパを中心に釣り竿用の竹を生産していた時代もありました。
余談ですけんど、虎竹の里でも最古老の職人の方などに、若い頃はどこで技術を覚えたのか?と修行先の話しを聞くと、何と「神戸」と答える方が何人かおられて、事情を知らない若い頃にはビックリした事があるがです。
「ええっ!?嘘ですろう、あのファッションの町でえ?」
今では竹のイメージなど全くないお洒落な港町ですが、かつては竹の一大生産地でもあり、船積みされてはるばる海外へ運ばれていく重要な集積地でもあったようながです。
それだけ違う遠い昔、違う時代のお話という事ですぞね。世界から見る日本製のイメージは高性能、高機能ですろう。ところが当時は今のような高い品質を求められちゅうワケではなく、安かろう、悪かろうと言う製品も多かったようですぞね。とにかく大量に生産して出荷する、そんな時代の中で、ニューヨーカーの原型となった竹バックは大がかりに製造され、国内の港から海を渡って運ばれていったそうなのです。
時は流れて現代になって、すでに、その当時の竹細工や職人さんはいなくなってしもうちょりますが、日本から数十年も前に運ばれ持ち主を何度か変えたであろう一つのバックを、何とニューヨークで提げて歩くアメリカ人がおったそうながです。それを見つけた方は知ってから知らずか、その飴色に変色した竹バックの造形に深く感銘を受けて、その場でご自分が提げていた煤竹のバックと交換してもらうのです。
事実は小説より奇なり等と言われますけんど、まっこと奇跡のようです。こうして何十年も前に太平洋を渡った竹バックは日本に里帰りするがぞね。そして、それを譲りうけたのが祖父の代から懇意にしていただきゆう網代編みの巨匠、渡辺竹清先生やったのです。何を隠そう渡辺先生は、ニューヨークの超有名宝石店T社のお仕事をずっと何年も続けてられていた経歴があり、これも縁を感じます。
そして、ニューヨーク帰りのその竹バックも、最初からバックの形をして自分の目の前に現れたワケではないのです。渡辺先生の工房にお伺いさせてもろうちょった時には、バックを180度開かせて平面のような形にして壁掛けとして使われていました。そのデザインの面白さに、たまたま自分が見つけて、お話を伺ったのが、そもそもの全ての始まり。その後、色々ありながら虎竹で復刻してもらったのが、虎竹バック ニューヨーカーながです。
これだけ目の肥えた職人さんや竹好きの方達を魅了する。すばらしい造形と美しいフォルムを持ちながら、10年一昔と言われるますが、もう50年、60年前もの大昔の事です。何処で聞いても関係者の方が誰も見つからず、量産されていたと言う製品化への詳しい成り行きは、ずっと謎やったがです。
ところが、この小菅小竹堂さん知ることとなり、色々と製作された竹製品などを見ていく中で、このニューヨーカーとそっくりな形のバックに巡り合いました。小竹堂さんが、産業工芸デザイナーとしてご活躍されよったのが、1948年から1958年の10年間。このバックが世に出た時期と合致しちゅうにゃあ...。
そう思いながら更に拝見していくと、1954年に十字編手提籠応用ハンドバックとして、ご自身が開発されたとあります。これは間違いない、ようやくニューヨーカーの源に辿りついたがぜよ。ちょうど今から60年前...。そんな昔に良くこれだけモダンで斬新な美しいバックが創られたものです。改めて先人の竹への取り組みに心から敬服するのです。
小菅小竹堂さんは、日本を代表される竹作家であり、生涯を通じて竹を創作され続けた方でもあられます。昭和52年(1977年)に神奈川県葉山町に工房を開かれちょりますが、その工房の庭先で写された写真にもこの竹バックが写っています。この時の竹バックはレプリカのようですが、原型は竹工芸の普及に尽力されていた新潟県竹工芸所技師時代のもの。そして、それを横の繋がりもあり同じように竹工芸に力を入れちょった、九州の竹関連施設へ技術提供して製品化されたのではないろうか?
いずれにせよ、この大作家の竹への思いは、消える事なく次の世代に引き継がれちゅうという事ですろう。竹の素晴らしい所は、この伝統の継承ぜよ。長い時間をかけて洗練され、完成された技ひとつひとつの全てにこのような物語があり、それぞれ先人の大事な心が宿っちゅうがですろう。
さて実は今、虎竹バックニューヨーカーはご縁あって、ニューヨークはブルックリンのギャラリーで展示されちゅう真っ最中ぜよ!里帰りした竹バックがお色直しして再度嫁いで行ったみたいですが、どうしゆうろうか?ちゃんとやりゆうろうか?少し心配になってきてますので、来月は花嫁の父親のような気持ちで会いに行きたいと思うちゅうところぞね。
誕生から60年の時を経て続く竹の物語。日本とアメリカと、まさに時間も距離も超えて、日本唯一の虎竹の里の竹が一体どんな表情を見せてくれるがですろうか?こじゃんと(とても)楽しみにしちゅうがぜよ。
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