竹皮おにぎり弁当

竹皮弁当


竹皮と言うのは、ご存じの通り筍の皮の事ですぞね。初めて聞かれる方はもしかしたらビックリされるかも知れませんけんど、竹は1日に何と120センチも伸びる事がある脅威の成長パワーをもった植物ぜよ。この不思議な生命力には昔の人々も注目しないはずが無くて、古くより神事などにも多用されてきたのは、こういう理由からながぞね。


まあ、それはさておいて、筍がドンドンと成長していく過程で竹皮を脱いでいきます。それを集めて天日干しし加工していくのがいわゆる竹皮で、天然の抗菌性、消臭性、通気性に優れている上に、以外かも知れませんけんど丈夫な素材なのでおにぎり弁当などを包むのには、こんなに良い素材は他にはありません。お若い皆様や、はじめての方などには「もしかしたら、難しいのでは?」そんな風に敬遠される方もおられるかも知れませんけんど、是非こちらの国産竹皮使い方をご覧くださいませ。本当に簡単で手軽だと言う事がお分かりいただけるハズぜよ。


竹皮おにぎり弁当作り方


乾燥させた竹皮はゴワゴワして硬そうな雰囲気です。けんど竹皮草履など編む時にも水に戻してから使いますが、まるで、しなやかな革かと思うような手触りぜよ。竹皮弁当に使う場合には、そこまで水に戻すことはせずに多少しなやかになる程度で十分なのです。


竹皮は縦に繊維が走っちょりますので、簡単に手で細く裂く事ができますちや。その細く裂いた竹皮を紐にして最後の仕上げには縛って頂きますと便利ですし、しかも見栄えも最高ぜよ。これも竹皮が強いので切れるような事もなくしっかり結べて、実際されると思うより意外と簡単やと思われますぞね。


竹皮おにぎり弁当


天気の良い日など外でのお昼ご飯は気持ちがエイものです。はじめての方でも、まるで料理の達人のような演出ができる竹皮おにぎり弁当を取り出して、竹皮の紐をときます。そしたら美味しそうなオニギリがドン!これは楽しい一日が、さらに盛り上がる事は間違いないがです。もちろん、行楽や屋外の食事だけではなくて、繰り返して使える経済性もありますので、日頃のランチタイムに気分を変えてお使い頂くけますろう。


ずっと日本で愛されてきた竹皮弁当です。竹の出番が少なくなりつつある現代ではありますが、竹皮は高級ブランド牛や、特別な和菓子だけのものではありません。国産の本物こそ、ご自宅使いとしてご愛用いいただきたいと思っているのです。


竹虎カレンダーの季節

竹虎卓上カレンダー


いよいよ今年もこんな季節になりましたぜよ。こんな季節とは来年の卓上カレンダーを制作せねばならない時期いう事ですぞね。毎年、その年に新しく登場させて頂いた竹製品を選んで作りよりますが、今年は少し趣向を凝らしてみましたちや。


どんな風に趣向を凝らしたかと言うと、いつもは担当社員一人が14種類のニューフェイスを選んでカレンダーにしますが、今年は数名の社員にそれぞれ自分の選ぶ14枚を出してもらう事にしたがです。カレンダーに選び出す商品という事は、それなりに思い入れがあったり今年を象徴するというと大袈裟ですが、代表選手のようなもの。ある意味、それぞれの商品にしたら年末の新人賞のようなものぜよ。それぞれの社員の見方の違いや考え方があって面白かったがですが、一つの同じ商品であっても数十枚の写真があって、どのカットに決めるのかと言うたら、かなり悩むところやと思うがです。なので全く違う写真の場合もありますし、選び出してみたら結構同じような写真を選んでいたりもしちょります。


そうやって出揃うたカレンダー候補の一枚一枚を並べて、最終的にどれしようか?と決めていくのですが、それぞれの竹たちに愛着があり、製作いただく職人さんの顔も浮かんできますぞね。ズラリと並んだ写真の中に、ここには候補としては出ていない商品まで思ったりして、実はなかなか決めかねてしもうたがですぜよ。


こんな事をしながら今年も制作する事になった卓上カレンダーです。2015年分は今まで以上に素晴らしい出来映えになるがではないろうか。そう期待して、こじゃんと楽しみにしちょりますぞね。


はじめての竹籠入門

スズ竹水切り籠


竹籠や竹ざるは昔から身近にあったものですけんど、ここ数十年の間に急速に使われなくなって、若い方達にしたら縁遠いものになったのかも知れませんぞね。けんど、だからと言うて何ちゃあ肩肘張る事はありませんちや。もともと毎日の生活の中でお母さんも、そのお母さんも、その又お母さんも使いよったものです。


これは実際に使うてみたら良く分かっていただけるかと思いますが、竹籠がひとつ台所にあったら、まっことそれだけでなんか今までのキッチンと違うて見えて来るきに不思議ちや。これが自然素材の力というものやろうか?日本人と竹は長く深い付き合いなので何か通じ合うしっくり感があると思うちゅうがです。若い方にもスズ竹水切り籠など是非使うてもらいたいがぜよ。


けんど、何に使うち?


正直どうやって使うてもエイがです。思いやりを持って使うてくれたら他にルールは無いがやきに、自然素材なので湿気には気をつけて、使うたら良く水切りして風通しの良い所に保管する、それだけ。野菜や果物を竹籠で洗うたら一味違いますぞね。


籐巻椀かご


食器籠としても竹籠は多用されよりました。昔は大きな椀籠などもありましたし、一家の人数も多かったので親戚などが集まれば普通は野菜干しに使うような大型の竹ざるも使いよったにゃあ。けんど椀籠はやはり足付きで底の通気性がよく、食器が乾燥しやすい作りになっちゅうのが本物ぜよ。作る事のできる職人さんが少なくなりつつある竹籠ですけんど、こんなエイものは出来る限り大事にしていきたいと思うちょります。


スズ竹四ツ目籠


野菜籠としても竹は大活躍しますぞね。冷蔵庫などは何処のご家庭でもあるかと思いますけんど、野菜は何でもかんでも冷蔵庫に入れて冷やせばエイものではないようぜよ。原産地が温かい地方の野菜は冷蔵障害というものを起こすそうちや。たとえばジャガイモ、ナス、かぼちゃ、ピーマン、玉ねぎ等、家庭で良く使う野菜でも結構多いがです。冷蔵庫以外で保管するというたら、やっぱり籠にでも入れちょきたいですろう。特に玉ねぎ、にんにくなどは湿気が嫌いやそうですぞね。手付き籠などに入れて吊しておくのが一番良い保管方法ながです。


別に吊すワケでもないですが手付き買い物籠や角籠など、野菜籠代わりにして片隅に置く事がありますが、野菜籠として竹ほど似合うものは他に無いにゃあ。このスズ竹四ツ目籠らあもどうですろうか?イキイキとしよりませんか?いつも、見るたび、そう思いよります。


竹スピーカー

竹スピーカー


竹林に登って行って腰をおろすと、スッーと風の通りぬける音がサラサラと竹葉の音として聞こえてきます。遠くからは楽しそうな小鳥のさえずりの声。ここにおったら自然の音が心地よく聞こえて来て、何とも幸せな気持ちになってくるのですが、これは竹林の無数に生える竹に音が反響し合い、脳波からアルファ波がでてリラックスした状態になるからだそうです。青々とした葉や凛として立つ清々しい竹の姿など、見た目にも気持ちが良いだけでなく、耳からも大いに人を癒してくれる竹の素晴らしさを感じますぞね。


そんな竹を使うたスピーカーと聞いて、実は今まで何度か拝見したり試作したりした事もある竹集成材を活用したものがまず頭に思い浮かんだがです。ところが今回の物は自然の竹そのものを使うたスピーカーと言います。随分前に拝見したことのある丸竹の稈部分にスピーカーを取り付けた、ユニークなプロトタイプを思い出しちょりました。


竹スピーカー


そもそも音に凝る方は思う以上に多いのではないですろうか?特に男性の方が多いように感じますけんど、その趣味が高じてきますと自分だけの好みを更に追求されて、今度は自作のスピーカーで音を楽しまれる方もおられるようですちや。


開発者の梅田さんは元々は電機メーカーで勤められていた方で、音に関しては強いこだわりを持たれちょります。そんな方が、まず聴いてくださいとスイッチを入れた瞬間、


「ええっ!?これが竹から出る音...!」


まさに絶句するような美しさながです。普通のスピーカーは、綺麗な音質であっても、そのスピーカーから出ているという位置的な限定感があるものですが、竹スピーカーの場合は、ボーカルの人がそこで唄っているかのような、臨場感あふれる自然な音、生きた音というがですろうか?そんな音が飛び出してきて、まっことビックリしましたぜよ。


竹スピーカー


いつもお話させて頂くように竹は丸くはありませんぞね。どの竹も少し楕円だったり、歪みがあったりしていますが、その竹の特性が、この素晴らしい音にも関係してちゅうそうぞね。


竹なら恐らく凄い音やろうにゃあ、実は、そう思いながら来たのですが、ちっくと想像以上やったぜよ。さすが竹は、やっぱり底知れない力持っちゅうにゃあ。まるで孟宗竹の林に腰掛けたかのような錯覚する覚える。竹スピーカーの林が目の前にあるがです。


真っ赤な竹イヤリング

竹イヤリング


ちょっと目のさめるような真っ赤。これは一体何やろうか?金具を見ればすぐに分かるものなのですが、実はイヤリングながです。


もう随分前に作られてそのまま棚に仕舞われちょった品。そう思うてみたら色合いは、どことなくレトロな感じがしてきますぞね。先端に付けられた銀色の金具が花びらのように見えて、昔のアクセサリーとは言うたち、今でも全然お洒落に楽しめる逸品やと思うがです。


竹イヤリング


竹のアクセサリーが、こじゃんと人気の時がありましたぞね。ご覧のようにイヤリングも同じ形でも、彩り豊かなバリエーションが沢山が作られちょりました。それこそ、竹虎でご紹介しよります竹ブローチはじめ、竹のネックレス、髪留め、竹ベルトなど身に付けるものだけではなくて、身の厚い孟宗竹を削り出して丸型や楕円型など様々な大きさにしたものを繋ぎ合わせて作るセカンドバック、ハンドバックは斬新なアイデアや手頃感などもあったのか、大流行しちょった記憶があるがです。もしかしたら虎竹の里だけの事かも...?いやいや、製造元も大忙しの毎日やったと言うことですので、自分達の周りだけではなかったようですぞね。


イヤリング


竹の一つの特徴として加工のしやすさや素材の身近さなど、ずっと日本人と深く関わってきた竹の特性がありますが、軽くて、肌触りが優しいというのも大きな特徴の一つですろう。職人さんの少なくなった今となっては、竹アクセサリーの製造技術は幻のようにも思ってしまいますが、匠の技を今に伝える数々の竹細工が、華やかだった竹の時代を語ってくれるがです。


竹虎ロゴマーク入スマホスタンド

竹虎ロゴマーク入スマホスタンド


竹虎は大阪天王寺での創業から今年で120年になるがです。まっこと一口に120年と言うたち、本当に多くの方のご愛顧があってこそ、運良くこんなに長く竹屋をやらせていただきゆうと心より感謝しちょります。


大阪の工場が太平洋戦争の空襲で焼けてからは、疎開先でもあり日本唯一の虎斑竹の成育地でもあった、高知県の虎竹の里に本社を移し地元の皆様と一緒に手と手を握り合うて、ずっと竹の商いをさせてもらいゆうがです。株式会社にしたのは63年前のちょうど10月。そんな縁があり今月は竹虎でのお買い物をしていただきました一部の方に、竹虎ロゴマークと創業年である1894年と刻印を入れた虎竹スマホスタンドをプレゼントさせてもらいましたぜよ。


63年にちなんで63個限定でしたが早々になくなり、社員一同感謝しちゅうところです。携帯電話はこれからドンドンとスマホばかりになってくると思います。スマホスタンドなど、そんなに使い勝手のよいものではない、使う人は少ないのでは?とも言われちょりますが、実は何を隠そう自分自身がスマホの定位置としてスマホの休めるソファのような感覚で毎日使いよりますので、同じような方もおられるのではないかと思うて製作したものでもあるがです。


いつもの場所というのは大事ですろう。何かあっても、常にそこに戻る基本のような所、少なくとも、何処に置いたか忘れてしもうて探すような事はないがですぞね。 


おにぎり用の国産竹皮

竹皮おにぎり弁当


竹皮は天然の抗菌作用のある身近で丈夫な素材でしたので、古来日本ではずっと食品の包装材として使われてきたがです。今でも中華料理などで竹皮包みのチマキを見かけますが、あれだけの高温、高湿度に耐えるゆうたら、モノのない時代には、こじゃんと(とても)重宝されたはずですぞね。


さて、そんな竹皮ですが現在では竹皮製品などと言うても、日本での製造と言えば、もうそんなに多くはありませんぞね。多くは手間のかかる職人仕事ばかりですので、もっと安価で機能的な新素材が出来れば、そちらに変わっていくのは仕方のない事ではあるかも知れません。ただ、竹虎の場合は昔ながらの製法をずっと守りゆう竹皮草履や竹皮下駄、スリッパなど履き物類。そして竹皮の弁当箱など、それでも多少の竹皮製品がありますので、今までも、おにぎり用として、お弁当用としての国産竹皮へのお問い合わせは何度かあったがです。


ところが草履に使う竹皮と食品の包装に使う竹皮は少し違いがありますし、お問い合わせも、そうそう頻繁にあるものではありませんので、実は国産竹皮の最後の一大産地と言うても良い、四国にありながら竹皮自体の事についてお話しできてこなかった事を反省しよります。まあ、それだけ身近にあって毎日見ているという事もあったがです。


竹皮職人


四国と言うても食品包材用の竹皮はお隣徳島県が本場です。高知の山間から流れ出し徳島の海に注ぐ吉野川流域を走ると、その川沿いには見事な護岸防災用の竹林が広がっちょりますが、徳島も竹の多い土地柄、そんな豊かな自然の中で、竹皮は専門の職人さんにより集められ加工されていきよります。


「阿波もの」と職人さんが誇らしく語る時には顔が輝いちゅうぜよ。こんな表情を見るのが自分は大好きやけんど、節間が長く美しい事で業界では名前の通ったブランド品として、確固たる地位を確立してきたと言われるがです。竹皮草履職人とは又違う竹皮職人の意地とプライドが、かたくなに伝統の竹皮を守りよって、まっこと嬉しゅうになるちや。


ところがです。同じ素材、同じ伝統、同じこだわりの竹皮ですが、これが同じ竹素材でも向き合い方が、これほど違うのだなあと思わせてくれるがです。まず、「あらもの」と呼ばれる竹林から集めて軽く乾燥させた竹皮を、工場で長さ別に7種類に選別する事が熟練の業師の仕事はスタートぜよ。キズやシミ、汚れへの徹底した管理は唸るほどぞね。


「これは使いものにならない」


そう言われて選り出される竹皮も違いを見極めるのに苦労するほど、元々竹皮表皮には斑点のような模様があるのです。裏側に透けて見えることもあって、その模様とシミとの区別が付かない事があるのです。しかし、そんな竹皮の内側部分、白くなっている方のシミなどは、ほんとの少しでも見逃さず3割もの竹皮が使えないのです。竹皮を加工製品にする場合、草履などでも弁当箱であっても、竹皮内側の色合いは全く気にしていませんので、普通なら一級品として材料に使えるものが捨てられゆうのです。


平たく伸していく工程も昔から少しづつ改良して、今のスタイルになっちゅうそうですが、乾燥するとスルメのように丸くなりたがる竹皮を、一枚、一枚丁寧に伸ばして行く工程があり、そして、最大の山場の神業のような熟練職人の仕事ぶりがあるがです。


その神業とは何と平たくのした竹皮を、1センチ刻みで12種類に選り分けるという仕事。ところが、職人さんの腰をおろした前には仕切りもなければ、サイズを測るようなものは何ひとつありません。何もない板の上にサッサッと大きさを見極めて置いていきよります。最初は全く分かりませんが、竹皮がある程度の高さに積み上げられると、何とビックリです、竹皮の端がそれぞれピタリと揃うちゅうぜよ!12種類もの幅に選り分けているのに、どうしてやろうか?長い経験がないと絶対にできない職人技に感激するがです。


一枚の竹皮にも実に沢山の職人がかかわり、長い時間と手間をかけ作られているのがお分かりかと思います。しかし、これだからこそ国産有名ブランド牛の包材や、こだわりの羊羹屋さんなど本物でないといけない店舗様用としてずっと活用され続けているがですろう。


虎竹エッグスタンド

虎竹エッグスタンド


前に何かの本で読んだ覚えがあるがですが、ある方の自宅に伺った時に食卓にエッグスタンドがあって、それを使いながら、ゆで玉子を食されているのを見て、「ああ、やはりこの方とは生活レベルが違うなあ」そう感じたと書かれちょったような気がします。


随分昔の事ですので、その時には、そのような、ゆで玉子を食べる道具まであるのだなあ...?まっこと知らない事ばっかりやにゃあ、そう漠然と思った程度でしたけんど、今回、日本唯一の虎竹を使うてエッグスタンドを製作するにあたり、はじめて一体何なのか?どんな風に使うのか?考える機会を得ましたぞね。そもそも、自宅で毎日でも普通に使っている物であれば分かりやすいですけんど、ゆで玉子は好きなのでたまに食べる事はあるものの、テーブルにコンコンとして手で皮を剥き、そのまま食塩片手に一口か二口で食べてしまいます。エッグオープナーなる玉子の頭を切るような道具も、見た事はあっても使うた事などなかったがです。


虎竹エッグスタンド


最初は手探りで創ってみたものの、よくよく考えたら卵には、それぞれサイズがあるのでした。スーパーに行くとMとかLとか書かれてちょりますぞね。そんな事も考えながら、少し大きめに創りすぎていた形を最終的には本体を絞る形にしてサイズも落ち着きましたが、作りはじめの頃には玉子が竹編みに沈み込みすぎて、本来の使い方としたら少し使い勝手は良くないかも知れないにゃあ。そう思う物も沢山編み上がってしまいましたぜよ。


まあ、しかし虎竹エッグスタンドとしてだけでなく、例えば、たまの朝食に生卵をこんなのに入れて出してみるとか、食卓以外でも何かアイデアで色々とお使いいただけそうですし、ちょっとした遊び心のある竹細工としてエイのではないですろうか。


竹ブローチプレゼント企画

竹ブローチ


自分が実際に見聞きしたものでなくとも、最初の出会いから何か違う物を感じる事は多いですろう。竹と日本人には、まさにそんな物が多いと思うがです。長い歴史と密接な関係があって、ここ数十年急速に竹が忘れられちゅうという話は何度もしよりますが、それでも忘れ去られていないところが、やっぱりあるはず。今回の竹ブローチでも、そんな事を多々感じよりますぞね。


そんな昔とはとても思えないのですが、何と60年前にデザインされ形や色合いを変えながら、ずっと作られ続けてきた竹ブローチです。斬新なデザインや繊細さから竹虎のお店でも大人気となっちょりました。昔の陳列ケースの主流は長さが180センチくらいのガラスケース。中には同じく透明感のあるガラスの棚が二段付いてましたが、その棚に所狭しと色とりどりのブローチが並んでいたのを覚えちゅうがです。当時は観光バスで一時期に沢山のお客様がご来店されよりましたが、ガラスケースの前には女性の方の人だかりがいつも出来ていました。しゃがんでケースをのぞき込む方、試しに付けて鏡の前に立つ方、まっこと賑やかかりし頃の事を懐かしく思い出しますぞね。


竹ブローチは、いえいえブローチだけでなく、当時は竹のネックレス、イヤリング、ベルトなど色々ありましたが、若かった頃の祖母や母、あるいは店員さん達も好んで付けちょりました。自分達には、そんな懐かしい思い出が一杯詰め込まれた品ですが、今まで知らなかった皆様や若い方には、もしかしたら全く新しい感覚でご覧いただけますろうか?それとも、レトロな雰囲気の中に日本人の美意識を感じてくれますろうか?


すでに沢山おられた職人さん達は高齢化されて、新しい製品作りは困難になっちゅう竹ブローチたちです。今回は、在庫限りで販売できない非売品を、それぞれ1名様に差し上げたいと思いプレゼント企画させてもらいよります。


一点限りのレアな竹ブローチプレゼント応募こちら



干支の竹未

干支の竹未


竹の造形で自分が注目するものの一つに竹人形がありますぞね。古くさいのか、庶民的過ぎるからなのか、飾り物という特殊ジャンルからか、あまり耳目を集める事はない竹製品ながですが、これが竹の節、稈、小枝など竹素材を良く知りつくしちゅう。そして、また表現する対象物自体をも良く研究されたて作られた、一つの完成されたアート作品のように思い、いつも感心して拝見するのです。


代表的なものに阿波踊り竹人形がありますが、竹の小枝は熱を加える事によって自在に曲げる事ができますので、踊り子の表現も実に多彩になっちょりますぞね。凄いと思うのが竹節の使い方で、腰の部分に持ってくると、ちょうど帯を巻いているように見えるし、踊りは手先の見せ方が大事ですけんど、この手先の表情を実によく特徴をつかんで躍動感を出すのに成功しちょります。また、足元に使うたら使ったで、まるで下駄を履いてるようちや。


こんなに小さく、色も自然の竹の色合いそのままなのに、いやいや竹の色合いそのままだからこそエイのかも知れませんちや。見る人にとっては、かえって迫力がリアルに伝わるように思います。隊列を組んで練り歩く様子が実に見事ながです。


来年の干支は未ぜよ。この竹未には激しい動きを感じさせるものも、力強さのようなものもありませんけんど、その代わり未らしい、もの静かな毎日変わらない事の幸せを何やらホンワカした雰囲気で伝えてくれよります。


これも、竹素材と職人の手業だからこその商品ですろう、のっぺりしそうな白竹を羊の特徴をよく把握して表しちゅう頭の部分の削り込みもや、角のあしらいもなかなか絶妙です。眺めよったら癒されそうな来年の干支、ひとつ玄関飾りにでもしてみろうかにゃあ。2015年の干支はつい、そんな事も思わせてくれるようですちや。


真っ黒い竹炭バーガーとは?

バーガーキング竹炭バーガー


竹炭パウダーをご存じですろうか?簡単な話しが竹炭を微粉末にしたものの事ですぞね。十数年前やったら誰も知らんかったと思います。ところが、竹炭が燃料として以外の価値がある事が広く知られて、それまで圧倒的に有名やった備長炭に比べて数倍の機能があると分かると、知名度も人気も鰻上りになってしもうて今では信じられない気がしますけんど、何と竹炭や竹酢液の品不足となった時期があった程ながです。


丁寧に手作りしているモノ作りにとって、短期間に急に需要があるというのは決して有り難い事ではないですにゃあ。マスコミ等に取り上げていただけるのは、こじゃんと嬉しい事ですけんど、テレビの場合は一気にきますきに、作り手の方はしっかりと心しておかねば成らない事ですろう。ここで対応を誤ると、せっかくの認知度が逆効果になってしまう事もあるがぜよ。


竹炭の場合も爆発的な竹炭フィーバーは大変な事ではありましたが、ようやく落ち着いてから、すでに何年もの月日が流れ、山は静けさを取り戻し、前と変わらない生産風景となっちょります。あの嵐がやって来たような体験当時は色々ありましたけんど、それまでずっと見過ごされてきた日本の里山の大きな財産に、光を当ててくれたという思いはあるのです。


そして今ではすっかり竹炭が認知されて、消臭用、調湿用竹炭は普通に使われるようになっていますし、食品利用の方もどんどんと進んで、昔なら考えられないような大手コンビニさんで竹炭入り商品が並び、デパートや量販店に入っちゅうような一流ブランドの作る食品にも竹炭パウダーが使われるようになっています。


かつて「炭焼き職人さんには胃腸の悪い方はいない」そう、言われちょりましたがご存じでしたろうか?それはお腹の調子の悪い時には、炭をそのままガシガシかじっていたからなのです。なので竹炭微粉末は最近になって新しく出来たものではなく、実は昔から日本にあって民間療法的には重宝されてきた中の一つながぜよ。


少し前に全国誌の新聞に掲載されていたバーガーキングさんの竹炭バーガーは、期間限定販売が終了した後、再度人気があってか復活したものやそうぞね。竹炭入りの真っ黒パンにイカスミ入りの黒味ケチャップという、「黒」に、こだわったハンバーガーながです。まっこと職業病やにゃあ、こんな事を知ってしもうたら、四国に店舗が一つも無くて大阪まで行かんと食べられないと知っちょっても、どうしても行かずにはおれんがぜよ!


実はバーガーキングさん自体、名前は聞くことがあっても、今まで一度も行った事のないファーストフードのお店です。近くにないので仕方ないのですが、けんど、一口頂いて今まで食べたハンバーガー屋さんの中では、まっこと、本当にダントツで美味しかったですぞね!学生時代に大学近くの細い路地を入ったところにあった、手作りバーガーの店を思い出すような温かい手作りを感じましたちや。


竹炭は無味無臭で味には、そんなに大きな関係は無いので、もともとハンバーガー自体が素晴らしいがと思うがです。お近くにお店がある方は是非「竹炭」を体験されてみとうせよ。


最高に嬉しい賞状が届いたぜよ

福郎の額縁


今月10月5日に須崎市制施行60周年記念式典があり、竹虎が産業功労表彰をいただいたお話をさせてもろうちょりましたが、それを聞きつけて竹虎で中学を卒業以来ずっと働いてくれて、現在では既に退社されちゅう、ひとりの職人さんから額縁が届きましたぜよ。


額縁の絵にはフクロウが描かれちょります。フクロウは「福郎」とも「不苦労」とも書く事ができますので、大変縁起の良い動物として好きな方の多い鳥でもあるがです。苦労ばっかりしてきた竹虎を、ずっと見て来られた職人さんだから、せめて、ちっくとでも福が訪れるように、苦労せんようにと、そんな心使いですろうか、まっこと胸が詰まる思いですちや。


こんな気持ちのこもったステキな絵をわざわざ届けてくれるとは...。自分が物心ついた時には会社の中心として働かれていて、物静かながら大きな存在感のある職人さんやったがです。数十年もの長い間、勤務していただいた上に、退職されても竹虎を忘れずにいてくれちゅう事に感激して、つい昔の古いアルバムに手を伸ばしてみましたぞね。


竹虎職人


白黒の写真の中の若い日の職人さんたち。当時は朝早くから夜遅くまで交代制でやりよった頃ではないろうか?忙しくて猫の手も借りたい程の毎日の仕事の中で、良くこんな一時を写真で残しちょってくれたと感謝せずにおれません。竹虎の原点はここにありますろう、ここを忘れたくはないがです。


産業功労表彰受賞式


国会議員の先生まで来られちゅうような晴れがましい受賞式典やったがです。地元の主だった方も皆様お集まりいただくような中に、さすがに今日だけは、そんな格好はやめてネクタイでもせんかね?前掛けにタオルち恥ずかしい事ないがかね?母にも言われましたし、他にもそんな声もあった事は十分知っちょりますぞね。


けんど、どうぜよ?


産業功労表彰受賞式


自宅の横にあった倉庫の前で撮った竹虎の礎を作ってくれた職人さんたち、それぞれの格好はどうですろうか、前掛けにタオルではないかえ?地元の須崎市から頂く大切で重たい受賞やと思っているからこそ、自分は胸を張って、いつもの格好で行ったがやきに。


見てみいや。


もう一回、見てみいや。


竹虎の職人の白黒の写真。


こんな格好のエイ大人を見たことあるかよ?


自分が小さい頃からずっと憧れて憧れて憧れた前掛けとタオルぜよ。


台湾竹の旅2014年、最後は虎竹花籠

台湾耳かき工場


竹の現場は万国共通なのです。中国でも、韓国でも、ここ台湾でも、そして日本でも、一本一本太さも形も性質も違う竹は機械化が難しいので、どうしても職人の手仕事中心になるがです。製造された、ほとんどの製品が日本に来ているという耳かき作りの工場に始めてやって来たのですが、全然そんな気がしないのは、きっとそのせいではないかと思うがです。


耳かき職人


竹虎にも自分が入社した頃には本社工場で働く社員の他に、内職さんとして働いていただく方が沢山おったがです。自宅から離れられない職人さんもおられましたので、そんな方は家の納屋を改装したりして作業場を作り仕事されちょりました。


一方、こちら台湾の職人さんたちが耳かきを製造されているように、沢山の職人さんが集まってワイワイ言いながら竹の仕事をされていた作業場兼倉庫の仕事場もあって、材料を持って行く度に、職人さん自身が作ったお茶をいただいたり、懐かしいお菓子を食べながら話しをさせてもらったり、そうやにゃあ、けんど一番楽しかったのは何と言うても昔話ぜよ。昔話いうたち当たり前の事ですが、「カチカチ山」とか「ウサギとカメ」みたいな童話じゃあないぜよ(笑)。


虎竹の里の地域の話しや、竹の産地ならではの逸話、また竹職人さんの話しなどが多かったですけんど、そうそう、お年寄りの知恵に助けられる昔話もありましたけんど、実際に地元の高齢の職人さんの話しはタメになる事が多く、小学校卒業から10年も安和にいなかった自分には知らない事ばっかりで、とにかく興味深い話しがあって時間を忘れましたちや。


そんな調子なので台湾耳かき工場には行ったと言うより、むしろ戻って来たという感覚が近いですろうか。もちろん細かい製造工程など見たことなかったので勉強になりましたぞね。


台湾竹工芸


さて、昨日のブログでも言いましたが、台湾の竹は、どこでも笑顔がついて回りゆうみたいぞね。高級感のあるギャラリーのような竹専門店で行っても、素晴らしい竹工芸品に囲まれながら、やはり笑顔になる。皆さんが竹が好きで、ずっと竹に関わって来られた方ばかり。そんな事も大きな理由であるかも知れませんが、どこに行っても、もてなしてくれる美味しい台湾茶のせいもあるろうか?


ちょうど台湾の竹産地である南投県というのは台湾茶の産地でもあるそうで、滞在中は「鹿谷鄕」という地名を何度も聞きましたけんど、お茶好きなら知らない人のいない程こじゃんと(とても)有名なお茶の産地という事ぜよ。なるほど、そんな産地に生活される皆様なので、お茶にも相当のこだわりがあるがやろうか?兎に角、それぞれ入れてくれるお茶が、それぞれに美味いがです。


台湾茶


お茶の話しが出ましたけんど、台湾のお茶は、香りが素晴らしいし、小さな湯飲みに入れてくれて飲みやすく、一口で飲めるのですが次々とアツアツのお茶を入れてくれて、何かホッとすると言うか家庭的と言うか、ついつい長居をしてしまいますぞね。


台湾茶


ホテルではお茶の入れ方を教わり、呂先生にもお褒めいただきましたぞね。日本の茶道のように形式はないし気軽に楽しめるのがエイですちや。お土産に沢山頂いた地元のお茶は、せっかくなので習ったように入れてみようと思うて早々に茶盤と急須、湯飲みを買い揃えたがですが、一番のポイントは常に熱湯が必要な事ではないかと思うちょります。あの湯気がいつも沸き立っている感じがエイがです。なので使い勝手のよい注ぎ口のついた湯沸かしポットも必要やにゃあと思いゆうがです。


虎竹花籠


少し話しがそれてしまいましたけんど、やっぱり最後は日本唯一の虎竹ですぞね。お陰様で沢山の素晴らしい方に恵まれて、行く先々で香しいお茶をいただいて歓迎いただきましたけんど、自分にとっては、これほどの歓待は他には無いですろう。


まっこと、ふと横を見たら虎竹があるとは...。ここが虎竹の里から遠く離れた台湾であることを一瞬忘れてしまいそうになるほどに、虎竹の里の竹を手にする事ができてこんなに幸せな事はないがです。


台湾竹の旅2014年、有節人生

人間国宝、黄塗山さんを囲んで


台湾には黄塗山さんという人間国宝になられちゅう竹芸士の方がおられます。若い時から日本の竹を学び技を磨いて来られた黄さんに、この機会に是非一目お会いさせて頂きたいと思うてやって来たがです。


台湾テレビ局取材


訪ねて行った工房には人だかりが出来ちょりました。何でも、ちょうど今日は台湾のテレビ局が取材が入っているとの事で、もしかしたら黄さんが出演されるがやろうか?そう思いながら、しばらく拝見していたのですが、数人の竹作家の方が並んでそれぞれ紹介されているものの、黄さんは出られていない様子ながです。しかし、こうやってテレビカメラの前に並ばれる皆さんは、すべて黄さんのお弟子さんとの事でした。他にも高名な作家の方でも同じようにお弟子さんは沢山おられて、後から取材を受けられていた黄さんは現在台湾で活躍されている多くの竹芸士の大元のような方やと分かったがです。


黄塗山さん


「日本から来たの?」


黄さんの言葉は直接は分かりませんけんど、そのニュアンスには懐かしさを感じられゆうように思います。自分も何故か始めてのような気がしない不思議な感じで心地のよい時間を過ごさせてもらいましたぜよ。


黄塗山さん工房


それにしても台湾の竹は何処に行っても笑顔があふれちゅう。人と竹が自然体で付き合っているからやろうか?変に肩肘張ってやりゆう所がないし、このワイワイした感じは何かを思い出させてくれるがです。どこやろうか?いつやろうか?


そうぜよ、分かったぜよ。自分が生まれ育った縁側のあった自宅の土間そのものちや。母がおって、祖母がおって、住み込みで働く若い職人さん、祖父が帰ってくる、父が帰ってくる、薄汚れたテーブルクロスに、質素な小さいパイプ椅子、けんど活気と笑い声がいつもあった、裸電球ひとつの狭い土間がここに蘇っちょります。


古き良き日本が忘れかけちゅう竹との関わり、人との関わりがあるように思えて、まっこと(本当に)嬉しくなりました。気候も暖かいけんど、人も温かいぜよ。台湾でも高名な竹作家と言われゆう方も、竹の生活雑貨を製造されゆう方も、竹材を扱う方も皆さんが同じ所で話してくれゆう。


黄塗山さん


実はいつも聞く訪ねる質問があるがです。


「どうして竹をされゆうのですか?」


竹に囲まれ竹と歩んで来られた黄さんは、なぜ竹を始めたか、そんな昔の事は覚えてない様子ですが、竹のお陰で沢山の人に恵まれ、自分が活かされちゅう事に満足されている、そんな思いがヒシヒシと伝わってきましたぞね。


有節人生


何とありがたい事に作品集を贈呈いただける事になったがです。立派な木箱に竹編みのをはめ込んだ重厚な凝った作りの品、ズシリと手に重たいのは黄さんの長い竹人生が全て詰まっちゅうきですろうか。蓋を開けて拝見させて頂くと本のタイトルには「有節人生」とあります。竹は筍からたったの3ヶ月で20数メートルの大きさになります。急いで成長したものは時として軟弱な事がありますが竹は違うがです。


竹には節があり、その一節、一節を大切にしながら大きくなるので、どんな強風が吹いても、柔軟にしなり折れる事はありません。真っ直ぐに天を目指して伸びる清々しさには、どこまでも硬い剛の部分と、柔の部分を併せ持つ竹の強さがあります。まさに「有節人生」、この黄さんのような生き方を自分もできるろうか。これからの生き様が問われゆうに思えて気が引き締まる思いやったがです。


台湾竹の旅2014年

呂錦明先生


土曜日のブログで、アジアは一つの大きな竹文化圏やとお話ししました。今回、常に前向きに前進し続けゆう台湾の竹を見とうて来たがですが、以前から気になっちょりました会社様を調べてみると、竹が台湾でも南投県という地域に集中しちゅうという事が分かります。


ところが場所は分るものの突然行っても右も左も分かりませんので、どうしようかにゃあ...と困って居たところ、日本の竹研究の第一人者で、いつもお世話になっちゅう渡邊政俊先生に、台湾で竹の研究をずっと続けてこられた農学博士であられる呂先生をご紹介いただきましたぞね。


徐暋盛さん、李榮烈さん、陳靖賦さん


呂先生は日本への留学経験もある日本人かと思うほどの語学堪能のお方。けんど、自分の土佐弁が通じるろうか?心配しながら台北の空港まで取りあえず行きましたけんど、先生のご用意いただいたプラカードが不要なほど、お会いした事もないのに、すっと分かっていただき、まっこと、こじゃんと(とても)大助かりしましたぜよ。


どうして自分と分かったろうか?いやいや、この格好やったら分かりますろう。前掛けに「竹虎」と書かれちゅうし...ははは。


徐暋盛さん


昔から思いよった事があるがです。それは台湾の竹家具の事、どうしてこんなに竹ばっかりなのか?美しさがあり、重量感もあり、機能的であり、高名な陶芸作家である河井寛次郎が自宅兼工房におく竹家具を台湾の職人さんに頼んで作ってもろうたものが今も残っちょりますが、時代を経てうっとりするような色合いに変化しています。


日本でこのような作り方をしたら割れや虫害で、ここまで普及する事もないように思うがです。けんど、台湾では竹家具が生活に溶け込み、当たり前に使われちょります。自宅だけでなくて職場などでも多々見かけますので、それだけに人と竹との関係が密接で、それゆえの自由な、新しい、自分からしたら少し羨ましい気もするような竹が生みだされているような気がするがぜよ。


竹×陶器


最初にお伺いさせて頂いた竹作家さんの工房でも、まっこと見るモノ、見るモノが新鮮で楽しいものばかり。これは、やっぱり凄いにゃあ。今まで日本の竹ばかり考えてきましたけんど、日本を考える言うことは、海外を知らんとイカンがやにゃあ。田舎者ですので今頃そんな事を思いゆうがぞね。


竹泥除け


これは何ですろうか?実は自転車の泥除けやそうながです。不思議な模様にみえるのは水が外に弾かれる細工やそうぜよ。


竹の自転車というのが発売されちょります。更に最近では自分で組み立てる竹製自転車まであって、まっことビックリしてしまうがですが、毎年どんどん生えて、わずか3ヶ月で親竹と同じ大きさになる竹は、環境問題を考えても素晴らしい素材ですちや。よくよく考えたら自転車というエコな乗り物には最適素材と思います。けんど、細身の竹をフレームなどに使うと面白いと簡単に発想できても挑戦はできません。自分には伝統の竹がそのまま足かせになっちゅうかも知れません。


巨竹


竹材メーカーから、竹製品製造工場など大小数カ所お伺いしたただけで、それぞれの工場や展示場が広々として製品の種類も多くユニークで、台湾での竹活用が、いかに盛んかという事が分るがですが、ある大きな工場兼店舗で、こじゃんと(とても)太い竹に出会うたぜよ。


竹は元々は南方系の植物ですきに、温かい地方ではやっぱりサイズも大きいがです。こりゃあ、こんな太い竹は日本ではなかなかありませんぞね。巨竹という名前の竹やそうですが名は体を表す通りスケールが大きいぜよ。直径が30センチで高さが何と30メートル言うきに、実際に竹林に生えている姿と言えば見上げるような高さです。日本では大きい竹が有名な九州の孟宗竹も真っ青な大きさながです。


炭化竹


このように豊富にある竹を炭化加工されゆう工場もあるがです。台湾の炭化竹の製品は何かの機会に拝見したことがあって、ものすごく綺麗で印象に残っちょりましたので、実は、ここの炭化工場は、どうしても来たかった所のひとつ。社長さんとは初めてお会いしましたが、一度日本に来られた時に竹虎まで来れた事があるそうぜよ。


「あの時は、四代目は忙しくて話しをせずに帰った...」


笑いながら社長さんは言うがですが、まったく覚えがないがですちや...。そんないくら何があったとしても海外から来られたお客様を話しもせんと、お帰り頂くハズは無いがですきに、そう言うて色々話しをしよりましたら、


「ああ、間違えていました。別の会社さんでした」


そうですろう...まっことホッとしましたちや。


虎竹弁当箱


けんど、どうしてそんな勘違いをされるがやろうか?不思議に思いよりましたが事務所に入って、なるほどそれでかも知れないなあと思うたがです。研究熱心な社長さんは日本に来られてから竹を見たくて色々な所を廻られたと言いよりましたが、日本唯一の虎竹製品をお買い上げいただいちょりました。こんな遠くに来ても、これが虎竹の里の竹と分かるのは、まっこと何と言う幸せな事やろうかと感謝しましたけんど、社長さんは来日の際に台湾には無い虎竹を購入されちょったので、竹虎の名前を聞いた時に少し勘違いされたようですちや。


しかし、それにしてもまあ自分も初めて来たばっかりやに、オマンらあは随分前から海外旅行しちゅうがやにゃあ。そう言うて話しかけて又笑うがぜよ。


eコマース、Facebookページの書籍掲載

週刊東洋経済「eコマースの強化書」


お陰様で竹虎はどういうワケか色々なマスコミの方には可愛がってもろうちょります。イギリスのBBC放送にお越し頂いたのは、もう25年も前の事かと思いますが、その後は記録の残っている1998年の雑誌「サライ」さんから今日現在までで、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌掲載が何と329回ですぜよ!特にインターネットに本格的に取り組みだした2001年以降には、日本唯一の虎竹の事を広く知って頂く事ができて来たのか、記者やライターの方など人にも恵まれている部分も多かったのか、まっこと、こんな竹しかない遠い田舎まで良くお越しいただけるにゃあ。と、心から感謝しながらも恐縮するような事が多々ありゆうがです。


さて、そんなマスコミ掲載ですけんど、最近、また立て続けに書籍に載させていただく嬉しい機会がありましたぞね。自分達のような小さな会社では広告を出すような事は夢の又夢やきに、このような本に取り上げて頂く事でそれが広告のような効果が生まれ、一人でも多くの方に竹の事を知って頂ける機会になっちゅうと、本当に有り難く思うがです。


今回の掲載誌の一つは週刊東洋経済さん発行「eコマースの強化書」。ネットショップ大集合という事で28店の元気なお店が紹介されちょります。雑誌掲載の、もう一つのエイ所は同じく掲載されたお店様など、こうやって目にする機会があるゆう事ですろうか。勉強は昔から大嫌いですき、こんな時に他の会社様の事を学ばせてもらうがぜよ。インターネットの世界は自分のような田舎者には、流れが速すぎて、なかなか付いていけませんぞね。前までドックイヤーと言われていたのが誰が言うたのかマウスイヤー、15年分が1年の間に起こるいう猛スピード!?こりゃあ、無理ですにゃあ。


勉強不足で知らないお店様がいっぱい有る中で、竹虎は背水の陣で始めた老舗竹屋としての挑戦の事を話しちょります。目新しい事は何一つ無いですけんど、ずっと竹のように真っ直ぐにやっていきたいと思いよりますので、ただその事をお話しさせて頂いちょります。


技術評論社「Facebookページ販促&集客ガイド決定版」g


さらにもう一つは技術評論社さん発行の「Facebookページ販促&集客ガイド決定版」。この本では、お客さんやスタッフを登場させて「ヒトケ」を演出しようとか、運営者のキャラクターを全面に出すとか、そういう事が掲載されちょりますが、SNSで一番大切な事は、自分らしさという事ではないかと思うちょります。身の丈に合うた本当の自分達や竹の事を知って頂く事であり、何かを作るとか、ノウハウやテクニックなどあるワケではないがぜよ。


自分は前々から「インターネット=人」やと言うてきました。バーチャルな仮想世界だけなら分かりませんけんど、これからネットの世界は、ますますリアル化してくるがではないろうか?きっかけはインターネットやとしても、関心を持たれて虎竹の里までお越しいただく都会の方は増えよりますし、インターネットからリアル、そしてリアルからインターネットへ、このサイクルが益々進んでいくからこそ可能性を感じますし、本当の意味での地方の時代とも思うがですぞね。


こうやって雑誌などに掲載される度に竹虎はさもネットに特化した進んだ会社のように思われる方も、もしかたら居るかも知れませんちや。けんど、実際はインターネットなどの事は自分はあまり知りませんし、ネットでの技術競争なら都会の方が、やはり情報豊富ですので、太刀打ちする事はかないませんろう。


自分は竹屋です、自分にしか出来ない事、竹の事をやっていくだけぜよ。竹のように真っ直ぐに天を目指して行くけんど、もう一つ竹に見習うのは竹がそれぞれの竹同志が地面の中で手を伸ばし、お互いが握り合うちゅう事、支え合うちゅう事、助け合うちゅう事ぞね。竹は凄いですちや、日々教えられる事ばっかりですろう。


竹皮草履職人のワラ打ち機

まず本日は、国産竹皮草履づくりに欠かせない稲ワラを機械で叩く作業からご覧くださいませ。おっと、そうそう、この稲ワラも、もちろん地元のものですぞね。稲刈りを手伝う等して農家さんから分けてもろうたものながです。



ワラは草履の芯や鼻緒の芯として使用されます。このような機械を使うて勢いよく叩くことにより、昔は手でコンコンやりよった作業はなくなって、随分と職人さんたちは楽になってより効率良く竹皮草履作りが出来るようになってきたがです。


ワラ打ち機先端木部


先月終わり頃にもお話させて頂きましたように、この機械が出来る前は木槌で叩きよりましたが、機械になっても叩く部分は金属などではワラが傷むという事で木製となっちゅうがです。やっぱり自然素材には自然素材でないとイカンがやにゃあ。ただ、木部は使うごとに段々と磨り減ってきます。最初は長かったこの木部も、こんなに年期が入り短くなってきました。そろそろ交換せんとイカンようですぞね。


ワラ打ち機ゴム


更に打ち付ける下敷き部分のゴムも中央がへこみ、いずれ交換時期を迎えることになりますろう。この分厚いゴムは、思い出せないくらい前に職人さんの一人が手に入れたものを切り分けて使いよります。機械でも細かい部分はやっぱり手作りながですぞね。


台湾なのにニューヨーカー?

国立台湾工芸研究所


昨日は、虎竹バックニューヨーカーのお話をさせて頂きましたけんど、それならもう一つお話したい事があるがですぞね。日本の竹工芸は主に大陸から伝わってきたものが始まりで、それが日本の美しい四季や、最高の品質と言われる豊富な竹材。そして何より日本の美意識、感性が磨きかけ、長い年月を経て、周りを海に囲まれた日本独自の進化してきたと思うのです。


けんど、竹でアジアは深く深く繋がっちゅうと、ずっと感じてきました。九州の職人さんが父親から教わって昔から編む伝統の魚籠が、どうしてネパールで編まれた魚籠とソックリながやろうか?アジアの国々にある竹細工と日本の竹と言うのは作り方や形まで、とても良く似ていて竹文化はアジア共通ではないかと思うほどですぞね。


余談ですけんど高知では竹ザルの事を古老たちは「サツマ」と呼びます。今ではそのような呼び名をされる方は少なくなって、竹をやっている自分達の間でしか通じなくなっちゅう言葉です。けんど、これは竹ザルの技法が鹿児島から伝わったと言う名残ぞね。狭い日本でさえ、こんな交流があって呼び名にまで影響がある。こじゃんと面白いけんど、広いアジアで見たらどうですろうか?何かワクワクしてくる気持ちを抑えきれんなって来ますぜよ。


竹工藝 綠地球-2009臺日竹工藝展


そんな中でも台湾の竹というのは今までの竹を継承しながらも、常に果敢に新しい世界へ向けて挑戦されているように思えて、前々からずっと行きたくてしょうがない場所やったのです。そこで先月はじめて台湾にお伺いさせて頂く事ができましたぞね。


そして、ご案内頂いた国立台湾工芸研究所での事。研究員の林秀鳳さんが、手渡してくれた本を何気ペラペラとめくっていくと...


「ええっ!?なんじゃろうか...虎竹バックニューヨーカー!?」


虎竹バックニューヨーカー


思わず立ち上がって大声を出してしもうて、周りの皆様を、こじゃんと(とても)驚かせてしもうたのですが、ビックリしたのは自分の方ですぞね。初めて寄せていただいた台湾の、しかも国立の工芸研究所。どうして竹虎の商品がこうやって掲載されちゅうがやろうか!?


落ち着いて通訳の方からお話を聞いてみると、どうやら、台湾の竹工芸を推進していく上で、日本の竹工芸も研究されよって、両国の優れたデザイン、竹編みの作品を網羅しているようながぜよ。まっこと、このような公式の本に掲載いただけちゅうと言うのは、田舎の小さな竹屋の自分にしたら身に余る光栄ですけんど、こうやって竹が国と国とを繋ぎ、共鳴させる事により、また新しい時代を拓いていけるとしたら、どうですろうか?


ずっと続いていく竹物語、素晴らしい事やにゃあ。


60年の時を超えて虎竹バック ニューヨーカー

虎竹バック ニューヨーカー


小菅小竹堂さんの最後の回顧展とも言える「一日だけのミュージアム」。どうしてもお伺いしたかった理由のひとつ。それが虎竹バックニューヨーカーながですぞね。


今では想像も出来ない事ながですが、かつて日本の竹製品というのは欧米向けの輸出品のひとつであり。竹細工が大量に船に積み込まれ運ばれて行ったという歴史があるがぜよ。竹虎も初代宇三郎の頃には神戸にも竹加工場を持っており、ヨーロッパを中心に釣り竿用の竹を生産していた時代もありました。


余談ですけんど、虎竹の里でも最古老の職人の方などに、若い頃はどこで技術を覚えたのか?と修行先の話しを聞くと、何と「神戸」と答える方が何人かおられて、事情を知らない若い頃にはビックリした事があるがです。


「ええっ!?嘘ですろう、あのファッションの町でえ?」


今では竹のイメージなど全くないお洒落な港町ですが、かつては竹の一大生産地でもあり、船積みされてはるばる海外へ運ばれていく重要な集積地でもあったようながです。


それだけ違う遠い昔、違う時代のお話という事ですぞね。世界から見る日本製のイメージは高性能、高機能ですろう。ところが当時は今のような高い品質を求められちゅうワケではなく、安かろう、悪かろうと言う製品も多かったようですぞね。とにかく大量に生産して出荷する、そんな時代の中で、ニューヨーカーの原型となった竹バックは大がかりに製造され、国内の港から海を渡って運ばれていったそうなのです。


時は流れて現代になって、すでに、その当時の竹細工や職人さんはいなくなってしもうちょりますが、日本から数十年も前に運ばれ持ち主を何度か変えたであろう一つのバックを、何とニューヨークで提げて歩くアメリカ人がおったそうながです。それを見つけた方は知ってから知らずか、その飴色に変色した竹バックの造形に深く感銘を受けて、その場でご自分が提げていた煤竹のバックと交換してもらうのです。


事実は小説より奇なり等と言われますけんど、まっこと奇跡のようです。こうして何十年も前に太平洋を渡った竹バックは日本に里帰りするがぞね。そして、それを譲りうけたのが祖父の代から懇意にしていただきゆう網代編みの巨匠、渡辺竹清先生やったのです。何を隠そう渡辺先生は、ニューヨークの超有名宝石店T社のお仕事をずっと何年も続けてられていた経歴があり、これも縁を感じます。


そして、ニューヨーク帰りのその竹バックも、最初からバックの形をして自分の目の前に現れたワケではないのです。渡辺先生の工房にお伺いさせてもろうちょった時には、バックを180度開かせて平面のような形にして壁掛けとして使われていました。そのデザインの面白さに、たまたま自分が見つけて、お話を伺ったのが、そもそもの全ての始まり。その後、色々ありながら虎竹で復刻してもらったのが、虎竹バック ニューヨーカーながです。


これだけ目の肥えた職人さんや竹好きの方達を魅了する。すばらしい造形と美しいフォルムを持ちながら、10年一昔と言われるますが、もう50年、60年前もの大昔の事です。何処で聞いても関係者の方が誰も見つからず、量産されていたと言う製品化への詳しい成り行きは、ずっと謎やったがです。


ところが、この小菅小竹堂さん知ることとなり、色々と製作された竹製品などを見ていく中で、このニューヨーカーとそっくりな形のバックに巡り合いました。小竹堂さんが、産業工芸デザイナーとしてご活躍されよったのが、1948年から1958年の10年間。このバックが世に出た時期と合致しちゅうにゃあ...。


そう思いながら更に拝見していくと、1954年に十字編手提籠応用ハンドバックとして、ご自身が開発されたとあります。これは間違いない、ようやくニューヨーカーの源に辿りついたがぜよ。ちょうど今から60年前...。そんな昔に良くこれだけモダンで斬新な美しいバックが創られたものです。改めて先人の竹への取り組みに心から敬服するのです。


小菅小竹堂さんは、日本を代表される竹作家であり、生涯を通じて竹を創作され続けた方でもあられます。昭和52年(1977年)に神奈川県葉山町に工房を開かれちょりますが、その工房の庭先で写された写真にもこの竹バックが写っています。この時の竹バックはレプリカのようですが、原型は竹工芸の普及に尽力されていた新潟県竹工芸所技師時代のもの。そして、それを横の繋がりもあり同じように竹工芸に力を入れちょった、九州の竹関連施設へ技術提供して製品化されたのではないろうか?


いずれにせよ、この大作家の竹への思いは、消える事なく次の世代に引き継がれちゅうという事ですろう。竹の素晴らしい所は、この伝統の継承ぜよ。長い時間をかけて洗練され、完成された技ひとつひとつの全てにこのような物語があり、それぞれ先人の大事な心が宿っちゅうがですろう。


さて実は今、虎竹バックニューヨーカーはご縁あって、ニューヨークはブルックリンのギャラリーで展示されちゅう真っ最中ぜよ!里帰りした竹バックがお色直しして再度嫁いで行ったみたいですが、どうしゆうろうか?ちゃんとやりゆうろうか?少し心配になってきてますので、来月は花嫁の父親のような気持ちで会いに行きたいと思うちゅうところぞね。


誕生から60年の時を経て続く竹の物語。日本とアメリカと、まさに時間も距離も超えて、日本唯一の虎竹の里の竹が一体どんな表情を見せてくれるがですろうか?こじゃんと(とても)楽しみにしちゅうがぜよ。


小菅小竹堂さんの造形

小菅小竹堂作浦島


それにしても、小菅小竹堂さんの造形は魅力にあふれちょります。自分はどちらかと言うと一見簡素で無骨にみえる根曲竹などで設えた。花器などに、この竹芸士の方の美世界を見るような気がするがですが、作品をひとつ、ひとつ見ていくごとにタメ息が出てくるような、緻密に編み込まれた、気の遠くなるような時間をかけた大作もズラリと並びます。


銘を浦島という作品が展示されちょりました。父である小竹堂さんが同じ籠を二つ創り、ひとつは自分のために残してくれた。と今回の個展を開催いただいたと、息子である小菅秀顯さんが話されます。親子の絆を物語る逸品は巻き六ツ目編みという技法で編まれたちゅうがです。お父様が愛情を込めて残した玉手箱には宝物がいっぱい詰まっちょりますろう。


1小菅小竹堂作花器


展示用か何かのために、この形の竹籠は多数作られちゅうとの事ですが、綺麗に扇子を広げたようなデザインは印象的ですぞね。この花器が何個も並ぶ姿を想像したら、まっこと壮観ちや。どのような場所に置かれるつもりやったのか分かりませんけんど、華道家の方なら、さぞインスピレーションを刺激されるがではないろうか。


小菅小竹堂作叢苑(そうえん)


叢苑(そうえん)と銘のある竹籐編組花器に目を移しますぞね。あしらいを見てすぐに思い出したのが、同じ佐渡で創作活動を続けられゆう本間秀昭さんの作品です。佐渡島特有の言われている春先に生えた竹を、その秋に伐って使うメンヤ竹という柔軟性に富んだ竹がありますけんど、その竹のあしらいを彷彿させます。


この竹編みを制作されたのは1986年と言う事ですきに、佐渡から遠く離れた神奈川県葉山町の工房で編まれた作品です。もしかしたら故郷への思いなどもあったがやろうか、自分にはメンヤ竹に見えくる花器の大作やったがです。そうそう佐渡と言えば、この8月末にも再会させてもろうた畠山青堂さんは小竹堂さんの、ただお一人の内弟子に当たるそうちや。まっこと、ご縁の輪が繋がっちゅうことに感謝するがです。


小菅小竹堂さん銘


さて、こうやって作品を拝見させて頂きましたけんど、いずれの作品も1980年代から1993年頃にかけて制作された作品であり、小菅小竹堂さんが竹のプロとして活躍された時期の堂々とした竹たちぜよ。無理をしてでも東京までやって来た甲斐があったがです。自分も今日しかチャンスがありませんでした。このようなプライベートで、温かい展覧会に寄せていただけてつくづく幸運でした、竹の神様が又配慮してくれましたろうか?まっこと、ありがたい事ながです。


小菅小竹堂さんとアクセサリー

竹ジュエリー


小菅小竹堂さんとは、まっこと素晴らしい作家の方やったようぜよ。その作風からもただならぬ雰囲気を漂わせよりますが、とにかく竹への探求心は凄い物がありますぞね。父親である小菅竹堂さんには竹を師事した事はなかったそうですけんど、細工される姿を見て育ち多いに影響を受けられたと思います。そして、その後の竹、籐など様々な素材を自在に使い創作された作品には、小竹堂さんの独創性と竹への真っ直ぐな姿勢を感じとれるがです。


竹ペンダント


特筆すべきひとつに様々なアートやファッションとのコラボがあると思います。竹と灯りというのは、まっこと面白いものができますけんど、福澤エミ氏との「あかりシリーズ」では繊細な作品を創作し、ファッションデザイナー三宅一生氏とのコラボでは籐と竹で編まれた、一見すると鎧にも通じるような独特の竹スーツを創られちょります。そして、ヨーガンレール氏との交流や、ティナ・ラッツ氏とのコラボでは籐とクリスタルの、大人のおしゃれを演出してくれそうな渋いジュエリーを発表されているのです。


竹腕輪


鳳尾竹の腕環が展示されちょりました、その品のよさ、完成度の高さなどは、まさに各界の一流の方々との競演で磨かれたものではないかと思うがぜよ。作品は大作ばっかりと思いよりましたけんど、このような小さいけれどもキラリと光るセンスの良い小物類も、思いのほか沢山創られて来た事が分かるがです。


竹ブローチ


もう50年近く前の事ですが佐渡でお土産用に女性用のアクセサリーが、沢山作られていた時代があったがです。竹ブローチはその代表でしたが、ネックレスやバレッタ、かんざし等、軽くて彩どり華やかなアクセサリーは一世を風靡しており、遠くは九州まで販路を広げられちょりました。何を隠そう開店したばかりの竹虎本店でも、竹のアクセサリーは長く人気商品やった覚えがあるがです。


アクセサリーなどファッションに特有の世界を広げられたのは、才能豊かなデザイナーさんたちとの出会いがあった事は間違いありませんが、小竹堂さんも佐渡時代には竹細工でのブローチ作りを、ご家族総出でずっとされていたと聞いちりょります。主にお土産物として大量生産される竹細工を続ける中でも、ご自分にしか編み出せない極みの竹への道が、少しづつ大きく膨らみよったのかも知れないと思うがです。


小菅小竹堂さんと日本唯一虎斑竹

小菅小竹堂作花器


小菅小竹堂さんという竹作家の方を知ったのは昔の事ではありません。家系図を拝見させていただくと、竹工芸家の小菅竹堂(ちくどう)さんを父にもつ竹芸一家のお生まれで、7歳の頃から竹細工をされていたようです。産業工芸デザイナーとして、また、戦後からは新潟県竹工芸指導所技師として、竹工芸の普及に尽力され、日展などにも入選されるなど、竹芸士として活躍されて素晴らしい作品を多数残されちょります。


この華々しい経歴と作品を持たれている小菅小竹堂さんは、幻の作家とも呼ばれることもあるそうですが、海外の美術館やコレクターの方にも評価が高く、主だった大作が日本で見られるのは最後だと聞いて、息子さんの小菅秀顯さんが開催される「一日だけのミュージアム」に参加させていただく事にしたがです。


小菅小竹堂作腕環


室内に一歩足を踏み入れて、まず一番に目に飛び込んでくるのは、アメリカに運ばれて行くという逸品の竹編みかと思いきや、やはり日本唯一の虎竹を使うた作品達ながぞね。小竹堂さんは佐渡に生まれられ後に神奈川県葉山町に移り、工房を開かれちゅうがですが2003年にお亡くなりになるまで、遠く四国や高知とは縁があったようには思えません。けんど、それなのに虎竹を使うた作品があちらこちらに見られます。残念ながらお会いした事もない竹の大先輩であり巨匠であられますが、虎模様の美しさを認めてくれちょったかのようで、まっこと嬉しくなるがです。


「おまんらあ、凄い方に使うて頂いて幸せやにゃあ」


そう心でつぶやきながら見て回る中には、花籠や盛り器だけでなく意外に多くのアクセサリーもありますぞね。拝見させていただいたのは、小竹堂さんが創作された物の中のほんの極一部かと思いましたが、それでも、これだけ多種多様な作品を編み出せるのは、竹工指導所技師としての経験があるように思うがです。様々な竹を知り、竹編みを知り、またユーザーを知った。そんな数少ない竹芸士のお一人だったように感じるがぜよ。


小菅小竹堂作花器


堅牢さと高級感のある竹肌を併せ持つ鳳尾竹で編まれた掛け花籠の中に、虎竹のオトシが入れられちょりました。通常オトシに使う場合には竹表皮を薄く剥いで使うものですが、竹の見た目を考えてそのままにしちゅうがですろうか?


丸竹で使うと割れる事の多い竹ですが、この花籠のオトシは割れちょりませんでした。竹にも個性が大いにあって、割れやすいもの、割れにくいもの。いろいろありますが、こうやって年を重ねてきているのであれば、小菅小竹堂さんの眼力か、モノ作りへの執念か、いずれにせよ圧倒される迫力の展示に暫く目がまわるような錯覚を、ずっと押し殺しながらの鑑賞やったがです。


須崎市制施行60周年記念式典の日

竹虎四代目


その内職のおばちゃんは一人で仕事をしてくれよりました。朝でも昼でも夕方でも、いつ竹編みの材料を持って行ってもいつものモンペ姿に腕抜き、頭には手ぬぐいで頬かぶりをして一生懸命に手を動かしよりました。セミの声が鳴り響く夏は汗をふきながら、冷たい北風が吹く日には厚着して、毎日、毎日竹と向き合う真剣な表情を思いだすがです。考えたら、もう30年近くも前の話ぜよ。


玄関のチャイムが鳴って、「本日は、おめでとうございます」誰かと思うたら、あの内職さんの娘さんが笑顔で立っちゃある。高齢で来られないお母さんの代わりにお祝いを持って来てくれたがぞね。産業功労表彰を受賞させて頂く事になった須崎市制施行60周年記念式典で、今まさに会場の文化会館に出かけようとした所やったがです。


須崎市制施行60周年記念式典リハーサル


懐かしさと、嬉しさと、感謝で胸がいっぱいになりますぜよ。今回の式典は思うたより大掛かりで沢山の方が来られちょります。間違いがあったらイカンきにリハーサルも念入りにされゆうがですが、その間もずっと思いよりました。


竹虎はお陰様で今年120周年を迎えさせてもろうちゅうけんど、一体どれだけの方に支えられ、助けられ、今日という日を迎える事ができちゅうがやろうか?


須崎市制施行60周年記念式典舞台袖


いつも自分ばかりが明るいスポットライトを浴びゆうけんど、本当にあの舞台に立つべき人は他におるがやないろうか?


いやいや、あまりに多すぎてこのステージでは狭すぎるかも知れんにゃあ。だから自分が代表として行かせてもらうがですろう。


産業功労表彰を受賞


初代宇三郎が大阪天王寺から日本唯一の竹を求めて、はるばる須崎市安和の虎竹の里にやって来たのが100年前。よそ者と言われて相手にされなかった昔から、二代目、三代目、四代目とこの地に根をおろし、竹の商いを続けさせてもろうてきた。今日は、そんな竹虎の事を褒めて頂きゆう気がする、曾じいさんや祖父の苦労が報われゆう気がする。


竹虎四代目


「今日くらいは、ちゃんとした格好したらどうぞね?」


母はそう言うけんど、竹虎の前掛けには人に笑われるほど寝る間もないほど働いた祖父が作ったマークが入っちゅう。竹虎のタオルは、年末にはろくなボーナスも出せんけんど、そう言うて真っ黒うなって働いて帰る一人一人の社員に頭を下げて父が手渡しよったもの。


120年分とは言わんけんど、自分が知っちゅう志を同じくする人達と一緒に登壇するならこれ以上の正装は他にないがぜよ。


須崎市制施行60周年で産業功労表彰を受賞

安和の海


虎竹の里は日本で唯一虎竹という虎模様の竹が生育する不思議な里ぜよ。これは、いつもお話させていただく事なので、竹林だから当然山深い場所を連想される方が多いように思います。けんど、実際は来られた方が少し驚くくらい海も近く、すぐ目の前には安和海岸があり美しい太平洋を望む事ができて、かつては学生さんが遠足などにも良く来られた所でもあるのです。


海が近いというのは実は、この地域だけにある虎竹の成育にも、また、流通にもこじゃんと(とても)都合のエイ事やったがです。と言いますのも、海の潮風が虎竹の模様に影響を与えているのではないか?そう話される大学の先生もおられますし、又竹の品質管理にも恐らくずっと役だってきたと言われる熟練の竹職人もおられます。


そして何より、かつて藩政の時代には虎斑竹は土佐山内家への年貢の代わりとして献上されていたという竹でもあるがです。自分の小さい頃でさえ、この地の道路は未舗装で曲がりくねり、車の往来にも大変な苦労をする所やったです。それが江戸時代の土佐藩の頃となると更に細く、獣道に近いような場所さえあったのではないかと推察されます。遠く高知城下まで長尺の虎竹を運搬するのには、どうしたろうか?


竹虎四代目


それが、海運やったがです。ちょうど自分の写る後ろのあたりの浜辺から、虎竹を船で運んで行ったようながぞね。そう言うたら旧道から海に繋がる道がここにはありますので、山から運び出して浜辺に出しやすかったがですろう。ちなみに太平洋戦争が終わった直後の竹虎の工場も、実はこの辺りに借家をして操業を再開しちょります。


双子島


自分が小学校高学年の頃になると綺麗な国道が整備され、大型トラックやバスが行き交うようになりましたので、竹虎と安和海岸との関係はあまり感じた事はなく、小学校の校歌で双子島が出てくるくらいでしたろうか。


おっと、けんど今になって思うたら、その双子島の右手の磯の上に白く線のように見えるのはガードレール。現在の国道や近年ついた高速道路はトンネルの直線道路ですが、幼い頃には海岸線に沿ったこの細い断崖の道が自動車の走っていた唯一の道路ですので、虎竹の里がどれだけ交通不便な土地やったかと言う事が分かりますろう。


竹虎


さて、前置きが少し長くなってしまいました。実は明日10月5日(日)の須崎市制施行60周年記念行事で、会社組織としては、ただ一社だけ竹虎が産業功労表彰を頂くがです。このような晴れがましい60年と言う大きなイベントの中で、小さな田舎の竹屋である自分達が受賞させていただくのは、どうやろうか?創業120年の節目という事もあるかも知れませんけんど、こじゃんと(とても)戸惑いがありましたぞね。


けんど、すぐに思い直したがです。それは自分達が頂く産業功労表彰ではないと思うたきです。100年前、この浜に初代宇三郎が大阪から命を賭してやって来た。この地の風土が生み出す竹に魅入られた。二代目義治は、この浜で竹を干した。三代目義継が支え守ってきた。


その竹の浜で遊んだ自分達は先人の皆様のお陰で生かされちゅう。ずっと同じく竹の商いをさせていただき活かされちゅう。そんな感謝の気持ちを先人の代わりに代表して受賞いただこう。それやったら苦労に苦労を重ねて今の虎竹の里を築いた祖父も、歯をくいしばりやってきた父も、ほんの少しやと思いますけんど喜んでくれるがではないろうか?


台風が近づいて来ているようですけんど、初代宇三郎も、きっと空の上から見てくれゆう。明日は、そんな一日になりそうながぞね。


エコな座敷箒の理由

座敷箒


昔ながらの座敷箒が静かな人気を呼んでいるのをご存じですろうか?ダイソンなど吸引力と静かさを両立させた高機能の掃除機もあるなか、どうして今どき箒などと不思議に思われる方もおられるかも知れません。けんど、手箒の良いところは、まず手軽さです。思った時にコンセントなど差す手間もなくササッと掃除できること、そして、掃除が終われば何処かに引っ掛けるだけ、極めて手軽で面倒いらずという事があります。


また、都会で生活される方のお声で意外におおいのが「音」ぞね。いくら静かな掃除機と言うたち、箒より静かな電気掃除機はないですろう。周りの方に気兼ねなく夜遅くでも、朝早くでも掃除ができるから良い。そんな田舎の一軒家に暮らしちょったら、なかなか分からない。貴重なお声を頂戴して座敷箒が支持される理由を知ったりするがです。


最後に一番大きな理由があって、それが電気を使わない事ぜよ。ここ数年は節電を考える機会も多かったせいか、環境に対して真剣に考えられるお客様がジワリジワリ多くなっちょります。電気掃除機は当然ですが電気を消費しますので、日頃の掃除を箒に切り換える事によって、ちっくとでも電気を使わない暮らしにされゆうがです。


さすがエコな掃除道具と膝を打つのは実はまだ早いぜよ。確かに座敷箒など日本で昔から使われてきた道具は電気を使わず、環境の負荷の少ないエコなものと言うことができるかと思いますが、本当に凄いのはここからながです。


小さい頃、竹虎の工場に遊びに行くと作業場の片隅には、こじゃんと(とても)箒草の部分が短くなった手箒がありました。柄竹もボロボロで割れが入ったりして、この箒が何年も何年も使われてきたことを物語ったちょります。その時には分かりませんでしたが、後で職人に聞くと草の部分が長いうちには優しい掃き心地なので、室内でタタミを掃く。少しちびたり曲がった箒草の先を切ったりして、短くなったら板の間、それより短くなれば土間掃き用、そして、最後は庭掃き用として使い切りよったがです。


「もったいない」という言葉が日本の文化として注目されちょりましたが、こうやって日本人は道具と向き合い大事に使うて来たがぞね。江戸時代くらいの日本の暮らしは環境に配慮したエコな暮らしそのものやったと聞いた事がありますが、そんな生活道具の一つとして座敷箒があり、忘れられた時間を経て、また今こうやって光が当たるようになってきちゅうがですちや。


野菜を美味しくヘルシーに

雑誌「野菜だより」


高知は言うても園芸王国と言われちょりますし、周りにはお米を作ったり、野菜をしたりする農家の方も多いので、専業農家ではなくても週末に自分の田んぼや畑を耕す方も多いがです。職人や内職の方でも畑仕事をされゆう方がおられて、仕事に行く度にお米やら野菜やら色々頂く事もあり、まっこと有り難いがぜよ。


家庭菜園という言葉があります。学研パブリッシング発行の雑誌「野菜だより」には、そんな家庭菜園などで野菜作りを楽しむ方への、お役立ち情報が満載されちょりますぞね。そうやにゃあ少し前までやったら家庭菜園などは、自宅の庭の片隅を耕すというようイメージがありましたちや。


けんど、いつやったか観たテレビ番組では、今は自宅とは遠く離れた場所に畑を借りちょってから、週末には電車に乗って野菜作りにでかけるという都会暮らしのご夫婦を取材していました。普段は都心に勤めに行かれるご主人さんも、こじゃんと楽しそうやった。こうやってライフスタイルも少しづつ変わってきて、そんな中で、このような「野菜だより」みたいな雑誌も、多くの方が求められる様になるがですろう。


さて、自分で作った野菜やきに、一番の楽しみは、やはり食する事やと思うがです。頑張って作った野菜だから、出来る限り美味しい食べ方をしたい。それが人情というものですろう。そこで、この雑誌に掲載いただいたちゅうのが蒸篭(セイロ)ながぜよ。蒸し器を使うた料理は近年スチームフードなどと、格好のエイ言葉もありますけんど、どこが人気かと言うて、とにかく簡単、手間いらず、早い。そして、油など使わないのでヘルシーそのもの。何より大切なところは、それでいて、こじゃんと(とても)美味い!


秋冬の野菜と言うたら白菜、大根、ほうれん草、ジャガイモなど、色々とあるようですけんど、どれでもお好みの野菜を蒸し上げて柔らかくなったら食べ頃。胡麻ダレでも、ぽん酢でも野菜本来の素材の味をそのまま食せて、本当にこんなに簡単で美味しくてエイがやうろか?と思うてしまうがです。もしご存じない方がおられたら、是非一度お試しいただいたら、どうですろうか?


もう一つの竹人形

竹置物


佐渡の竹人形のお話をさせて頂いた事があります。シンプルな造形の中に踊り子の躍動感が伝わってくるような、竹を知り尽くした職人のセンスを感じて、まっこと嬉しくなってきますけんど、そんな竹人形とは、ちっくと作風の違うこのような竹人形もあるがですぞね。


佐渡島と言うたら、いつの頃やったか朱鷺(トキ)の繁殖で、度々ニュースにも登場して全国的にも、こじゃんと有名になっちょります。そこで主に観光で訪れた方のお土産品にしてもらおうと、竹を使うて朱鷺の置物を製作されゆうとの事やったかです。


さて、この細かい竹ヒゴが、繊細な線を描くのを見て何か思い出しませんろうか?そうぜよ、竹ブローチや竹バレッタなどに使われてきた技法が応用されちょります。先日もこの30年ブログでお話させていただいた竹ブローチを、改めてご覧いただいたら、まっこと納得いただけると思いますぞね。


佐渡土産


その竹人形には朱鷺だけの優雅なタイプの他に、佐渡おけさの踊り子が並んだタイプのものもあるがぜよ。楽しそうな踊り子を眺める朱鷺がユーモラスで、なんとも微笑ましい雰囲気に仕上がっちょりますが、こんな何でもないような竹細工ひとつにも、長い竹の伝統が息づいている事も知って欲しいと思うがです。


佐渡のお土産として、これ程ピッタリのものは無いように思いますが、机の片隅に置いてあるのを目にする度に、遠くに暮らしても自分達と同じく毎日のように、竹を手にする人達を思い出すがぞね。