毎年恒例土用干しの便り

梅干しの土用干し


エビラ(竹編み平かご)をお求めいただいたお客様から、こじゃんと嬉しいお便りをお送り頂いたがです。それは、お届けしたエビラが大活躍しゆう梅干しの土用干しの様子ぞね。


土用干しはご存じですろうか?塩漬けした梅は天日干しする事により色合いも綺麗で、より美味しい梅になるそうながです。エビラだけでは足りずに簾を広げられて、その上にも一杯干しちょります。日に一度は裏返し全体をまんべんなく干すそうですので、これだけの量になると、まっこと大変ですぜよ。


梅干しざる


こんなに沢山、しかも丁寧に並べられて、凄い方もおられるものやと社員一同感心して拝見しよりました。そしたら次の年には更に梅干しざるを使われたお写真が届きました。数も増えているようですので、これは大仕事ですろう。けんど前の年と同じ所で、同じように簾も併用しながら、明るい陽射しを受ける梅たちも心なしか喜びゆうようながです。


梅干し用エビラ


そして、更に今年は増えた丸ざるを手間にズラリと並べ、梅の他にはシソも干されて竹ヒゴが赤く染まった丸ざるも見えますぞね。まっこと例年以上の圧巻の光景になっちゅうがです。


梅雨の明けた今頃が梅干しの土用干しのシーズンぜよ。全国各地でこのようなお母様方が空模様をみながら、美味しい手作りをされゆうがやにゃあ。最近は急な大雨などもよくありますきに注意しながら、せっかくの梅干しを大事に干してもらいたいと思いゆうがです。


モダンな竹籠たち

竹ざる


昔ながらの竹材と伝統の技法を使うて編まれたモダンな竹籠があるがです。熟練職人さんたちは同じモノを作り続けるという力はもの凄いものがありますが、形を変えたり、新しいモノを創り出すという事は、あまり得意ではない方が多いはずながですぞね。けんど、この竹ざるはどう見ても長年の匠の技を感じるちや。


そしたら、どういうワケで、こんな面白い竹ざるが出来たがやろうか?しばらくの間、不思議に思いよったがです。生活雑貨としての竹はずっと生活の中にあって洗練されてきた歴史があります。そしてその中で不要な所が削られる事もあったがですろう。シンプルでいながら最高の使いやすさに進化した竹細工。けんど、ある時に突然変異のように形が変わっちゅうものがあるがぜよ。


竹花器


この竹籠もそんな竹細工のひとつやったです。もともとは魚籠やったように思うがですが、口のくびれからの広がりが必要以上に大きくなっちょります。最初は、もしかしたら独特の漁があってこんな竹籠があったのか?そう思うた事もありました。けんど、この竹籠が魚籠ではなく花籠として編まれたものと聞いて、それぞれの謎が解けたように感じましたぞね。ある時期、竹細工の長年培われた技術と近代のデザイン技術が、うまく融合した事があって今までにない用途が模索されちょったようです。


それぞれが大量に生産されたかどうかは分かりませんが、残された作品を手にとってみると、当時の職人さんとの真剣なやり取りが伝わってくるようです。竹編みの匠が複数おられて、まだ元気だったこともありますろう。意欲的でビックリするほど完成度が高いものばかり。デザイナーの方は竹職人の生み出す作品に畏敬の念と共に、おそらく高い芸術性を感じていたのは間違いない事やと分かるがです。


玄関が料亭になるろうか?

黒竹玄関すのこ


以前、お客様から商品のご感想をいただいた事があるがです。「ちょっと料亭っぽい感じです」料亭と言うたら自分などあまり縁がありませんけんど、高級感があるのはもちろんの事、格式も感じさせてくれるお店をイメージしますぞね。それほど、この黒竹玄関すのこをお気に召していただいちゅうと、こじゃんと嬉しく思った事ながです。


高知は虎竹ばっかりでは無いがですぞね、細く真っ黒な竹、その名も「黒竹」の産地でもあります。温かな陽射しの差し込む海沿いの山々に黒竹は多く生えちょりますが、その竹を一本一本大切に油抜きして矯め直し、真っ直ぐな竹に仕上げてこそ、この黒竹玄関すのこは端正な作りとなり、皆様にご満足頂ける出来映えになるがですぜよ。


簀の子の踏み心地


見た目の美しさは当然ながですが、黒竹玄関すのこの本領を発揮するのは何と言うても足をのせた時ですぞね。竹をズラリと並べた簀の子の踏み心地をご存じの方も多いかと思います。細い竹の太さを揃えた足裏への心地よい刺激が何ともたまらず、この感触を外に出かける時、そして又、帰って来た時、行き帰り往復で味わえる贅沢と言うたらありませんぜよ。まっこと外に行くのも、自宅に帰るのも楽しみになってくるがやき。


玄関すのこと竹虎四代目


いやいや自分など、たまにこうやって玄関先に座りこんで、暫くこの足当たりの良さを感じ続けたい気持ちになる程ながぜよ。そうそう、休日などは掃除ついでに座りこんで、玄関で読書タイムとなる事もありますきに、まさにピッタリながですちや。


繋げた黒竹玄関すのこ


この黒竹玄関すのこには別誂えのお問い合わせも多いがです。玄関だけでなくてベランダやお庭など色々な所で御愛用いただきますきに、それぞれのご家庭のサイズがあられるがですぞね。そして、一枚だけで使うのではなくて、何枚か並べて使う場合にも自然の竹を使いながらも。黒竹を厳選して太さや矯めをしっかりしちょりますので違和感ないがです。


いつの時代の物やったか?竹で月見台を造られちゅうのを何処かで拝見した事があります。敷き詰められた竹が、まっこと雅な趣やったですけんど、昔でも現代でも風流人の気持ちは変わる事はないがやにゃあ。ほんのちっくとだけ分かるような気がしてくるがです。


1コレ

めかい作り


メカイ籠に限ることではないかと思いますが、大量に生産されちょった竹製品は、製造そのものは当然大事ですけんど、できあがった竹製品をどうやって消費地にまで運ぶかという事も、大きな課題のひとつだったと思うちょります。


たとえば、大きな箱物のような竹行李などの場合なら、中が空なので空気を運んでいるようなもの、これは輸送の発達した現在でも、こじゃんと無駄な気がしますが、運搬手段が乏しかった昔なら、さらに切実な問題やったと思います。そこで、箱物の竹細工には中にちょうど入るサイズで同じ箱物を作り、中に二重、三重と重なるように作られました。それと同じように多摩のメカイ籠もちょうどお茶碗が何枚も何枚も重なるように、底が口部分に比べて小さく作られちょって、数十枚と重ねられるようになっていました。当時は60枚をひとくくりとして「1コレ」と呼び、効率的に運び出されて行ったようです。


めかい


東京など都市部で小売りをされていた店舗さんたちが、お歳暮用の容器しても大量に購入していたと聞きますので、家庭用の竹籠として使われていた他には、ちょうど今でも見ることのできるお見舞いに使われちゅう、果物の入った竹バスケットのような感覚だったのかも知れませんちや。


かってのメカイ生産の中心地とお聞きしていた地域を、車で送迎してもらいましたので辺りの景色をずっと見よりましたぜよ。けんど、立派な道路が通り、近代的な街並が続く中、すぐ近くには大きな駅のロータリーまであるがです。篠竹が生い茂る丘が続き、その竹を使う竹細工があったなどと、まったく昔を想像できない多摩のメカイですが、「1コレ」のような竹籠が行き来した古き良き時代を想像してみるがです。


多摩のメカイ

多摩のメカイ


多摩のメカイの事を知ったのは割合、最近の事ながです。竹細工は昔から日本各地で大量に生活雑貨として使われてきましたので、首都圏で大きな生産地があったと聞いても別段に驚きはないがです。実際、東京の江戸川沿いにも篠崎ざると言うて、かっては竹籠などの一大生産地があり、幸運な事に最後の職人さんにも、お会いさせていただいた事があったのです。


大都会の東京にも竹籠を編む職人さんが何百軒もあったなどと聞きますと、ビックリされる方もおられるかと思いますし、それは江戸時代か明治あたりの大昔の事ではないろうか。そんな風に考えられる方もおるかも知れんぞね。けんど、まだ当時を知る竹職人さんがご健在なワケですので、まっこと日本の竹の長い歴史と言うのは、ここほんの数十年で大きな大きな曲がり角を曲がっている事を改めて実感するがですぜよ。


めかい籠運搬


実はこの時に篠崎ざるの職人さんも話しをされていた。竹籠が数十枚重ねられ山のようになって何艘もの川舟で運ばれていったという、今では想像もできない光景を垣間見る事ができそうだと思うたら、まっこと居ても立ってもおられなくなって来ますぞね。


西日本ではあまり使われる事のない細い篠竹で編まれる籠ながです。よく耳にしていた多摩ニュータウンの開発が進む前までは、辺りには篠竹の山がいっぱいやったそうで、身近にある竹を使うての竹細工が発展するのは全国何処に行っても同じ事ぜよ。豊富な竹で農閑期の貴重な収入源としてメカイ作りがあったようです。


めかい


こちら多摩のメカイは地元の方は「メケイ」と呼びますが、篠竹(アズマネザサ)を使います。1年目の竹ばかり使うと聞いて驚きましたけんど、あまり日当たりのよいところの材料は硬く使いづらいので、半日陰くらいの篠竹が適度な柔らかさで使いやすいそうながです。虎竹はじめ竹細工に多用される真竹などは、3年目、4年目あたりの竹を使うので随分と違いますが、篠竹の1年竹は竹葉の付き方に特徴があり、比較的に誰でも見分けが付きやすく伐採も容易ではないかと思うがです。


かっては盛んに編まれちょったメカイ籠の伝統と技を守ろうと、地元で活動されゆう方々にもお会いさせてもらいました。はじめて竹に触れ合われる方や女性の方などにも、材料の見極めがしやすく細くて短い篠竹は、他の大きく長く、そして重たい竹材に比べると扱いやすい素材。身近に手に入りやすい素材でもあるのかも知れません。是非、そんな輪が若い方にも広がるとエイと思うがです。


飯籠の蓋

飯かご手無し


昔なら、どこの家庭にもあって別に珍しくなかったのに、今となっては、骨董市などで年代物の赤茶けたモノ以外は、なかなかお目にかかる事のできなくなった籠。そんな竹籠のひとつに飯籠があるがです。自分の小さい頃には、縁側のある昔風の家も残っていて、お菓子など食べながら上を見上げると、この籠が吊り下げられちょったのを思いだしますぞね。飯籠の一番の用途は食べ残したご飯を美味しく保管する事にあったがです。なので軒先などの風通しのよいところに、持ち手を引っ掛けて吊されちょりました。飯籠にはもとも長い持ち手は必要不可欠なものやったがです。


飯籠手付き


しばらく、この持ち手を忘れちょって、いえいえ本当に忘れていた訳でも、もちろん無いのですが、持ち手なしのものを作っていましたが、やはり本来のついた方をお求めになられる方もおられますし、見た目のデザインも持ち手がある方が圧倒的に存在感があり、格好エイと思うがです。


さて、この籠の難しいところがあるがです。それは蓋、本体の編み込みはできましても、ピッタリと合う蓋を作るのは、高等な技術を必要とされちょりますので、実は一苦労、職人さんも大変ながぜよ。



竹の蕎麦猪口

竹蕎麦ちょこ


夏場は竹ザルが大活躍する季節ですぞね!蕎麦や素麺など冷たく、あっさりしたものを頂く事が多いかと思うがです。竹は清涼感がありますので暑い日の器にはピッタリながぜよ。せっかくの竹ザルやったら蕎麦猪口も竹が似合いますろう、そういう事で竹ビアジョッキや竹のぐい呑みと同じラインナップで、天然竹の竹節をそのまま活かした竹製の蕎麦猪口をご用意しちょります。


ところが、今までの蕎麦猪口は少し小さいというご意見がありました。自分などもネギやショウガなど薬味を一杯いれて、豪快にツルツルするのが好みですけんど、確かに、お蕎麦をつけるには少し直径が小さく、深さも足りません。そこで、今回蕎麦猪口をリニューアルしましたぜよ。直径約7.5センチ、高さも約7センチと高くしましたので、これやったら、お蕎麦でも素麺でも、しっかり食していただけるかと思うがです。


竹器


竹ビアグラス、竹タンブラー、竹蕎麦猪口、竹ぐい呑み、丸竹をそのまま使うた竹製品を一列に並べてみたら、大きさ等が良くお分かりいただけるかと思うのです。


ビアグラスで愛用されるお客様からはビールの泡立ちが良いと、嬉しいお声をいただきよりますが、自分が竹のビアグラスを使うて一番気に入っちゅうのは手触り、竹の軽やかさと乾いた感じが好きながです。そして、何というてもその口あたり、ガラスや陶器ではあんな優しい感触はないと思います。洗顔時に使う事が多いのがですが口を付けたときに、甘い香りが微かにすると、朝からちっくとウキウキしますぞね。


ここにも竹バック、ニューヨーカー

竹バックニューヨーカー


お客様から竹バックのニューヨーカーが届きましたぞね。おっと、正確にはニューヨーカーではありませんちや、その原型となった、かつて輸出用として日本から大量に製造されていたという竹籠バック。作られた当時には白色だった竹肌の色合いは飴色に変わり、使われちゅう紐も色褪せた感じになっていてやっぱり時代を感じさせてくれる籠ながです。


竹バック持ち手


どうして竹虎に、この竹籠バックが届いたかと言いますと、実は持ち手の付け根部分が折れてしまっていて、この部分の修理ができないかと言う、お客様からのご相談やったのです。もちろん数十年も昔の商品ですので竹虎のものではありませんが、竹細工だからと当社をご指名いただける事は、まっこと光栄なのです。自然素材のものは、こんな場合にも修理ができるというのが、ひとつ大きなエイところでもありますぞね。ただ、この白竹の色合いの違いは時間が経過しないと出ないので、修理した手の部分だけが白く、ちっくと違和感が出来てしまいそうぜよ。


竹バック留め具


この竹籠バックで今まで見ていたものと少し仕様が異なっちゅう所がありました。それが口の留め部分ながです。両サイドから口を閉めて合わせると片方には四角の穴が開けられちょって、そこに、もう片方から竹棒を通して引っかけて留めるのです。


日本から竹が輸出されていた当時の事を知る職人さんや関係者の方は、もうほとんどがおられなくなってしもうてお話を伺う事も出来なくなりました。けんど同じ型のモノが、かなりの量、海を渡っていったと思われます。もしかしたら、もっと色々な形のものがアメリカに残っていて、アンティークとして飾られたり、使われたりしているかも知れんちや。どこかで又偶然出会う事があったら、こじゃんと嬉しいろうにゃあ。楽しみにしちゅうがぜよ。


水切れの良い竹ざる

竹ざる


竹ざるの使い方は実に色々とあるがですけんど、ちょうど今のタイミングやったら、やはり梅干しの土用干しですろうか。梅干しを干すために初めて竹ざるを使うと言われる、若い女性の方が結構おられるがですぞね。天日に干した梅干しは色合いも良くなり、味も美味しくなる言う事です。まっこと太陽の力というのは凄いものながですちや。


その他の竹ざるの使い方でも野菜を干したり、魚を干したり、食品でなかったら食器類を乾かしたり、とにかく「食」と直結した竹細工ではないかと思います。それだけに製造地や職人さんの事に関心のあられるお客様が沢山おられます。一時期、昔ながらの竹は忘れさられてそうになり、安価な代替品が氾濫していた事もありました。もしかしたら今もそうかも知れませんけんど、食べ物に安心、安全を求められるように、その食品に関わる竹にも、同じような気持ちを持たれる事は、まっこと自然な事やと思うがです。


この竹ざるは横に通しちゅう竹ヒゴが平たくありませんぞね。わざわざ少し丸みを帯びたカマボコ状のような形になっちょります。そうする事によって水切れが少しでもエイようにと考えられちゅうがです。こんな当たり前の事、けんど見逃されがちな何でもない編み目に、昔からの竹職人の使い手への思いやりが見え隠れしよります。


暑く忙しい日を送る職人さんは好きなお酒も控えんとイカン。口では不満そうに言いながら顔は嬉しそうながです。ひとつ、ひとつ手作りですのでお待ちいただく事も多いですが、皆様に本物をお届けできる喜びを感じゆうがと思うがです。


潮風と竹と虫と

虎竹の里


虎竹の伐採は旬の良い時期にしかしていません。これは竹の品質管理の上で、こじゃんと大事な事ながですが、防虫という意味あいもあっての事ながです。竹を虫が食うと言う...こう聞くと意外な感じがされますろうか?実はご存じない方も多いのかも知れませんぞね。けんど、竹は油抜きの仕事をはじめただけでも甘い香りが漂うて、すぐに分かるくらい糖質の多い植物ぞね。虫が食べたくなるのも分からなくもないがです。


竹を食う害虫にはチビタケナガシンクイムシという、黒っぽい小さな虫とカミキリ虫を小型にしたような虫がおりますぞね。このカミキリには二種類あって虎模様のタケトラカミキリと、赤色で工場におったらすぐに目立つベニカミキリがおります。これらの虫が工場に沢山立てかけてある竹材を食う事もありますが、一番困ってしまうのが竹製品にした後に虫が食う事ちや。


ところが昔の台所で毎日使われよった竹笊や竹籠では、日常的に動かすし、お湯もかかるし虫が入る暇がなかったのか、意外と虫に食われるものは少ないように感じちょります。戸棚にしまっておいたものとか、店に長い間展示してあるものとか、そんな竹細工に白い粉が落ちていたら要注意ですぞね。小さい穴ならチビタケナガシンクイムシ、大きければカミキリのどちらか、とにかく見つけ次第に熱湯をかけるなど対処をオススメしますぜよ。


安和の浜辺


さて、先日はじめて遠く県外からお越しになられた竹職人さんがおられました。今の時期は竹が少ない時にながですが、それでも、普通の方やったら見た事のないような竹が工場には山積みです。けんど、一回りご覧になられて「竹が虫に食われているのが少ない...」こう言われるがです。もちろん竹虎の竹達は旬を選んで伐採しよりますので、虫は少ないとは思うがですが、それでも虫の入る竹は入ってしまうし、竹も人も大いなる自然の一部ですきに、ある意味、自然の虫が入るのは仕方の無いことやと思うちゅうがです。むしろ、薬剤などを多用しコントロールしようとする事が、不自然かも知れんと思うて自分はあまり好きではないがです。


虫に食われている竹が少ない...。さすが竹職人さんは見ゆう所が、普通の見学者の方とは違うにゃあ。そんな事を思いよりましたら続けてこんな話しを聞かせてくれるがです。


旬の悪い時の竹を使う場合の防虫の心得を父親から授かった。それは、竹に海の水を使うこと、これが自然の海水でないといけないそうかながです。人が人工的に作るものでは塩分濃度などの違いで竹に良くない。ここまで聞いて、先日の知恵や自然の竹と海の水の関係に、まっこと興味津々となって聞きよりました。


そしたら、竹虎の工場は海の近くにあって潮風が吹きよりますろう。これが虎竹の成育そのものにも影響を与えているだろうけれども、伐採して、製竹された竹を保管している時にも、自然の防虫として役立っているに違いない、そう言うてくれたがです。


虎竹の里は、たったの間口が1.5キロしかない谷間で、すぐ目の前には太平洋が広がっちょります。台風や災害で小さい頃から海の怖さも知っちょりますが、思うたら江戸時代にも、虎竹はこの海から船を使って運ばれて、山内家のお殿様にまで献上されて行ったし、100年前、初代宇三郎が虎竹を探してやってきたのも、この海。海風が虎竹の里の山々に吹上て日本唯一の不思議な虎模様を作るひとつの原因だと言われる大学の先生もおられます。


そして今度は、この海が竹の虫の予防になっている...?この静かな海の恩恵に、またひとつ感謝したい事が出来ましたぜよ。


防災として川縁の竹たち

防災の竹


前に蓬莱竹(チンチク)を使うたのお話をさせて頂きましたぞね。その中で竹が防災用として役立てられていたお話も、少しだけさせてもろうたがです。昔から水の便のよい川の近くには田畑を作り、作物を育てよったと思います。防災用として竹は活用したい、けんど地下茎がドンドン広がってくる。成長力の強い竹は両刃の剣のような感じやったと想像できます。なので孟宗竹や真竹などのように地下茎が外に広がっていかない。株立ちのチンチクは川縁に植えるには最適の竹やったがではないろうか?


そうやって株立ちのチンチク等が好まれて植えられるのは分かります。けんど、それを全国各地から人の集まる会議でスライドで紹介されちょりましたが、実はその竹が高知の竹やったのが、どうにも気にかかっちゅうがですちや。つまり、防災面でも高知の竹活用は日本トップクラス言う事ですろうか?しかも紹介されちょった場所は竹虎からもそんなに遠くない黒潮町。専門外と言えども、そんなに立派な竹林があることを、うっかり見過ごしていた自分が恥ずかしいと言う思いも手伝って、地元の方にも聞きながら心当たりの川縁を走ってみたら、ああ、なるほどありますぞね、あそこにも、ここにもある、ある。


蓬莱竹


竹を眺めながら思いましたぞね。高知は昔から台風銀座などとも呼ばれよって、こじゃんと雨の多い土地柄ぞね。川の増水などは昔から日常茶飯事の事やったろうきに、大雨の時にそなえて川縁に竹を植える事などは、全国に先駆けちょって何ら不思議はないがぜよ。竹は衣食住で日本人の暮らしを支えてきちょりますが、まっこと防災という事になったら命そのものを支えてきたがやにゃあ。穏やかな流れからは想像もつかないような濁流を思うて、その途方もないような力に負けない竹に改めて頭が下がるがです。

毎日の青竹踏みの色々

竹踏み


毎日、青竹踏みを使うのが習慣になっちょりますが、こんな自分のような方は結構おられるのではないかと思うちゅうがです。なので、つい先日も学生の方とお話させてもらう機会があって、青竹踏みを知らない方と出会うと、軽いショックを受けるがぜよ。


ずっと昔から一家にひとつくらいはあって、普通の暮らしの中で使い続けてきた健康グッズであり、これは、もはや日本の伝統文化の一つやと思うがです。身近にあった竹を半分に割っただけの作りは簡単そのものやし、狭いと言われる日本の住宅にあって場所も取らず、手軽、簡単と良いことづくめなので、この誰からも愛されつづけてきた青竹踏みをお教えしないといけない義務感にかられてしまうがぞね。


いろいろお話させていただく中で、やはり一番驚かれるのは、キャビンアテンダントさんのお話ちや。竹虎のお客様のお声をそのままお話させてもらいゆうがですが、機内で立ちっぱなしでのお仕事をされて休憩時間に青竹踏みをすると、まるで自分の靴が誰か他の方の靴のようにブカブカになるそうぜよ。つまり、それくらい足のむくみが取れるという事ながです。特に女性の方は、同じような履物を履かれちょります。そして若い方と言えども足のむくみや疲れの経験がある方もおられて、こじゃんと関心をもって聞いていただけるがです。


さて、そんな青竹踏みながですけんど長くお使いになられる方の中には、普通の角度のゆるい竹踏みでは足に刺激がなくなり、もっと角度のキツイもの、言うなれば上級者向けの青竹踏みをご所望される方もおられるのです。そこで、いつもの太さの竹ではなく、より細めの竹を選んで、しかも、半割ではなく6対4の割合に切り割して、足に当たる角度を急にした強力青竹踏みを登場させたがぜよ。


青竹踏みの中の最強という意味で踏み王(ふみおう)くんと、名付けちょりますけんど今日のお話はこれでは終わりませんぞね。実は、竹は生きちょりますので、加工した後の竹も、竹の伐採時期や乾燥具合などによって、こじゃんと縮んでしまうもモノがあるがですちや。加工した時には半分に切ったものであっても、極端な場合やったら、なんと時間が経つと、一本の細い竹のように丸くなるものもあるくらいながです。


これは、お客様にはお分け出来るものではありません。ところが、自分などは昔から青竹踏みをフミフミしてきたせいか、これがエイがです、好きながです。足裏のツボにピンポイントでグイグイッと来て、まっこと、気持ちがエイですちや。慣れない方には絶対にオススメはできませんけんど、足の疲れた時のみならず、気分転換やリフレッシュしたい時など、会社でも机の横にいつも置いちゅうがです。


書類に目を通しながら、電話をかけながらフミフミ。この「ながら踏み」できるところも、長く続けられる大きな理由のひとつですろう。もともとは、青竹を半割したものがあっただけやったがですが、この強力版ができたり、出張用の半分サイズを作ったり、カビや虫に強い炭化加工したものやったり、思うたら皆様のお声もいただきながら、いつくかバージョンが増えてきちゅうがですぞね。

竹の針

竹の針


その竹工場では竹串を作りよりますぞね。竹串と一口に言うても数十センチの長いものから、楊枝くらいの短いものまで色々とあるがです。輸入のものが沢山ある中でも、やはり国産でしっかりした作りのものをお求めいただく方は沢山おられますので、昔からやって来たように自然の竹をそのままに、竹の一番強い表皮部分を活かしながら製造されよります。


その工程の中で竹の細かい屑が出るがぜよ、まるで針のような細い繊維が出て山を作っちょります。縦に繊維が走る竹ならではの屑であり、同じような工場でも木工所などでは見ることのできないものですろう。これを見るだけで小さい頃の思い出が蘇るほど見慣れたものの一つ、竹工場で働くと、手袋やら、前掛けやら衣類にささって、なかなか取れませんので、昼休みに帰ってくる職人さんには竹屑がいっぱいやったにゃあ。


竹を家畜の飼料として使われる所もあるがです。主に孟宗竹を原料に細かい竹粉に加工して与えよりますが、一見すると丸く細かい粒のように見える小さな竹粉は、顕微鏡で確認したら、やはり針のように細い繊維やそうです。この状態では飼料として適さないので、機械メーカーさんが研究の末に竹繊維を薄いスライス状にできる特殊な加工歯を開発されたと聞いたのですが、目で見えないほどの小さいパウダー状になっても、やはり、竹は竹の特徴を持っちゅうものやと感心するがです。


梅雨が明けたら

竹帽子


降ったり止んだりの梅雨空も、そろそろ終わりそうな虎竹の里ながです。雨が好きという方はあまり多くはないかも知れません。けんど、「恵みの雨」などとも言われて農作物などにとって、この時期の雨量は必要不可欠なものやと思うのです。竹も、もともとは高温多湿の熱帯を成育地域とする植物であり、北限の国、日本の竹にとってもこの時期の水分はもしかしたら大切ながやろうか?そんな風に思える事があるがですぞね。


晴れて優しい陽の差し込む竹林には清々しい風が吹き抜けて、竹もサラサラと乾いた葉音を立てて、こじゃんと機嫌良さそうぜよ。その一方で雨のしたたる竹林は、ポツリポツリ雨音だけ、霧のかかるずっと向こうまで静寂に包み込まれちゅう。そして、それはそれで竹達は気持ち良さそうで、濡れた竹肌は入浴でもしているかのようで、ホッと一息ついてリラックスしているように感じるがです。竹には大敵の湿気が多く、せっかくの商品にカビが生えたりして、まっこと油断のできない時期でもある梅雨時、それさえなければ、降っても、降らなくとも、どちらでも虎竹の里の竹林は素晴らしいという事やちや。


さて、この長雨が明けたらいよいよぜよ。南国土佐の眩しいような熱い太陽が戻ってきますぞね。そしたら、今年も竹帽子の出番やにゃあ。昨年の秋からずっと一年間、壁にかかって目を楽しませてくれちょりました。けんど、いよいよじゃ
そう思うて改めて、一つ一つ見てみたら、やっぱり昨年よりも色合いが濃く渋い風合いになっちゅう気がするがです。


竹は年期が入れば入っただけ、それぞれの個性が際立ってくるのがエイところぜよ。去年使うた白竹の手提げ籠も、久しぶりに持って外に出て見たら、ややっ!?確かに違うちょりますちや。こうやって竹が一年一年と歳を重ねて魅力的になるように、自分も見習いたいと思いますけんど、これが、なかなか、竹ほどには成長できんがです。


魚捕り用の籠三兄弟

魚捕り籠


一見するとワインのボトルか何かが三本並んでいるかのようですぞね。確か酒瓶に籐編みか何かで飾ったものを見た事がありますので、こんなボトルがあっても不思議ではありませんちや。けんど、これはお酒ではないがです。実は昔から使われてきた魚捕り用の籠ながぜよ。作りは基本的に自分達が小さい頃に近所の川で使いよった、鰻捕りようのうけ(筌)と全く同じで、エサに引き寄せられて中に入った魚が出られないように、先端を鋭利に削った竹の仕掛けが作られちゅうがです。


ワラ製栓


この魚捕り用の魚籠は形も面白いけんど、エサや捕れた魚を出し入れする反対側の栓もかなりユニークやちや。自分達は栓をするのに沢山ある丸竹の切れ端などで、鰻ウケにサイズにピッタリなものを探して使いよりましたが、これは何とワラを束ねて作られちゅうがです。ワラを束ねて、それを同じくワラで縄を撚り、キツくギュッと縛っちょります。中華料理店などで良く使われている、鍋や食器洗いに使われる竹を束ねて作る竹ささらを少し思い出しますけんど、こんな栓は初めて拝見しました、まっこと凄い栓ですちや。


竹籠


これなら籠の太さに合わせてピッタリものものを作れましたろう。竹やワラなど身近で沢山あった素材を上手く使い、生活の道具として利用してきた昔の方の暮らしぶりを、ちっくとだけでも垣間見る事ができるような魚捕り籠。又ひとつ先人への畏敬の念が深まる思いですぞね。


日置の箕

日置の箕職人


つくづく何かに導かれちゅうと感じる事があるがです。自分一人では、とても考える事すら出来ないような偶然が重なり、この職人さんにもお会いさせてもろうたのは、ある暑い日やったぜよ。


道端で草刈りしていた初老の男性は丁寧に話してくれましたけんど、どうにも方言が強くて教えてくれた事の半分も分からずじまいでした。けんど、とにかくカンカン照りの太陽はまだ高いし、日暮れまでには何とかなりそうな希望を授けてくれましたきに、まっこと有り難かったがです、感謝しちょります。もしかしたら、あの方が姿を借りた竹の神様やったろうか?ちっくと馬鹿げているように感じるかも知れませんが、そんな事を思いたくなるような事が、この後すぐに起こるがです。


木陰の箕職人


その道を、まっすぐに下ったところに、美しい緑をたくわえた大きな梅の木が一本見えちょりました。木の下には心地よい涼風が吹き抜けそうな木陰が出来ていて、その中で腰をおろして休まれている、お二人の背中が見えたがです。


思わず立ち止まったがは、ずっと探しゆう日置の箕と呼ばれる箕があったきぜよ!これは素晴らしく綺麗に出来ちゅう箕です。駆け寄って誰が作られたのか聞くと、何とご自分で編まれて、そして、自分の農作業用として使われゆうとの事ちや、別段変わった事もしていない、当たり前の事をしている。冷たい飲み物を口にしながらの、そんな淡々とした話しに思わず尻餅をついてしゃがみこんだぞね。


日置の箕


それ程に珍しいなら、これも見てみるかい?そんな感じで納屋から持ってきてくれたのは少し小振りの箕やった、「これは父親が作ったもので、自分も作り方を教わった」もう50年ものキャリアがあるという職人さんは、さすがに専門だけあって、まっこと箕作りの事となると声色が変わる。話し方まで違うてくるような気がしましたぜよ。


近年、箕作りがあまりされなくなり伝承されていないのは、そもそも使われる事が少なくなった事が一番の理由ですが、その他にも素晴らしい竹細工がゆえの訳があるようながです。それが、この箕には非常に多くの自然素材を必要としちゅうという事。中でも、どうしても必要な素材の一つ、桜皮があります。桜なら沢山生えているようにも思いますが箕の材料に使うがは山桜。一般的に良く目にする桜はソメイヨシノですが、ソメイヨシノは皮が薄いので昔から山桜しか使用しないそうながちや。


真夏の8月から翌年の2月にかけて微妙に時期ずらしながら、チンチクと呼ばれる竹材やビワの木、カズラなど何種類もの、山の恵みである素材を集めてくる大変さは、実際にやってみないと分からないものの、ちっとく考えただけでもかなり困難な事があるようにも思うたがです。材料の目利きにだけでも経験が必要で大変な上に、たとえば苦労して集めてきたビワの木をUの字に曲げて紐で止めて形をつくる行程には2年も掛けるそうぜよ。そんな手間暇があって、製造が難しいと言われる箕作りの技が加わり、ようやくあれだけの完成度の箕が出来上がるがやにゃあ。まっこと話しを聞くだけでも感無量になってくるがです。


竹職人


職人さんが、おもむろに箕を肩にかけて立ち上がります。一体どうされたのかと思うたら、こじゃんと製造されていた昔には、十枚くらい重ねて縛った箕を、こうやって肩に担いで運んでいったものだそうながです。


不思議ぜよ、一枚しかないはずの箕が、一瞬、何枚も何枚も担いでいるかの様に見えるがぜよ。この日置の箕は、かって九州一円と更には中国地方にまで運ばれ、毎日の暮らしの中で使いやすく、丈夫な箕として、沢山の方に愛されていた道具のひとつちや。遠いその頃の活気が蘇ったような気がした。暑い午後の蜃気楼やったみたいぞね。




田辺小竹さん×ミナモトタダユキさん

田辺小竹さん×ミナモトタダユキ(渞忠之)さん


田辺小竹さんは世界を舞台に竹の作品作りをされる竹芸家ぜよ。代々続いた竹工芸の家としては日本で唯一とも言われちゅう田辺家にあって、まさに竹の人生を歩むことが運命づけられちゅう方と言えますろう。作品に虎竹を使うて頂いているご縁があり、何度か作品を拝見にお伺いした事がありますけんど、安和にしか成育しない虎竹達が、想像もつかないような変身をして、全国の色々な所で脚光を浴び沢山の方の目や感性を楽しませゆうのを見て、いっつも、こじゃんと感激させてもらいよります。そんな田辺さんが今回は虎竹の里で写真撮りをされたいという事で、わざわざ大阪からお越しいただく事になったがです。


撮影されるのは、東京を拠点に活躍される写真家ミナモトタダユキさんぜよ。こじゃんと有名な方と聞きますけんど、まっことその仕事をホームページで拝見したら腰が抜けましたぞね。田舎者の自分からしたら別世界の方やいか!よくぞ、このような凄いお二人が揃うて高知の田舎までお越しになられたがです。


ところが撮影を予定ちれちゅう日は、50年に一度とも言われるような、巨大台風が九州、四国を目指して接近してくる最中、大荒れが予想されちょります。けんどスケジュールがいっぱいのお二人ですぜよ。大阪、東京からそれぞれお越しになられて、どうしてもこの日しかないがぞね。タイムリミットもあって、風雨が心配やけんど決行される事になったかです。


ミナモトさんが「天気を見方に付けられない写真家は大成しない」と、話されよりましたが、逆に言うたら大成されちゅう方は天気さえも見方すると言うことですろう。こんな素晴らしいお二人が虎竹の里に揃う事自体が奇跡やきに、自分も何か奇跡のような事が起きるがではないか?当日の朝から強い雨が降りよりましたが、実はあまり心配はしてなかったがです。


その日しかない中で、その状況を活かした何か凄い事ができる。いやいや、むしろ、その日にしかできない。その日、その時ならではの特別な舞台を作ってくれるがではないろうか?当てがあるわけでも無いですけんど、そんな事も思いよりました。


霧の虎竹


不思議やにゃあ...、そしたら、やっぱり竹の神様はおりました。降っていた雨もいつの間にか止んでいます。竹林に続く山道を少し登って顔をあげたら普段では見られないうな霧の竹林。はじめてご覧になられた田辺さんも感激されちょりましたが、自分も、ちっくと鳥肌が立ったがぜよ。


「おまんらあ、結構頑張っちゅうやいか」心の中でつぶやきます。たとえたら、ここ一番の時に女性がとびきりの化粧されるような、そんな感じ。


まあ虎竹たちの気持ちになったら当然やにゃあ。こんな雲の上のような方が揃うてお越しになられる事など、あんまり無いことやきにゃあ。最高に着飾って、一番の顔を見せたくなるのも分かりますぞね。


ミナモトタダユキさんのカメラには、ご自身の目で見たままの絵が写っちゅうそうながです。この日の日本唯一の竹はどんなに見えたがやうろか?こんなに写真の出来上がりが楽しみなのは今までで初めてながぞね。


台風の思い出

竹虎工場


今度の大型台風もお陰様で、これという被害もなく通り過ぎてくれましたぜよ。昨日の早朝には風雨が強まってきちょりましたので、どうなる事かと思いよりましたが、まっこと、ありがたい事やと感謝しちゅうがです。けんど、台風のニュースを見る度に思い出す事があるがぜよ。


「嵐の前の静けさ」そんな言葉がありますけんど、まっことその通り、まっくろい雲が垂れ込めて、ムッとするような湿度の高さを感じます。雨もふらず、風も吹かず、異様な静けさの中、だんだんと近づいてくる台風の前は社員も、家族も、皆がそろうて工場の片付けをして台風の準備をしよりましたぜよ。


自分が小さい頃の竹虎の工場は、払い下げられた電柱の柱にトタンを打ち付けて建て増し、また建て増しで作っていったツギハギだらけのボロボロの工場やったがです。雨が降ったら驚くくらい勢いよく滝のように雨漏りする所もある。風が吹いたら剥がれかけたトタンがバタバタ音をたてる所もある。そんな薄暗い、古い竹工場やったぞね。


けんど、長い竹を沢山置いちゅうので敷地だけはこじゃんと広い。その広い工場を、60名もの社員全員で回って台風の準備をするがです。一番強い風の入ってくる海側には束ねた竹をズラリと並べて、太いロープでしっかりと縛り上げよりました。工場の中を片付けて、奧からトラックを詰めて停めていきます。飛んでしまいそうな板や小物はまとめて倉庫の中に入れる。外に山積みされちゅう竹にはブルーシートをかけて、何回もロープで巻いて重たい枕木を何本ものせる。カッパに長靴姿の職人さんが、雨に打たれながら作業しゆうのを遠くから眺めよりました。


小さかった自分は何の手伝いもできなかったけんど、ただならぬ大人達の雰囲気に何かしないと思うて、日頃あまり使っていなかった壊れかけた階段を上ったがです。そして、片隅が割れたガラス窓に、当時よくあったコンクリート製の瓦を立てかけたがぜよ。


台風は怖かったけんど皆が一丸となっちょった。壊れかけたような竹工場ではありましたけんど、ここを全員で守っていく、そんな気概を感じて武者震いがした。「来るなら、来い。」何の力もない小さな自分がそう思うた。作業が終わって大人達が一人もまた一人と帰って行く。白いランニング姿から太い腕をだしたあのおんちゃんも、いつもお菓子をくれる優しいあのおばちゃんも、濡れながら急いで車に乗り合わせて、おらんなった。


波の音が、こじゃんと大きくなってきた。だんだんと風の強くなる海の方をじっと睨む。父親の後ろ姿は何と大きいがやろうと思うた。あれから何十年経ったろうか?ずっと忘れちょったがぜよ。自分はあの時から竹虎四代目やったに違いない。


両親へのプレゼント

竹虎全社会議


はじめて社会人として働き出して一番最初にいただいた給料で、自分の両親にプレゼントをしなさいと、とある大先輩の方に教えていただいた事がありますぞね。その方の会社では働きゆう社員全員にそう教えて実行されゆうそうです。教えるだけなら、まだしも実行してもらいゆうとは凄いにゃあ。そう思うて竹虎でも数年前から真似させてもらいゆうがです。


まず、自分がそんな事をした事がないですきに、社員にやり方を説明する事も兼ねて全員に集まってもろうてから、両親にプレゼントさせてもらいましたちや。母がこじゃんと喜んでくれましたきに、自分も嬉しくなってそれ以来毎年新しい方が入社する度やりゆう事ですが、先日、ある方から両親へのプレゼントをどんな風に渡すのか、全社会議の様子を教えて欲しいとのお便りを頂戴したがですちや。


大先輩の方の真似をしゆうだけですし、まっこと恥ずかしい限りですけんど、田舎者の小さな竹屋の事。笑うてご高覧いただけたらと思うちょります。やり方は簡単ながぜよ、両親に座ってもろうて自分は正座して、手をついて決められた台詞を言うだけ。


お父さん、お母さん、今まで○○年間お世話になりました。元気に働いてこれたのもお父さん、お母さんのお陰です。ありがとうございます。今日は給料の中から、お父さんには好きな○○を、お母さんには○○を買ってきましたのでプレゼントさせて頂きます。今後とも親孝行を続けてまいりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。


ただ、これだけですぞね。プレゼントと共にこの紙を読むだけでエイがですが、ちっくとコツがあって、社員にやってもらう時にはお互いが恥ずかしがってか、なかなか出来ないそうなので「社長命令で、どうしてもやらないといけないから」と、両親にもキチンと座ってもらうようにすると良いそうながです。


自分は自分が誰か知らず、目的もなく、誰の役にも立てない何の取り柄もない男やったがぜよ。その時は、自分だけが辛い、辛いと思いよりましたけんど、


いやいや、どうして。


今になって、ようやっと分かりましたけんど、両親に、どれほど心配をかけてしもうた事か、自分より何倍も辛い、悲しい思いをしたろうか。だから、今度こそ泣かんつもりやったけんど、毎回同じ事を決まった通りに言うだけの事ですけんど、たったそれだけやけんど、全社員が見よっても何でも関係なく涙が次から次からあふれてくるがです。


母は用意しちょった椅子から降りて、足が痛いろうに、正座してくれちょりました。父親も同じ気持ちやったですろう。


まっこといつまでたっても自分は子供です。いつも、ありがとうございます。


竹集成材の表札

竹表札


竹で表札が出来ないだろうか?そんなご注文をいただいたがです。半割した孟宗竹に名前や絵柄を彫刻をしたものはありましたが、主に室内用として製作されちょります。表札となると、屋外での使用という事になりますので、耐久性の高い竹の集成材を使う事にしたがです。普段より何倍も厚みのある集成材にレーザーで刻印していきますぞね。


けんど、レーザー刻印と聞くと手彫りではありません。機械で自動で打つイメージがあるのではないですろうか?そして、結構簡単に打てると思われる方も多いかも知れませんが、実は調節が色々あって、強さ、スピードなどを変える事により刻印の入り方の感じが変わってきます。また竹素材そのものにも竹の個性や乾燥具合があり、同じように設定しても濃淡ができて均一には仕上がることはないがです。特に今回の表札のように厚みがあり彫りも深いものやと尚更ぞね。担当の社員が、事前に同じ竹集成材の板を使うて、何枚も何枚も試し彫りをしてみたがですが、どういうものか、やっぱり出来上がりは違うちょりました。


まあ、試行錯誤した甲斐があってか結果としては思うよりも、ずっと綺麗で誰が見ても美しいと言うような表札ができたがぜよ。竹節のある竹ならではの独特の木目がこじゃんとエイし、二回なぞって文字入れしたレーサー刻印のお陰で文字もクッキリ。ご要望を頂いた時には、これだけの完成度は考えよりませんでしたが、これなら今後の定番商品としても使えるかも知れませんちや。


竹集成材


竹細工や竹製品にはウレタン塗装のされたものも多いがです。特にカトラリーや竹箸類は、耐久性や色移りなどの防止があり、ほとんどのものに塗装はされちゅうのが普通ながです。個人的には、せっかくの自然素材のものには、出来るだけ無塗装で出来るものは、素材そのままがエイ。ずっと、そう思いよりますぜよ。


今回の表札も生地に文字刻印したままの無塗装の感じが、なかなか落ち着いた感じで、こじゃんと好きやったがです。竹の素材感というものも良く伝わる出来映えです。しかし、外壁に掛けてご使用される事を考えたから、雨の日もあれば、風の日も、照る日もあるがです。どうしても塗装は必要だろうと思うて塗装をお願いしちょりました。


そしたらどうやろうか、出来上がって来たものを見て軽い衝撃を受けましたぞね。これは塗装ありで、勝負ありちや、まっこと正解やったにゃあ。防水性などの強さがアップした事は、もちろんですけんど、ちっくとビックリするばあ見栄えが何倍も良くなっちゅうぜよ、まっこと。


漆仕上げの虎竹子供箸

虎竹子供箸


名入れのお箸は、ちょっとしたギフトなどにもこじゃんと(とても)人気です。そしたら当然のようにお子様用にもしたいというお声を頂きます。今までの虎竹削り箸は、ちっくと丸みを付けちょります。これは手に馴染みやすく持ちやすいので昔から作り続けてきゅうお箸ですが、裏面が丸みを帯びているために刻印ができないのです。


そこで、お子様の名前も刻印できるように角い虎竹箸で、短い子供用を作ることにしましたぞね。角箸ですが面取りして、やさしいお子様の手にも使いやすいお箸ぜよ。何と言うても漆仕上げなので高級感が違いますにゃあ。小さい頃から本物に触れちゅうことは、こじゃんと大事やき。名入れをされたい方には絶対にオススメながですちや。


竹子供箸名入れ


お茶碗やお箸は毎日使うものですきに、自分は竹のお茶碗にもちろん竹箸を使いよります。実は竹箸ばかり数膳あって、その日の気分で使いわけちょりますが、漆仕上げされたお箸は使い込む程に手触りがエイがですぞね。


短いお箸はお子様用やとばっかり思いよりましたら、なんとお弁当用としても使い勝手が良いようですちや。18.5センチの長さはコンパクトに箸箱に収まりますので、通勤、通学用にご自宅を飛び出して御愛用いただけるがです。お客様から教えていただくまで考える事もなかったけんど、まっこと嬉しいことやと感謝しちゅうがです。


箕刀(ミガタナ)の思い出

日置の山


桜皮を使うたを初めて見た時の衝撃は今でもよう忘れんがです。日置の箕と呼ばれちょりましたが、何と綺麗な箕やろうか...!?驚きと共に、不思議に思うことがあったがです。この箕は鹿児島県で昔から編まれてきた箕だと、見せてくれた職人さんは教えてくれますが、実は遠く離れた東北で良く似た箕を見させてもらった事があったきです。


それをニギョウという木の皮で編まれた箕と後で知りましたけんど、その時には、あまりにも完成された形が観賞用のように思えて、他にはない美しさを感じながらもそれほど心が動かなかったのです。ところが、桜皮の箕と出会うてから思い出して調べてみたら、やっぱり、まっこと良く似ちょります。


けんど一方は鹿児島、そして東北と、どうしてそんなに離れちょってこれだけ似通った雰囲気の箕になるがやろうか?昔から生活の中で使われてきた道具は考えたら面白いがです。そして、この箕のルーツが少し知りたくなってきて知り合いの竹職人さんに聞いてみたら、何とこの桜皮の箕を作る職人さんを訪ねた事があるとの事で、教えてもろうて一回話しを聞いてみることにしたがぞね。


箕職人の奥様


日置に行ってみたら高知とあまり変わることのない、海と山のある静かな所、まっこと嬉しゅうになりましたちや。残念ながら教えて頂いた職人さんにお会いする事はできんかったけんど、奥様に色々とお話を伺うことができたがです。多くの昔ながらの竹細工は家族総出で作られたり、あるいはご夫婦での協働である事が多いがですが、こちらでも同じで奥様もご主人さんと二人で協力しながら箕作りをされよったそうながです。


箕


一枚の古い箕を見せてもらいましたぜよ。長年使うた無骨な感じがどうも格好よく感じてしょうがないちや。この桜皮の箕は元々は、この辺りの集落だけで作られよって、数十年前には50人もの職人さんがおられて専業で箕を製造し、九州各地に送り届けては販売までご自分達でされよったそうながです。細かく箕を見てみたら、こちらの箕は編み込みの縦紐部分が、フジカツラで作るのが伝統やったみたいですが、その材料が山で取れなくなり「ヨマ」と言われる蔓でされよったそうです。


チンチク


この桜の箕の素晴らしさは、山の幸を存分に活かしたモノ作りという所にもあるがぜよ。本体のUの字型に曲げられた木部はビワの木。縦紐部は先ほど言うたようにフジカツラ、それに桜皮とチンチクという株立ちの竹を使うているのも大きな特徴ながです。そう聞いて辺りを見渡してみましたら、あそこの山裾にチンチク...、あの土手の所にもチンチク...。まっこと、結構多く見られるがです。


チンチクとは蓬莱竹の事。実は先日のある全国会議で、たまたま思いがけず報告を聞いたばっかり。南方系の竹ですきに温かい地方に多いとの事やったのですが、その時のスライドで紹介されていた写真は何と地元の高知のモノやったがです。川縁などの防災用として昔から活用されてきたとの事でした。


それにしても株立ちのチンチクは移植して100年近い竹であっても、孟宗竹や真竹など普通の竹とは違い外に根が広がる事がないので、そんなに大きな竹林にはならないのですが、この時の写真で拝見したチンチクの群生は、川に沿ってかなり広域に渡っていました。雨の多い高知県にあって、随分と昔から護岸に役だって来たがですろう。やっぱり人の暮らしには竹は無くてはならないものやったがぜよ。親近感を覚えながら、そんな事を思いよりました。


箕刀(ミガタナ)


こじゃんといっぱい話しをさせて頂いてやっぱり職人さんとの時間は格別ぜよ、けんど過ぎるのが早い、そう思いよったら、


「これ、差し上げる。もって帰り」


見せて頂いたのは箕刀(ミガタナ)と言われる箕の編み込みの時に、叩いて目を詰める道具ながぜよ。これには感動しましたちや、涙が出そうやったぞね。このミガタナをご夫婦で、どれだけ長い間使うたがやろうか、何枚の箕を作られた事か、幅の短くなったミガタナは毎日の仕事の中で、叩いて、叩いて自然と短くなったものながぜよ。


ご夫婦で仲良く使うた愛用の道具...。もうミガタナを使われる事もないという事ですろうか、とても寂しゅうて、重すぎて頂く訳にはいきませんぞね。お礼を何度も何度も言うて帰路についたがです。


廣島一夫さんの杖

飯籠


竹一筋に生きて来られた廣島一夫さんには、一度しかお会いする機会はなかったけんど、その後も何度か作品を拝見する事がありますぞね。この飯籠も廣島さんの作、持ち手のツマミ部分に竹輪をしつらえちょります。蓋の持ち手には両側をハス切りした丸竹を使うのが昔からのやり方なので、恐らくこの作りは近年になってからのものではないかと思うがです。気さくで何にでも好奇心のあられる、まっこと少年のような気持ちを持たれちゅうように感じましたので、遊び心でつけられちゅうのかも知れんにゃあ...そんな事を思いよりました。


廣島一夫さん愛用の籐巻杖


そしたら、廣島さんが往年愛用されよった杖がありますちや。これが何とも竹職人さんらしい、今では見ることの少なくなった籐巻きの、こじゃんと素晴らしい杖ながです。こんな格好のエイものを作り出して、ご自分で使われよったあたり、やはり昔ながらの職人気質の方らしいがです。ところが、その持ち手の先端をよく見ましたら、なんと、飯籠の持ち手に付けちゅう竹輪と同じものが、ワンポイントとして、はめられちゅうではないですか。


最後の最後に、たった一度とは言えお会いできて、竹の現場で言葉を交わす事がてきた幸せを感じながら、いつかは作品が数百点も収蔵されちゅうというスミソニアン自然史博物館にも行きたいにゃあ。そんな思いを新にするがぜよ。


コイヒビ

コイヒビ


川魚は色々おりますけんど鯉はこの辺りでは大型の魚の部類になりますろう、丸々と太った鯉が優雅に群れを作りのんびりと川を泳ぐのを見かけますが、今では漁をする人もいないので魚たちにとったら幸せな時代ながですろうか。けんど、ちっくと昔はこのような九州地方でコイヒビと呼ばれる、川漁師さんの使う鯉用の道具が竹で作られよったがです。編み目も作りも、さすがに実用的、プロ仕様は違うぞね。クロスしちゅう持ち手も大迫力で、これから大きな鯉も捕まえられますろう。


コイヒビ入り口


鯉が入る入り口には竹を削って作られた、そうまるで先端が細く竹箸みたいな竹がズラリ並んじょりますぜよ。この竹ヒゴが斜めに取り付けられちゅうだけ、単純な仕掛けやけんど、一度入った魚は外に出られないがです。


カニ捕り籠


ズガニは高知ではツガニと呼ぶ方もおられますけんどモクズガニの事で、これを竹職人さんで上手に捕られる方がおって、昔は仕事でお伺いする度によく頂戴しよったものです。擦り潰してズガニ汁にしていただきますが、これは美味いがです。


カニ捕り籠入口


そんなカニ漁でも最近では竹製のものはすっかり姿を見ないですが、竹しか身近に素材がない時代には竹籠が活躍しよったと思います。カニの気分になって手を入れてみると、竹簾のようになった入り口はまっこと軽やかに動きます。中に入ってエサを食べて、さて出ようと思うても壁に立てかけられた簾のごとく行く手を阻むようになっちょります。簡単なようですけんど先人の知恵はいつもながら素晴らしいぞね、感心しながら手を出したり、入れたり、まっこと簡単なだけに、ますます感じ入るがです。


潭陽(Damyang)奇蹟の虎竹との出会い

潭陽(Damyang)昔の竹市場


韓国の竹細工と聞いて、いつも心に浮かぶ一枚の写真があるのです。そこには、沢山の竹籠が山のように集められ、人でにぎわい、今にも籠売りの威勢の良い声が聞こえてそうな一枚。潭陽の竹祭りに参加したいと思っていたのも実は昔からずっと心にあった、そんな光景が、もしかしたらほんの少しでもエイこの目で見る事ができたら...。そんな微かな願いがあったからでもあるのです。


わずか30年前ながです、そう、たった30年前まではなんと300年も続いたと言う韓国潭陽の竹市場があったそう。けんど、今では日本と同じように竹が使われなくなり若い後継者もなく、まっこと残念ながら竹市場は無くなっちょったがです。これが100年前に無くなっていたのなら諦めもつくのですが、わずか30年前までこの地にあった。あの竹に埋め尽くされるような素晴らしい市場と、竹の活気があったかと思うと本当に惜しい気持ちが込み上げるがぜよ。


竹市場ジオラマ


韓国竹博物館には、そんな当時の賑わいをそのままに再現して様子をジオラマで展示してあるコーナーもありますぞね。まっこと、ここには引きつけられましたちや。このジオラマの中に小さくなって入り込みたい!あの、籠を売りゆうおばさんと、籠を運んで来られたおじさんと話したい!そんな思いにかられちょりました。


韓国竹博物館


ジオラマの展示がある韓国竹博物館は、広々とした敷地に数十種類の竹が植えられており、こちらにも気持ちよく歩ける散策の道が整備され所々には竹の野外オブジェなども楽しく見る事ができるのです。


竹籠を運ぶ銅像


正面の広場で、ひとつの銅像に目がとまりましたぜよ。竹籠を頭に載せて売りに行かれている女性の像。かっては日本の竹職人のご家庭でもお父さんを中心に総出で竹籠を編み、お母さん達が籠を背負い夜汽車に乗って遠くまで売りに行った、子供の頃は、それが普通だったがよ...そんな事を古老の職人さんに聞いた事があるがです。


竹籠を売りに来られる方にはお会いした事はないけんど、自分の小さい頃には、地元を走る国鉄の安和駅には近隣の漁師町から竹編みの背負い籠に海産物を一杯詰め込んで、売りにこられる元気なおばちゃん方がおられました。列車のドアから大きな荷物を担いで降りて来た行商の皆さんの姿と、ここ潭陽での銅像がリンクして動けません。そして、あの竹工房でお茶を飲みながらポツリ、ポツリと聞いた、竹籠を売りに行くお母さん方の後ろ姿。それは、きっとこんな光景だったろうか?


潭陽の竹市場にしても、あの竹の賑わいは、遠い日の日本でもずっと続いてあった事ながです。だから、心に響くがです、懐かしく感じるのだと思います。今は大都会となった東京にさえも、かっては数百軒という竹籠の産地がありました。ただ一人残った職人さんは籠を何十枚も積み重ねて紐で縛り上げ、船に小山のように乗せて江戸川を下っていたと話してくれた事があるがです。まさに、その様子は自分の心の中で潭陽の竹市場と重なります。


潭陽(タミャン)竹祭り


潭陽竹祭りのあちこちのブースには、当時を少しだけ彷彿させてくれるような竹細工が集められちょります。考えたら、あの写真やジオラマの市場規模は今にしたら夢の世界ぞね。韓国でもこれだけの竹が今現在に集まる事も、もしかしたら凄い事かも知れんがです。


潭陽竹祭り街灯


だから、会期中だけかと思いますけんど町中の道の灯りにあれだけの竹籠が吊されちゅうがですろう。そして、そのロープを支える鉄柱にも竹の節があしらわれ、竹の絵まで描かれちゅうがですろう。竹の市場が消えた後も、やはり、ここは竹処であり、竹の息吹をそこかしこに感じさせてくれる町ながです。


竹職人さん


竹祭りの会場では、地元で活動される竹職人さんに何人もお会いさせて頂きましたぞね。それぞれ特徴のあるお仕事をされちょります。日本と同じようなものもあれば違うものもある同じ竹でも色々あって、竹はやっぱり面白いがぜよ。


竹名人、徐さん


数名おられる職人さんの中でも名人と言われる、徐さんの工房にお伺いさせて頂いた時の事ながです。この方は日本で言う人間国宝にあたるような方なのですが、お父様を師匠とされて竹の世界でご活躍されよります。網代編みの衣装籠や手提げ籠を創作されよりましたが、女性らしい色彩感覚が華やいだ雰囲気の竹細工となり、作品を拝見させていただいても、独特の雰囲気がありまっこと楽しいかです。身に付けられちゅう竹ネックレスも、こじゃんとお洒落で格好エイと思いよりましたら何と自作のモノやったです。こうやって自分で新しい竹を生み出せるというのも、職人さんならではの素晴らしいところですろう。


虎竹細工


実は最後にここで凄い出会いが待ちよりましたぜよ。ふと覗いたガラスケースの中に虎竹の里の竹で作られた作品があります。ガラスケースの、しかも一番下段の隅にありましたが見間違えるワケありません。一目でそれと分かりましたちや、思わず大声になって尋ねたがです。


「ええっ!?これは一体どうしたのですか?」


そしたら徐さんが日本に来られた際に手にされたモノとの事。こんな遠くまで来て日本唯一の虎竹に出会えるとは思いもしませんでした。手にした作品はカードケースだったかと思うのですが、あまりに感激して、愛おしくて作品を開いて中を確認したはずなのに、今思い出そうとしてもさっぱり覚えてないのです。ただ、ただ、両手で持った虎竹の感触だけをハッキリ覚えちょります。


潭陽(Damyang)世界竹博覧会・世界竹会議に向けて

潭陽(Damyang)竹祭り


潭陽の竹祭りには韓国々内だけでなくて、海外からも沢山の方から来られちゅうようながです、台湾からも国立大学の先生や大使館の方が来られちょりました。いつだったか台湾の竹製品を拝見する機会がありましたけんど、洗練されたデザインや、ユニークな竹細工が多くあって面白かったがぞね。竹が多い所でもあるようですので何か凄いものがありそうです。


竹緑園


竹虎では1985年から21世紀は竹の時代と言いよりますが、継続利用可能な唯一の天然資源としての竹は、ようやく少しづつではありますが注目を集めだしたのかも知れません。いずれにせよ、竹への関心の高さを思うて嬉しくなりましたぜよ。


崔亨植さん


さて、竹祭りは竹緑園の美しい竹林を初め、こじゃんと(とても)広い会場です。アチコチと歩き疲れるほど見て回るものがありますが、メイン会場の一つとなる広場に大きな太鼓が設置されているのです。


こちらで日本で言う市長にあたる崔亨植郡長様とお会いさせていただきました。名刺の裏には「World Bamboo Fair Damyang KOREA 2015」来年の世界竹博覧会の会期まで刷り込まれていて、まっこと、竹への意気込みを感じるがです。「どうぞ、一緒に太鼓を叩いてみませんか?」ステージに上げさせてもろうて、ドンドン!ドンドン!こんな大きな音のする太鼓は初めてですけんど気持ちのエイもんです。


竹編み太鼓


叩き終わると、この太鼓を製作されたという竹職人さんが来られました。ええっ?竹...最初は太鼓職人さんでは?と思うたがですが、なんと、この太鼓は本体が竹編みで作られちゅうがです。しかも、焼き目を入れて龍が描かれているのです。さすが半年かけて仕上げた力作ぜよ。


竹編み太鼓職人さん


改めて見回すと舞台にある小さな太鼓も竹集成材を使っていたり、竹をゴザ目に編んで作られていたり、これは、竹の楽団と呼んでもエイくらいぞね。控えめに笑う職人さんですけんど、これ凄いですちや。


潭陽(Damyang)竹祭り会場


凄い事は、まだまだ起こりましたぞね。ズラリと並んだテントでは竹細工をはじめ竹に関係する食品の販売や、様々な物販などがあり歩くだけでこじゃんと楽しいがです。小さな子供達に大人気の陶芸体験では実際にロクロを回し、親子で焼き物を作られよります。また、竹網代の団扇にペイントする体験ブースも笑い声でいっぱい。本当に竹という一つのテーマを中心にあたたかい空気に包まれちょります。


潭陽(Damyang)竹職人さん


そんな中、ある竹細工の職人さんのテントで声を掛けていただきましたぞね。「竹虎さん、いつも見ています!」ええっ!?本当ですか...!?この竹祭りでずっと通訳のお世話をいただく金官錫さんの顔を見直したがです。もしかしたら自分の聞き間違いではないろうか?


けんど、違うちょりました。ここ韓国でも竹職人の皆様が自分達の竹にも注目してくれちゅうとは、まっこと、嬉しゅうて嬉しゅうて涙が出そうでしたちや。虎竹の里におったら感じる事など全くないことですが、インターネットの発信力の大切さを感じますし、日本だけでなくて、世界と繋がる時代になっている事を肌で感じて、いやがおうなく気合いが入るのを覚えるがです。


潭陽会食


竹祭りの関係者の皆様、行政の方、竹職人さん、そして国外の招待の方など沢山の方と一緒に集まらせてもらい、主催者側からの歓迎をしていただきました。昼間にお会いさせていただいた地元の竹名人の方の他にも、まだまだ他の工芸作家の方もお越しになられちょります。日本からも竹職人さんがお一人参加されていました。国内の竹にこだわるならば外の竹に目を向けて視点を変える事が、かえって自分達の竹の進む道が見えて来るのではないですろうか。そう思うたら日本から来られちゅうのは大きな意味があるがぞね。


潭陽(Damyang)世界竹博覧会・世界竹会議に向けて


それにしても潭陽の意気込みは、まっこと凄いぜよ。行政の方や推進委員会の方が乗られている車にも、すべて来年の日程入りの統一されたイメージのペイントがされちょりますが、2015年の世界竹博覧会に向けた事務局入り口にも同じ大きな絵が描かれていましたし、階段の手すりも竹、部屋の中に入っても、いたる所に竹細工、役職も大きな半割竹をネームプレート代わりに使うちゅう...。これは、この韓国一の竹の町で想像以上の事が待ちゆうかも知れんがぜよ。


潭陽(Damyang)世界竹博覧会・世界竹会議に向けて


潭陽での竹祭では竹に囲まれ、幸せな気分に包まれちょりました。行政トップの方から役場で働く一人一人まで、そして、民間からの参加やボランティアの皆さんも気さくで楽しそうでした。潭陽の町には「太陽」の「陽」が入っちょりますが、まさに文字通りサンサンと輝く明るい気風を持った、竹のように清々しく気持ちの良い町だとつくづく感じたがです。


韓国、潭陽(タミャン)Damyangの竹祭り

潭陽(タミャン)Damyang竹祭り


毎年、韓国の潭陽(タミャン)と言う町で、竹祭りという竹ばっかりのイベントが開催されゆうがです。今年で16回目になる、そのお祭りに一度お伺いしてみたかったがですぞね。


お陰様で竹虎は今年で120年の社歴があって、この虎竹の里にしかない最近ではtiger bambooと言う言葉を多く使うようになった虎斑竹(とらふだけ)にこだわりやってきて、もちろんこれからも日本独特の竹文化を大切にして、和の竹に真っ直ぐ精進していくがですが、自分達の竹とは一体何やろうか?日本の竹は何処に行くがやろうか?そんな事を思う時に、その答えとなる多くのヒントは外の世界にもありますろう。


竹は世界で1300種類とも言われますけんど、温かい土地に多く育つ植物でもありますので赤道直下を中心に分布して、広く東南アジア各地にあってそれぞれの竹文化を育んできちゅうがです。日本の竹細工も歴史を紐解いたら大陸から伝わったもの、まっこと、驚く程そっくりな竹編みがありますし、遠く東南アジアの山岳地帯にある籠と見分けがつなかないような籠が、今でも日本の古くからの職人さんの手によって昔から作られて来た伝統の籠として作られていたりするがです。


潭陽は韓国でも南に下った位置にあり温暖で降水量も多く竹の生育に適した土地。韓国では潭陽(Damyang)と言えば竹と言われる程の竹が有名な町であり、ここで年に一度開催される竹祭りをご案内いただける事になったがです。竹緑苑(チュンノグォン)juknokwonという広大な整備された美しい竹林があり、週末には沢山の竹林浴を楽しむ方で賑わいよります。


竹林から出て町の道路を歩くと頭上に吊り下げられた電球カバーも竹編みの籠。ひとつひとつ形が違う竹籠がずっと続く道には感激しますぞね。竹博物館など立派な建物でも貴重な竹文化に触れることができますが、一歩、町に足を踏み入れたら、竹、竹、竹。右を見ても左を見ても竹に親しみ、竹を愛する人々の気持ちが伝わってくる。まっこと竹に囲まれるいう事は日本であっても、どこであっても世界共通ではないですうろか?こじゃんと気持ちのエイものながです。


潭陽(タミャン)Damyang賓道林さん


特に今回は来年2015年6月27日から8月15日までの期間で開催予定の、世界竹博覧会、世界竹会議がこの潭陽で予定されており、その前にどうしても竹と、そこに関わる皆様にお会いしたと思いよったがです。世界竹会議開催地推進委員会々長の賓道林さんとも、長く時間を取ってお話させていただく機会を用意いただきましたぜよ。


竹が好きで竹の志を同じにされちょります。言葉は分らんけんど、竹の心は通じ合いますろう。竹祭りには感激するけんど、本当に素晴らしいのはこの竹の心と心が響き合う、この時、この瞬間ながぜよ。「屋根の無い竹展示場」来年の世界竹博覧会のコンセプトを、確か担当の方がそのように話されていたと思いますけんど、実行委員や関係の皆様はもちろんですが、市民の皆様一人一人が竹に親しみ、楽しむ姿を拝見しながらここ潭陽には竹の無限の可能性を指し示す気にあふれちゅうように感じたがです。


潭陽(タミャン)テレビ局


地元のテレビ局の方が取材に来られちょりました。通訳の方に話しをするときには、それでも気を使うて慣れない標準語に近い言葉で話もするがですけんど、マスコミの方に竹の事を話しだしたらイカンちや。まっこと言いたい事か多すぎて熱くなる。それでなくても滞在中の潭陽は暑かったけんど、さぞ暑苦しかったかも知れませんぜよ。高知の田舎者ですきに、ついつい土佐弁でしか話しは出来んかったけんど、キチンと正しい韓国語に訳せるがやろうか?いつもお話させてもらうように笑顔は「竹」+「人」ですきに、こちらに来てから竹がこじゃんと喜んで笑い合いゆう気がして、感動しちゅうという思いをお伝えしたかっただけながですぞね。