台湾には黄塗山さんという人間国宝になられちゅう竹芸士の方がおられます。若い時から日本の竹を学び技を磨いて来られた黄さんに、この機会に是非一目お会いさせて頂きたいと思うてやって来たがです。
訪ねて行った工房には人だかりが出来ちょりました。何でも、ちょうど今日は台湾のテレビ局が取材が入っているとの事で、もしかしたら黄さんが出演されるがやろうか?そう思いながら、しばらく拝見していたのですが、数人の竹作家の方が並んでそれぞれ紹介されているものの、黄さんは出られていない様子ながです。しかし、こうやってテレビカメラの前に並ばれる皆さんは、すべて黄さんのお弟子さんとの事でした。他にも高名な作家の方でも同じようにお弟子さんは沢山おられて、後から取材を受けられていた黄さんは現在台湾で活躍されている多くの竹芸士の大元のような方やと分かったがです。
「日本から来たの?」
黄さんの言葉は直接は分かりませんけんど、そのニュアンスには懐かしさを感じられゆうように思います。自分も何故か始めてのような気がしない不思議な感じで心地のよい時間を過ごさせてもらいましたぜよ。
それにしても台湾の竹は何処に行っても笑顔があふれちゅう。人と竹が自然体で付き合っているからやろうか?変に肩肘張ってやりゆう所がないし、このワイワイした感じは何かを思い出させてくれるがです。どこやろうか?いつやろうか?
そうぜよ、分かったぜよ。自分が生まれ育った縁側のあった自宅の土間そのものちや。母がおって、祖母がおって、住み込みで働く若い職人さん、祖父が帰ってくる、父が帰ってくる、薄汚れたテーブルクロスに、質素な小さいパイプ椅子、けんど活気と笑い声がいつもあった、裸電球ひとつの狭い土間がここに蘇っちょります。
古き良き日本が忘れかけちゅう竹との関わり、人との関わりがあるように思えて、まっこと(本当に)嬉しくなりました。気候も暖かいけんど、人も温かいぜよ。台湾でも高名な竹作家と言われゆう方も、竹の生活雑貨を製造されゆう方も、竹材を扱う方も皆さんが同じ所で話してくれゆう。
実はいつも聞く訪ねる質問があるがです。
「どうして竹をされゆうのですか?」
竹に囲まれ竹と歩んで来られた黄さんは、なぜ竹を始めたか、そんな昔の事は覚えてない様子ですが、竹のお陰で沢山の人に恵まれ、自分が活かされちゅう事に満足されている、そんな思いがヒシヒシと伝わってきましたぞね。
何とありがたい事に作品集を贈呈いただける事になったがです。立派な木箱に竹編みのをはめ込んだ重厚な凝った作りの品、ズシリと手に重たいのは黄さんの長い竹人生が全て詰まっちゅうきですろうか。蓋を開けて拝見させて頂くと本のタイトルには「有節人生」とあります。竹は筍からたったの3ヶ月で20数メートルの大きさになります。急いで成長したものは時として軟弱な事がありますが竹は違うがです。
竹には節があり、その一節、一節を大切にしながら大きくなるので、どんな強風が吹いても、柔軟にしなり折れる事はありません。真っ直ぐに天を目指して伸びる清々しさには、どこまでも硬い剛の部分と、柔の部分を併せ持つ竹の強さがあります。まさに「有節人生」、この黄さんのような生き方を自分もできるろうか。これからの生き様が問われゆうに思えて気が引き締まる思いやったがです。
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