多摩のメカイの事を知ったのは割合、最近の事ながです。竹細工は昔から日本各地で大量に生活雑貨として使われてきましたので、首都圏で大きな生産地があったと聞いても別段に驚きはないがです。実際、東京の江戸川沿いにも篠崎ざると言うて、かっては竹籠などの一大生産地があり、幸運な事に最後の職人さんにも、お会いさせていただいた事があったのです。
大都会の東京にも竹籠を編む職人さんが何百軒もあったなどと聞きますと、ビックリされる方もおられるかと思いますし、それは江戸時代か明治あたりの大昔の事ではないろうか。そんな風に考えられる方もおるかも知れんぞね。けんど、まだ当時を知る竹職人さんがご健在なワケですので、まっこと日本の竹の長い歴史と言うのは、ここほんの数十年で大きな大きな曲がり角を曲がっている事を改めて実感するがですぜよ。
実はこの時に篠崎ざるの職人さんも話しをされていた。竹籠が数十枚重ねられ山のようになって何艘もの川舟で運ばれていったという、今では想像もできない光景を垣間見る事ができそうだと思うたら、まっこと居ても立ってもおられなくなって来ますぞね。
西日本ではあまり使われる事のない細い篠竹で編まれる籠ながです。よく耳にしていた多摩ニュータウンの開発が進む前までは、辺りには篠竹の山がいっぱいやったそうで、身近にある竹を使うての竹細工が発展するのは全国何処に行っても同じ事ぜよ。豊富な竹で農閑期の貴重な収入源としてメカイ作りがあったようです。
こちら多摩のメカイは地元の方は「メケイ」と呼びますが、篠竹(アズマネザサ)を使います。1年目の竹ばかり使うと聞いて驚きましたけんど、あまり日当たりのよいところの材料は硬く使いづらいので、半日陰くらいの篠竹が適度な柔らかさで使いやすいそうながです。虎竹はじめ竹細工に多用される真竹などは、3年目、4年目あたりの竹を使うので随分と違いますが、篠竹の1年竹は竹葉の付き方に特徴があり、比較的に誰でも見分けが付きやすく伐採も容易ではないかと思うがです。
かっては盛んに編まれちょったメカイ籠の伝統と技を守ろうと、地元で活動されゆう方々にもお会いさせてもらいました。はじめて竹に触れ合われる方や女性の方などにも、材料の見極めがしやすく細くて短い篠竹は、他の大きく長く、そして重たい竹材に比べると扱いやすい素材。身近に手に入りやすい素材でもあるのかも知れません。是非、そんな輪が若い方にも広がるとエイと思うがです。
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