つくづく何かに導かれちゅうと感じる事があるがです。自分一人では、とても考える事すら出来ないような偶然が重なり、この職人さんにもお会いさせてもろうたのは、ある暑い日やったぜよ。
道端で草刈りしていた初老の男性は丁寧に話してくれましたけんど、どうにも方言が強くて教えてくれた事の半分も分からずじまいでした。けんど、とにかくカンカン照りの太陽はまだ高いし、日暮れまでには何とかなりそうな希望を授けてくれましたきに、まっこと有り難かったがです、感謝しちょります。もしかしたら、あの方が姿を借りた竹の神様やったろうか?ちっくと馬鹿げているように感じるかも知れませんが、そんな事を思いたくなるような事が、この後すぐに起こるがです。
その道を、まっすぐに下ったところに、美しい緑をたくわえた大きな梅の木が一本見えちょりました。木の下には心地よい涼風が吹き抜けそうな木陰が出来ていて、その中で腰をおろして休まれている、お二人の背中が見えたがです。
思わず立ち止まったがは、ずっと探しゆう日置の箕と呼ばれる箕があったきぜよ!これは素晴らしく綺麗に出来ちゅう箕です。駆け寄って誰が作られたのか聞くと、何とご自分で編まれて、そして、自分の農作業用として使われゆうとの事ちや、別段変わった事もしていない、当たり前の事をしている。冷たい飲み物を口にしながらの、そんな淡々とした話しに思わず尻餅をついてしゃがみこんだぞね。
それ程に珍しいなら、これも見てみるかい?そんな感じで納屋から持ってきてくれたのは少し小振りの箕やった、「これは父親が作ったもので、自分も作り方を教わった」もう50年ものキャリアがあるという職人さんは、さすがに専門だけあって、まっこと箕作りの事となると声色が変わる。話し方まで違うてくるような気がしましたぜよ。
近年、箕作りがあまりされなくなり伝承されていないのは、そもそも使われる事が少なくなった事が一番の理由ですが、その他にも素晴らしい竹細工がゆえの訳があるようながです。それが、この箕には非常に多くの自然素材を必要としちゅうという事。中でも、どうしても必要な素材の一つ、桜皮があります。桜なら沢山生えているようにも思いますが箕の材料に使うがは山桜。一般的に良く目にする桜はソメイヨシノですが、ソメイヨシノは皮が薄いので昔から山桜しか使用しないそうながちや。
真夏の8月から翌年の2月にかけて微妙に時期ずらしながら、チンチクと呼ばれる竹材やビワの木、カズラなど何種類もの、山の恵みである素材を集めてくる大変さは、実際にやってみないと分からないものの、ちっとく考えただけでもかなり困難な事があるようにも思うたがです。材料の目利きにだけでも経験が必要で大変な上に、たとえば苦労して集めてきたビワの木をUの字に曲げて紐で止めて形をつくる行程には2年も掛けるそうぜよ。そんな手間暇があって、製造が難しいと言われる箕作りの技が加わり、ようやくあれだけの完成度の箕が出来上がるがやにゃあ。まっこと話しを聞くだけでも感無量になってくるがです。
職人さんが、おもむろに箕を肩にかけて立ち上がります。一体どうされたのかと思うたら、こじゃんと製造されていた昔には、十枚くらい重ねて縛った箕を、こうやって肩に担いで運んでいったものだそうながです。
不思議ぜよ、一枚しかないはずの箕が、一瞬、何枚も何枚も担いでいるかの様に見えるがぜよ。この日置の箕は、かって九州一円と更には中国地方にまで運ばれ、毎日の暮らしの中で使いやすく、丈夫な箕として、沢山の方に愛されていた道具のひとつちや。遠いその頃の活気が蘇ったような気がした。暑い午後の蜃気楼やったみたいぞね。
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