自分の小さい頃には竹籠が台所に沢山あったというのは、よくお話させて頂く事ながですぞね。野菜や食材をいれる籠、天日干しする籠、お米を研いだり水切りに使われるのも竹で編まれた籠が大活躍しよりました。
そんな中に椀籠とよばれゆう洗った食器を乾燥させる籠があったがです。実は形も色々とあったように覚えちょりますが、どれも同じように底編みが四ツ目編みになっている上に、ちっくと上げ底のようになって底が接していないため、水切りが良くできるように工夫されちゅうという特徴があったがです。
竹表皮を薄く剥いで作る細工を「磨き」と言うがです。まっこと宝石でも磨く事によってあの素晴らしい輝きがあるようですが、竹もそれとと同じぜよ、表皮に磨きをかけると竹ならではのツヤツヤとした光沢のある内面に秘めた美しさが表れて来るがです。
熟練の職人さんが、この磨きの技を使い編み上げた椀籠は、まっことエイものながです。編み上がりを手にすると青竹の清々しい心洗われるような香りがして、このような籠に毎朝出会える事にすら喜びを感じてしまいそうぞね。時間が経つにつれ、人との関係でも似たような事があるように、その場所に馴染み、新鮮さは無くなるものの落ちついてきて、そこに無くては成らない存在感のある籠になってくる。今度は飴色になってきて渋みと深みが出てくるのです。
このような細工は、今後は沢山作られる事はなくて、段々と少なくなりつつあるものではありますが、自分があの竹籠達を見て何ともいえない心地良さを感じ、気持ちまで優しくなれる日の喜びを、このモノの持つ力を、誰か他の方にもお伝えできたらエイにゃあ。新しい竹への試みは全て、そんな何でもないような、自分自身の個人的な気持ちから始まる事ばかりながぜよ。ただ、それだけながです。
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